天候も悪く仕事も星見も出来ない毎日で、部屋の片付けをしていたところ、古いネガアルバムが出てきました。カビだらけに為ったネガの中に今回のものが入っておりコンデジで接写し白黒反転させました。日時の記録は星見をするようになってからず~と続けている観望記録ノートからです。
短大生の時、天文誌の取材記事を目にした私は仲間数人と完成して2年程になろうとする「名寄市の木原天文台」を訪ねました。 (当時、私は旭川市の近くに住んでおり名寄市とはそれ程の距離では有りません)
夕方6時頃に美しい天体ドームの載った木原邸に到着し、木原夫妻の温かいお出迎えを受けました。 望遠鏡の準備が出来るまでお茶などを頂きながら天文台建設の話や礼文島での日蝕の話を伺いました。但し、その時の私は大人しくしてはいたけれども話は上の空でドーム内の望遠鏡ばかりに気持ちは行っておりました。さて、愈々準備OKとのことで16時40分より観望開始。器材は我が憧れの西村製作所、25cmカセ・ニュートン式が載った赤道儀で、サブスコープには7,5cmの屈折と云う偉容。 私にとっては生まれて初めて見る大型器材で目は釘付けとなり当に夢心地なりです。(当時、私の使用器材は9cm反経で赤道儀は見るのも初めてでした)
先ず、M57、そしてM27,βCyg,εLyr(全てカセ焦点)そして、木星の眼視と撮影をさせて貰いました。途中寒いので何度もお茶を飲みにドームから離れましたが、私達は興奮も手伝って全然寒くは有りませんでした。観望の最後に火星を見て22時30分に終了。略、4時間もの間、無礼な私達に嫌な顔一つせず対応をして下さいました。 無礼と云うのは折角、先生が(目盛環を使って導入しましょう)と云うのを(私が一発で入れましょう)と云い、勝手に望遠鏡操作(結局、殆ど私が操作)をしたり、先生からのお話最中の雑談等、若気の至りとは云え想い出してもマズい態度だったなと思います。 但し、望遠鏡ジャック?に関しては、如何に当時の私が機材に飢えていたかの顕れに他為らず、今でも私の掌はその時の感触を確りと覚えております。それは架台の動きが如何に素晴らしかったかを・・・・
あと、特に記憶に残っているのはドームを回転する度にモーターから火花が飛び散ったり、スリットの調子が悪くよく外れる等、面白いような可笑しい様な・・・
お暇を告げる時に(又、何時でもいらっしゃい)とお見送りして下さった先生のお姿が思い出されますが、平成5年に鬼籍に入られたとのこと、ご存命中にお会いし、先般の失礼をお詫びしたかったものです。
今も、この望遠鏡は天文台内に展示されているとのことですが、熱心に天文活動された先生にとって、動態保存こそ希ではないのかなと・・・・天国から先生が(あの時の青年に貸してあげなさい)等とは決して云わないと思いますが(^^;
上の画像左から二人目が木原先生、下の画像はドームの回転スイッチを操作している先生です。 ※先生62~3歳の頃
※木原天文台(木原秀雄氏)に付いての詳しいことはhttp://www.nayoro-star.jp/