ほんとうに久しぶりの青森なので、以前から関心のあった二つの博物館を訪れることができた。 一つは「八甲田山雪中行軍遭難資料館」である。
ここは、もちろん映画にもなった八甲田山で起きた日本陸軍史上最悪の遭難事件である。
1902年(明治35年)1月、日本陸軍第8師団の歩兵第5連隊が青森から八甲田山に向かう雪中行軍の過程で遭難した事件で、210名中、199名が死亡した。
ほぼ同時期に八甲田山に入った弘前第31連隊は無傷で任務を達成したことから、第5連隊の命令系統や準備の不備がこの大惨事を招いたとされており、この資料館では、その詳細な経緯を知ることができた。
また、屋外には、犠牲者を祭った陸軍墓地もある。
もう一つは、青函連絡船として使用されていた「八甲田丸」を保存、展示している博物館である。 とにかく学生時代に何度も利用した青函連絡船は、私にとっては青春時代の旅の大きな一コマである。
ただ、青函連絡船の運行が終わってから、約36年も経過しているので、もう遠い歴史の遺物になっているのかもしれないが、展示してある「八甲田丸」に一歩足を踏み入れると、何となく当時のいろいろな情景が蘇ってきた。
あの当時は、北海道も四国も連絡船でのみ繋がっていた、そのため、今とは異なり、函館や高松に到着すると、海を渡って来たという感覚を持つことができた。
昔、よく利用した座席
また、船内には、函館の昭和20年代、30年代の人々の暮らしも再現されており当時の人々の逞しさが伝わってきた。
最近の風潮を見ていると、すぐに政治が悪い、行政が悪い、組織が悪いと、まず文句を言う人も少なくない。 まだ日本が貧しかった時代、がむしゃらに働いて生きていた人々の笑顔に触れると、我々、今を生きる人々が何か大切なものを失くしつつあるような気がした。 津軽海峡を渡ってくる風は、昔と同じである。
From Face Book: Two museums in aomori.