夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

「一日生きることは一歩進むことでありたい」

2007-08-09 06:54:05 | こころに残る言葉
 タイトルの言葉は湯川秀樹さんの言葉だそうです。先月の末まで三重県津市からやって来て我が施設に約3週間滞在し、そして戻って行った大学の後輩T君の葉書にこの言葉がありました。
 数度の発病と手術入院を繰り返し、奇跡的に社会復帰しようとしている彼が、みちのく津軽の我が施設まで来て行ったのですが、その後の消息がぷっつり切れて、心配していました。そして、昨日あうんと我が家に葉書が届いていました。彼独特のくせ字は表裏にビッシリ文字で埋められています。まさしく郵便屋泣かせの葉書に見えます。
 案の定、彼は我が施設から仙台の友人を訪ね、そして東京で大学の先輩に会い、国に帰るとすぐさま入院となっていたようです。いろんな体験をして良かったということと、これから先の希望として「この先やりたいこともあり、慌てず、焦らず、諦めず一歩一歩行くつもりです」と結ばれていた。
 まだまだ諦めるような年齢ではないし、能力的にもまだまだ大丈夫だと感じている。その生き様をまた私たちに大いに自己主張して欲しいと願っている。彼の津軽滞在日記がまた長々とした便箋に書かれてきっとやって来るのではないかと楽しみにしているところでもある。
 

ツタンカーメン豆の赤飯

2007-08-09 06:27:48 | つれづれなるままに
 「ツタンカーメン豆」を長崎のTさんから譲り受けて、春から植え育てた。ツタンカーメン豆は、エジプトのファラオとして有名な19歳で急逝した王様の名で、その豆が副葬品の中にあったという。
 えんどう豆の祖先と言うことでは間違いないのであろうが、本当にそのファラオの副葬品の中にあった豆なのかは疑問も残るという。しかし、いずれにしても、その植物が気品を感じる紫の花と、やや不気味にも感じたえんどう豆をつけ、ようやく収穫に至った。北国の地で果たして実るものか不安も感じてはいたが、それは見事にクリアしたと言っていいだろう。我が施設のフェンスに絡ませて育てたのだが、通ってくるいたずら坊主が、害虫以上にこの野菜の脅威だった。と言うのもこの近辺にある野菜はことごとく彼が毟り取って川に投げ捨てていたからだ。寄贈されたハナミズキの枝も無残に折られて枯れ、楽しみにしていたミョウガも跡形なく毟り取られていたのだった。そのような状況下で、このツタンカーメン豆は奇跡的に彼の目には触れなかったのか生き残り、収穫された。そういう意味でもこの豆は運の強い豆なのかもしれないと思った。
 そして厨房職員に依頼してついに赤飯として炊かれ、8時間後の朝お目にかかった。見事に写真のように色を赤く染めてくれた。食感はそんなに自己主張するような味ではなく、うまいかと言えば?と言う感じかもしれない。利用者の給食食材として、ふるまわれて結果的には一口私の口に入っただけで終えたので、なんともその存在感は薄い。でも達成感だけは残ったと言える。育ち行く過程は一人だけの楽しみとして充分にあったといえるだろう。来年は別の畑に蒔いてもう少し順調に育つように祈りたい。