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愛媛の伝承文化

大本敬久。民俗学・日本文化論。災害史・災害伝承。地域と文化、人間と社会。愛媛、四国を出発点に考えています。

俗信と民間療法

2001年02月15日 | 八幡浜民俗誌
俗信と民間療法

私は子供の頃、夏になると、友人とよく国木や牛名の山にクワガタを捕りに出かけていた。山を歩く際には一種のルールがあった。一つは、スズメバチの出会ったらみんなで「ミソクソ、ミソクソ」と唱えることだ。これを唱えるとハチに刺されないと誰に教わったわけでもなく信じ込んでいた。もう一つのルールは、ジャンケンで負けた者が前から三番目を歩くということだ。蛇は人間を見つけると、いち、に、さんのテンポで噛みついてくるため、三番目の者が噛まれると思い込んでいたのだ。
 今考えればくだらないとも思うが、他にも日常生活の中でそのような非合理的なことをやっていた。歯が抜けると、上の歯だったら屋根の上に、下の歯だったら軒下に放り投げていたこともそうだ。折角自分の歯が抜けてくれたので、取っておきたいと思いながらも、大人の歯が無事生えてくることを祈りながら投げたのである。
 世代を越えて伝承されてきた民俗のうち、このような非科学的もしくは非合理的であるにも関わらず、人々に信じられてきた生活知識を俗信と呼んでいる。長い経験から導き出された知識であるが、この俗信は、明治時代以降に日本に流入した西欧の合理主義的思想の下では、価値の低い習俗と見なされる風潮があった。しかし、民俗学では俗信が人々の心の深層に受け入れられる論理構造をもっており、それが民俗文化の特徴の解明の手がかりになると期待され、各地で俗信の採集・記録が行われてきた。
 愛媛県内の俗信については、『えひめの言い伝え-愛媛の医と食の伝承-』(昭和六三年、愛媛県医師会等発行)という貴重な報告書がある。この書は俗信のうちでも主に民間療法を取り上げたものだが、八幡浜地方の民間療法についても報告されている。
 結核に冷水まさつがよい。(川上)、腰痛には川菖蒲をすって布に広げ、患部に貼るとよい。(双岩)、便所掃除を毎日していると、きれいな子が生まれる。(八幡浜)、妊婦は火事を見るとホクロのある子が産まれる。(八幡浜)、乳のはれには鯉の皮を貼るとよい。(双岩)、めぼができたら井戸に小豆を落として「小豆が落ちたと思ったら、めぼが落ちた」と三回唱えればなおる。(真穴)、柱祭りの麻木をかむと歯の痛みがなくなる。(神山)、イナゴを煎じて飲むと頭痛によい。(神山)、伊勢エビの殻を煎じて飲むとはしかが早く直る。(川上、真穴、神山)、おたふくかぜには染料のアイを塗る。(神山)、正月二〇日過ぎまでヨモギ餅を食べると、灸をすえなくてもよい。(双岩)、暑気あたりにタデの葉をもんで足の裏にはるとよくなる。(真穴、神山)
 医学が未発達な時代に、これらは信じられてきたが、現代でも人々は妊娠した時や、心身が不調な時には神仏に祈願したり、種々の療法にすがろうとする。これらの習俗も西欧の合理主義では排他されるべきものではあるが、今後も決して消えることはないだろう。人は不安状態に陥った際に、その不安を解消させるための俗信のような論理構造を持ち出そうとする。俗信の解明は、人々の心の不安の解明にもつながるのである。

2001/02/15 南海日日新聞掲載

節分の飾り物

2001年02月08日 | 八幡浜民俗誌
節分の飾り物

 節分になると、各家の門口に様々な飾り物を付ける。八幡浜地方で一般的なものとしては、一〇センチ程に短く切ったタラの木に、鰯の頭とトベラをはさむというものである。タラの木は樹皮一面に棘のある木で、鰯の頭は悪臭がするものである。その棘や悪臭をもって鬼を退散させようとするのである。トベラは常緑小高木の一種で、その葉幹根に悪臭があり、燻すとさらにきつくなる。『和漢三才図会』にはトベラを「門扉に挿せば能く疫鬼を辟く」とあり、一般には鰯の頭と同様、においをもって鬼を退散させるものと言われている。
 ところが、八幡浜地方ではこのトベラのことをバリバリシバとかパリパリシバと呼んでいる。かつては、かまどで節分の豆まき用の大豆を炒る時には、焚き付けにバリバリシバを用いていたが、それを焼く際にバリバリという音がすることからこの名称が付いたのだろう。トベラの地方名称に、その特徴であるにおいのきつさではなく、バリバリという擬音を採用しているのは、この音によって鬼を退散させようとしたからであろう。
 なお、バリバリシバが魔除けの植物として使われている例は他にもある。毎年四月第三土、日曜日に行われる川名津の柱松神事の中で神楽が奉納されるが、祭りの主役でもある四二歳の厄年の男連中が、神楽を脇で見物しながらも、ダイバン(鬼)が登場するとバリバリシバを手に持って、鬼を叩こうとする場面がある。これも一種の鬼退散の儀礼といえよう。また、北宇和郡三間町音地では、バリバリシバのことを別名イイムギシバともいい、これを畑に挿すと豊作となるといわれる。五穀豊穣祈願としてとらえられているが、これも、もとは畑にいる魔を祓う意味で用いられていたものの、魔祓いの意味が意識されなくなり、単に五穀豊穣祈願へと変化したと思われる。
 さて、一八世紀後半の宇和島藩内の年中行事を詳細に記述している桜田某の随筆によると、「除夜 鰯の頭をタラノキにさしトベラノキを取合せ門戸に飾り、又大豆を煎りて暮に至るを相図にあき方へ向ひ福は内福は内と唱へながら煎豆を投げ、それよりあき方を後にして鬼は外鬼は外と二口唱へながら豆を投げ、又あき方へ向ひ福は内と一口唱へ其拍子に豆を投げる事今も昔と変ることなし」とある。旧暦では節分は正月元旦の前後であり、かつては除夜(大晦日)の行事と交錯していたことは以前にも紹介したが、いずれにせよ、節分の飾り物や行事内容は江戸時代からさほど変わることはなかった。しかし近年は、全国的に節分行事が「鬼は外、福は内」と言いながら豆をまくだけの内容となり、地方独特の行事内容が廃れつつある。八幡浜のバリバリシバに関する風習も次世代に引き継がれるのかどうか疑問である。

2001/02/08 南海日日新聞掲載

「また来て下さい」の方言

2001年02月05日 | 口頭伝承
愛媛県各地を散策して、土地土地の人に地元の伝承について話を聞いてまわっているが、話者と意気投合して、お宅に入れてもらって長時間話し込むことがある。突然の訪問なので申し訳ないと思いつつ、別れ際には「また来て下さい」という言葉を頂戴することが多い。ところが、この「また来て下さい」の言い方は愛媛でも各地で異なっている。私は南予の八幡浜出身なので「またきなはいや」が体に染みついている言い方なのだが、それ以外の言い方を聞くと、実に方言はまちまちなのかと実感してしまう。そこで、「また来て下さい」の方言を、私の経験から愛媛の方言区分ごとにまとめてみた。

中東予方言
・東予方言  またおいでんよ(西条市)
・中予方言  またおいでやあ(重信町)

瀬戸内島嶼部方言  またこいよ(大三島町)

南予方言
・大洲方言  またきなはいや(大洲市)
・宇和方言  またきなはいや(野村町)
・渭南方言  またきなはいやなーし(御荘町)

2001年02月05日


おさん狸の伝説

2001年02月01日 | 八幡浜民俗誌
おさん狸の伝説

 愛媛県内には、狸に関する伝説が数多い。有名なものとしては、伊予一番の化け上手と言われ、讃岐一の狸と化け合戦をしたという東予市北条の喜左衛門狸の話がある。この狸は地元の大気味神社の境内に喜宮明神として祀られているなど、伝説上の狸が何らかの形で祀られている事例を散見することができる。例えば、越智郡大西町小西で明童菩薩として祀られているお袖狸や、松山市上野町の大宮八幡神社に祀られている金平狸、八西地域では、三崎町三崎にある伝宗寺の境内に狸地蔵などである。
 さて、八幡浜市双岩にも有名な狸伝説がある。「おさん狸」と地元では呼ばれている狸で、釜倉から和泉に抜ける峠の山腹に「サザエが岳」という場所があり、そこの洞窟を根城としていたと言われている。地元では、昔、この狸に騙されて道に迷ったとか、「ノツボ(肥だめ)」に落とされた人がいたという話が伝わっている。この類の狸伝説はよく聞くことのできるものだが、双岩のおさん狸は、眷属(弟子)が佐田岬半島に修行に行くという話があるなど、活動が広範囲に渡っていて珍しい。例えば、『瀬戸町誌』に収録されている伝説として、次のようなものがある。
 双岩のおさん狸の眷属が修行道場のある佐田岬半島突端部に潮垢離に赴く途中、たまたま瀬戸町塩成で、地元の人に山狩りに遭って、捕殺された。ところが、その地区では思いがけない火災が続出し、疫病も流行した。さらに直接狸を捕殺した者の家庭では不幸ごとが連続し、これは狸の祟りだと言うようになった。そこで地元の人が話し合って狸地蔵を建立して狸の霊を慰めようとした。数年間はこの地区に平穏が訪れたが、誰かがいたずらをしてこの地蔵をどこかへ投げ捨ててしまい、再び災禍に見舞われることになった。今度は二匹の狸を刻んだ地蔵を建て、豊神社として祀ることになった。ちなみにこの地蔵には「大正四年塩成区建立豊神社」と刻まれている。
 この話は、双岩のおさん狸の名が瀬戸町塩成にまで知れ渡っていたことを示す伝説である。双岩に伝わる話と、塩成に伝わる話には共通点が見られる。それは、狸が岳の洞穴に居住していたり、修行に出かけたり、塩垢離をしたりするなど、修験者(山伏)の修行を模していることである。修験者は祈祷をするなど霊験を備え、また、修験者が殺されて祟るという伝説は多い(五反田の金剛院伝説など)。狸は人を化かすという性質を持つゆえに、伝説上に登場する際は、人間界でそれに近い霊験を持つ修験者に比されたのである。推測であるが、各地の狸伝説を宣伝した者は、実は修験者だったのではないかとも私は考えている。 

2001/02/01 南海日日新聞掲載