昨日何だか夏が終えたなと思った。一昨日までの暑さとは違うマイナス5℃で昨日は、湿度はあるものの、どこか空気が違ってひんやりしていた。
あうんの夏休みも後一週間で終了し、子ども達もまた学校へ気持ちを移していかなければならない。楽しさの後はいくらか寂しさの残るものだと、学生時代の夏休みの終わりにも感じたことがあった。
約一ヶ月間のあうんでのアルバイトを依頼したミスビューティフル・ウインターこと、中国名でTong meiも、昨日でその仕事を終えて、しらとり農場のオーナーの迎えの車に乗って去って行った。たった一ヶ月間ではあったがあうんの中で、夏休みの子ども達のサポーターとして、またスタッフの間でも信頼感が増し、なじみのなくてはならない存在になりつつあった。
彼女はしらとり農場で6月に会い、ともにミスキャサリンと開墾畑に汗を流した仲間である。30アールの広い開墾畑の萱などの根を取り除き、茶色の大地に重たい有機肥料を片腕に持っては蒔き、そして豆を繰り返し植え続けた。今はすっかり豆も成長して、緑の畑に様変わりしていた。農場の彼女はどちらかといえば寡黙で、笑顔もあるがどちらかといえばおとなしい娘だった。しかし、作業への姿勢は内側にあるマグマが沸々と煮えたぎるかのように、最後まで離れないといったガッツが感じられた。ある日、畑の土から湧き上がったかのようなウンカが私たちの素手を襲った。痒みとともに腫上がって、数日熱感も残った。彼女の腕には今も、その傷跡が勲章のように残っていた。
北海道から沖縄までウーフを渡り歩いて旅をするのが、とりあえずの彼女の夢のようだった。その交通費を稼ぐ必要のあった彼女に、あうんでの夏休み中の子ども達のサポーターを依頼したのだ。
時を同じくして7月の末と8月の頭には、初めに彼女の父親が学会と称して弘前を訪れ、そのあとには母親も3日間あうんを訪問し、ボランティアをした。心配でたまらないのはどこの親も同じことだろう。
彼女の両親が教育者であることや、2000年11月に私がドイツを訪問した時に、13歳の彼女もシュタイナーシューレに4ヶ月間滞在していたことなどいくつかの共通点があった。さらに彼女が一時不登校気味となって、荒んだ時期があると聞いたが、私も親と対立して故郷を離れたのも、苦しくも似ていたので、なんだか自分を見ているようで無関心ではいられなかったのだ。でも、彼女は北海道の瀬棚町や、しらとり農場での約2ヶ月間で、見事に大人への旅立ちを果たしたのではないだろうか。そしていままた、次の脱皮を目指して北海道に渡るのだという。
年齢もまだ20歳であり、彼女はもっともっと見聞を広め、様々な出会いの中でこころを磨いて欲しいと思う。今度会えるのは秋なのかもしれないが、成長した彼女の笑顔と再会できることを、今から楽しみにしている。第二の心のふるさと津軽を忘れないで欲しい。いつでもそこに佇む岩木山のように、彼女のファンは待っているだろう。
「青年は荒野を目指す」というフォークソングがあったが、まさに彼女は旅立っていく。道中の無事を祈りながら、父親が実家に里帰りしてまた嫁ぎ先に娘を見送るような寂しさを感じながら、彼女の乗るトラックを見送ったのである。。
あうんの夏休みも後一週間で終了し、子ども達もまた学校へ気持ちを移していかなければならない。楽しさの後はいくらか寂しさの残るものだと、学生時代の夏休みの終わりにも感じたことがあった。
約一ヶ月間のあうんでのアルバイトを依頼したミスビューティフル・ウインターこと、中国名でTong meiも、昨日でその仕事を終えて、しらとり農場のオーナーの迎えの車に乗って去って行った。たった一ヶ月間ではあったがあうんの中で、夏休みの子ども達のサポーターとして、またスタッフの間でも信頼感が増し、なじみのなくてはならない存在になりつつあった。
彼女はしらとり農場で6月に会い、ともにミスキャサリンと開墾畑に汗を流した仲間である。30アールの広い開墾畑の萱などの根を取り除き、茶色の大地に重たい有機肥料を片腕に持っては蒔き、そして豆を繰り返し植え続けた。今はすっかり豆も成長して、緑の畑に様変わりしていた。農場の彼女はどちらかといえば寡黙で、笑顔もあるがどちらかといえばおとなしい娘だった。しかし、作業への姿勢は内側にあるマグマが沸々と煮えたぎるかのように、最後まで離れないといったガッツが感じられた。ある日、畑の土から湧き上がったかのようなウンカが私たちの素手を襲った。痒みとともに腫上がって、数日熱感も残った。彼女の腕には今も、その傷跡が勲章のように残っていた。
北海道から沖縄までウーフを渡り歩いて旅をするのが、とりあえずの彼女の夢のようだった。その交通費を稼ぐ必要のあった彼女に、あうんでの夏休み中の子ども達のサポーターを依頼したのだ。
時を同じくして7月の末と8月の頭には、初めに彼女の父親が学会と称して弘前を訪れ、そのあとには母親も3日間あうんを訪問し、ボランティアをした。心配でたまらないのはどこの親も同じことだろう。
彼女の両親が教育者であることや、2000年11月に私がドイツを訪問した時に、13歳の彼女もシュタイナーシューレに4ヶ月間滞在していたことなどいくつかの共通点があった。さらに彼女が一時不登校気味となって、荒んだ時期があると聞いたが、私も親と対立して故郷を離れたのも、苦しくも似ていたので、なんだか自分を見ているようで無関心ではいられなかったのだ。でも、彼女は北海道の瀬棚町や、しらとり農場での約2ヶ月間で、見事に大人への旅立ちを果たしたのではないだろうか。そしていままた、次の脱皮を目指して北海道に渡るのだという。
年齢もまだ20歳であり、彼女はもっともっと見聞を広め、様々な出会いの中でこころを磨いて欲しいと思う。今度会えるのは秋なのかもしれないが、成長した彼女の笑顔と再会できることを、今から楽しみにしている。第二の心のふるさと津軽を忘れないで欲しい。いつでもそこに佇む岩木山のように、彼女のファンは待っているだろう。
「青年は荒野を目指す」というフォークソングがあったが、まさに彼女は旅立っていく。道中の無事を祈りながら、父親が実家に里帰りしてまた嫁ぎ先に娘を見送るような寂しさを感じながら、彼女の乗るトラックを見送ったのである。。
それにしても岩木山の写真は美しいですね。
この風景を常日頃、見ているのですから、
羨ましいです。
岩木山のこれは朝焼けです。あうんに通う途中あまりにも、美しくて思わずカメラに収めました。