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愛媛の伝承文化

大本敬久。民俗学・日本文化論。災害史・災害伝承。地域と文化、人間と社会。愛媛、四国を出発点に考えています。

節分の豆まき

1999年10月21日 | 八幡浜民俗誌

 立春の前日が節分である。新暦(太陽暦)では二月三、四日頃であるが、旧暦では正月の近い日になるので、正月と節分の行事が重なることがある。たとえば、八幡浜市若山や大島では節分を大歳(オオトシ)という。大歳とは全国的には大晦日の除夜から元旦にかけての一年の境のことを指すのであるが、節分を大歳という事例は、古くは正月ではなく、節分を以て一年の境と考えていた名残りだと考えることができる。
 さて、節分の主行事は豆をまくことである。現在、八幡浜地方では「鬼は外、福は内」と叫んで家の内外に豆を投げるのが一般的だろうが、これは学校教育の影響でこのような全国的事例が普及したと私は考えている。もともと八幡浜地方の節分の豆の処理方法は次のとおりである。
 炒った大豆を年の数だけ小銭と一緒に紙に包んで、夜に家の近くの四辻に行き、豆の入った紙包みを体にこすりつけ、息を吹きかけてから後ろ向きで放り投げる。そして、後ろを振り向かないようにして急いで家に帰る、というものである。
 紙包みを体にこすりつけて息を吹きかけるしぐさは、夏越しの祓え(輪抜け)の際に形代の人形に行うのと同様で、それらに自分の身に付いた「厄」を託す行為である。つまり、捨てられる豆には「厄」が込められているのであり、節分は「厄」から逃れるための行事だと言える。
 また、「後ろを振り返ってはいけない」という禁忌については、せっかく「厄」を豆に託して捨てたのに、振り返って捨てた物を「見る」という行為で「厄」が戻ってきてしまうと考えたことからきたのだろう。厄落としの全国的な民俗事例を見ても「後ろを振り返ってはいけない」という例は多く、それらは落とした「厄」に再び遭わないようにするためだとされている。
 ところで、豆が捨てられる場所はなぜ四辻であるのかというと、四辻は道の交差するところで、空間的な境界とされる場所である。つまり誰の土地にも属していないので、「厄」の付着した豆を捨ててしまっても構わないということであろう。とはいうものの、捨てられた豆を後日片づけるのは近所の人たちである。自分の身のまわりからは厄介な物を排除してしまえばそれでよしとする態度も見え隠れするが、私はこの「厄」の捨て方を、つい現代のゴミ問題などの社会問題に重ね合わせてしまう。日本人の伝統的な排除意識が垣間見えるのではないだろうか。

1999年10月21日掲載

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