そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

4月10日(土)7:00@Seattle

2010年04月10日 | Seattle日記
 昨日は学部の授業の後、UCLAの先生による講演を聴く。近代文学のM先生がコーディネータであった。

 珍しく雨の降らない一日だった。天気予報は雨と言っていたのに…。A先生のご説明では、予報は当てにならぬそうだ。

 アメリカへ持ってきて便利だったモノ、ベストスリー。

 第1位:ルクエのスチームケース
     何でも3分以内に調理できる。
     本体はペコペコだからかさばらない。
 第2位:moviti "OTTO"
     旅行用スリッパのスグレモノ。全くかさばらない。
     どちらからつっかけても履けるので、
     ベッドサイドに脱ぎ捨てておいても、オタオタすることがない。
 第3位:割褌(六越褌)
     いろいろ試してきたけれど、もっとも簡略で付け心地がよい。
     洗濯してもすぐに乾き、畳めば手拭程度になる。
     その気になれば、手拭として使え(げげげっ
     非常の際?には、包帯、降伏票の白旗としても使える! 

 要するに、「かさばらない」というのがポイントであった。

4月8日(木)20:00@Seattle

2010年04月09日 | Seattle日記
 寅さんは朝日将軍に変身あそばしたらしい。かねて茗荷谷氏情報によれば、火を見るより明らかと云々で、それはもう、呼んできた御方様の責任であろう。巴御前? 朝日将軍にきりきり舞いさせられた一人は猫間殿(藤原家隆の父)だが、寅に猫とは何のシャレならむ? シャ…ノワール、ブラックジョークですな。よういわんわ。メールの書き方を懇切にご伝授申し上げた、関係方面にBCCしておくべし。

 大学院の授業も、徐々に巡航状態へ移行しつつある。A先生に、先に行って始めていてくださいと任された。13:30から15:20までで、途中に5分ほどブレイクを入れるが、話すべき内容が多くて、あっという間だった。今日はプロジェクターも使用してみる。次回までの課題を配布。週末が入るから、少し分量が多いかも。

 宿舎に直帰。周辺を少し歩いた。ずずっと北へ行くと公園がある。その近くにコインランドリーがあるが、当面お世話になる必要はなかろう。汗は全然かかないし、褌はすぐに乾くもの。A先生に教えていただいたリカーショップは、なかなかの品揃えだが、また今度ということにした。

 夕食はご飯を炊いて、納豆と、若布の味噌汁、ちょっとした炒めもののほか、冷凍餃子を焼いてみた。こうしてみると日本にいるのと変わらぬが、備え付けの食器が違うので、感じは大いに異なる。まあ、それも面白く、大げさに言えば異文化接触ということかな。酒はもっぱらワインおよびポルト酒。ヴィレッジのスーパーには日本酒もかなり揃っているけれども、まだ買って飲む気にはならない。お箸と、みかん盃は持参した。みかん盃はもっぱら、ポルト酒用のショットグラス?と化している。

4月7日(水)22:00@Seattle

2010年04月08日 | Seattle日記
 TAのSさんのお誘いで、日曜にお食事会?を行なうことになりそうだ。魚介類が大好きで、NYではオイスターバーに入り浸っていたと申し上げたら、ウォーターフロントのお店を予約してくださるらしい。バスで連れて行ってくださるそうで、合わせて楽しみである。どうもバスのチケットは複雑で、現金で払うほうが面倒がないらしい。NYだと、地下鉄もバスも、チャージ可能のメトロカード1枚で済んだが、それが特殊なのだそうだ。東京のSuicaなんか、ずいぶん進んでいるということか。

 今日は学部のクラスなので、13:00に宿舎を出て、授業を行なってから、帰路買い物をして、部屋に戻り付いたのが17:00だった。火・木は出勤?30分早くなるが、だいたいこういう生活パターン。つまり、平日の午後は仕事ということ。

 洗井大学も経営が大変らしい。米国もデフレ気味で、給与のカットや、節約が行なわれているという。固定電話を4000台も廃止するとか。サバティカルも、文字通り7年に1回取得できるのが原則だが、交渉次第でいろいろなケースがあるらしい。その際に、給与のカット具合で、認められる場合もあるようだ。我々のシステムとは全く違う。

 宿舎に戻ったが、昨日も今日も、カードキーがうまく作動しない。フロントで直してもらうが、原因不明。携帯電話のそばに置くなと言われたけれども…。渡米の飛行機で預けたトランクケースの一部が破損したので、保険会社に電話をかけたが、これまた長話となって、なかなか埒があかない。面倒なことは次々と出来する。

 日本でも少々トラブルが発生したが、なんとか収まりそう。主任のT教授に近況報告。折り返し、研究指導の登録をまだ行なっていない後期課程の院生が何名かあるとお返事をいただく。心当たりの人は早く手続きをしてほしい。日本でのオンデマンド授業にもアクセスして、書き込みを行なった。パートナーは科研費が取れたので、小躍りしているらしい。彼女が科研費を取れなかったことを知らない。書類の書き方がよほど上手いのであろう。

 明日は大学院のゼミなので、予習が大変。来週から使用するテクストについては、A先生と打ち合わせて来た。学部の方は全25回の授業で百人一首を全部やる。どう考えても日本の科目より内容が濃く、ハードである。

4月7日(水)6:00@Seattle

2010年04月07日 | Seattle日記
 エストニアの大学学長R先生からメールが来た。先生とはもう10年以上のつきあいだ。大学院生の留学に関する打診だが、喜んでお引き受けする。お返事には、把瑠都が大関に昇進して人気ですと世辞?も書いておく。

 昨日の授業の反省点。私はついつい砕けた言い方をしてしまうが、それは全くダメなのだそうだ。もっと厳格に、きちんとしゃべらなければならないという。クラスの参加学生のレベルはさまざまで、どのあたりに照準を合わせるばきかについても、A先生のご指摘はまことにもっともと得心した。普段の日本での授業を思い起こしても、耳の痛い話である。こちらの大学では、学生による授業評価がずいぶん厳しいらしい。できるだけドロップアウトさせない配慮も、実に細やかである。徹底した教育工学的自覚が、私には欠けていたことに気づく。

 構内には、キャンパスツアーの高校生や社会人の集団、またゴルフカー?に乗って案内を受ける高校生と父兄の姿が目に付く。ちょうどそうしたシーズンなのだという。学生リクルートに関しては、どこかで見た光景。いづくも同じだな。

4月6日(火)18:30@Seattle

2010年04月07日 | Seattle日記
 ある件で終夜日本とメールのやり取りをして寝られなんだ。夜半、しきりに花火が鳴るので、何じゃらほいと思いきや、宿舎の上方にある学生寮が大停電となり、学生たちが大暴れして警察が出動したのだそうである。什器に火をつけたりして、大変だったらしい。教務主任時代に経験した、O講堂前の終夜警備、ピケのことを思い出した。

 早めにA先生のオフィスを訪れ、11:00に大学本部(画像)にお連れいただいて書類を提出、ガイダンスを受けたが15分ほどで終わった。持参のサンドウィッチとバナナで軽く食事の後、IDカードを作成。これで本も借りられるし、大学のインターネットにも接続可能となった。

 院生図書館のラウンジでコーヒーを飲み、構内を少し散策してから、大学院のゼミを初めて担当する。2~3月は授業をしていないから、そうでなくてもエンジンがかからないが、相手がアメリカ人ということで面食らう。こうした経験を積むこと自体が、結構なFDだわい。

 授業終了後、A先生と打ち合わせ。問題点を指摘していただいた。授業は毎日なので、最初の軌道修正が肝要とのこと。まことに真剣にやっておりまするぞ。 

 構内の桜はほぼ散って、八重桜が重そうにピンクの花を付けている。構内はとにかく広いが、建物の色調が統一されており、重厚な感じがする。

 夕食は玉葱を刻んで、牛丼を作った。ルクエの「スチームケース」は大活躍。環境に留意して、生ゴミもほとんど出ないよう工夫している。エコ生活実践中。

4月5日(月)23:00@Seattle

2010年04月06日 | Seattle日記
 日本との連絡は順調で、修士課程の新入生諸君は揃って科目登録ができたようだ。学科のスタッフに紹介するというA先生のご指示で11:00にオフィスへ行く。学科の事務長さんにご挨拶し、東アジア図書館を案内していただく。日本関係担当司書の方にもご紹介いただいた。書架をざっと見せていただくが、分類がどうもよくわからない。珍しい本も結構ある。

 おにぎりを持参し、食堂で何人かの先生方とご昼食を一緒した。ヒンドゥー文学がご専門の先生が学科長。そのほか、文選がご専門で英訳を進めておいでの先生もいらっしゃった。

 14:00から学部のクラスに出る。百人一首を使って和歌の読み上げ方をいくつか紹介し、最後にカルタを少しやった。周囲の教室では何と思ったろう。「歌カルタ」ではなくて、「歌カルト」と思われたかもしれませんとA先生。十分におやぢギャグである。(笑

 終了後、質問があるという2人の学生さんのため、30分ほど時間をとる。1人は大阪出身の日本人。もう1人は和歌山にいたことがあるという院生君で、配偶者は日本人のよし。それぞれダブルメイジャーとして日本語(文語)を学んでいるそうだ。

 いったん宿舎に戻ってから(帰路はひたすら下りだから実に早い)、ヨーグルトとコーヒーを買いに出る。夕食は、昨日A先生の奥様に持たせていただいた魚介スープを、パエリア風に仕立て直してみた。すし酢で作った即席サワーキャベツを付け合せる。酒は「橋」という銘柄のカリフォルニアワインの赤を開けたら、これが結構うまかった。部屋にはコーヒーメーカーがあるので、美味しいコーヒーも淹れられる。自炊生活はまことに快調。

 バスの路線図を手に入れて、A先生に説明を受けたものの、なかなか難しい。メトロカードをドラッグストアで買うようだ。たしかに売ってはいたが…。「さくら祭り」までに、何とかダウンタウンまで行けるようになろう。ただ、毎日午後に授業があるので、遠出は不可能。週末を期すべし。

4月4日(日)23:30@Seattle

2010年04月05日 | Seattle日記
 2晩連続で眠れなかったので、さすがにフロントにクレームを言ったら、あやつらは本日チェックアウトするとの返事。やれやれ。朝食はコーヒーとマフィン、それに林檎や小さなオレンジが供される。ダイエットがてら、余計なものは食わぬことにした。

 盟兄教務主任殿からメールが届き、入学式当日の様子などをお知らせくださったが、思わず吹き出してしまった。アホが近隣住民に成敗?されたとのこと。あはははは。アホの顔が目に浮かぶわい。教務主任殿もあまり張り切りすぎぬよう、ご注意あれかし。

 今日はイースターの休日で、実に静かだった。16:00にA先生が車で迎えに来てくださり、ご自宅を訪問。Seattleから北西に少し離れた町だ。途中の大通りは、売春婦の名所のよし。その手の女性は、バス亭に立っているのだそうである。だから、変な格好でバスを待っていると誤解されるとか。ちなみに相場はいくらですか?と尋ねたら、経験がないので知りませんと言われた。

 お宅は湾をはるかに望むロケーションで、お庭には東屋まである。ちょっと不思議な作りの住宅であった。太郎君、次郎君に先生ご夫妻の4人暮らし。お子さんがたにはイースターエッグのチョコレート、先生にはスパークリングワインとロバート・キャンベル先生の『Jブンガク』を差し上げた。奥様には機内で読んだ『FAMOSO』のVol.3を差し上げたら、大喜びされた。そのほか、お寿司を少し作って持参。仁多米に、剥いたエダマメと山椒チリメンを混ぜてみた。

 元気な太郎君、次郎君は大興奮。画像はイースターの羊のケーキ。この後、あはれ切り分けられて我々の腹の中に納まった。

 十分にご馳走をいただき、スパークリングワインやウィスキーを飲んでよい気持ちになった。雨の中を奥様に宿舎までお送りいただく。恐縮、恐縮。

4月4日(日)1:30@Seattle

2010年04月04日 | Seattle日記
 また階下の部屋でどんちゃん騒ぎである。これで2晩、一睡もできない。やれやれ、アメリカというところは恐ろしや! 我ら敗戦国の国民であるから、文句も言えぬわい(沖縄の状況を見ればよく分かる)。

 それでも少しは知恵がついた。室内のエアコンは超旧式で、作動させるとものすごい騒音がする。それでいわば迎え火のようにノイズを立てれば、階下の騒音が少しは紛れる。それから、ベッドサイドのラジオをつけて、バロック音楽を流しっ放しにした。ナイトキャップに、買ってきたポルト・ワインのエクストラ・ドライ(画像)をあおった。

 しかし、どたんばたん、戸の開け閉め、グラスの割れる音と、尋常ではない。女性の悲鳴ものべつ幕なしである。私はいったいどうしたらよいのだろう? 誰か助けて~! Help me!

 学生の夏合宿の、セミナーハウスでの徹夜飲み会のノリだな。そう考えれば、いづくも同じか。これが毎晩続くようなら、部屋を替えてもらうしかあるまい。まいった、まいった。

4月3日(土)14:00@Seattle

2010年04月04日 | Seattle日記
 授業もないので、洗井大学の構内を散策した。博物館があったので入ると、日本関係の展示も。佐渡の文弥人形?の山姥や、小面、それに浄土宗系の仏壇などがディスプレイされていた。太平洋周辺の民俗展示ということらしい。

 画像は博物館前に立っているトーテム・ポール。手前にちらっと見えているのはサツキである。桜はもう散りがたか、移ろはむとや色変はりゆく状態。しかし、気温は低い。どうなってるの?

 博物館の先を抜けて街に出ると、「University Bookstore」があった。大学グッズも色々揃っている。洗井大学のイニシャル・ロゴは勤務先と同一なのだが、スクールカラーはパープル。マスコットキャラクターもシベリアンハスキー犬で、ウチの熊とは異なっている。ネクタイなどは使えそうだなと、目星を付けておく。

 明日はA先生のお宅に招かれているので、宿舎近くのショッピングセンターで、イースターのプレゼントを仕入れた。

4月3日(土)7:30@Seattle

2010年04月03日 | Seattle日記
 現在の気温は5℃だとか。さ、さぶ~! 昨夜は、宿舎の1階下の部屋(私の部屋は3階建ての最上階の奥角部屋である)で、2時3時までどんちゃん騒ぎをされて参った。男女の嬌声と言うか、女性の悲鳴のごとき声までもが響き渡り、果ては歌を唄い始めやがった。修学旅行の生徒が興奮しているみたいだが、アルコールが入っていたようだ。語学力不足の日本人は、触らぬ神に祟り無しの泣き寝入りをきめこむ。

 画像は、宿舎からWash大学(以後「洗井大学」とでも称するかなあ)のキャンパスへと続く小道脇に生えていた土筆?。なにしろ巨大で、15cmくらいもあろうか。巨大スギナもたくさん生えておった。採って来て食ってみるかな。

 娘は、辞令交付の翌日から残業をさせられているという。なかなか人使いが荒いようだ。就職先では、私の娘であることが知れ渡っているらしく(挨拶をしまくったからな)、配属部署の方々も、よい人ばかりとのこと。一種の接客?業務だが、学生時代のアルバイトで鍛えられているから、即戦力という点では満点だろう。

 ところで、悩淫法師の和歌について、お尋ねの向きがあったので、ご解説まで。

  都をば霞とともにたちしかど秋風ぞ吹く白河の関
     能因(俗名:橘永=たちばなのながやす)

4月2日(金)23:00@Seattle

2010年04月03日 | Seattle日記
 午後から最初のクラスに参加する。拙著をテキストとして販売、儲かったぞ~!? 内容は文法的な分析が中心だが、なかなか高度。梅ちゃんなんか、あなた、ついていけないかもしれないよ(課題とした文法のワークブックは、ちゃんとやったかな?)。「ながながし夜」の「ながながし」は、形容詞の語幹が連体接続している(cf.「うまし国」)だとか、シク活用形容詞の連体形は成立が遅れるなどという説明に、皆さん頷いていらっしゃるのだから…。

 画像はWash大学の教室棟内。確認できないとは思うが、正面にビル・ゲイツのご母堂の肖像画が掛けられている。15:30から言語学のcolloquiumを聴講した。その後、A先生に院生用図書館を案内していただく。金曜で利用者が少ないよし。しかし、巨大。閲覧スペースが十二分、いや十五分に取られている。ウチの大学のK図書館長が訪問して感激したというのは、ここのことだろうか? 世界最大の本というものを見た。また、カラスが文字を加えて飛んでいるモビールがあった。

 帰路はまた雨に遭う。四六時中、降りみ降らずみ、定めなく時雨みたいに降っている。近くのスーバーに立ち寄って、午前中買いそびれたものなどを仕込む。夕食はA先生にお借りした炊飯器でご飯を炊き、生サーモンを炒め、ホワイトアスパラを茹でたものを付け合せた。宿舎の部屋にはキッチンが付いていて、電子レンジもある。ルクエの「スチームケース」を持って来て大正解だったわい。酒はオレゴン産のロゼワインにした。

4月2日(金)11:00@Seattle

2010年04月03日 | Seattle日記
ああああ~、シアトルは今日も雨だった~♪

 A先生の奥様と二郎君に、Uwajimayaという日系スーパーに連れて行っていただいた。巨大! また何でもある。これだけ揃っていると、アメリカに居る甲斐?がない。当面の食料品などを調達。なんと仁多米清酒「李白」まである。ついつい島根産品を買ってしまった。まッこと、アメリカに居る甲斐がないわいな。

 画像はレジの手前で売っていた「BOTAN RICE CANDY」というお菓子。文旦飴そっくりの味で、オブラートに包んであるのも一緒だが、やや小さい。パッケージに牡丹と犬張子が描かれているから、「BOTAN」は「文旦」ではなく「牡丹」なのであろう。「獅子」ではなくて「犬張子」というのがふるっている。おまけにシールが入っていて、テイストは完全に昭和30年代。こいつを土産に大量購入しようかなあ。1ヶ99¢でありました。

 A先生の坊ちゃんがたには、娘のアドバイスにより「コアラのマーチ」を差し上げたが、好評のよし。こちらにあるのは味付けが日本のものとは違うそうだ。

4月1日(木)22:00@Seattle

2010年04月02日 | Seattle日記
 同じ日にシアトルに着くついたちを
 今日とやいはむ昨日とやいはむ

 都をば桜とともに発ちしかど
 寒風ぞ吹くシアトルの咳   悩淫法師(俗名:立場が無いでがんす)

 成田を夕刻発ち、8時間の飛行でサンフランシスコに着く。主翼脇の、右(南)端の座席だったので、終夜月がよく見えた。

 国内線への乗換えが結構大変で、プリンターエラーとやらでなかなかチケットが出てこない。やっとこさ何とかなったら、今度は超厳重な持ち物と身体のチェック。さて2時間のフライトでシアトルに到着。結局予定通り、至極順調であった。

 A先生に車でお出迎えいただき、ボーイングの工場やら、かのシアトル・マリナーズのホーム球場であるセーフコ・フィールドやらを左手に見ながら、シアトル市の中心部をかすめ、大学近くの宿舎にチェックインした。ここで9週間お世話になる。やけに広い部屋だ。どうにかこうにかインターネットの接続ができて一安心。A先生と明日以降の授業等について打ち合わせ、夕食はご推奨の「旬」という和食屋へ行ったが満席で、「ZAO」というアジア料理のお店で麵をご馳走になった。 

4月1日(木)

2010年04月01日 | 昔日記
アメリカへ発つ前に、
パートナーと離婚した。
これでさっぱり、こざっぱり。





















 …みんなビックリ。

 エイプリル・フール、である。

 閑話休題。
 わりかた著名な日本史学の某女性研究者がお書きになった新書本を、Hさんの『とはずがたり』論に関連するかなあと読んでみたのだが…。まあ、新書本は学術書ではないから批判してはいけないらしいのだが、それにしても、ねえ。

 日本史学の研究者は、どうして引用テキストに対してあんなに無頓着なのだろう? この著者が極端なのかもしれないが、仮名遣いなんか、あなた、新旧混ぜこぜだし、和歌にはなぜだか濁点が付いていなかったりする。ごりっぱな出版社から出ているはずなのに、杜撰というか、到底理解できない。まあ、本文は歴史的仮名遣いにするが、振り仮名だけ現代仮名遣いにするという処理を、黙って眺めていたこともあるから、他人の事は言えないかな。

 また、前々から理解できないのは、史学系の研究者は、「三」「八」が字母の平仮名を「ミ」「ハ」と翻字なさることだ。美術史や、文学系でも能楽などではこういう風習?があるようだ。おいおい、位相が違うだろう。筆者に平仮名と片仮名の区別意識があるなら、平仮名のつもりで使っている「三」を「み」ではなく「ミ」とするのは誤りだ。日本語学者は、声を大に批判してほしい。もっとも、付属語を宣命書きみたいに片仮名で小さく書いている場合は、片仮名の扱いでよかろう(古注釈の写本にはこういうケースも多い)。

 先週土曜の古記録研究会の時、書道史のMさんをつかまえてこのことを尋ねたら、単なる風習でしょうねえというお答えだった。これを称して、旧来の陋習と申すのである。