愛媛の伝承文化

大本敬久。民俗学・日本文化論。災害史・災害伝承。地域と文化、人間と社会。愛媛、四国を出発点に考えています。

弘法大師空海の生涯ー1200年前の空海と四国ー①

2023年12月18日 | 信仰・宗教
※本稿は『宇摩史談』103号(宇摩史談会、2015年2月)に掲載した原稿(2014年6/29(日)の宇摩史談会記念講演会「弘法大師空海の生涯~1200年前の空海と四国~」(会場 ホテルグランフォーレ)での講演録)である。今年2023年が弘法大師空海生誕1250年の記念の年ということもあり、弘法大師の伝説ではなく、人間空海の生涯を紹介しておきたい。ちょうど12月17日には徳島市立徳島城博物館で本稿の内容をもとに講演を行った。受講したかったが、遠方であったり、都合がつかず参加できなかったとの連絡を複数、いただいているので、参考までに本日から8回に分けて、掲載しておきたい。

弘法大師空海の生涯ー1200年前の空海と四国ー①

一 はじめに
○司会  
 講師の先生の御紹介を会長より行っていただきます。
○会長
 定刻の一〇時三〇分がまいりました。ただいまより、大本敬久先生をお迎えして御講演をお願いしたいと存じます。それでは、大本先生の御紹介を申し上げたいと存じます。まず、講師の先生は大本敬久先生でございます。西予市宇和町に所在する愛媛県歴史文化博物館の専門学芸員でございます。役職等につきましては、文化庁文化財調査員、西予市文化財審議会委員、日本民俗学会評議員、四国民俗学会理事等の要職を歴任されておられます。演題は御承知のように「弘法大師空海の生涯」、副題といたしまして「一二〇〇年前の空海と四国」、とりわけ身近なお話もございます。本日は、先生の特に御配慮によりまして、スクリーンに大きく映しましてわかりやすく御講演をいただくということになっております。所要時間は一時間三〇分でございます。どうぞ皆様、おしまいまで御清聴くださいますようお願い申し上げます。それでは、大本先生、どうぞよろしくお願いいたします。(拍手)
○大本  
 只今御紹介に預かりました、愛媛県歴史文化博物館学芸員の大本敬久と申します。よろしくお願いいたします。今ちょうど一〇時三二分です。約九〇分、一二時までおつき合いいただければと思います。タイトルは「弘法大師空海の生涯」です。一二〇〇年前の弘法大師空海の生涯とその時代背景を今から大体九〇分、お話させていただきます。
 四国中央市といいますと、四国霊場六十五番札所の三角寺さんが有名ですし、あと、別格二十番霊場では四国の全二十霊場のうち、十二番、十三番、十四番の三ヶ所が四国中央市内にあります。誓いの松で有名な延命寺さん、三角寺さんの奥の院の仙龍寺さん、あと、椿堂(常福寺さん)です。このように、四国中央市は他の自治体、市町村と比べても、弘法大師空海に関する伝説、伝承、歴史に関してかなり色濃い地域だというふうに言えるかと思います。お隣の新居浜市になりますと、霊場はありません。十二番の延命寺さんの前の別格霊場十一番となりますと生木地蔵で西条市丹原町になります。四国中央市の弘法大師信仰については霊場だけではなく村松大師とか、あと旧土居町の三度栗、つまり一年間に三度なる栗の伝説がありまして、弘法大師に関する伝承は実に数多い地域です。
 さて本日の内容は、一二〇〇年前の空海がどのような生涯を送ったかという話になります。要するに、弘法大師伝説が各地にどのように広まったか、そして現在どのようになっているのかというテーマを追求、整理する前に、実際に「人間空海」が平安時代初期にどのような生涯を送り、その時代背景がどうだったのかっていうことを紹介したいと思います。本日来場された参加者は、一五〇人以上と予想以上に人数が多いですね。レジュメが全く足りていないとうかがいました。今、レジュメを持たれてない方もおられると思いますので、一応スクリーンさえ見ればわかるように話をしたいと思います。何とか九〇分お付き合いいただければと思います。

②につづく

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