夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

夏祭り

2007-08-01 06:14:25 | つれづれなるままに
 いよいよ夏祭り本番です。市町村合併により、旧岩木町も弘前市になりました。でも、地域の個性として、いわき地区の夏祭りはことしも7月30日から31日に継続開催されています。
 私たちの施設「であいの家あうん」と、もうひとつの施設「ゆいまある」は、この夏祭りにあたり、少しでも地域住民に理解を深めていただくためにこの夏祭りにお店を開いて参加することになりました。町のメーンストリートだった私たちのお店のある通りは、いまやバスは通るものの、弘前市役所から岩木山に向かってバイパスが通りさびれて来ています。一年に一度のこの夏祭りの二日間だけ、私たちの前の通りにこの夏祭りパレードが繰り広げられます。
 私たちのお店はパレードのほぼ出発点です。お店の横にある駐車場に椅子席を約40席設けて、地域の皆さんがパレードを楽しく楽しめるように配慮しました。そして、焼きそば、たこ焼き、フランクフルトソーセージ、ピザ、パンなどの商品を並べて通常価格の半分で販売しました。このエリアでは販売するお店がほかになく、商品は完売状態でした。
 写真は明日からは弘前ねぷた祭が開催されますが、それにも参加する大型ねぷたです。
 地元の消防団の纏振りや、婦人会の流し踊り、中学生ブラスバンド、こどもたちのよさこいソーラン踊りなど、にぎやかなパレードを観衆は、楽しんでいたようです。
 今年はそれに囃子を乗せた大型車も登場して、とても華やかでした。特に我があうんメンバーが興奮したのは、ブラジルサンバチームの踊りだったのではないでしょうか。軽快なリズムに合わせたエネルギッシュな踊りは、思わず一緒に踊り出す人もおりました。
 地域の夏祭りのよさはなんといっても、顔見知りが参加していて楽しいですね。この夏祭りが終えるともう、秋の雰囲気が漂うことでしょう。山では既に萩の花が咲こうとしています。
 ・幕開けを心待ちするねぷたかな

 ・ヤーヤドの掛け声いさまし弘前ねぷた

 ・汝もいたか笑顔で見交わすねぷたかな

 ・ねぷた行き後から秋が追いかける
 

収穫の時

2007-08-01 04:55:07 | 岩木山麓 しらとり農場日記
 岩木山麓しらとり農場の7月の最後の日の朝、農場は静まり返っていた。7月最後のウーファー・ヤマチャンが、この朝北海道余市へと旅立って行った。ウーファーが誰もいない農場は本当に珍しいのではないかと思う。しばらくすると、オーナーの甥ごさんたちが青森市からおじいちゃんの車でやって来た。甲虫探しに来たらしい。前の晩からオーナーがメロンを梢につけて置いたらしい。眼を凝らしてみると、小さいが確かにオスの甲虫の子供が幹に居たのをつかまえることが出来たようで、二人の子ども達は大喜びであった。
 7月上旬の牛糞堆肥をネギ畑に蒔く作業をしている時、この牛糞の中に甲虫のさなぎがたくさん孵るための準備をしていたことを思い出していた。オーナーと牛糞堆肥の山に行ってみたが、さなぎは孵化し、飛び立ったのか穴がたくさん空いていた。
 午前中オーナーと一緒にメキャベツの畑で草を刈って地面に敷き詰め、メキャベツの株の根元の空間の風通しを良くするための作業を行なった。メキャベツがどのような状態で育つのかをはじめて垣間見た。螺旋形のキャベツの葉が幾層にも重なって、そしてその間にメキャベツが茎を巡らすようにビッシリと張り付いている様は、なんとも驚きの世界だった。
 30分ほどすると小雨が降り出し、いったん白樺の木の下で雨宿りをして、雨の行過ぎるのを待った。午前中は雨が急に降り出すと言ったオーナーの言葉が当たった。ちょうどその頃あうんの青年たちが畑に到着して、それをきっかけに雨も上がっていった。
 私はその小休憩を利用して、あうんの畑の野菜を見に行くと、キュウリや万願寺とうがらし、ピーマン、トマトが食べごろを迎えていた。トマトの赤く熟した実をはじめて口にしてみた。うまい!なんともうまいのだ。有機の野菜はどうしてこの深い味や香りが出るのだろうかといつも思う。畑の中は濃厚な野菜たちの香りと、ハーブの香りが循環して潤っているようだった。オーナー夫妻は午後から車で約1時間の蓬田村まで鶏糞をもらいに行くのだという。それが終えたら、いわき夏祭りでわが「ゆいまある」もお店を出すからぜひ来て欲しいと誘った。牛糞の作業をすると体中が牛糞の匂いでいっぱいになるのだと言う。お風呂に入れば間に合わないからと、あうんのお風呂を利用してもらうことにして、夜の楽しみを待つことになった。
 お昼になって作業を止めてオーナーハウスに入る前に、ウコッケイの子どもたちを写真に収めようと麦畑を見に行くと、いましたいました。可愛いひよこが頭一つ大きくなって、やっぱり親鳥に守られるようにつかず離れずといった様で可愛い姿を見せていました。5羽いたはずのひよこが私には4羽しかいないように見えました。どうしたのでしょうか。外敵に襲われたのでしょうか。カメラを構えると親鳥が敏感になっているのか、警戒の声を出しながらひよこを麦畑に誘っています。
 明日はこの住処となっている麦畑が、収穫時期を迎えて刈り取られる運命のようです。ウコッケイの親子はこれからどこに身を隠すことになるのでしょうか。
 昼食をオーナー夫妻と一緒にいただきました。新鮮な野菜の炒め物が生そばの上にアンとしてかけられ、とても新鮮な野菜が美味しいのです。昨日今日と空気が冷たく、お日様の当たらない室内にはひんやりとした風が吹き抜けます。
 明日からいよいよ八月、津軽はもとより東北三大祭の開幕です。
 3日からは北海道の瀬棚と言うところから、オーナー夫人のご両親やきょうだい一家が大挙してやって来られるようです。それに、ウーファーだったビューティフル・ミスウインターのお母さんも茨城県から来られるのだと言うことでにぎやかな八月の幕開けです。 一人のウーファーがいなくなると、またもなんだか打合せでもしたかのように八月のウーファーたちの利用日がちょうど良く埋まったと、オーナーが話していました。人に恵まれたしらとり農場は、これからもにぎやかなそして豊かな出会いと別れを繰り返しながら野菜を育てていくことでしょう。

「幸福は深い悲しみによって支えられている」

2007-08-01 04:12:42 | こころに残る言葉
 標題の言葉は河合隼雄さんのコラム
 「幸福と言うことが、どれほど素晴らしく、あるいは輝かしく見えるとしてもそれが深い悲しみによって支えられていない限り、浮わついたものでしかない」
 ということを要約した言葉である。 そして、新美南吉の「でんでん虫のかなしみ」を例に上げている。

 新美南吉「でんでん虫のかなしみ」

 そのでんでん虫は,ある日突然,自分の背中の殻に,悲しみがいっぱいつまっていることに気付き,友達を訪(たず)ね,もう生きていけないのではないか,と自分の背負っている不幸を話します。友達のでんでん虫は,それはあなただけではない,私の背中の殻にも,悲しみはいっぱいつまっている,と答えます。小さなでんでん虫は,別の友達,又別の友達と訪ねて行き,同じことを話すのですが,どの友達からも返って来る答は同じでした。
そして,でんでん虫はやっと,悲しみは誰でも持っているのだ,ということに気付きます。
 自分だけではないのだ。私は,私の悲しみをこらえていかなければならない。

 この話は,このでんでん虫が,もうなげくのをやめたところで終っています。

 このお話は「皇后様の講演録を読んで」という文章の中で紹介されていることです。
 そして文章の最後に皇后様が本を読む喜びについて語られていて、子どもたちが本を読むことの3つの意義を述べられています。
 「子ども達が自分の中にしっかりとした根を持つために 子ども達がよろこびとの想像の強い翼を持つために、子ども達が痛みを伴う愛を知るために」

 子ども達というところに大人達という言葉に置き換えても通用することではないかと述べられていました。