つながりあそび・うた研究所二本松はじめ

二本松はじめ(ピカリン)の活動予定や活動報告、日頃、考えていることなどを書きます。研究所のお知らせも掲載します。

抱っこ通信695号 ど演歌のつもりが『海・・・ふるさと』

2016年03月12日 | 抱っこ通信
震災1か月後くらいだったと思うのですが、朝日新聞に髭面のおじさんの写真がバーンと中央に載っていて、その人のインタビュー記事が一面を使って掲載されていました。

そのインタビュー記事の中で「だれも海を恨んでいない」という一行がとても強く印象に残ったのです。
その髭面のおじさんはだれなのか知りませんでしたし、他にどんなことを語っていたかも覚えていません。すぐに忘れてしまっていました。

正直、「だれも海を恨んでいない」ということを理解することがなかなかできませんでした。今でもですが・・・。
津波で、自然を奪われ、家族を奪われ、生業を奪われ、町を、文化を、そして、その日までにこつこつと築きあげてきたものをすべて奪われたはずのなのに、だれも海を恨んではいないと語るのです。
後で知ることになるのですが、彼自身も津波で母を亡くし、そこまで築き上げてきたすべてを流されていたのです。

この「だれも海を恨んではいない」ということにずっと引っかかっていましたが、改めて3.11を取り上げ、夢わかばプロジェクトを継続する意味も込めて、2014年にCD『Hand&Heart』を自主製作しようと考えたときに、この「だれも海を恨んではいない」を必ず作品にしようと思いました。
ネットなどで、髭面の人はだれで、どんな活動をしている人なのか、どんなことを考えている人なのかを調べたりしました。

そして、わかったことはインタビューに答えていた髭面のおじさんは、NPO法人森は海の恋人理事長 畠山重篤さんだったのです。
彼の講演を記録した動画を見たり、書いた文章を読んだりして、そして、やっとできた作品が『海・・・ふるさと』でした。
私としては、ど演歌で、漁師さんたちが酒でも飲みながら手拍子入りでうたうというイメージでしたが、そんな光景は数十年前の昔で、いまはもう見られませんね。CDでもなかなかしゃれたアレンジとなっています。

「NPO法人モチは海の恋人」「畠山重篤」で検索してみてください。いろいろ考えさせられますよ。

CDのメッセージを次のように書きました。

【「Hand & Heat(つなごう『手』と『心』)」。これは3.11の大震災を受けて岩手の保育仲間の合言葉です。ふるさとの仲間と保育への思いに勇気づけられました。きっと全国の仲間たちも同じ思いだったでしょう。夢わかばプロジェクトは全国の4500人以上の仲間たちのメッセージを添えて、岩手・宮城・福島の認可・認可外すべての1477ヶ所の保育所(園)に紙芝居『夢わかば』を贈ることができました。
「ふるさと」は長い時を経て自然と人がつくってきました。この営みを「私」と「私たち」が主人公になって「手」と「心」をつなげて続けていきたいです。「あなたの故郷」の話を聞かせてください。】

収録曲は『Hand & Heart(つなごう「手」と「心」)』『あしたは天気』『あなたの故郷』(作詞・佐々木洋子 作曲・佐々木渉)『海…ふるさと』『うがみんしょうら』(海とふるさとつながりで奄美の人々に贈った歌)『夢わかば(インストゥルメンタル)』


海…ふるさと

      作詞・作曲 二本松はじめ

海はおいらのふるさと
時にはやさしく穏やかな かあさんみたいな海もある
海はおいらのふるさと
時にはだまって見ていてくれる とうさんみたいな海もある
いのちいただく豊かな海も いのち奪った地獄の海も
だれも 恨んじゃいない 涙こぼれても
みんな みんな海が 海が好きだから

海はわたしのふるさと
時には朝日と遊んでる 子どもみたいな海もある
海はわたしのふるさと
時には月とおしゃべり ばあちゃん(じいちゃん)みたいな海もある
ここに生まれて ここで育った 海が死んだら 生きていけない 
だれも 恨んじゃいない 涙こぼれても
みんな みんな海が 海が好きだから

海はいのちのふるさと
時には季節の便り運ぶ 仲間みたいな海もある
海はいのちのふるさと
時には力を結びあう きずな深める海もある
出ていく人も元気でいこう 残る人も笑顔でいこう
だれも恨んじゃいない 涙こぼれても
みんな みんな海が 海が好きだから

舟を 舟を漕ぎ出そう 明日の海へ
みんな みんな海が 海が好きだから 
海が好きだから


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

抱っこ通信694号 3.11に『Hand & Heart』

2016年03月11日 | 抱っこ通信
3月11日は、東日本大震災の日です。忘れてはいけない日です。

2011年7月20日、避難所になっている安渡小学校の教室で保育をしている、大槌町安渡保育所で、子どもたちとつながりあそびを楽しみました。6月の後半に岩手県保育連絡会の仲間たちから、「合研の方ですよね?私「ぴかりん」にどうしても会いたいんです。こんなところにもピカリンは来てくれるでしょうか。子どもたちのためにも是非」と頼まれたことを岩手県保育連絡会ニュースと電話で知りました。

9月中旬には岩手、宮城、福島の被災した保育園を回ることは計画していたのですが、「いますぐ会いたい」という人がいるのですから、ここは「すぐに会わなければ」と思って遊びに行ってきたのです。(詳細は、岩手県保育連絡会ニュース『Hand&Heart』№23号、24号に掲載)

と同時に、岩手県保育連絡会の仲間たちの熱い思いに動かされてです。次の文章は夢わかばプロジェクトのパンフに掲載するために寄せていただいた、当時の事務局長さんのメッセージですが、きっと、岩手の保育仲間たちは同じ思いだったのでしょう。


「3月11日の大地震、その後に襲ってきた巨大津波は、県沿岸の市街地を飲み込みました。保育士さん達は、子どもを抱えて走り命を守り抜きました。未曾有の大災害で誰もがうちのめされそうですが、全国の皆さんから温かいご支援をいただき、被災直後から保育再開に全力を挙げています。今、私たちにできること、それは子ども達に笑顔を取り戻してあげること、保護者のみなさん、保育士さんたちが元気になってもらうことです。それが復興への大きな力となり、周りを大きく励ましてくれます。ちいさなちいさな芽でも夢や希望を持ち、たくさんの人の愛をいっぱい受けて大きくなっていく『夢わかば』のように、子どもたちの夢の種が素敵な花になり笑顔いっぱいの花を咲かせられるように・・・長い時間がかかると思いますが、全国の皆さんのご支援をよろしくお願い致します。
                    岩手県保育連絡会事務局長  櫻庭志美子」


安渡保育所での出会いは、被災地の子どもたちと一緒につながりあそびを楽しむ第一歩になりました。県内保育園周りに何回も同行してくれるホワイティさんをはじめ、岩手県の保育関係者との出会いは、私にとって、元気と勇気をもらえる大きな出会いでした。

夢わかばプロジェクトとして、廃刊になっていた紙芝居『夢わかば』を音楽センターさんに再び製作していただいて、原価で分けていただき、岩手、宮城、福島のすべての保育園に、全国の保育仲間たちのメッセージを添えて贈るという活動とチャリティコンサート“泣くのはいやだ笑っちゃおう”は始めていました。

紙芝居『夢わかば』を贈る活動は、三県のすべての保育園とすべての特別支援学校に約4500人のメッセージを添えて贈ることができました。ここに改めてお礼を申し上げます。幼稚園に関してもいわき市をはじめ被災した幼稚園には、一部ですが贈ることができています。

2016年も10月の後半には2周目に入った岩手県の被災地の保育園周りを考えていますが、「いますぐ会いたい、遊びたい」という保育園や幼稚園、支援学校や療育関係からの声が届けば、岩手県に限らず、できるだけ出かけていこうと思っています。なにしろスケジュールに余裕がありますのでね。


さて、最初の一年は、手あそびを入れながら『春よ来い』を歌って、「心のなかに春のつぼみを膨らますこと忘れないで」のメッセージを込めました。2年目は『晴れた日には』を踊りながら♪一歩 一歩 一歩 ぼくの一歩 一歩 一歩 一歩 私の一歩 よく見てほしい 明日へきっと 歩きはじめる心の一歩♪と「生きるって、明日に向かって一歩を踏み出しているんだよ」のメッセージを送っていました。

ただ、どちらの作品も東北の仲間たちへ新しく創作したものではなかったのです。『春よ来い』は阪神淡路大震災の時に子どもたちに贈った曲であり、『晴れた日には』は東久留米を誰でも住んでよかったといえる街に、そして、障害のあるなしにかかわらず、すべての人々にスポットライトを、と願う「にぎやかカーニバル」に参加する仲間たちに贈った歌でした。

東北の仲間たちに、なにか創作したいなと思いつつ、正直、被災地の子どもたちや、そこに暮らす人々の心の思いや揺れをなかなか想像できない自分がいましたので、創作が遠のいていました。

そんな時に、いつも私の岩手県の保育園周りに協力というか、おんぶと抱っこをしてくれている保育連絡会の仲間たちのことが頭をよぎりました。保育と、保育運動の最前線で奮闘している盛岡の仲間たちです。そして、以前に岩手県保育連絡会ニュース『Hand&Heart』のタイトルが震災前の『Hand&Hand』から、震災後に「手だけでなく」、被災地の仲間たちに「心も」寄せようという思いで変わったという話を聞いていたことを思い出したのです。

それからです、すぐに創作できたのがタイトルをそのままいただいた『Hand&Heart』です。私の得意な?集会ソングです。
集会ソングなんていう名前は、自分が勝手に楽しんでつけているだけですが、何かの集まりに、そこに集まった人たちがすぐに一緒に歌えて、心を一つにできたらいいなという曲と考えています。歌詞もそのつどいにふさわしいものに変えていってほしいと思っています。ま、シングアウト(みんなでうたう)の曲です。

合研オプションのぴかユズコンサートでは参加者1500人くらいで歌いました。
一昨年の陸前高田市の保育士さんとのつながりあそび研修会で踊りました。
盛岡の保育園では運動会で踊ってくれました。
自分でも大好きな歌です。
歌詞を読んで、私の思いを感じてください。


Hand & Heart

        作詞・作曲 二本松はじめ

Hand & Heart 今こそ  Hand & Heart つないで
Hand & Heart 未来へ  Hand & Heart 立ち上がろう

大好きな空 大好きな海 大好きな故郷
大好きな君を離さない 離れない
朝は光を連れてくる
Hand & Heart 今こそ  Hand & Heart つないで
Hand & Heart 未来へ  Hand & Heart 立ち上がろう

大好きな山 大好きな川 大好きな街を
大好きな君を 離さない 離れない
雪は春を抱きしめる
Hand & Heart 今こそ  Hand & Heart つないで
Hand & Heart 未来へ  Hand & Heart 立ち上がろう

大好きな仕事 大好きな遊び 大好き笑顔を
大好きな君を離さない 離れない
涙は勇気を連れてくる
Hand & Heart 今こそ  Hand & Heart つないで
Hand & Heart 未来へ  Hand & Heart 立ち上がろう

大好き歌 大好きな笑顔 大好きな平和
大好きな君を離さない 離れない
愛は希望を抱きしめる
Hand & Heart 今こそ  Hand & Heart つないで
Hand & Heart 未来へ  Hand & Heart 立ち上がろう
Hand & Heart 今こそ  Hand & Heart つないで
Hand & Heart 未来へ  Hand & Heart 立ち上がろう


次号の抱っこ通信では、2014年に創作した『海…ふるさと』を書きます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

抱っこ通信693号 3月10日は東京大空襲の日

2016年03月10日 | 抱っこ通信
今日、3月10日は東京大空襲の日です。
東京への空襲は1944年11月から始まり、以降の米軍の空襲と言えば、昼間、軍事関係施設を狙って行われていましたが、この3月10日の東京大空襲を境に、昼夜区別なく無差別に行われたと言われています。

今日、久しぶりに江東区にある東京大空襲戦災資料センター、墨田区にある東京空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑、台東区の浅草公会堂で開かれていた東京大空襲資料展を駆け足で回ってきました。

少しでも私として「戦争」を知ることと、次の世代に伝えることが、戦後生まれて、戦争を体験していない私の「平和」をつくりだす一人としての責任かなと思っています。これからもいろいろ読んだり見たり足を運んだりしたいなと思いました。
ネット環境がある人は、できれば今日だけでも「東京大空襲」で検索してみてください。

1971年、東久留米市に就職して一カ月もしないときに、不発弾処理で動員されたことを思い出します。こんな田舎にも不発弾?と思いましたが、後から調べると戦時中には、東久留米市の隣の東京市に“ゼロ戦”や“隼”のエンジンを製作していた旧中島航空金属田無製造所があったのですから不思議ではありませんね。


東京大空襲を取り上げた私の作品には、戦後70年の昨年自主制作したCD『笑う門には福来る』の中に収録してある『あなた(父母から聞いていた時代に戻さないために)』の中に、母から聞いた空襲の、焼夷弾の話を歌いました。ギターは洪栄龍さん、ピアノシモシュです。
母がその空襲、焼夷弾の話を持ち出すときは、決まって「はじめは意気地のない子だね」を言いたかったときだったかなと思います。

そして、戦後60年の2005年に自主制作したCD『母…それは憲法』(発行は音楽センター)には歌と語りによる構成『炎の海―1945年3月10日』を収録しました。歌と語りは私、そして、語りは地元東久留米市の女優楯岡眞弓さんにもお願いしました。ピアノ伴奏は宮田剛さん。是非、多くの人に聞いてほしい1曲です。

残念ながらコンサートなどではまだ2回しか歌えていません。どこかで歌う機会があると嬉しいです。
このCD『母…それは憲法』は、残り20数枚だけになっています。

ちなみに収録曲は、『元気出してワッショイ!』『炎の海―1945年3月10日』『母』『憲法九条・「九条の会」アピール』『ふりむくあなたの』『九ちゃん音頭』『ヨーソロ 出航だ!』『ずっとずっと』の8曲です。

私は、毎年、3月10日にはこのCDを聞いています。


炎の海―1945年3月10日
作詞 二本松はじめ
作曲 二本松はじめ・宮田剛(ピアノ伴奏)
構成 二本松はじめ

♪空が燃えた 町が燃えた
人が燃えたあの日
大地が燃えた 川が燃えた
いのちが燃えたあの日

愛がやすらぎが思い出が
夢が希望がやさしさが
すべてを焼き尽くしたあの日
燃えた炎の夜

(語り)1945年3月10日午前0時8分
約300機のアメリカ軍爆撃機B29は
東京下町に焼夷爆弾の雨を降らせ始めた。
折からの北西の風にあおられて、隅田川の両岸、
今の台東区・墨田区・江東区など
木造家屋が密集した町を火の海にした。
わずか2時間半の間で、約10万の人々が殺された。
亡くなった人の多くが子ども・女性・お年寄りの非戦闘員。
亡くなった人の数は原爆で亡くなった広島の12万人よりは少ないが、
長崎の7万4千人よりは多かった。
東京大空襲、それは、すべて計算しつくされた無差別の大量殺戮だった。

♪忘れないでください 覚えていてください
人間らしく生きること できなかった人たちのことを
忘れないでください 覚えていてください
人間らしく死ぬこと できなかった人たちのことを

(語り)「早く出ろ!」怒鳴る父の声に家を飛び出した。空は真っ赤、火がゴーゴーと叫び、いつもの空襲とは明らかに違っていた。私たちは近くの国民学校に向かった。学校には防空壕が二つ。いつも入る防空壕は人がいっぱいだった。もう一方の防空壕に入った。校庭では炎と煙は激しく渦巻き、竜巻を起こしていた。しばらくして防空壕は熱でひび割れ、もう駄目だという寸前に防空壕の扉が開いた。人々は開いた扉に殺到し、外に出ようとした。その時、母が言った。「逃げるのはよそう。死ぬならここでみんな一緒に・・・」。その言葉が私たちの命を救った。われ先に外に飛び出した多くの人たちは、その後、炎に巻かれて死んだ。そして、最初に私たちが入れなかった防空壕は扉が開かず、何百という人たちが息もできず苦しみながら死んだ。

(語り)「ドブに入れ!」誰かが叫んでいた。われ先に飛び込む。私もドブに飛び込んだ。でも、3月と言ってもまだ雪が残る寒い夜。すぐに体がガクガク震え始めた。突然、後ろのほうで赤ちゃんの泣き声が聞こえた。振り返るとなんと赤ちゃんの頭巾が燃え、お母さんの背中で、もがき苦しんでいる。お母さんは水面に顔を伏せたっきり動かない。私は夢中で赤ちゃんに水をかけ続けた。でも、だんだん体全体の感覚がなくなってしまった。

♪ぼく生きていたかった おかあちゃんのおっぱい飲みたかった
ぼく生きていたかった おんぶや抱っこたっぷりされたかった
ぼく生きていたかった ともだちといっぱいあそびたかった
ぼく生きていたかった 学校に行って勉強したかった
ぼく ぼく ぼくたち

(語り)夜が明けようとしていた。私は家に帰るため橋を渡ろうとすると、そこには何百というたくさんの焼死体が積み重なっていた。黒焦げの死体、生焼けで泥人形のようになった死体。そこに小さな遺体に覆いかぶさろうとしているもう一つの遺体があった。きっとお母さんが子どもを火から守ろうとしたんだと思う。川にもたくさんの死体。水の表に出でいる死体は真っ黒、沈んでいる死体は焼けずにいた。凍死した人もいた。やがて煙がくすぶる焼け野原から太陽が顔を出そうとしていた。

♪空が燃えた 町が燃えた
人が燃えたあの日
大地が燃えた 川が燃えた
いのちが燃えたあの日

(引用・参考にした文献)
「あの日を忘れない 描かれた東京大空襲」(柏書房) 「語りつごう平和への願い 東京大空襲墨田体験記録集」(墨田区) 「路地裏平和のネットワーク」(再び許すな東京大空襲!反戦平和の集い実行委員会) 「東京大空襲」(岩波書店)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

抱っこ通信692号 つながりあそびコンサートでこだわっていること

2016年03月08日 | 抱っこ通信
先週金曜日と今日は新潟市の保育園でのつながりあそびでした。
新潟への移動の途中でも楽しみはたくさんあります。特に食べることですが。
その一つは関越道下りの赤城高原サービスエリアで売っている「かりんとうまんじゅう」です。
最近では「かりんとうまんじゅう」は全国各地で売られていますが、私が最初に食べたのが赤城高原SA。
但し、上りのSAで売っているものは私の口には合いません。下りに限ります。
かりんとうと饅頭のうまさの見事な合体です。
あのかりんとうの硬さがたまりません。中のあんの甘さがたまりません。
6個入りを3日に分けて食べています。


もう一つの楽しみは、関越道上りの越後川口SAのレストランで食べる「小千谷へぎそば」です。
特に、今日みたいに午前中子どもたちと遊んで、うがいだけをして喉がカラカラ状態で、おなかがすいている昼食でへぎそばを食べたときは最高です。
のど越しがたまりません。ふのりをつなぎで使った蕎麦とつゆとの相性がバッチリです。
もちろん、小千谷インターチェンジでおりて、市内のいくつかの有名店でも食べていますが、SAのレストランの「小千谷へぎそば」が自分の口に合っています。
「小千谷へぎそば」には天ぷらも欠かせません。



つながりあそびコンサート(あそびの会)でこだわっていること

さて、今日は新潟市の山五十嵐保育園で、すみれ組(年長さん)親子つながりあそびコンサートです。
「このコンサートは、もう15年続いているのでしょうか。ピカリンさんの歌やあそびやおしゃべりの中で、私たちの保育園が大事にしていることがたくさん出てきます。だから毎年毎年お呼びして、最後に親子で楽しい時間をつくっているのです。」という園長先生の挨拶後、いきなりの『元気いっぱい』で挨拶歌から親子つながりあそびコンサートが始まります。

楽しいから面白いからが一番でしょうが、それだけでなく、保育園の保育の中で大事にしているものが作品や姿勢にあるから呼んでくれている、ということが嬉しいです。

私の場合は、あそびの時は、事前にプログラムの組み立てはしません。
子どもたちとつくりだしている雰囲気を大事にしているというか、子どもたちが次は何かなという気持ちを大事にしながら遊んでいきます。

でも、つながりあそびコンサートが終わった後にプログラムを振り返ってみると、単なる見る、聞くというものはあまり出てきません。
もちろん、見ること、聞くことが、消極的な活動というわけではありませんし、一方通行というわけではありません。
つながりあそびコンサートを一緒につくっていこうね、今日は一人ひとりが、君が主人公だよ、という思いを子どもたちに伝わるように作品を並んでいます。結果としてですが。

私が舞台上で、子どもたちが客席でという発想もありません。
もし舞台があるとしたら、正面が舞台になる場合もあるし、ホール全体が舞台になる場合もあります。
子どもたちと同じステージ上で、同じ高さでいっしょにあそぶ、うたう、おどる、おしゃべりすることを大事にしています。
姿勢も思いもそうですが、実際にです。
ですから階段式の座席のあるホールでのつながりあそびコンサートが苦手です。動きも制限されますからね。

人数が多い場合はマイクなどを使いますが、スタンドは使いません。
私の場合はピンマイクをつけて子どもの中にどんどん入っていきます。
みやちゃんの場合はマイクなしで子ども中に入っています。
からだの中にアンプがあるみたいです。悔しいくらいに声が届いています。

親子の場合は、手をつなぐや抱っこやくすぐりっこジャンケンなどもたくさん出てきます。見つめ合いもあります。
結果として親子で笑いあっています。ふざけあっています。
もちろん、そういう姿が見られない親子もいる場合もあります。
できるだけ、普段の生活での親子関係と、もう一歩踏み込めた、距離が近づいた親子関係がみられると嬉しいです。

また、家族単位で遊びあうこともありますが、家族を単位に全体で関わり合うことを大事しています。

最後はなんとなくですが、テーマのようなものを大事にしています。あくまでも、ようなものですが。
今日の山五十嵐保育園での親子つながりあそびコンサートでは、まずは楽しいをいっぱいつくろうということ。
保育園生活も楽しかったと思うけど、小学校生活も楽しいよ、を伝えられたらと考えていました。
失敗したってあきらめないでね、というメッセージもです。
そして、君のお父さんやお母さんは、君のこといっぱい好きだからね、といことも。
保護者には子どもたちへのメッセージは親にも向けていますが、これからもたくさん子どもたちに抱かれてくださいというメッセージです。

こういうメッセージを言葉に出してという場合もありますが、あくまでもつながりあそびを楽しむ中で伝えられたらと思っています。
本当のところ、こういうメッセージも事前に考えていたことではなく、あそびながら考えがまとまってくるというか、そんな気になってくるというか、子どもたちに親さんたちに教えられるというのが本当のところです。子どもたちや親さんたちがつくりだしてくれているのですね、そういうのがテーマなのかなとも考えています。ま、そんなもんです。



写真は先週金曜日と今日の越後川口SAで、ほぼ同じ場所を撮影したものです。確実に春はそこまで来ていますね。
前号の抱っこ通信の号数を間違えてしまいました。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

抱っこ通信681号 大好き焼きそば

2016年03月07日 | 抱っこ通信
今日も岩室温泉です。1~3月はどこも温泉地は閑散期に当たるのでしょうか、空いています。宿泊費もかなり安い設定となっています。岩室温泉のほとんどの旅館に泊まっていますが、今は今日宿泊している旅館です。ともかくゆっくりのんびりできるのが嬉しいです。今日も「お帰りなさい」と言ってもらいました。


話は変わりますが、焼きそばが大好きです。食べるのも調理するのもです。
今、はまっているのが、地元東久留米の蕎麦屋さん小川家さんの焼きそばです。
生中華麺を茹でての焼きそばです。どうってことはないのですがうまいです。
自分でも蒸し麺ではなく、生麺を茹でて色々味つけて、自分の味を出すことに苦心しています。
素人の悲しさです。作るたびに味が変わったしまいます。これはこれで楽しいですが。


焼きそばを食べるのなら、私が薦めるのは、練馬駅前の小姑娘の野菜焼きそばです。
今から49年前、私が10歳の時にはじめて食べた焼きそばです。
ご主人が19歳でお店を開いた小姑娘では、当時は珍しかったカウンター前での調理でした。
真っ赤な炎が立ち上がる調理の光景に、10歳の私はビックリ、魅せられてしまいました。
麺も初めて見る太め麺。うまいです。野菜もたくさんで焼きそばというか炒めそばになるのかな。
中学生の頃は1週間に1回は食べていました。今は月1回食べに行ければよい方です。なかなか行けません。
初代も亡くなり、息子の代になって、少し味が変わったように思いますが、食べる私も年齢を重ねているので、私の舌も変わってきているでしょうから、それはそれです。自分にとってはうまいにかわりないですから、時間あれば通いたいです。

公務員時代、職場の仲間たちと美味の会という食べ歩きのサークルを作って、給料日に美味しいものを食べに行っていました。私の担当月に小姑娘に行きましたよ。おいしいと大好評でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

抱っこ通信690号 私に、そして私たちにできること

2016年03月06日 | 抱っこ通信
夢わかばプロジェクトコンサートから早くも1週間が経過してしまいました。保育園の子どもたちから私たちと同世代まで、当初予定していた椅子が足りなくなる約150人の参加で「3.11を忘れない」の思いを改にしました。

一部は全レク一座と私と小江戸トリビュートバンドのステージ。

二部は佐々木洋子さんと仲間たちのステージでした。
佐々木洋子さんのステージには、昨年自主出版したCD『ぼくら太陽の子』のレコーディングに参加してくれた、東久留米の保育のうたごえ“こんぺいとう”の仲間や保育園の卒園児や保護者、全レク一座や合唱を指導してくれた塚野さん、そしてレコーディングでギターを弾いた那須さんたちが参加してくれました。

コンサートを重ねることによって、新しい出会いもたくさんありました。
今年も小江戸トリビュートバンドの仲間たちと出会いました。
うた仲間としてうた活動の情報などはあったものの、はじめてステージを一緒することや打ち上げの場などで、その距離を一歩近づけたかなと思っています。感謝です。

音響では、音助の平尾さんに担当してもらいました。少しずつ、この輪を広げていけたら嬉しいです。

佐々木さんのステージでは、3.11当日での東久留米市の保育園の出来事を一つ知りました。
都心で働いている保護者さんたちが交通機関の混乱で、子どものお迎え時間が日をまたごうとしていたということでした。
被災地の保育園では、3日後になって、やっと保護者の方が迎えに来られたという話などは聞いていましたが、東久留米でも大変な状況だったんですね。待っていた子どもたち、保育士たちはどんな思いで待ち続けていたのでしょうか。

出演してくれた子どもたちは、最終練習日に子どもたち自身が発案してくれて、ダンスを創作したり、アレンジや演奏やCD制作で中心になってくれたシモシュが、2回も練習会に参加してくれたりと、たくさんの仲間たちが佐々木さんのステージを盛り上げてくれました。

会場には、元保育士のIさんの家族で作ってくれた「3.11を忘れない」と書かれた小さなくす玉飾りが50以上も飾られ、被災地の保育園周りをした様子が掲載された岩手県保育連絡会の機関紙『Hand&Heart』も拡大して張り出しました。

私のステージでは夢わかばプロジェクトの取り組みと、昨年、訪れた保育園での子どもたちの印象や復興状況で感じたことを少し話させていただきました。参加してくれた一人ひとりが「3.11」をその人なりに受け止めてくれた嬉しいです。

今回のコンサートのチラシには「・・・今も私たちにできることはあるはずです。『3.11を忘れない』を合言葉に、そのできることを一人ひとりが考え、行動に移したいと思います。このコンサートがその一つのきっかけになれば、と思います」(全レク一座、大ちゃん作成)と書かれています。改めて、ここから、です。

来年の夢わかばプロジェクトコンサートは、2017年3月5日の日曜日に、今年同じ会場で開催します。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

抱っこ通信689号 安否確認?で遊びに行ったよ

2016年03月05日 | 抱っこ通信

昨日(4日)は新潟市の鎧郷保育園で子どもたちと遊んできました。
もう何年通っているのでしょうか?最初の頃は夜に親子で遊んで、最近は子どもたちと乳児・幼児と別れて遊んでいます。
理事長さんとはもう40年近く、園長先生をはじめ中心メンバーとは30年前後のお付き合いです。
ですから、年一回、お互いの安否を確認するために遊びに行っているのかな?ま、全国合研でも顔をお見かけしていますが。

今回、鎧郷保育園に遊んでいて改めて感じたことは、乳児しても、幼児にしても子どもたちが安心しきっていることです。
ですから、しっかりと私たちに向かい合って遊んでくれていることが伝わってきます。
もしかしたら、私たちと先生たちとの関係を子どもたちはしっかり見て、感じているのでしょうね。
子どもたちは、先生たちもピカリンと仲良しだから、ゆったりしているから、いつもの自分そのままでいいや、と思ってくれているのでしょうかね。

乳児さんで最初にホールに集まったのはすずめさん(1歳児)。
またまた口から出まかせに♪すずめさん おはよう ちゅんちゅんちゅんちゅん 泣いてます すずめさん おはよう 今日も一緒にあそぼうね♪と歌い始めました。先生たちには「一回一回、歌が変わるかもしれないからしっかり覚えてね」なんて無責任なことを言いながらです。

何回か繰り返していると、あひるさん(2歳児)が到着。乳児さんたちはホールと別棟の部屋で生活しています。
そこで、すぐに♪あひるさん おはよう がーがーがーがー 泣いてます・・・♪と歌い出したのですが、この♪がーがーがーがー♪に反応する子が数人、面白いね、とばかり友だちと顔を見合わせてゲラゲラ笑っていました。
一番遅く来たひよこさん(0歳児)にも♪ぴよぴよぴよぴよ♪と歌いました。

最後は先生ともあいさつ。
「先生は、なんて泣くの?」の子どもたちに聞いてみたのですけど、返事なし。そこで♪先生 おはよう にこにこにこにこ 笑ってる 先生 おはよう 今日も一緒にあそぼうね♪と歌詞を変えて歌いました。
♪笑ってる♪の歌詞でもう一度三クラスを回ってあそびが始まりました。

『だるまさんが』『だるまさん大変身』の展開が面白かったです。
『だるまさん大変身』では最初はペプサートで、次は生うたで、最後はCDで三回も歌い踊りました。
毎年の新しいCDを保育園にはプレゼントしていますので、そのCDを使ってのあそびも紹介しなければね。
45分間遊んだあとは、幼児さんと1時間遊びました。
乳児さんの遊んでいる姿をホールの隅で見ながら出番を待っているのですから、すぐに始めめなかれば。

卒園式が26日ということなので、今回は追い出しコンパ的なあそびの会の内容にしましたよ。
『でんしゃにのってゴーゴーゴー!』では近くのクラスの友達と二人組であそび、次の『トンネルトンネル』でひばりさん(4歳児)とこばとさん(3歳児)に二人組のトンネルとつくってもらい、その中をかもめさん(5歳児)がくぐっていきました。♪トンネルトンネルおめでとう♪とか歌いながらです。

次は『落とし穴』。これも最初はひばりさんとこばとさんで一つの輪っか(落とし穴)になって、その中からカモメさんが逃げ出すというルールで遊びました。落とし穴役を交代しながら遊んだあとは、子どもたちがお待ちかねの『ダルビュッシュ』。子どもたちの張り切りぶりは嬉しいです。子どもたちのいろいろな姿が見えて、私も子どもたちと真剣勝負です。

最後に『生まれてきた』を先生のリクエストで歌いましたが、「卒園式のように泣く日には、もう少しキーが低いといい」と嬉しい指摘を受けました。納得です。
1時間では物足りないのか、子どもたちは名残惜しそうに私たちとタッチや握手をして部屋に戻っていきました。

そう言えば、鎧郷保育園には、ゆずりんも、まっちゃんも、研究所に入ってきた1年目に、一緒に行って遊んだのでした。
ゆずりんの『アメアメフレフレ』で踊るが懐かしいし、まっちゃんのスマートだった姿が信じられないです。
今回、大吉つぁんと一緒に行けなかったのは残念でした。
保育園には、年度が変わったら修行の旅に来ますのでよろしくとは伝えておきました。

今年は保育園のまわりの田んぼには雪が見あたらず。陽ざしもすっかり春の色をしていました。
写真は、越後川口サービスエリアで。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

抱っこ通信688号  25周年で大事にしていること

2016年03月02日 | 抱っこ通信
先週の金曜日から腰の痛みがきつくなり、それなのにその夜は温泉に3回も入ったりして、一層痛みが増してしまいました。
かかりつけのお医者さんから、腰が痛いときはあたためてはダメ、風呂もシャワーにしなさいと言われていました。少し体調がよくなると忘れてしまうのです。きっとお医者さんは「困ったもんだ」と思っているに違いないですね。


2月27日(土曜日)は、そんな絶不調の中で、2016年全国青年つながり学習会(通称、青年会議)に参加しました。28日に夢わかばプロジェクトコンサートを地元、東久留米市で開きますので、私に求められた「つながりあそび・うた25周年で大事にしていること。そして未来へ託す夢、青年に期待すること」を話させてもらって、すぐに帰京しました。

最初に青年たちに贈る歌として『笑って笑って笑って』を一緒に歌いましたが、そこまでは予定していた通りでしたが、歌っている途中で、痛みもあったり、前夜あまり寝られなかったこともあったりで頭がボーッと、心臓はドキンドキン状態で、最初に話すべきことをすっ飛ばしてしまいました。

最初に話さなければならなかったことは、私が25年間大事にしていたことは、つながりあそび・うたを通して楽しさを創造し、広げることということと、仲間を増やすことでした。楽しさとは生きる楽しさです。保育の楽しさです。子どもらしく育ちあう楽しさです。

いま、生きる楽しさが、保育の楽しさが、子どもらしい育ちが奪われています。本来、生きるって楽しいはずです(大変さもありますが)。
本来、あそびって楽しいものです。ですから、人類の歴史も、あそびの歴史=文化もあるのです。その楽しさを発展させ、取り戻すためにつながりあそび・うたを創造し、広げてきたのです。

最初から抵抗する、言葉を変えれば変化しつつ、発達する、進化しつつあるあそび・うたです。
ですから、時代が変わっても生きていくためには必要な文化です。

私はつながりあそびの楽しさは、(生きる)楽しさを奪うものに立ち向かう楽しさと考えていますが、その楽しさを仲間たちに広げていくのを青年たちに期待しているのです。

このことを話さないまま、いきなり抱っこ通信666号でも書きました、今の私にとっての一番の興味のある、そして問題意識がある「楽しい」とはなにかという話に入ってしまいました。
「楽しいとはなにか」なんて、本来は哲学の領域なのでしょうが、具体的なつながりあそび・うたの活動でそれを考えてみようと思っているのです。
現段階ではまったくまとまっていない状況で、難しい話をさらに難しく話してしまいました。参加者には大変申し訳なく思っています。でも、自分にとっては、いろいろな発見もありましたので、少しずつ整理して、深めていきたいと考えています。

私の問題意識としては、もし、人類の歴史が、いのちの営みが、人類の解放と自由の獲得であるならば、一人の人間としての楽しさとは、人類の歴史といのちの営みがある楽しさとなるはずだという仮説から出発しているのです。
老後の、これからの楽しみとしていろいろ考えてみたいです。

それにしても、青年会議が青年自身により昨年に引き続いて開かれたこと、昨年よりも多くの参加者を得たこと、青年同士のつながりを強めたこと、新たな課題(青年会議を広げる、深めるなど)を見つけたことなど、嬉しいことがいっぱいでした。ありがとうです。




つながりあそびを一番楽しんでいました

3月1日 潮来市延方幼稚園親子つながりあそび
4年前に一回、もう一つの幼稚園と合同の親子つながりあそびを開きましたが、I園長先生(非常勤)と同僚のM先生(非常勤)が今年度最後ということで遊びに行ってきました。

二人とも、約20年前位に某出版社の夏の実技講習会に参加して、初めてつながりあそび・うたに触れて以来からつながりあそび・うたのファンだそうです。機関紙の読者になってくれたり、サマー・カレッジに参加してくれていました。

一時、連絡が途絶えた時もありましたが、数年前の夏のつながり保育講座で復活、職員研修で、職場の職員全員で夏のつながり保育講座に参加してくれた年もありました、平和コンサートにも参加してくれたり、茨城県の東部地域の幼稚園教諭研修会にもお呼びいただきました。つながりあそび・うたをこよなく愛する仲間たちです。最後の感謝の意味も込めて親子で遊んできました。
もちろん、この日もつながりあそびを一番楽しんでいたのはお二人でした。ありがとうです。



今日は、卒園記念として『夢わかば』の絵本を贈ってくださる園の子どもたち一人ひとりに、サインとメッセージを書きました。
もうそんな時期になりました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

二本松はじめスケジュール 3~8月更新

2016年03月01日 | 抱っこ通信
【2016年3月二本松はじめスケジュール】

1日(火)pm延方幼稚園親子つながりあそびコンサートin潮来市
4日(金)am鎧郷保育園つながりあそびコンサートin新潟
8日(火)am山五十嵐保育園親子つながりあそびコンサートin新潟
16~18日 レコーディング
20日(日)★am岸和田市保育運動連絡会親子つながりあそびコンサート
23~25日レコーディング
26日(土)pm学校法人多摩川学園&きたはら学園等合同職員研修会
27日(日)★pmぞうれっしゃがやってきたコンサートゲスト出演in大阪SAYAKAホール
31~1日 つながりあそび・うた研究所春会議


【2016年4月二本松はじめスケジュール】

7日(木)ni名古屋短期大学保育セミナー
8日(金)am桜花学園大学保育セミナー
9日(土)pm鹿児島療育ツアー第7弾蒲生町久根市子ども発達支援センター(予)
10日(日)am&pm鹿児島療育ツアー第7弾阿久根市子ども発達支援センターこじか
17日(日)★全日本レクリエーション・リーダー会議40周年を祝う会
20日(水)pm板橋区教研児童文化部
24日(日)★奈良レクリエーション学校in奈良市
29日(金)★第20回ピカリン&ユズリン&なのはなスプリングカレッジin 西成区民センター


【2016年5月二本松はじめスケジュール】

1日(日)★三多摩メーデー
3~4日★関西レクリエーション学校
8日(日)★pm広島ツーユーレク学校
11日(水)★pm中央市田富中央児童館つなあそびコンサート
15日(日)★フレッシュ・リフレッシュセミナー思わずからだが笑っちゃうin墨田区
21日(土)pm福知山市民間保育園研修会


【2016年6月二本松はじめスケジュール】

2日(木)★合研プレ企画in松江市
3日(金)★合研プレ企画in出雲市
4日(土)★合研プレ企画in島根県鹿足郡
5日(日)★合研プレ企画in米子市
10日(金)★ni平和コンサート7070in中津川市
11日(土)pm泉佐野市保育士研修会
12日(日)★pm兵庫保育を考える集いin神戸市
13日(月)pm大阪市私立幼稚園連合会南地域研修会
17日(金)ni東近江市保育士会研修会
23日(木)徳山中央幼稚園年齢別親子つながりあそびコンサートin周南市
25日(土)pm三原市保育士研修会
26日(日)★サマー・カレッジin大阪


【2016年7月二本松はじめスケジュール】

2日(土)★サマー・カレッジin神戸
3日(日)★サマー・カレッジin神戸
9or10日★サマー・カレッジin関東
12日(火)小鈴幼稚園親子つながりあそびコンサートin埼玉県三芳町
16日(土)★サマー・カレッジin愛知
17日(日)★サマー・カレッジin愛知
23日(土)★サマー・カレッジin福井
24日(日)★サマー・カレッジin福井
30日(土)★サマー・カレッジin京都
31日(日)★サマー・カレッジin京都


【2016年7月二本松はじめスケジュール】

5日(金)★陽だまり保育園平和コンサートin栃木県高根沢町
7日(日)★サマー・カレッジin静岡
13(土)★サマー・カレッジin関東(東京)
14(日)★サマー・カレッジin関東(東京)
20日(土)★全国合研in松江市
21日(日)★全国合研in松江市(実技講座)
22日(月)★全国合研in松江市
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする