愛媛の伝承文化

大本敬久。民俗学・日本文化論。災害史・災害伝承。地域と文化、人間と社会。愛媛、四国を出発点に考えています。

学芸員の自己内省-民俗展示に思うこと-

2001年02月23日 | 衣食住
 古き良き時代のモノを展示して昔を懐かしむ。懐古主義や一種のロマン主義的に民俗を捉えようとする展示は少なくない。学芸員がそれを意識する、しないに関わらず観覧者はそういった立場で展示を見ることになる。これは民俗展示の一般的な観覧態度であり、民俗が時代とともに伝承されなくなり、消滅しつつあるという考え方に立った見方である。
 民俗展示がそういった側面だけではないことを、平成一一年四月二三日から六月一三日まで愛媛県歴史文化博物館で開催されたテーマ展「裂織りの美・技・こころ-佐田岬半島の仕事着-」の準備に関わることにより実感することができたので、今回、それを書き記しておきたい。その実感とは、民俗展示と地域文化の変容との関わりについてである。
 このテーマ展は、愛媛県歴史文化博物館が収集してきた、佐田岬半島で昭和四〇年代まで使用されていた裂織りの仕事着を中心に紹介した展示である(註1)。裂織りの仕事着は、愛媛では佐田岬半島以外ほとんど確認できない貴重な資料であるにも関わらず、地元佐田岬では、かつて当たり前に使用していたものであって、佐田岬以外には見られないものだという認識は地元の人々には全くなかった。当然、資料保存とか伝承活動を行うといった意識もなく、使用されなくなって捨てられるべき野良着として扱われていたのである。我々は、テーマ展を開催して、この裂織りが全国的にも珍しいものであることを、地元の方々に知っていただきたいと思い、展示を計画した。 展示準備にあたり、博物館館民俗研究科では佐田岬半島へ聞取り調査に頻繁に赴いたが、その際に、現地佐田岬では「裂織り」という言葉を聞くことはなかった。地元呼称としては存在しない言葉だったのである。展示タイトルを決定する際にも、展示担当者の間で、現地で聞くことのできない「裂織り」をタイトルに入れるのではなく、現地名である「ツヅレ」、「オリコ」を優先すべき等の議論があった。しかし、全国で一般的に知られている「裂織り」の方が、人を惹きつけることができると判断し、展示用ポスターにもツヅレの写真を掲載し、これを「裂織り」として広く宣伝したのである。
 案の定、展示閉幕後、地元佐田岬においても「裂織り」の呼称を聞くことができるようになった(特に公的機関の職員や、地元の地域おこしサークルの方々から)。また、佐田岬の先端にある三崎町内では、裂織りが地元文化のアイデンティティを表すものとして、裂織りのロビー展が開催されたとも聞いている。また、平成一二年九月には伊方町でも町見郷土館主催で「ツヅレの現在・過去・未来」という裂織りの展示が行われた。愛媛県歴史文化博物館での展示を契機として、現地の方々が「ツヅレ」を客体化して捉え、「裂織り」という現地名を誕生させたのと同時に、捨てられかけた野良着が一変して、地域文化を象徴するモノに変容することになったのである。展示前には、我々も意図していたとはいえ、その現実を目の当たりにすると、現実に対する責任を痛感することになった。
 民俗は消滅するだけではなく、変容しつつ存続していくという立場に立つのであれば、その変容・存続に、マスコミや観光客と並んで博物館の民俗展示も関与しているのである。展示することで、地元の方々が足元の民俗を見つめ直すきっかけとなるからである。そして消滅しつつある民俗は存続する可能性を持つが、存続と同時に変容を伴う。その変容に対しての責任も展示の際には自覚しておくことが必要なのだろう。
 呼称の新たなる定着は博物館活動による「裂織り」に限ったことではない。例えば常設展示室に展示してある「茶堂」(城川町周辺にある一間四方の茅葺きの小堂)を例に挙げると、「茶堂」という呼称はもともと地元では一般名称として用いられたものではなかったようで、その契機は昭和五三年に文化庁により「伊予の茶堂の習俗」として「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財」に選択されたことであると言われている。「茶堂」の文化財選択を受けた城川町ではこれを町のシンボルとして町挙げての保存活動に取り組んでいる。「茶堂」が現在では地域文化の象徴として完全に定着しているのである。そして愛媛県歴史文化博物館でも常設展示室にてこれを「茶堂」として紹介している。文化財行政により保存されつつ変容していった例と言えよう。
 このように、博物館活動や文化財行政に限らず、民俗調査や研究を行う上では、民俗が動態的なものであることを認識すべきで、我々学芸員も民俗の変容の渦中にいる存在であるといった「自己の客体化」も必要なのかもしれない。この展示を通してそういったことを考えてみた。


(1)『資料目録第4集 佐田岬半島の仕事着(裂織り)』愛媛県歴史文化博物館、一九九九年
 今村賢司「愛媛県佐田岬半島の裂織りの仕事着」『月刊染織α』二二一、一九九九年

(補注)
上記は「季刊歴博だより」19号(愛媛県歴史文化博物館発行、1999年9月)に掲載した文章を一部改変したものである。

2001年02月23日

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