そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

4月1日(木)

2010年04月01日 | 昔日記
アメリカへ発つ前に、
パートナーと離婚した。
これでさっぱり、こざっぱり。





















 …みんなビックリ。

 エイプリル・フール、である。

 閑話休題。
 わりかた著名な日本史学の某女性研究者がお書きになった新書本を、Hさんの『とはずがたり』論に関連するかなあと読んでみたのだが…。まあ、新書本は学術書ではないから批判してはいけないらしいのだが、それにしても、ねえ。

 日本史学の研究者は、どうして引用テキストに対してあんなに無頓着なのだろう? この著者が極端なのかもしれないが、仮名遣いなんか、あなた、新旧混ぜこぜだし、和歌にはなぜだか濁点が付いていなかったりする。ごりっぱな出版社から出ているはずなのに、杜撰というか、到底理解できない。まあ、本文は歴史的仮名遣いにするが、振り仮名だけ現代仮名遣いにするという処理を、黙って眺めていたこともあるから、他人の事は言えないかな。

 また、前々から理解できないのは、史学系の研究者は、「三」「八」が字母の平仮名を「ミ」「ハ」と翻字なさることだ。美術史や、文学系でも能楽などではこういう風習?があるようだ。おいおい、位相が違うだろう。筆者に平仮名と片仮名の区別意識があるなら、平仮名のつもりで使っている「三」を「み」ではなく「ミ」とするのは誤りだ。日本語学者は、声を大に批判してほしい。もっとも、付属語を宣命書きみたいに片仮名で小さく書いている場合は、片仮名の扱いでよかろう(古注釈の写本にはこういうケースも多い)。

 先週土曜の古記録研究会の時、書道史のMさんをつかまえてこのことを尋ねたら、単なる風習でしょうねえというお答えだった。これを称して、旧来の陋習と申すのである。