夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

鍼はやさしい

2007-08-08 23:26:38 | つれづれなるままに
 腰痛が極限に達し、ベッドの上でのた打ち回り、悪夢の連続だった。起き上がり、靴下を履くこと、下着の交換、全てがまるで別人の動作となった。腰をかばう動作で、膝までおかしくなって来た。娘達の介護が一人では困難となって、このままでは入院しか考えられなくなると言う危惧を感じ、友人の治療院を訪問した。普段なら鍼は敬遠しがちだが、急性期の腰痛にはもはやこれしかなかった。友人の手で、私のお尻から腰にかけてハリネズミのようになって行った。神経を鍼が刺激し、あらゆる筋が緊張して疼いた。
 しかし、1時間後起き上がるとわずかな痛みが右腰に残るだけで、かなり痛みの軽減を自覚した。ありがたいと正直思った。本当は腰痛用のベルトをしなければならないともう十数年前に整形外科医からも言われたことを、これまで守れなかった。そのつけが今大きく出始めていた。痛みにはからきし弱い自分である。されど鍼はやさしで、「喉もと過ぎれば暑さ忘れる」のことわざの如しだ。明日もう一度、治療をお願いしようと思っている。こんなにありがたい友人だったと、いまさらながら感謝している自分である。

人生150年

2007-08-08 07:34:33 | つれづれなるままに
 「あなたは何歳まで生きますか?」控えめに言う方は結構聞きますが、150歳と答える方がいました。それは「瀬棚町フォルケホイスコーレ」(フリースクール)代表河村正人さんです。これは岩木山麓しらとり農場オーナーから畑で聞いた逸話です。人生の終着点を上方に目標化することによって、若々しく生きられると言うのです。現実にそう目標を持った代表は、髪が黒く変化したということでした。長生きするだけではなく、これまでのキリスト教を卒業し、回教・イスラム教などありとあらゆる宗教をそれまでにマスターしたいと意気軒昂そうです。70歳で英語を、80歳で韓国語、90歳で中国語をマスターしたと言う方からのお話を聞いたことがあります。もう年老いたと考えるのは間違いかもしれません。
 私の薄くなった頭髪が甦るためには、180歳くらいに設定しないと難しいかなと思って聞いていました。

ウーファー来場

2007-08-08 04:45:46 | 岩木山麓 しらとり農場日記
 この数日雨がちで、湿気の多い日々が続いている。もう少し程よいバランスで雨と晴天が交互に続かないものかと、天を恨めしく思っている。午前2時ごろには雷雨になって目覚めた。腰痛がひどく、寝返りをするたびに、目覚めている。何とかしたいがなんとも出来ない状況が続いている。今は気持ちだけでも前向きに保つことで、辛うじて維持される生活がある。
 それにしても蒸し暑い。サウナ風呂で仕事をしているような状態である。着替えはいつもたっぷり準備しているが、午前中に二度も着替えが必要なくらい汗ばんでいる。
 朝オーナーハウスに行くと、青森のオーナーのお父さんが来ていて、オーナーハウスの壁打ちを行なっていた。オーナー夫人にオーナーの居所を聞くと、昨日から来所しているウーファーと一緒に、上の小屋でボカシを創る作業に行っているとのこと。私は腰の痛いこともあり、きょうは昨日の続きでネギ畑の草取り作業を行なうことにした。
 しばらくするとオーナーがウーファーを伴ってやって来た。今度のウーファーは埼玉県出身の女性でNさん。大学生だがしっかりしている感じで、数ヶ月前までオーストラリアでウーファー体験をして来たということであった。聞けばオーストラリアにはこのウーフの制度は盛んで、数が多すぎて1万件から選ぶのに困るくらいだと言う。どんな作業をしていたのか訊ねると、農家なので除草作業は同じで、ハーブ畑の管理などもやって来たらしい。若いがはきはきとして積極的な女性だ。
 しばらくすると、あうんのメンバーも草取り作業に参加して来た。今日は人数が多く半分はあうんの畑にミントティをつくるために、採取に来た様子。メンバーが参加するとにぎやかではあるが、作業の進み方も早く午前中で草取りも終了した。オーナーは早速きれいに除草されたネギ畑にボカシを蒔き、土寄せをしていた。オーナーハウスから金槌のトントンという音が農場まで響く。オーナーが「青森のお父さんがきょうは壁打ちをしてくれている」と話す。実は数日前まで、お父さんは胆石手術をして入院していたらしい。
 お昼はオーナー夫人手製のザル蕎麦と、青森のお父さんの持参したお弁当のおかずをいただいた。いつもながらオーナーのお母さんの愛情が感じられるメニューである。
 お昼の話題は河村正人「瀬棚町フォルケホイスコーレ」の代表で、10月にでもぜひ講演をしに来て欲しいことを話した。するとオーナーは「チェロの演奏をしに来いと言えばきっと来るだろう」と語った。河村代表も娘さんたちもデンマークにこのフリースクールへ留学経験があるとのこと。河村正人さん一家は酪農を中心にしたフリースクールを1990年に開いて、不登校などの若者を農業などを通じて育てていたらしい。オーナーがその活動をガリ版の新聞の綴りを見せてくれた。その新聞に描かれているカットの絵も河村代表の才能の豊かさを物語るもので、私はそれをお借りして学習することにした。
 昼食後に雨がさらに強くなって、午後からの作業は半ば諦め気味で、オーナーが「シュタイナースコーレのビデオでも見ますか?」と言い、みんなでNHKアーカイブスの「シュタイナー学校の25年」だったか?を見た。とても興味深い番組で、ドイツのミュンヘンを中心にシュタイナーのフリースクールに、日本人として25年前に入校した今はベーシストでもある子安フミ・美知子(早稲田大学教授)親子の案内で、番組は進められていた。
 ルドルフ・シュタイナーの教育観 シュタイナー学園の教育は、ルドルフ・シュタイナー(1861~1925 オーストリア生)の理念に基づいています。シュタイナーの教育観は、人間の成長を7年ごとの周期で捉え、各年齢期の心身の発達に即した芸術的カリキュラムにより、世界の本質を学ぶよう導くものです。人間学と愛情に貫かれた教育によって、人生の困難を解決する力を自分の中に生み出す人を、未来の世代にもたらしたい──シュタイナー学校(ヴァルドルフ学校)は、20世紀の初めにドイツで最初の一校が生まれて以来、世界中で増え続けています。シュタイナー学園は、国際自由ヴァルドルフ教育連盟に登録し、欧米を中心に900校以上ある世界のシュタイナー学校と、相互交流を行っています。
(以上インターネット「学校法人シュタイナー学校」調べ)

 シュタイナーの学校で興味深かったのは、障害児教育がその源にあるということでもあった。そして暗記や記憶に頼る学問ではなく、自らの思考や内在する心の中から答えを導き出す「想像性・創造性」などがこころに響いた。
 また障害児や障害者が社会で生きられるように、どのように障害程度が重かろうが生産することを体験させていたことも印象深かった。例えば乳牛の乳搾りなどは、牛もまた安心して任せる関係であることを明示していた。パンやチーズなど作り・ロウソク作り農作業の中にはその障害者が活躍できるエリアが膨らんでいることをこの番組は教えてくれていた。オーナーも若かりし頃、ドイツのシュタイナー学校の要覧を取り寄せて、酪農を勉強したかったと言っていたのが印象的だった。また、法の下において障害者も含めすべての人が平等であることもこのシュタイナー教育の根幹でもあった。
 このビデオを園内研修の材料として我が職員にもぜひ見て欲しいと思っている。それはこれからの我が法人が歩むべき道筋をも示しているからだと、私は強く感じているからでもある。