愛媛の伝承文化

大本敬久。民俗学・日本文化論。災害史・災害伝承。地域と文化、人間と社会。愛媛、四国を出発点に考えています。

八幡浜市の穴井歌舞伎

2000年06月18日 | 祭りと芸能
6月18日に八幡浜市の穴井公民館で、地区の有志により、戦前、盛況であった穴井歌舞伎の衣装や小道具の整理作業が行われた。穴井歌舞伎は、江戸時代後期から、県指定無形民俗文化財「長命講伊勢踊り」の和気踊(ワキ、脇の意味)として行われていた地芝居で、近郷にも出向いて興行する人気のあるものであった。戦後は老人クラブの余興として演じられることもあったが、次第に廃れ、衣装や道具類は穴井公民館に保管されたままになっていた。戦前は、穴井歌舞伎が上演される時には、大島、三瓶、双岩、合田あたりから観衆が集まって、その数は2000人に達したとも言われているが、現在、八幡浜市内ではこの歌舞伎の存在さえも忘れられかけている状態。衣装や道具も眠ったまま。このような状況を地元穴井の方々が憂慮し、今一度、穴井歌舞伎を再評価させようと立ち上がり、今回の整理作業に至ったのである。
この作業については、私も地元の区長さんや宮司さんから相談を受け、残っている衣装類の全体把握をするため、各衣装の内側に番号布を縫いつけ、番号順に写真撮影するとともに、その衣装の色、模様、使用された演目、使用した登場人物、寄進者、寄進年月日を一点一点確認し、一覧表に記入することにした。当日、私は主に写真撮影を行うのみで、婦人会の方が番号布の縫いつけをし、地元のお年寄りに聞き取りをしながら一覧表の記入を行ってくれた。地元の方が地元の民俗文化財を整理し、調査するというまさに理想的な作業展開。朝8時に始まった作業は、約30人の手によって午後4時には終了した。
さて、今回の作業では、明治時代から昭和初期に寄進された歌舞伎衣装を195点、舞台幕を17点確認することができた。これは一つの地芝居の資料として膨大なものと言える。愛媛県内では現在行われている地芝居は久万町の川瀬歌舞伎のみであるが、これは大正8年に始められたもので、明治時代の資料は残っていないと聞く。また、野村町の阿下で行われていた歌舞伎も衣装が残っているが、資料点数では穴井がうわまわる。穴井歌舞伎の衣装は地芝居資料として県下随一のものと言えるのではないだろうか。
今回確認した衣装は金糸で龍や唐獅子、鯉などを立体刺繍しているものがあったり、花鳥が鮮やかに描かれたものがあり、豪華で見栄えのするものが多かった。私が興味を惹いたのは、寄進者の年齢が33、42、61歳の厄年の者がほとんどであったことである。穴井歌舞伎は単なる芝居ではなく、厄祓いを祈願する民俗行事としての性格もあったのだろう。また、舞台幕では明治6年、明治12年寄進のものがあり、明治時代初期からの道具が残されていることも判明した。穴井歌舞伎は言い伝えでは天明年間に始まったとされ、また、道具箱に安政4年の墨書があるらしく(今回の作業では確認できなかった。)、江戸時代の衣装等が出てくるのを心待ちにしていたのだが、残念ながらそれは確認できなかった。衣装は昭和3、4年の寄進のものが多く、穴井歌舞伎は大正元年に一時中断され、大正時代後期から徐々に復活していったといわれているが、昭和初期に一気に衣装をリニューアルしたのかもしれない。もしかすると、その際に江戸時代の古い衣装は消却されたのかもしれない。
いずれにせよ、穴井歌舞伎の衣装類は、県内有数の地芝居資料である。今回の作業で資料一覧表を作ったことで資料の管理、活用が容易になったため、地元では何らかの機会に公開したいと考えているとのこと。
忘れられた歌舞伎衣装、再び脚光を浴びる日は近そうだ。

2000年06月18日
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