京都大学IPS細胞研究所で論文の捏造と改ざんが行われていたとの報道があった。 最近、この種のニュースに触れることが多くなった。 研究者の一人として、「どうして?」という根本的な疑問が湧くのと同時に、我々を取り巻く研究環境の変化にも思いが馳せる。 100歩譲っても、研究データの不正が認められることは絶対なく、当事者を弁護することはできない。 ただ、仮に当事者に、研究における時間の余裕、ポジションの安定、そして精神的な余裕があったなら、おそらく研究不正も起きなかったはずである。 このような事件に触れるたびに、優秀な研究者が淘汰されていく姿を見るのは、ほんとうに辛い。
最近の我が国の科学技術に対する政策を見ていると、競争的資金、選択的予算配分、任期制等、一見、無駄を省いているように思えるが、長い目でみると、結局、大損をしているような気がする。 例えば、1億円の競争的資金を100万ずつ100人の研究者に配るのは、一見、無策のようにも見えるし、100万貰っても、何もしない研究者もいるだろう。 すなわち無駄な資金となる。 しかし、ほとんどの研究者は、それなりの研究を進めるはずである(そう信じている)。 結果的に、1人が1億円で進める研究より、明らかに、資金は少なくても、100人で進める研究のほうが、全体としてはプラスのはずである。 もう少し、大きな視野で、科学技術というものを考えて欲しいものである。
From Face Book: We Japanese have to draw the big picture for the progress in science and technology.