8月4日(土)台風5号が大接近。夜明け前から強い雨が降って、湿度の高い一日が始まった。私と千葉県の養護学校教諭Kさんは、雨降りの中をしらとり農場を目指した。
しらとり農場は北海道の瀬棚町からやって来たオーナー夫人の両親一家9名が宿泊し、朝からにぎやかだった。台風5号が接近しているのか朝方から雨が降り続いていた。鶴田町からSさんがやってきていて、話題が蛇の話や島根県からやって来た画家の話になった。その話題の中で鶴田町のSさんが音楽や絵画を鑑賞しながら、涙を流すことについてその感性の素晴らしさを私が話すと、瀬棚町のお父さんが、涙を流すことの大切さを優しい口調で話された。お父さんも外国で絵画を見ながら涙が止まらないと言う経験を持っていた。私たちはジェンダーと言う流れ、価値観の中で、「男はめそめそしてはいけない」などと良く躾の中で言われつづけてきた。しかしお父さんはそれは間違いであるとはっきりと言った。心の中の自分が感動した時には、その感動を涙で表現するのは人間としては自然の動きなのだと語った。そう云えば一年前の「世界の巨匠絵画展」の最中に、心にトラウマを持つ親子が来場し、ある外国の画家の絵の前で娘さんが止め処もなく泣き出すと言うことがあったのを思い出していた。
そういう話題の中で、Sさんやオーナーが関心を抱いていた人が偶然にも3年前にお付き合いをしていた画家だったので、その画家に運勢を聞きに行きたいというオーナー夫人の姉の夫に場所を説明した。早速彼はその画家を訪ねに出かけていった。
私はあうんの畑のトマトを初めとする支柱への茎の固定作業を行い、キュウリやズッキーニの収穫を行なった。Kさんはお得意の日曜大工の技術を遺憾なく発揮するために、オーナーハウスの二階の壁打ち作業を行なっていた。
昼食は瀬棚家の姉妹の手づくりのカレーライスをいただき、その後オーナー夫妻のチェロとピアノの演奏、そしてみんなでオーナー夫人のピアノと私の下手くそなのギター演奏で北海道の歌「故郷(ふるさと)の丘」を合唱した。何度か練習を繰り返して、ようやく歌がまとまり出していた。午後にはミス・ビューティフルウインターとお母さんが合流して、コーヒーやハーブ・ミントティで楽しい時を過ごした。ミスビューティフルウインターにとって、瀬棚一家はまさに恩人とも言える人々でもあった。生きることに悩んだ彼女の行き着いた先でもあったからだろう。瀬棚一家はその彼女をありのままに受け入れ、生きる自信をつけさせてくれたのだった。その一家に母親としてもどうしても挨拶をしないわけにはいかなかっただろう。苦難を乗り越え笑顔の中にある母子の姿をそこに見ていた。
ウコッケイの親子を写真にとりに行くと、1羽見えないと思っていたひよこが5羽いたことを確認し、ホッと一安心をすることが出来た。
心配した台風も雨だけを降らせて温帯低気圧に変わって、しらとり農場の農作物を含めて大過なく過ぎ去っていった。
私は一度しらとり農場を辞した後、昨日の夜にオーナーの好きな焼き鳥を食べていただこうと準備したが、祭を見に行って渡せなかったので、もう一度それを注文して届に向かった。直ぐに帰ろうとすると、オーナーが義兄が今戻って画家の運勢について成果があったので聞いて池といわれ中に入った。
義兄さんは画家の下を訪問した内容を事細かに報告し、訪ねてきてよかったと語っていた。それは、彼について画家が語った心の中が、かなりの部分で的中しており、今後の彼の夫婦関係について語ったことが感動につながっていく。彼は奥さんに言葉で明確に伝えきれずに我慢してきたことがあるらしい。それは決して好ましいことではない。いいことも悪いことも曝け出すことで夫婦関係の絆は強まっていくのだと言われたらしい。そして、不登校の親子の関係についても話されたと言う。それは、学校にいけなくなった子どもに対して親は、往々にして「学校に行くの行かないの?!」という聞き方になるが、それでは行かない子どもを作っているようなものだと言う。そういう聞き方ではなく、「何日休んだら学校に行けるかな?」と聞けば「2日休んだら行く」という具合に答えることができるのだという。そういう話を聞いて、私も彼が尋ねたことは良かったなと思って聞いていた。すると、ミスビューティフルウインターが私も行きたいと強く希望していた。彼女の中にはまだそこにこだわっている部分があるのだということを示していた。
ミスビューティフルウインターのお母さん一行と瀬棚町の一家もいよいよ日曜日には帰宅するという。また平常のしらとり農場の一日が始まろうとしている。
しらとり農場は北海道の瀬棚町からやって来たオーナー夫人の両親一家9名が宿泊し、朝からにぎやかだった。台風5号が接近しているのか朝方から雨が降り続いていた。鶴田町からSさんがやってきていて、話題が蛇の話や島根県からやって来た画家の話になった。その話題の中で鶴田町のSさんが音楽や絵画を鑑賞しながら、涙を流すことについてその感性の素晴らしさを私が話すと、瀬棚町のお父さんが、涙を流すことの大切さを優しい口調で話された。お父さんも外国で絵画を見ながら涙が止まらないと言う経験を持っていた。私たちはジェンダーと言う流れ、価値観の中で、「男はめそめそしてはいけない」などと良く躾の中で言われつづけてきた。しかしお父さんはそれは間違いであるとはっきりと言った。心の中の自分が感動した時には、その感動を涙で表現するのは人間としては自然の動きなのだと語った。そう云えば一年前の「世界の巨匠絵画展」の最中に、心にトラウマを持つ親子が来場し、ある外国の画家の絵の前で娘さんが止め処もなく泣き出すと言うことがあったのを思い出していた。
そういう話題の中で、Sさんやオーナーが関心を抱いていた人が偶然にも3年前にお付き合いをしていた画家だったので、その画家に運勢を聞きに行きたいというオーナー夫人の姉の夫に場所を説明した。早速彼はその画家を訪ねに出かけていった。
私はあうんの畑のトマトを初めとする支柱への茎の固定作業を行い、キュウリやズッキーニの収穫を行なった。Kさんはお得意の日曜大工の技術を遺憾なく発揮するために、オーナーハウスの二階の壁打ち作業を行なっていた。
昼食は瀬棚家の姉妹の手づくりのカレーライスをいただき、その後オーナー夫妻のチェロとピアノの演奏、そしてみんなでオーナー夫人のピアノと私の下手くそなのギター演奏で北海道の歌「故郷(ふるさと)の丘」を合唱した。何度か練習を繰り返して、ようやく歌がまとまり出していた。午後にはミス・ビューティフルウインターとお母さんが合流して、コーヒーやハーブ・ミントティで楽しい時を過ごした。ミスビューティフルウインターにとって、瀬棚一家はまさに恩人とも言える人々でもあった。生きることに悩んだ彼女の行き着いた先でもあったからだろう。瀬棚一家はその彼女をありのままに受け入れ、生きる自信をつけさせてくれたのだった。その一家に母親としてもどうしても挨拶をしないわけにはいかなかっただろう。苦難を乗り越え笑顔の中にある母子の姿をそこに見ていた。
ウコッケイの親子を写真にとりに行くと、1羽見えないと思っていたひよこが5羽いたことを確認し、ホッと一安心をすることが出来た。
心配した台風も雨だけを降らせて温帯低気圧に変わって、しらとり農場の農作物を含めて大過なく過ぎ去っていった。
私は一度しらとり農場を辞した後、昨日の夜にオーナーの好きな焼き鳥を食べていただこうと準備したが、祭を見に行って渡せなかったので、もう一度それを注文して届に向かった。直ぐに帰ろうとすると、オーナーが義兄が今戻って画家の運勢について成果があったので聞いて池といわれ中に入った。
義兄さんは画家の下を訪問した内容を事細かに報告し、訪ねてきてよかったと語っていた。それは、彼について画家が語った心の中が、かなりの部分で的中しており、今後の彼の夫婦関係について語ったことが感動につながっていく。彼は奥さんに言葉で明確に伝えきれずに我慢してきたことがあるらしい。それは決して好ましいことではない。いいことも悪いことも曝け出すことで夫婦関係の絆は強まっていくのだと言われたらしい。そして、不登校の親子の関係についても話されたと言う。それは、学校にいけなくなった子どもに対して親は、往々にして「学校に行くの行かないの?!」という聞き方になるが、それでは行かない子どもを作っているようなものだと言う。そういう聞き方ではなく、「何日休んだら学校に行けるかな?」と聞けば「2日休んだら行く」という具合に答えることができるのだという。そういう話を聞いて、私も彼が尋ねたことは良かったなと思って聞いていた。すると、ミスビューティフルウインターが私も行きたいと強く希望していた。彼女の中にはまだそこにこだわっている部分があるのだということを示していた。
ミスビューティフルウインターのお母さん一行と瀬棚町の一家もいよいよ日曜日には帰宅するという。また平常のしらとり農場の一日が始まろうとしている。