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愛媛の伝承文化

大本敬久。民俗学・日本文化論。災害史・災害伝承。地域と文化、人間と社会。愛媛、四国を出発点に考えています。

「正月の注連飾り2」

2001年01月18日 | 八幡浜民俗誌
「正月の注連飾り2」

 前回は、正月の注連飾りの形態の地域的相違を眺めてみたが、今回は注連飾りの処分方法について触れておきたい。
 正月の注連飾りの処分に関する民俗事例として県下でも著名なものは、越智郡や道前平野などに見られるトウドやシンメイサンと呼ばれる小正月の火祭りである。正月十五日前後の早朝に子供組の行事として集められた地区内の注連飾りや門松などの正月飾りを一同に「はやす」のである。一般に「どんど焼き」とも呼ばれる行事である。 しかし、愛媛県下全域でどんど焼きが行われているわけではない。宇摩郡および中予・南予地方では、戸別に処理する地域と、越智郡・道前平野のように組織的で大規模ではないにしても合同で燃やして処理する地域が混在している。八幡浜周辺では、合同で「どんど焼き」として燃やして処理することが多いようであるが、宇和町郷内のように、山の木に縛り付けるという事例もある。
 さて、どんど焼きが行われる理由としては、正月に来ていた年神がどんど焼きの煙によって帰るためと説明されるが、私は、それとは異なった考え方をとっている。注連飾りは、神聖、清浄な場所を演出するために家の境界に設置され、外から侵入してこようとする不浄や邪悪なものを防ぐためのものである。注連飾りは基本的に藁で構成されているが、この藁は、原初的な神輿に使用されて神の依代とされたり、藁人形として怨念がこめられたりするように、一種の観念的な容器として捉えることができる。つまり、注連飾りは、外から来る邪悪なものを防ぐというより、吸収して、中の清浄空間を保つ役割を果たしているのである。そして、正月が終わる頃になると注連飾りは種々の不浄、邪悪なものを背負わされ、どんど焼きなどで処理されるのである。
 このように考えると、どんど焼きは、正月に身辺から不浄を注連飾りによって取り除き、集めた不浄を一同に焼いて処理するという儀礼なのではないだろうか。正月の終わりにこのような儀礼を行うことで、一年間の清浄性を維持しようとするのであろう。
 どんど焼きによって年神の去来を説明しようとするのは、後次的な説明であって、注連飾りに吸引させた不浄処理というのが原初的なものであると私は考えているのだが、そもそも、神の鎮座する神社も、古札など思いのこめられたものを処理したりする場所である。参詣者から願いを託された賽銭を投げられたりもするように、神自身が実は不浄も含めた様々な人々の観念を吸引してくれる装置(存在)と解釈できるのではないだろうか。

2001/01/18 南海日日新聞掲載