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愛媛の伝承文化

大本敬久。民俗学・日本文化論。災害史・災害伝承。地域と文化、人間と社会。愛媛、四国を出発点に考えています。

昔の道具ハンドブック3

2006年05月04日 | 民俗その他

3 愛媛の民具

 愛媛県内では、国の重要有形民俗文化財が1件だけ指定されています。それは内子町が保管している「内子及び周辺地域の製蝋用具」です。これは、和蝋燭作りにおけるハゼの実の収穫から加工工程の蝋搾りや蝋晒し、蝋燭作り、さらにはこれらの仕事に携わった職人たちの衣、食、住用具、商売繁盛を願った信仰用具、流通交易に関する文書など、12分類1444点が、製蝋の一括資料として指定されています。民具を1点1点別のモノとして扱うのではなく、どのような分野で用いられたのか、体系化・コレクション化して収集、保存、活用すれば文化財としての価値が増してくる良い事例といえます。
さて、ここでは、本書に掲載されている民具を概観して、松山市内の学校では収蔵されていないものの、注目しておくべき民具、もしくは学習・活用のために今後、新規に体系的な収集が比較的容易な民具について紹介しておきます。
松山市内の学校所蔵民具では、衣生活に関するもののうち、履物については充実していますが、実際に着用していた衣類に関するものは少ないようです。衣類とくに仕事着は、仕事の作業効率を考えて、身丈や袖の長さが工夫されており、しかも自家製である場合が多く、民具の中でも基本資料といえるものです。日常着にしても、洋服以前の和装については、現在でも収集が比較的容易であり、衣類は、歴史的分野や家庭科、総合的な学習の時間など様々な教科でも活用可能な民具です。参考までに、愛媛県内で注目される衣類に関する民具として「伊予絣」、「佐田岬半島の裂織り」を挙げておきます。
 「伊予絣」は、江戸時代後期に、垣生村今出の鍵谷カナによって創始された織物です。明治時代から全国に販路を伸ばし、松山周辺地域の主要産業の一つでした。伊予絣の生産には、機元が織機を所有していて、労働力の安い農漁村に貸し出して、賃織りさせる「出し機」という経営形態がありました。出し機は旧松山市内だけではなく、旧中島町や旧北条市にも及び、各地で婦女子が伊予絣を織っていたのです。伊予絣に関する民具は、久万ノ台にある伊予かすり会館にて保存・展示されていますが、松山市内であれば各学校の校区内にも必ず織子がいて、地元で伊予絣を織っていました。しかし、市内の学校所蔵の民具を見渡してみると、伊予絣に関するものは、垣生周辺を除くとごく僅かです。松山市内の学校での民具の活用実践の上では伊予絣は利用しやすい教育素材であり、新たに地元から収集することも視野に入れることも必要かと思います。伊予絣は、織物の基礎を学んだり、生産・販売の盛衰の歴史、販路から見た流通など様々なテーマで活用可能な民具といえます。
 「佐田岬半島の裂織り」についてですが、裂織りとは、たて糸に麻、木綿などの丈夫な糸を用い、よこ糸に細く裂いた古い木綿布を再利用(リサイクル)した織物のことです。地元での名称は「ツヅレ」「オリコ」と呼ばれ、この裂織りの分布は東北地方や佐渡、丹後地方などの日本海側に見られるもので、県内では佐田岬半島に数多く残っています。佐田岬半島では、裂織りの仕事着や帯が昭和四十年代まで使用されていましたが、現在、伝統的なリサイクルの知恵を体現する民具として注目されています。この裂織りは、愛媛県歴史文化博物館や、町見郷土館(伊方町)に多く収蔵されており、着用体験や出前授業での活用が可能です。
 次に、住生活に関する民具では、こたつや火鉢などの暖房具は各学校で保管している場合が多いようですが、照明具については充分ではない印象があります。電灯が普及する以前の火打石道具や行灯、ローソク、燭台、提灯、ランプなどについては完形で保管されているものが少ないのですが、これらは今では当たり前の電気のある生活以前の「灯りの変遷」を学んだり、熱と光を得る「火の効用」を考えたりする格好の民具です。
 生業に関していえば、農作業に関わる民具は数多く保管されています。耕作、除草、収穫、調整のそれぞれの流れがわかり、比較的活用しやすく、また、この種の民具は使用経験者も多く、地元からの聞き取りも容易です。ところが、漁撈に関する民具は海岸部の学校でもほとんど保管されていません。農家は農具を家で長期間保管するのに比べ、漁撈具はもともと漁師の家でも保管期間が短いという理由もありますが、漁具の収集や保管も今後の課題の一つです。漁具には、漁船の船内用具、釣漁具、網漁具、雑漁具などがありますが、海と人間、魚と人間といった海岸部での生活文化を考える上では必要な民具です。
 また、畜産に関していえば、昭和2~30年代に動力が導入される以前、農作業は牛馬を使うことが多く、牛馬と人々の生活は深く関わっていました。牛もしくは馬に関する民具は、鼻木や牛の草鞋以外は少ないのですが、本書の分類のうち農耕に関するものに、犂や馬鍬など牛馬を使いながら使用する民具があります。
 次に社会生活に関するものとして、消防などの防災用具が少ないようです。消防は自治的共同生活の根幹をなすもので、共同保管される場合が多く、消防団の詰所には現在でも戦前の消防道具がそのまま保管されている場合があります。腕用ポンプや消防団の半纏など、地域の防災の変遷を知る上で活用のできる民具です。学校で収集しなくても、消防団の協力で見学するという方法もあります。
 次に、信仰についてですが、愛媛には四国遍路、石鎚信仰、金毘羅信仰など、全国的に見ても地域的特徴の色濃い信仰文化があります。しかし、学校収蔵民具の中にはこれらに該当するものは少なく、民間信仰全般についても資料が少ないようです。人々の祈願・信仰を知るというテーマも設定できますが、信仰は「旅」とも結びつく要素があり、昔の庶民がどのような「旅」をしていたのか知ることができます。四国遍路でいえば、松山周辺はお遍路さんを受け入れる立場にもあり、遍路関係の民具、例えば納札や納経帳からは、人々の「旅」・「移動」・「交流」を考える材料にもなります。
 また、年中行事や民俗芸能など地域行事の道具も収蔵民具は少なく、これらは地元の保存会等で所有している場合が多く、学校で収集するのは難しい分野のものです。ただし、民俗芸能についていえば、総合的な学習の時間において、地元の伝統芸能を学習するため、保存会に依頼して体験するという実践事例が県内でも数多くなってきています。そのため、今後は、学校において、保存会では既に使用しなくなっている民俗芸能の用具類があれば、それを学校で収蔵し、体験活用することも考慮に入れる時期になっているのかもしれません。松山市内では特に獅子舞が各所で行われており、現在使われている道具が新調される以前の道具の調査を学校主体で行うことも授業での取り組みとして可能かと思います。