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日本の奇祭33「きちがい祭り・撞舞」

2014年10月20日 | 日本の奇祭

一年を通して日本全国の各市町村で何らかのお祭りが必ずあります。

故郷を思うとき、まず思い出されるのが祭りではないでしょうか?

 

ただ世の中には、地元の人には普通で真剣なんだけれど、

外部の人から見ると摩訶不思議な世界に見えてしまう祭りがあります。

これを世の人は「奇祭」と呼びます。

 

奇祭とは、独特の習俗を持った、風変わりな祭りのことと解説されています。

 

これを、人によっては「とんまつり(トンマな祭)」

「トンデモ祭」とも呼んでいるようで、

奇祭に関する関連書物も数多く出版されています。

よく取り上げられるのは、視覚的にインパクトがある祭り

(性器をかたどった神輿を担ぐ祭りなど)がよく話題になりますが、

ほかにも火を使った祭りや裸祭り、地元の人でさえ起源を知らない祭りや、

開催日が不明な祭りなど、謎に包まれた祭りはたくさんあるようです。

 

これから数回に渡って奇祭を特集していきます。

その多彩さに驚くとともに、祭りは日本人の心と言われるゆえんが、

祭りの中に詰まっていることが理解できるでしょう。

 

特に言う必要はないと思いますが、

以下にふざけて見えようと馬鹿にしているように見えようと、

れっきとした郷土芸能であり、

日本の無形民俗文化財だということは間違いありません。

 

今回は、滋賀県のきちがい祭りと茨城県の撞舞です。

 

きちがい祭り(野神神社:滋賀県大津市今堅田)

 

堅田漁港より1㎞北、琵琶湖大橋近くに森があります。

ここは南北朝時代の武将として有名な

新田義貞の妻であったとされる「勾当内侍」を祀る神社です。

明応6年(1497)内侍150年祭に、

伊豆神社飛地にある墓の上に祠を建て野神神社としました。

鳥居をくぐって境内に入ると、小さな社殿があり、

その背後に勾当内侍の墓があります。

 

その野神神社で10月の第3日曜日に例大祭の「城門祭」が行われます。

一般的に野神祭といえば、野に感謝し、

作物などの恵みに感謝して祈願するものですが、

野神神社例大祭の祭事は、内侍の霊を慰めるようになり、

里人が内侍のために足利の追手をくらます奇祭となりました。

内侍の故事と野神神社の祭事が絡み合って行われ、内侍狂乱の姿を再現し、

「城門や、火事や、火事や…」と連呼しつつ、

新田義貞を慕う村人が、悲恋の内侍を思い出して繰り広げる行事です。

通称、きちがい祭りと呼ばれ、お渡り行事と松明行事があります。

 

午前10時、野神神社でお祓いと祝詞、玉串の神事が行われます。

神事に続き、湖族太鼓の奉納も行われます。

奉納太鼓が終わると、総代を先頭に神職、太鼓、

裃姿の方々が続くお渡り行列が出発します。

 

 

お渡り行列では、数名の方が膳を運びます。

この膳を以前は道中で放り投げていたといわれています。

現在は、危険なためそのようなことはありません。

行列は地域を回って、

膳に乗せられているお供え物を野神地区の人に配っていきます。

 

 

そして、最終の堅田公民館に到着し、献上箱を収めます。

堅田公民館前で、以前に行われていた膳の放り投げが行われます。

放り投げる膳は5つ。

それぞれに膳を持つ人が、小走りで公民館前に来て膳を放り投げます。

膳から落ちた供え物は、来ている人が拾います。

一説には、お供え物が乗った膳を投げるので、きちがい祭りと呼ばれるそうです。

 

もう一つの祭事が、午後8時から行われます。

野神神社には、勾当内侍廟があります。

勾当内侍は、新田義貞公の夫人で、

義貞が京から越前に向かう途中、内侍を今堅田に残しました。

その後、新田義貞の戦死を知った内侍は悲しみのあまり、

この地、琵琶湖で身を投げたといわれています。

人々は、内侍を偲び道標を建てたそうです。

 

 

神社の境内には松明が置かれていて、

氏子講中の人々がお渡り行列と同じ道のりを歩き、松明行列を行います。

 

 

松明行列では、松明を持った一行が

「火事や、火事や~、城門が火事や~」と叫びながら練り歩きます。

これは、湖に身を投じた内侍を発見した村人が、

人を集めるために「火事や|、火事や~」と叫んだそうです。

しかし、火事や~だけでは人数が集まらないので、城が火事や~と言ったとか。

 

 

松明行列は途中、内侍が身を投じた場所(御旅所付近)で、湖水の水を汲みます。

その時、神職は湖水に向かって祈願されます。

 

行列は神社に戻ると大弊を神社の境内に、全員のせえの~の声とともに建てます。

普段は勾当内侍廟の門は閉じられていますが、この日は開かれます。

勾当内侍廟のまわりで松明をかざし、

勾当内侍廟内を石で並べて道標作りをします。

道標が完成すると、湖水から汲み上げた水を石にかけます。

さいごは、勾当内侍廟にお供えが置かれ祭文が読み上げられ冥福を祈ります。

祭事が終わると、お供えしていた果物や餅などを来た人全員に配ります。

 

 

【交通アクセス】

電車:JR湖西線「堅田」駅下車、徒歩約20分。

車 :湖西道路「真野IC」から10分、または名神「栗東IC」から約40分。

 

撞舞(八坂神社:茨城県龍ケ崎市上町)

 

龍ケ崎の撞舞は、高い柱に登り様々な曲芸的所作を演じる芸能で、

毎年7月25日から行われる八坂神社の祇園祭の最終日27日に、

市内の根町大通りにある八坂神社仮宮前の所定の場所で行われる芸能であり、

地元では雨乞いの意味を持つと伝えられています。

 

 

その起源は定かではありませんが、

使用される面に安政二年(1855)の記載があることから、

少なくとも19世紀前半以前には遡ると思われます。

祭礼の期日は、古くは旧暦6月28日・29日でしたが、

明治40年より7月25日・26日となり、

さらに大正10年頃より現在の形となりました。

 

撞舞が行われるツクバシラは、

二間四方の櫓に据えられた八間の杉の丸柱で、

薦を巻いてその上を白木綿・紺木綿で覆い白布で縛り、

先端に横木をつけその上に桟俵100個で作った円座を載せ、

横木には轡2個と麻の房を垂らしており、

全体として竜に見立てているといわれます。

 

当日の夕刻、舞男と称する舞の演じ手は、

つく柱の近くにある蛙宿で、唐草模様の筒袖襦袢に裁着袴の衣装と、

後に「ウロコ」と呼ばれる布を垂らした雨蛙の被り物を被り準備を整え、

世話役に先導され八坂神社仮宮に赴き、

お祓いを受け御神酒をいただき、弓矢を神主より手渡され櫓に戻り、

笛・太鼓で奏される囃子につれてつく柱を登ります。

 

 

途中で逆さまになるなどの芸を見せながら頂上に達すると、

円座の上に立ち上がり「四方払い」と称して東西南北に矢を射ります。

 

 

その後頂上で逆立ちをしたり、横木に仰向けに寝たり、

つく柱から張られた白綱に移ってさまざまな軽業を演じ、

つく柱の戻り頭を下にして滑り降ります。

これら一連の軽業の姿は、室町から近世初頭に、

見せ物として流行した「蜘蛛舞」という曲芸に近似しており、

それらが祇園祭礼と結びついて伝承されたことをうかがわせます。

 

 

以上のような龍ケ崎の撞舞は、

かつて流行した曲芸が地元の祇園祭礼と結びついて独自に伝承されてきたもので、

芸能の変遷の過程を知るうえで重要です。

 

【交通アクセス】

関東鉄道竜ヶ崎線「竜ヶ崎」駅下車、徒歩約12分。

 

いかがでしたか。

祭りには底知れない魅力と気分を高揚させる何かがあります。

長年にわたって受け継がれてきた祭りには、

理屈では割り切れない人々の思いが詰まっているように思います。

たかが祭り、されど祭りといったところでしょうか?



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