晏次郎のぐうたら日記

偶にする星見(重星観賞)や鳥撮関連などの気紛れ思いつき日記
  開設 2006年12月

嗚呼!望遠鏡よ・・・

2009年07月26日 09時59分22秒 | 天文ネタ

Kyaku 此処ず~と当地の天候は雨ばかりで仕事もろくに出来ない状態。(悪天は当地ばかりではないようだが) 御蔭で身体は楽だが農を営む者としては出来秋が心配である。

ところで先日の日蝕は曇天で半ば諦めていたが、幸いにも最大食分の頃に雲の切れ間が出来2分間程拝することが出来た。撮影もと考えたが、私自身、天体撮影という行為の意義が感じられなくなっている為と、一時も目を離すのが惜しく心に焼き付けることにした。・・・でも記憶というのも実に曖昧なもので、幾日も経ていないのに既にイメージは薄れている(^^;

さて、今回の画像だが、共にタカハシのファインダー5×25の脚部である。先にも書いたが、このところの悪天続きで暇が出来望遠鏡小屋に入る機会が増え、又、機材と接する時間が多くなり(撫ぜて磨いてだが)新旧の機材(タカハシ)を見比べ妄想の時を過ごしている。

 黒色のものは昭和49年製ライトグリーンは平成7年製のものだ。形状は同じ様に見えるが細部の仕上げが違う。ライトグリーンの方は単純な直線と円の組み合わせでしかないが、黒色の方は其処に手を加え曲面を入れ、機能には殆ど影響無いがゴツゴツ感も取れ滑らかで質感がぐっと上がっている。この様な細工が施されていたのは黒色の頃までで、グレー色からは現在と同じ造り(デザイン)である。これより古い昭和40年代初期のものは形状其の物が違っており曲線を基調としたスタイルで優美に感じ屈折鏡のセル部分もワインカットと為っている。その他の箇所は然程変わらない様に見えるが、時代が新しくなるにつれ塗装及び各部(ハンドル等)の処理が簡略化され、見た目も質感の低下を感じる。又、機能確保はされているようだが遮光環や光軸調整装置の省略されている機種も出てきている状況である。 

私は此れまで昭和30年代からごく最近の望遠鏡まで、其れなりの台数(主にタカハシ)を手にしてきたが、造りの良かった機種と云う点では昭和40年代から50年代初頭までの我が国のモノづくり黄金期にピタリと重なる。その後の合理性からくる低価格、コスト低減と云った時代の趨勢により次第に味気無く道具以上のモノでは無くなってきたように感じる。 人其々であろうが、モノづくり黄金期の真っ只中で天文に興味を持ち望遠鏡を手にした私にとって、現在の流れは歓迎出来かねる思いがある。比較的新しいTOA130鏡筒やEM架台を所有し又、活用もしているのだが、やはり黒色塗装時代の機種に対する道具プラスアルファと云った思いは湧かず、単なる道具としてしか感じられない造りである。 道具であるから其れで良いのだが、私にとって天文を始める前よりず~と望遠鏡(架台含む)に抱き続けている神々しく道具を超えたモノと云うイメージからは離れつつあり寂しくも感じている。

神々しく道具を超えたモノと云うのは、このブログでもチラッと述べたりもしているが、私にとって望遠鏡は神器そのもので、構造、理屈は何となく判ってはいるが何としても不思議な人智を超えたモノとしてしか理解出来ないのだ。 口径(機材)の大小に拘らず数百、数千光年の遥か彼方の銀河を捉え、まるで近くまで行ったかの如く惑星の形や模様を見せてくれる。何とも不思議、そして高貴壮大で神の道具としか思えないのだ。この思いは40年以上も望遠鏡と付き合っているけれども些かも褪せることが無い。 適う事なら、いつの日か再び合理性等を廃しモノとして魅力(造り、質感等)タップリ備えた製品が提供されることを望んでやまない。 何しろ、望遠鏡は一生ものであり子々孫々末代まで使えるものだから。 と以上、妄想の中より(^^;


きっかけ

2009年07月17日 23時33分28秒 | 天文ネタ

09717adzen 常日頃よりの早寝早起きの習慣で夜はサッパリ状態。(好天悪天の如何に拘らず) そんな折、遊馬製作所(2009.7.11)よりP2架台をカメラ三脚に取り付け出来るアダプターが発売された。 此処のところ出番が激減したP2架台を活かすには此れだ!と云うことで早速注文。商品は昨夕に届き、天気も上々で有ったのだが、生憎昼間の労働が厳しく晩飯を終えるや否やバタンキュー(^^;  明けて今日は仕事も少々軽めで先ず先ずバッチリ。気合と期待を持って暗くなるのを待つが空は昼間の好天がウソのように雲、雲、雲・・・。しかし、待てば海路の日和有りとはよく言ったもので雲が次第に薄くなり星見OKの状態に(^^)これぞ、精進の賜物なり??と云うことで超久し振りの星見と相成る。

遊馬さんらしい丁寧で美しい仕上げのアダプターP2架台に嵌めジッツォの中型三脚に載せてみる。搭載鏡筒はTS50として各部を揺すってみるが問題は感じない。(三脚の強度が少々心配であったのだ) 先ずは、プルケリマに向け100倍の視野の中で確りと伴星を確認する。(ジフラクションリングが邪魔して見づらいが)その後、140175倍と上げてゆくが問題なく使えることが判り購入して良かったと満足感に浸る(^^)  カメラ三脚との組み合わせが如何に機動力や手軽さを生み出すかは、純正三脚使用での不足分をほぼ補う事にある。(特に大幅な伸縮長や開閉が簡単と云った点) アダプターを取り付けた拡大画像も載せる。

09717adup 久し振りの星見なので、下準備も無く、又、5㎝屈折を使用することも有って、コルカロリダブルダブルスターアルビレオと云った超メジャー級を途中から参加の妻子達と共に1時間ほど楽しむ。只、末娘(4歳)はアイピースを上手く覗くことが出来ず、最後まで星を確認出来なかった。(アイピースの覗く術を教えねば)

下がりまくっていたモチベーションも、今回のアダプターが齎してくれた快適な星見によって上昇へのきっかけとなってくれることを念ずる。

 


はや一年

2009年07月15日 23時48分26秒 | つぶやき

Niji_2 昨日はアンディ一周忌で、御線香と大好物のバナナを供えて家族全員でお参りをした。

 

 

私にはつい先日のことのように思えるが、一年と云う時の流れの早さに寂寥の念も募る。

 

 

アンディの前に飼っていた犬が亡くなった時に、あるサイトで『虹の橋』の詩に出逢った。

 

 

この「虹の橋」は、原作者不詳[Author Unknown]のまま、世界中の動物のサイトに伝わっている詩で、

 

 

一説では古いインディアンの伝承に基づいているとも云われている。

 

 

 詩の内容は愛する動物達と別れても天国の手前に有ると云う、『虹の橋』でまた再会し、一緒に虹の橋を渡り共に天国に行くという内容である。

 

 

信じる信じないは別として、この詩によって、一縷の希望と、心に平安を覚えたのを思い出す。

 

 

私も自身の人生を終える時、この詩を思い出しアンディとの再会を楽しむ心境で有りたいものだ。

Anormy3 でも、ひとつ心配なのは、アンディが私を忘れていたら如何しようかと云うことだ・・・(^^;

でも、それはアンディも同じ心配が有ると思う。 でも、心配ない! 私は二度と飼い主と云う立場になることは無い。アンディの前の犬は母が飼い主であり、其の前の犬は父が飼い主であった。多くのペットを飼った経験者が語る言葉に(生涯一匹)と云うのがある。当に私にとってアンディは(生涯一匹)の存在。弟のような、我が子のような、そして友人であった。飼い主としては落第であったけれども、相棒としてはそう悪くはなかっただろう。そうは思わないかアンディ(^^)