そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

4月18日(日)2:10@Seattle

2010年04月18日 | Seattle日記
 17日「さくら祭り」の記の続き。洗井大学の文語の授業を受講している、大学院生D君の、道成寺の紙芝居はとても上手だった。絵は奥さん(和歌山県出身の日本人)が描かれたという。

 会場には「ダイソー」の出店があったから、小丼を1.50$+税也で購入した。味噌汁はコーヒーカップで構わないが、米の飯はこういう器でないと旨くない。

 さて帰るべいと、バスの乗り場を捜すが、どこにあるのか皆目検討がつかぬ。やっと見つけたバス停は、降車専門らしい。雨も降ってきた。その辺をふらふらしているオバさんをつかまえて聞き合わせるも、埒があかない。ようやくアジア系のオネエさんが教えてくれた。ネットで当たりをつけたところとはかなりズレていた。

 ところが、乗ったバスの運転手さん(女性)は、偶然行きのバスと同じ人だった。「覚えているからいいわよ」と言われ、結局料金を払わずに降ろされた。どうもバス料金の体系は、複雑でよ~分からんごとある。途中、フリーモントへ渡る橋が、ガガガガ~と跳ね上った。うわ~、勝鬨橋でんがな。運河を船が航行して行く。珍しいものを見ることができたぞなもし。

 やっぱりバスは面白い。街の様子がよく分かる。道路の表示はどこにでもあり、南北がAveで東西がSt、それぞれ座標軸状に番号が付けられているから、現在位置は容易に判明する。ドラッグストアで買った地図を持っていれば、心配は無用だ。

 それにしても、バス料金は分からん。どうしてシアトル・センターまで、2$ぽっちで往復できるのだろうか?

(後でSさんに尋ねると、「そういう『良心的』な運転手さんも、たまにいる」とのこと。これを称して『良心的』というべきなのかいな? ほんま)

4月18日(日)2:00@Seattle

2010年04月18日 | Seattle日記
 17日午後、「さくら祭り」に出かける。「旬」の先(北)で30番のバスに乗れば、そのまま終点が会場のシアトル・センターのはず。当地のバス路線検索は優れている。2$払って乗り込んだ。

 大学の西側を南行し、その後どんどん西へ進む。フリーモントで運河を渡って、ガーッと走ったら、もうシアトル・センターだった。名高きスペースニードルは、どう見てもお子様向けという外観で、天気も悪いし、敬遠して会場パビリオンへ向かう。

 「NANDA」のパフォーマンスを観た。な~んだ、かんだの、神田橋~♪か? 第二次世界大戦中の日系人強制収容所の模型展示や写真などが、特に興味深かった。

4月17日(土)8:30@Seattle

2010年04月18日 | Seattle日記
 宿舎は24th Av.NEの、NE 48thと49thのSt.の間に2~3階建ての6棟が並んでいる、一番北にある第6棟の3階の一番奥の部屋である。第3と第4棟、第5と第6棟の西にも棟があり、コの字形に中庭を作っている。すなわち、部屋の窓の外には中庭の植樹が聳えている。

 この第6棟だけが、ホテルの長期滞在者用に宛てられているようだ。フロントは24th Av.を隔てて「形の平屋にあり、無料の朝食もそこでもらう。ご関心の向きはgoogleマップで調べてみてくだされ。

 他の棟は、おそらく仕様は同じと思われるが、どうやら学生もしくは一般のアパートとして使われているらしい。アジア系の方が比較的多いような気がする。

 宿舎のすぐ西にはトレイルがあり、今朝はジョギングをしてみた。大学の校地に沿って、スタジアムを左に見て、メディカルセンターの前を通り、15th Av.NEまで走って行って引き返した。途中、Union Bayの水面も光っている。足元にはリス、リス、リス。

 1時間ほど走って朝食。このホテル、週末は先生に引率された学生の団体らしいのが多く利用している。その時には食パンが供されるので、すかさずゲット。いつもマフィンではやってられない。日本で言えば、修学旅行用の宿というところか。料金は安いんだろうね。洗井大学も経費節減中らしいからな。でも、十分である。東京に出てきた頃は、キッチン・トイレ共用でバス無しの3畳1間で生活した私である(周囲はヤクザとホステスだらけだったが)。サイパン島の敗残日本兵のように、諸般工夫しておるぞ。料理用の砂糖はコーヒー用をもらって済ませているし、オートミールはオジヤか雑炊に化けていく。