あび卯月☆ぶろぐ

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私の「保守」派宣言(『諸君!』最終号、感想)

2009-05-11 22:57:53 | 書評・雑誌
『諸君!』最終号をさらっと読んだ。

巻頭に「紳士と淑女」三十年分の傑作選が載っていて大変楽しく読んだ。
多くの人が言うようにこの巻頭コラムは当代きっての名コラムだった。
もう読めなくなると思うと本当に寂しい。
「紳士と淑女」は1996年のものまでは書籍化されているが、それ以降は未収録。
是非とも、1997-2009年分の書籍化を望む。

なお、最後に執筆者が明かされていたが、業界の噂通り徳岡孝夫さんであった。
徳岡さんは現在、悪性リンパ腫に冒されていて闘病中だという。
一刻も早い快癒を祈念いたします。


他に読み応えのあった記事は、佐伯啓思先生、秦郁彦先生のものか。

佐伯先生は日本は早くアメリカ式から脱却せよと書いておられた。
この方は本当の意味での保守派という感じがする。

秦先生の文は歴史家としての立場から右派に対する痛烈な批判。
右派に限ったことではないが、歴史における実証主義が蔑ろにされている現状には私も危惧を覚える。
その後の方に渡部昇一さんの文章が載っていたのが少し可笑しかった。
(渡部さんと秦先生は犬猿の仲)


さて、「輝ける論壇の巨星たち」という特集の中で福田恆存先生が取り上げられていた。
筆者は遠藤浩一さん。
遠藤さんは福田先生を


日本といふ宿命を背負ひ、空しさを承知した上で言論活動を続けた。真の現実主義を、彼は体現してゐた。彼こそが文士、だつた。


と評していた。
福田先生のファンの方々はみな良くも悪くもクセのある人ばかりで、上の評価について賛否両論あろうが、私はなるほどその通りだと思った。
他に取り上げられていた巨星は小林秀雄、田中美知太郎、清水幾太郎、林健太郎、山本夏彦、山本七平、三島由紀夫、江藤淳、高坂正堯・・・。
いま保守派と呼ばれている(あるいは自称している)人たちが裸足で逃げ出しそうな面々だ。

いま保守派は力を無くしていると言われている。
何故か。
その答えを同号の特集「『諸君!』と私」の中に見出すことができる。
この特集は『諸君!』と関った人々がその思い出を綴ったもの。

その中で坪内祐三さんは


私が最近の『諸君!』の執筆者たちに不満だったのは、その文章のひどさです。


と書いていた。
それで、昔の左翼は悪文(難解文)であるのに対し、保守はクリアーで読みやすい文章を書いていたのに、最近の『諸君!』は左翼的だった、と。

石破茂議員もこう書いている。


『諸君!』の持ち味は、正面から世を憂い悲憤慷慨するスタイルをとるのではなく、どこか斜に構えた洒脱さにあったように思う。(略)
それがいつの頃からか、(略)ストレートな物言いが感じられるようになり真骨頂であった「静かに本質を語り、皮肉を効かせる」姿勢が影を潜めてしまったように思われた



また、阿川弘之先生の御子息、阿川尚之さんは


かつての左翼は、肩をいからせ自分が正しいと強硬に主張し、それを無理矢理押しつけ、「みんな」を味方につけようと運動した。
彼らの「連帯」「革命」「シュプレヒコール」、そのすべてが嫌だった。
ところがこの頃「諸君!」の書き手のなかに、似たような語り方をする人がいる。
書くことを運動の一部ととらえ、徒党を組む。集会で熱弁をふるう。
自分の主張が受け入れないと悲憤慷慨する。仲間割れをする。


と書いておられた。
大きく同意するところだ。
近ごろの「保守派」はかつての左翼のように下品にアジる人が目立つ。

私の思想態度は一般人からみれば右寄り、あるいは保守派に映るだろう。
が、私が決して保守派だと自称しないどころか、むしろそれを避けたいという気持ちが強いのは近ごろの保守派に阿川さんが述べているイメージが附いているからだ。
しかし、それは本当の保守派なのだろうか。

上の文章の前段に阿川さんはこう書いている。


私にとって「保守」とは、ものごとがうまくいかなくても、こんなもんだと笑っている。
はっきりした意見は持つけれど、他人に押しつけはしない。
まずは自分にできることを、泰然として、多少のユーモアをもって、完遂する。
群れない。声高に話さない。孤独を恐れない。
そうした態度だと思っている。


心から感銘を受けた。
私もこれが本当の保守派の姿だと思う。
そういえば、福田恆存先生がまさにこういう生き方をされていなかったか。
近ごろの「保守派」が失っているのはまさにこのような態度だ。

阿川さんの言う「保守」が真の保守派だとすれば、私は喜んで保守派を自称したい。
いや、私は、そんな人間になろうとしてなれていない。
これから、奮励努力して少しでも保守に近づきたいと思う。
いうまでもなく、ここでいう保守とは政治態度ではなく、思想態度、いわば生き方である。
サウイフモノニ ワタシハナリタイ、という決意を以って私の「保守」派宣言としたい。

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2 コメント

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非常に共感を覚える (いーじす)
2009-05-12 09:34:56
僕は政治的なことにはそこまで興味がないです
(第一の興味ではないということ)

ですが、一応アニメ批評という物をブログでやっていて
対象は違いますが「批評」をしています

その観点から見て阿川さんの主張は非常に共感できます
僕もアニメの感想を書くとき
無意識の部分で阿川さんの主張のようなことを意識しているのかもしれません
この話は保守だけじゃなく「人の生き方」全般に言える事なんじゃないのでしょうか?

最近の保守は阿川さんの言うような状況になりつつあると僕も思います
特にネットなどはそうですね
ネットは様々な意見があり自由な空間ではありますが
「徒党を組む」という傾向は顕著です

もしかしたら、これは保守・リベラル関係なく
日本人に共通した傾向なのかもしれません
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Unknown (あび卯月)
2009-05-13 02:11:47
いーじすさんは御自身のことを保守派と呼ばれることを潔しとしないかもしれませんが、阿川さんの定義でゆくとまさに保守派ですね。
それゆえ、私はいーじすさんのスタンスにも大変共感しています。

私は政治を論じるのは好きですが、実は政治は大嫌いです。
しばしば、筆が滑って過激なことも書いていますが、まぁ、あれは遊びで書いていますんで(笑)
福田恆存先生じゃないですが、ニヤニヤしながら文章の練習だと思って書いています。
本来、政治運動とかそういったのが大嫌いで、それゆえ、少しでも運動の匂いがしたら忌避してしまいますね。(右左問わず、運動の必要性を否定はしません)
あと、群れたり徒党を組むとは違うのかもしれませんが、会とかに所属するのも嫌ですね。
みやむーやハイロウズの大ファンでしたが、ファンクラブにも絶対入るものかと思っていました。(話が違う?)

>もしかしたら、これは保守・リベラル関係なく日本人に共通した傾向なのかもしれません

そうかもしれませんね。
真の保守派がいなくなったのも、そういった姿勢が支持されなくなったからなのかもしれません。
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