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愛媛の伝承文化

大本敬久。民俗学・日本文化論。災害史・災害伝承。地域と文化、人間と社会。愛媛、四国を出発点に考えています。

愛媛・災害の歴史に学ぶ8 「天災は忘れた頃にやってくる」

2019年12月08日 | 災害の歴史・伝承
 「天災は忘れた頃にやってくる」とか「災害は忘れた頃にやってくる」という言葉がありますが、これは高知県出身の物理学者で随筆家の寺田寅彦の言葉です。ただ寺田寅彦の書いた著作をいくら探しても「天災は忘れた頃にやってくる」という言葉は出てきません。実は寺田寅彦と地震学で交流のあった今村明恒の著作『地震の国』の中に「天災は忘れた時分に来る。故寺田寅彦博士が、大正の関東大震災後、何かの雑誌に書いた警句であったと記憶している」とあり(今村明恒『地震の国』文藝春秋新社、昭和24年)、それ以降に広く一般に定着した言葉といわれています。
 寺田寅彦自身が「天災は忘れた頃にやってくる」と記しているわけではありませんが、このことを意図した関連文章はあるのでここに紹介します。寺田が昭和9(1934)年11月に執筆した随筆「天災と国防」(寺田寅彦『天災と国防』講談社、2011年所収、9〜24頁)に「文明が進むほど天災による損害の程度も累進する傾向があるという事実を充分に自覚して、そして平生からそれに対する防御策を講じなければならないはずであるのに、それがいっこうにできていないのはどういうわけであるか。そのおもなる原因は、畢竟そういう天災が極めて稀にしか起こらないで、丁度人間が前車の顛覆を忘れた頃にそろそろ後車を引き出すようになるからであろう」とあり、また災害が忘却される事例として昭和8年5月執筆の「津波と人間」(『天災と国防』所収、136〜145頁)で、同年の昭和三陸津波を紹介し、その前の明治29(1896)年の三陸津波の災害記念碑が倒れたままになってしまっていることを嘆いています。
 また、昭和10(1935)年7月に執筆された「災難雑考」(『天災と国防』36〜56頁)では「われわれ人間はこうした災難に養いはぐくまれて育って来たものであって」、「日本人を日本人にしたのは実は学校でも文部省でもなくて、神代から今日まで根気よく続けられて来たこの災難教育であったかもしれない」と、寺田の逆説的な災害、防災観がうかがうことができます。実際に、日常から防災対策に取り組むことや、災害が起こった場合の復旧、復興によってその地域は再編、再構築されるわけであり、「人間は災害によって育まれる」というのも一理あることだといえます。
 そして寺田は「『地震の現象』と『地震による災害』とは区別して考えなければならない。現象のほうは人間の力でどうにもならなくても『災害』のほうは注意次第でどんなにでも軽減される可能性があるのである」とも述べていて、防災の重要性を指摘しています。小林惟司『寺田寅彦と地震予知』(東京図書、2003年)によると、昭和10年に岩波書店から刊行された講座『防災科学』(全6巻)の書名になった「防災」は、寺田寅彦が命名したとされます。それ以前に刊行された書籍等に「防災」とついたものもありますが、寺田が関わったこの講座刊行を契機に「防災」という言葉が一般名称化したともいえます。
 なお、寺田寅彦については高知市小津町に寺田寅彦記念館があり、同市丸ノ内の高知県立文学館には常設展として「寺田寅彦記念室」が設けられており、その生涯や防災のことについて展示紹介しています。南海トラフ地震の発生で被害が予想される四国の出身の寺田寅彦は防災面で警鐘を鳴らす文章を数多く残しており、学ぶべき点は多いといえます。