愛媛の伝承文化

大本敬久。民俗学・日本文化論。災害史・災害伝承。地域と文化、人間と社会。愛媛、四国を出発点に考えています。

宇和島・吉田の津波被害~明治時代『風俗画報』より~

2012年08月31日 | 災害の歴史・伝承
岩手県の遠野市。柳田國男『遠野物語』の舞台だ。

いま、そこで、遠野文化研究センター、遠野文化友の会が設立されて、

私も友の会会員になっている。



その遠野文化研究センターが先般発行した冊子がある。

『復刻版 明治29年「風俗画報」臨時増刊 大海嘯被害録』である。

海嘯とは津波のこと。

明治29(1896)年6月15日に発生した三陸大津波による各地の被害の様子を

挿絵を交えながら雑誌『風俗画報』が臨時増刊ものの復刻である。



臨時増刊されたのは7月から8月にかけて三冊。

その三冊目に坪川辰雄という人物が「大海嘯年代記」という文章を掲載している。

ここには古代の白鳳年間から江戸時代にいたるまでの全国の歴史上の津波被害が

簡略ではあるが紹介されている。

そこに「伊予」の記載もあったので、ここで引用しておく。



「宝永四年十月四日(中略)伊予 宇和島大潮打込み家財悉く流出、吉田浦の民家五十戸許流出此辺潮の高さ八九尺程なりしと」



このように1707年の宝永南海地震による宇和島市と旧吉田町の津波被害が簡略であるが紹介されている。

宇和島では、家財がことごとく流され、吉田では50戸の民家が流され、8~9尺ということは2.4~2.7メートル程度の津波の高さであったというのである。

このような記載が、明治29年の東北地方の三陸大津波に関して紹介した出版物に見られたので、地元愛媛では目にする機会がないと思い、紹介した次第である。




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