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愛媛の伝承文化

大本敬久。民俗学・日本文化論。災害史・災害伝承。地域と文化、人間と社会。愛媛、四国を出発点に考えています。

花いちもんめ

2001年02月22日 | 八幡浜民俗誌
花いちもんめ

子供の有名な遊びに、花いちもんめがある。「勝ってうれしい花いちもんめ、負けて悔しい花いちもんめ、あの子がほしい、あの子じゃわからん、相談しましょ、そうしましょ」この文句は一般に知られているものであるが、私が学生時代、東京に居たときに、神奈川県湘南地方の友人の文句は「隣のおばさんちょっと来ておくれ、鬼が怖くて行かれない」、「お布団被ってちょっと来ておくれ、お布団ビリビリ行かれない」、「お釜被ってちょっと来ておくれ、お釜底抜け行かれない」であったという。そして、愛媛県でも東予地方出身の人に聞くと「箪笥、長持どの子が欲しい」と言うらしい。地方によって花いちもんめの文句は異なっているのである。
 さて、八幡浜でもそのような事例があるかと探していたら、『八幡浜市誌』に花いちもんめの歌詞と思われるものが掲載されていた。これは穴井で伝承された文句のようだが、紹介しておく。
 「大川小川、どの子が欲しい、◯◯さんがほしい、連れていんで何食わす、たいや骨だかいか買うて食わす、そりゃ虫の大毒じゃ、天から落ちたかまぼこ三切、それでもいやよ、床の前座布団しいて、かげ膳すえて、手習いいたしましょ、そんならやりましょう」
 この文句に類似する例としては、東海地方の愛知県周辺に見られる「子を取ろ子取ろ」という遊びの文句に非常に似ている。この遊びは鬼ごっこの要素を持つもので、花いちもんめの原型ともいわれている(註:新谷尚紀『日本人の葬儀』)。この穴井の文句は花いちもんめというより、花いちもんめよりも古い形の遊びを残しているのかもしれない。
 さて、花いちもんめでは、「あの子がほしい」と言うときに、必ず足を前に蹴り出す仕草をする。これは相手の列の子供に向かって挑発的に蹴りを入れるというものではない。実は、先に述べたように神奈川の花いちもんめの文句に「お釜被ってちょっと来ておくれ、鬼が怖くて行かれない」というのがある。花いちもんめは子供が二列に並んで、交互に文句を掛け合うが、実はその列の間に「鬼」がいると解釈できるのである。鬼が真ん中にいるからこそ、「鬼が怖くて行かれない」ということになるのである。つまり、蹴り出すポースは、実は無意識のうちに二列の間にいる鬼を蹴散らそうとする行為と見ることができる。東予地方や近畿地方で聞くことのできる「箪笥・長持どの子がほしい」は、まさに結婚を意識した文句であり、鬼の存在が忘れられて、めでたい遊びへと変化したと考えることができる。これは愛知地方の「子取ろ子取り」の発展型ともいえる。
 つまり、穴井の文句は鬼は忘れられているものの、「子取ろ子取り」の初期の型を保っており、東予や近畿のような発展型ではないということで、古来的な遊びが地元に伝承されていたと言えるのである。

2001/02/22 南海日日新聞掲載


「たまげる」の語源

2001年02月22日 | 口頭伝承
驚くことを、この辺では「たまげる」という。夏目漱石の『坊ちゃん』では「たまげる」を「魂消る」と表記している。日本国語大辞典によると、「げる」は「消える」の変化したものと注記した上で、「肝をつぶす、驚く、びっくりする」等と紹介している。江戸時代の方言の参考になる『物類称呼』によると「物に驚くことを、東国にてたまげると云(略)薩摩にては、たまがると云」とある。この方言は、愛媛だけでなく、全国的なもののようだ。
私は薩摩(九州)の「たまがる」に注目してみたい。私の大分県の友人も「たまがる」を使っているが、実は室町時代の日本語の辞書として有用な『日葡辞書』には「Tamagari」とあり、中世の日本でも「たまがる」を使っていたことがわかる。ただし『日葡辞書』は当時のポルトガル人宣教師が日本語を習得するために編纂されたものであり、長崎をはじめとする九州の言葉が採用された可能性があるから、「たまがる」が古くて、そして「たまげる」へ変化したとは言い切れない。しかし、中世に「たまげる」の用法が見あたらないようで、やはり「たまがる」の方が古いのだろう。
私が気になるのは日本国語大辞典や『坊ちゃん』で記された「魂消る」という説明である。「消える」とするには「たまがる」の「がる」が説明できない。これはもしかして、「魂離る」なのではないだろうか。古語で離れるを意味する「かる」である。
驚いて魂が消えて無くなってしまうというというより、驚いて魂が離れてしまいそうになった。こちらの方が感覚的にも合致するのではないだろうか。つまり、もともとは「魂離る」であったのが、変化して「たまげる」となり、「魂消る」という当字が江戸時代に派生したのだろう。私はそう推測してみたがどうだろうか。

(注記)2/23
「魂離る」についての補説
宮崎県民俗の会の渡辺一弘氏によると、宮崎県でも「たまがる」と同時「たまげる」も使い、過去形が「たまがった」「たまげた」となる。一般的には「ひったまがった」と強調させて頻繁に使うとのこと。渡辺氏の教えていただいたのだが、沖縄では驚いた後にあわてて手のひらで自分に風をあおぎ、飛び出たマブリ(魂)を集めるそうだ。30歳代の人でもついやっており、魂は複数、体の中にあって、そのうちのいくつかが驚いた瞬間に体から逃げてしまうというイメージのようです。

2001年02月22日

差別と民俗学

2001年02月22日 | 民俗その他
南海日日新聞に連載中の「八幡浜地方の民俗誌」(2001年1月25日付け)に「姫塚とらい病」を執筆した。これは、地元のらい病(ハンセン病)に関する伝承を紹介する内容であったが、実はこの文章を執筆しようと思い立ったのは、1月13日付の毎日新聞の記事を読んで、憤慨したからであった。
記事の内容は、戦後間もなく、らい予防法による患者の隔離政策を継続するかどうか国が検討した際に、戦前段階には既に特効薬がアメリカで発明されていたにもかかわらず、らい病に関する権威である医師が、引き続き隔離政策の継続を求めた発言をし、そのまま1996年までその政策は続いてしまったといった内容である。差別も甚だしく、近年の薬害エイズ問題を彷彿とさせられた。(らい病の隔離政策については、三宅一志氏の『差別者のボクに捧げる』が詳しく、これはらい患者の苦難の人生をルポした内容である。)
らい患者に限らず、障害者や非差別の問題については民俗学では、従来取り扱うことが少なかった。近年は、近畿地方を中心に、被差別の民俗伝承が報告されているが、差別の根絶を目指す手段として、地元の民俗伝承の発掘と、その分析を行わなければいけないと思っている。
森首相の「日本は神の国」という発言に象徴されるように、日本はいまだ、近代に成立した国家神道的な思想が根強く、未だ「排他」「排除」の社会構造が残っている。
これを地域の伝承文化の論理構造の分析を通して、一度、近代的思想を突き崩し、21世紀にふさわしい、あらたな日本的社会構造を創造するべく、民俗学は貢献しなければいけないと思っている。

2001年02月22日