すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

記憶―かぐや姫の物語(6)

2019-01-31 14:24:43 | 音楽の楽しみー楽器を弾く
 彼女は、雲の上から振り返る。彼方に青く美しい地球が浮かんでいる。
 その情景が、彼女の心になぜだか引っかかる。何かそこに大切なものがあったように思う。そこに何か残して来たものがあるように思う。それが何なのかは、今の彼女にはわからないが、思い出さなくてはいけない何かだったように思う。
 これは驚くべきことだ。
 地上での記憶を忘れてしまうという天の羽衣を着せられたにもかかわらず、彼女は記憶の全てを失くしてしまったわけではない!
 このことは、彼女がかつて月の世界にいたときに会った天人のことを考えれば、いっそう明らかだ。その天人は、かつて過ごしたことのある地上の世界のわらべ歌を覚えている(いつの時点かで、思い出した)。そしてそれを口ずさみながら、涙を流す。
 その天人が、自分を育ててくれた人、心を通わせた人、地球の四季の美しさ、などを具体的に思い出しているわけではないかもしれない。しかし、空にかかる青く美しい地球を見上げながら、天人の心は悲しみにあふれている。そこに何か、自分の心をひどく悲しくさせるもの、ひどく懐かしいもの、があったことを思い出しているのだ。そして、その地に帰りたいと思っている。  
 帰りたいと心から思っているからには、わらべ歌を歌っているうちに、その歌のうたわれたシチュエーションの一部ぐらいは思い出しているのかもしれない。養い親のことぐらいは思い出しているかもしれない。
 …そうすると、かぐや姫も、記憶が完全に失われたのでない以上、青い地球という手掛かりがある以上、これから少しずつ思い出すことになるだろう。そして、そこが、ありありと見えているのにもかかわらず、決して再び行くことができない場所であることに、胸塞がれるに違いない。
 彼女は、月の世界でやがて結婚するだろう。自分も子供を育てる人になるだろう。それでも、地球の美しい夜には空を見上げて泣くだろう、幾夜も幾夜も。
 彼女が月の世界で送らなければならないのは、そういう生活だ。

 最後に、アニメ版で迎えに来た天人の“王”に彼女が叫ぶ言葉を記しておこう。「かぐや姫の物語」の全体は、この言葉のためにこそある、と言ってもいい。
 「喜びも悲しみも、この地に生きるものはみな彩りに満ちて(いるのです)」(終)
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別離―かぐや姫の物語(5)

2019-01-29 13:29:35 | 無いアタマを絞る
 八月十五夜が近づいてくる(むろん、満月だから旧暦だ。今年なら、9月13日)。
 「かぐや姫の物語」の姫は、御門が去った後、泉殿で月を見上げては泣くようになった。「竹取」では、御門と心を通わすようになってから3年ほど経った春の初めから。
 そのわけを姫が話し始めると、どちらの翁も仰天し、激しく反発する。それに対し、「かぐや…」での姫は、「もう何もかも遅すぎるのです」と繰り返して嘆くだけだ。彼女は、運命をそのままに、悲しみのうちに受け入れようとしているように思われる。行かねばならぬことの悲しみ。
 「竹取」の姫は育ての親と別れなければならぬ悲しみを繰り返し、心細やかに表現する。ここの部分の、翁・媼に掛ける姫の言葉は(思いは)まことにやさしく温かく、読む者の心を打つ。
 貴公子の求婚に対する拒絶までの姫は、あんなに冷たくそっけなく、彼女が月に世界から来たことをあらかじめ(昔話などで)知っている読者は、「月に世界には悲しみや憂いは無いのだそうだが、姫には温かい感情というものすらないのではないか」と思っていたのだが。
 ここの言葉がどれほど思いに満ちたものか、そのいくつかを見ておこう。

 「これまでかけていただいた御情愛の数々をかみしめることもできずにお別れしなければならないのが残念です」
 「お二人のお世話をほんの少しもいたしませんままに帰らなければならない道は、心残りで辛い道でしょう」
 「お二人のお心ばかりを苦しめて去ってゆくことが悲しく耐えがたく…」
 そして、極めつけ。
 「(月の世界には老いがないといいますが、それすらも嬉しくはありません。)お二人が年老いて体も衰えて行かれる、その姿を見守ってお世話して差し上げられないことがいちばん心残りで、(月の世界に帰ってからもいっそう)お二人を恋しく思うことでしょう」 
 この情愛の表明は、「かぐや…」の方にも欲しかった。
 
 この情愛とは別に、「竹取」でひとつ注目すべき点がある。姫が「月の世界に父母がいます」と言うこと。
 姫の彼の地での身分の高さ(迎えに来た天人の中の王と思われる存在が、姫に敬語を使っている!)から考えて、養い親ではなく、血の繋がった親だろう。とすれば、彼の地でも人は成長し、結婚し、子を産み、育てる。
 ということは、姫の「老いもなく憂いもありません」という言葉にもかかわらず、天人も老いるということだ。  (憂いについては、あとで考える。)
 迎えに来た天人がどんな様子をしているか、「衣装の美しいこと、比べるものとてない」としかわからないが、「かぐや姫の物語」を仮に参考にすると、“天の王”に相当すると思われるものは、無表情で、如来像のようで、なんだか不気味な存在だ。「天には感情がない」ことの象徴のようだ。
 ぼくたちが思い出しておくべきは、“天”は、仏教徒が憧れるこの世とは別の彼方の地、極楽浄土、とは違う、ということだ。人間界を含めた六界、六道輪廻のめぐりあわせの中にある。天人も老い、滅ぶのだ(「天人五衰」)。そのことについては、この世との違いは時間の長さに過ぎない。
 姫がこの世の恩愛や喜び悲しみのすべてを捨てて帰らねばならないのは、そのようなところだ。虚無の不毛の空間ではないにしても。
 
 さて、姫は羽衣を着せようとする天人をおし留め、翁と媼に手紙と衣装を残し、先に書いたように御門に手紙と不老不死の薬を残して去っていく。
 「かぐや…」では、月に向かう雲の上から、彼女はいちど振り返る。彼方に青く美しい地球が浮かんでいる。姫は、何かを思い出そうとしているように見える。このラストは、大変美しい。

 ぼくは、「竹取」と「かぐや…」を通してみて、前半は「かぐや…」に、後半は「竹取」に、心を惹かれる。ラストは、上記のシーンのため、再び「かぐや…」に軍配を上げたい。
 だが、もう少しだけ、付け加えるべきことがある。(明日はハイキングなので、明後日。)

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心の通い合い―かぐや姫の物語(4)

2019-01-27 21:54:28 | 無いアタマを絞る
 ここまでのところ、ぼくが「竹取」より「かぐや姫の物語」を圧倒的に好んでいるように思われるかもしれない。ここからは…そうとは限らない。

 五人の貴公子が失敗した後、御門が登場する。「かぐや…」で姫に言い寄る御門は、自信過剰でナルシストで、顎ばかりが長い、まことに嫌味な男だ。この国の女はすべて、自分が口説きさえすれば喜んで身を任せるものと思い込んでいる。そして、口説きに失敗したのちはさっさと帰ってしまってそれきりだ。
 「竹取」を見てみよう。
 御門は同じように部屋に忍び込んで突然抱きすくめたりはするが、アニメの方ほど嫌味な性格ではない。そして彼は姫のもとを立ち去りがたくぐずぐずためらうが、けっきょく姫に歌を残す。姫もそれに応える。こうして、二人の交流が始まる。
 姫は御門の求愛をこそ拒絶はするが、(相手が最高権力者だということもあっただろうが)これまでとは違って丁寧な、心のこもった応答をする。彼女は「竹取」の全体を通してはじめて、翁・媼以外の人に心を開くのだ。二人の間ではかなりの頻度で(少なくとも四季折々)、情を込めた歌のやり取りが続くのだ。それは姫が月に帰るまで3年のあいだ続く。
 さらに注目すべきなのは、迎えが来て月に帰る間際になって、それを着るとすべてを忘れてしまうという羽衣を着せようとする天人を押しとどめて、御門に手紙を書くことだ。求婚を拒絶したまま立ち去ることの心残りを書き、「羽衣を着るときになってあなたへの思慕の情をしみじみと感じます」と書き、不老不死の薬さえ手紙に添える。
 姫が、相手が最高権力者だからという理由だけで文をかわしていたのなら、最後はさっさと立ち去ってしまえばいいわけだ。最後の手紙と不死の薬は、姫の御門との心の通い合いが儀礼的なものでなく本物であったことの証拠だ。
 アニメ版はこの御門との交流のエピソードを取り上げて深めて欲しかったと思う。その理由はあとで書く。
 アニメ版で代わりにあるのは、幼な馴染みの捨丸との逃避行の幻想だ。高畑監督は、月の世界に帰るという必然の制約の中で、姫に最後にこの地上での最高度の幸福感を味合わせてやりたかったのだろうか。
 でもそれは幻想にすぎない。姫は、自分がけっきょく宿命から逃れられないことを知っている(とちゅうで思い出す)。それに捨丸はこの時点ではすでに妻も子もいる、一緒に逃げることなどはできない相手なのだ。
 「竹取」では、姫がいつ自分の運命を知ったのかは書かれてはいない。「かぐや…」では、「御門に抱きすくめられた時、思わず月に助けを求めて心の中で叫んでしまった」と言っている。月に帰る直接のきっかけになった出来事を示そうと思ったら、御門は上記のような扱いにせざるを得ないだろう。
 だが、さっき書いたように、むしろ御門との心の絆を描いてしかも深めてほしかった。
 なにしろ「竹取」ではこの部分で姫は初めて、求愛とか男と女とかいうものから離れて、また、親子の情愛とも違う、他者との相互理解を得ることができたのだ。
 そして前回書いたように、「かぐや…」が、生きづらさに苦しむ若い女性を描いた物語という現代的意味を持つ作品であるとすれば、その彼女が月の世界に帰らずにすむ、すなわちこの世界に留まってここで幸福に生きることのできる、唯一の可能性は、他者と心の触れ合いを得ることができ、そこから信頼関係を築くことができ、そこで心の底からの安心を実感することができる、というところにあるはずだからだ。
 月に世界に帰るという物語の前提は崩せないにしても、救済の方向性ぐらいは示せたのではないだろうか。
 なんなら相手は別に御門でなくてもいい。原作にない人物でもいい。それとも、捨丸がそれだというのだろうか? それはヴァーチャルすぎるだろう。
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母性―かぐや姫の物語(3)

2019-01-26 14:17:15 | 無いアタマを絞る
 「竹取」では、媼はほとんど何の役目もしていない。
 翁が姫を家に持ち帰って、「妻の媼にあずけて養なわせる」とあり、あべの右大臣が皮衣を持ってきた時に「『今度はきっと姫が結婚を承諾するだろう』と媼も考えた」、とある。いちばん詳しく出て来るのは、御門の使者の来訪の場面だ。ここは媼が使者に応対し、姫に取り次ぎ、 姫の拒否を聞いて「『自分のお腹を痛めた子のように思っているのに、なんてそっけない』と思うけれど、強制もできないのでそのまま使者に伝える。あとは、天人たちが来る時に「かぐや姫を抱いて納戸に隠れた」とあり、納戸がひとりでに開いて姫が出た時、「止めようがないので仰ぎ見て泣いた」とあるだけだ。
 「かぐや姫の物語」の媼は、はるかに重要な働きをする。姫を育て、悲しむ彼女を繰り返し繰り返しそっと抱いて慰めてやり、心の拠りどころになり、一緒に喜んだり悲しんだりし、姫の心がわからない夫を非難したりする。
 ここは、アニメが「竹取」と大きく異なるもうひとつの点だ。全編を通して、姫がこの地上で生きてゆくのに不可欠な母性の役割を媼は務めきる。
 もう少し詳しく見て見よう。
 そのことが一番よく示されているのが、初めの部分だ。彼女は、「育てるのは私です」「この子は私に育ててもらいたいのですよ」と翁に宣言し、あまつさえ、育てるために体さえ変化してお乳が出るようになる! 
 都に出てからは、心に沿わない生活を強いられる姫に機織りや糸紬ぎなど、昔からの女たちの、ある意味心の休まる手仕事を教え、「自分が貴公子たちを死なせたり不幸にしたりした」と嘆き悔やむ姫を「あなたのせいではありませんよ」と抱いて慰める。御門から求婚があったと有頂天になる夫には、「いい加減にしてくださいな、あなた」「あなたにはまだわからないのですか、姫の気持ちが」と非難する。ここはこの物語で唯一、媼が厳しい表情を見せるところでもある。
 また、姫が、月の世界に帰らなければならぬ、と告白することができないまま苦しむ場面では、姫を抱いて、「わたしにも打ち明けられないことなの?」とやさしく問う。これは、自分ならわかってあげられるはず、という信念がなければできないことだ。そう促されて初めて、姫は自分の運命を打ち明け始める。
 翁が姫を奪われないための手立てをはじめ、姫は悲しみに沈むときに、媼は姫に糸の輪を手渡し、自分はしずかに歌いながらその糸を巻き始める。これはぼくたちの年代ならたいていの人は母や祖母とやったことがあると思う、懐かしい行為だ。二人でなければできない、心通い合う、心休まる行為だ。
 さらに、「もう一度帰りたい」という姫の叫びを聞いて、媼はひそかに車を準備させる。姫が子供の頃を楽しく遊び暮らした、あの野山に帰らせるために。
 そのつどそのつど、我が子が苦しみ悩むときに、どうすれば最善かを、母性はちゃんと知っている。
 …それにもかかわらず、媼の母性は結局は報われない。姫はその宿命から逃れられず、翁と媼のもとを去ってゆく。
 これは、報われることのない母性の物語でもある。
 去らねばならぬ人の悲しみと、慈しみ育てた対象に去られてしまう人の悲しみ。
 …ここで身も蓋もないことをひとつ書く。 
 現代では、かぐや姫の物語は、この世界に生きにくさを感じて苦しむ多感な少女が、けっきょくはそこから完全に逃避してしまう、あるいは自らの人生を終わらせてしまう、そのアレゴリーの物語かもしれない。
 当人の苦しみは例えようもなく深いが、残されたものの悲しみも同じように深い。
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ジェンダー、生きにくさ―かぐや姫の物語(2)

2019-01-24 13:13:55 | 無いアタマを絞る
 姫の都での生活は、押しつけとそれに対する反抗から始まる。翁は、「都に上がって高貴の姫君となり、貴公子に見初められることこそが姫の幸せ」と信じ切っており、彼としては良かれと思って姫に押し付けることが姫を苦しめる。翁の考えは平安朝時代の貴族社会が持っていた女性の幸せについての固定観念の受け売りだ。固定観念の押し付けが強固であるほど、それを受け入れられない女性は苦しむことになる。
 躾と教養を教える係として雇われた女性「相模」も、「高貴の姫君は~するものではありません」と繰り返す。口を開けて笑ってはいけない。走ってはいけない。汗をかくようなはしたない真似はいけない…これは翁よりもっと具体的に、ジェンダー(社会的文化的な性差、男女の役割の差別)・バイアスとして、姫の生き方・行動・感じ方までを縛ろうとするものだ。
 姫は走り、笑い、圧力に対しては反抗し、怒る。そして一方で、媼と一緒に糸を紡いだり機を織ったりという、高貴な女のすることでない、女の昔からの日常的な営みに安らぎを得ようとする。
 彼女が断固拒否しようとするのが、眉を抜くことと鉄漿(おはぐろ)をつけることだ。彼女は、「高貴な姫君だって汗をかくし、時にはげらげら笑いたいことだってあるはずよ」「涙が止まらないことだって、怒鳴りたくなることだってあるわ」と言う。高貴な姫君について言ってはいるが、じつは男とか女とか、高貴とか庶民とかにかかわらず、人間ならば誰しもに共通な人間性の主張だ。人は感情を殺しては生きられないという主張だ。
 この、ひと続きに言われる前半と後半の語尾の差は重要だ。前半の「あるはずよ」は一般的な想像として言っている。後半の「あるわ」は、姫自身のこと、心の叫びだ。
 このあと、相模の「高貴の姫君はそんなことはしない」という言葉にたいして、「高貴の姫君は人間ではないのね」と叫ぶ。
 女だからという理由で時に非人間的な生き方を押し付けられる、あるいは、男性社会の価値観に服従・屈服させられて生きることの理不尽さ。それは、平安朝だけでなく、現代でもぼくらの周りにいたるところにあることだ。とくにこの国には(日本は、男女間格差の是正について、世界で最も遅れた国のひとつなのだそうだ)。
 「竹取」には、こういう場面は全く出てこない。「竹取」の姫は自分の境遇を受け入れているようだ。これは一昨日書いたことに並んで、「竹取」とアニメの最も違うところだ。
 「かぐや姫の物語」は、ここに光を当てることで、フェミニズムをテーマにした物語、単なるおとぎ話でなくきわめて現代的な物語でもある。

 この後に、5人の貴公子の求婚の話が来る。
 ここは「竹取」では全体の半分以上を占め、しかも5人のそれぞれには実在の人物を思わせる名をつけており、貴族の男たちの失敗とその滑稽さが作者の最も描きたかったところかもしれないのだが、アニメの方は上記のフェミニズムの視点を補い、裏打ちする部分と理解することができる。
 五人の貴公子のうち、「竹取」といちばん違うのは石つくりの皇子だ。原作ではいちばん初めに、いちばん軽く、どうでもいいように扱われている。
 アニメでは4番目に登場する。先の3人が金にまかせて、あるいは武力にまかせて目的を達しようとするのに、彼は言葉で篭絡しようとする。いちばんイケメンでもあり、プレイボーイでもあり、甘言に巧みだ。姫は一瞬その甘言に惑わされそうになる(「一緒に逃げましょう、ここではないどこかへ。花咲き乱れ、鳥が歌う、緑豊かな地へ」という言葉に惹かれたのだろう)が、媼の機転によって危機を脱する。
 フェミニズムの観点からは、ここは女性に自覚を促す部分だ。権力や財産の圧力は跳ね返せても、それだけではまだ危うい。女性が男性社会で従属的でなく自律的に生きるためには、かしこくなければならない。
 この後、5人目のいそのかみの中納言の死の知らせが届く。ここに至って姫は、初めて激しく自分の生き方を反省することになる、「みんな不幸になった。私のせいで。偽物の私のせいで。こんなことになるなんて思ってもみなかった」と。
 …生きづらさを感じている人は時に、「“ここではないどこか”に、自分がもっと幸福に生きられる場所がある」と考えてしまう。このように生きている自分というものを否定したくなってしまう。あるいは逆に、この世界が間違っていて、自分はこんな世界に苦しみながら生きていくような存在ではない、と思ってしまう。貴種流離感もここから始まる。
 ぼくもかつて、そのように思っていたことがある。でもいまでは、それは正しくないと思う。
 生き方を変えることはできる。住む場所を変えることもできる。社会をより良いものにしようと努めることはできる。それでも自分の境遇はなかなか変わらないだろう。でも、今のこの生とは別の生があるわけではない。ぼくたちはこの生のうちで、心を閉ざさないで、より良い生き方を考えながら生き続けていくしかない。喜びも悲しみも、ここにしかない。
 もしかしたらかぐや姫はこの時に、月の世界を呼び込んでしまったのかもしれない。
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流離―「かぐや姫の物語」(1)

2019-01-22 21:49:09 | 無いアタマを絞る
 この間から気になっていたので、ジブリのアニメ「かぐや姫の物語」のⅮⅤⅮを借りてきて見直してみた。あらためて心に沁みた。少し泣いてしまった。どうもぼくは、かぐや姫には思い入れが強すぎるようだ。
 何回かに分けて、思うことを書いておきたい。

 日本文学の古典「竹取物語」といちばん大きく異なる点は、アニメでは姫の都に出るまでの成長の過程、赤ちゃん時代、野山で木地師の子供たちと遊びまわる時代、を詳しく(およそ30分に渡って)情感豊かに描いていることだろう。ここがアニメの物語の肝でもある(「竹取」では「3か月で成人ほどの大きさになった」としか書かれていない)。
 ここがあることによって、翁と媼の姫に対する情愛も十分に描かれる(たとえば媼は、姫を育てるために乳さえ出るようになる)し、野山で思い切り笑い、遊びまわる姫の幸福感も十分に描かれる。ここがあるからこそ、都に出てからの姫の悲しみが胸を打つものになる。ここはまた、自然が美しい。季節が美しい。
 梅が咲き、鶯が鳴き、椿、タンポポが咲き、蝶が羽化し、コブシ、藤、ツツジが咲き、鳥が雛を育て、タケノコが育ち、ウリ坊(イノシシの赤ちゃん)が親のあとを走り、露草、アザミが咲き、梅の実が実り、ヤマセミが魚を捕り、セミが鳴き、ウリが実り、秋の虫が鳴き、満月が冴え、アケビが熟れ、枯葉が落ち、ヤマブドウが熟し、キジが飛び、キノコが採れる。アニメならではの美しい自然が移り行く中で、幼い子供であるかぐや姫は五感の全部で感じ、仲間を得、成長してゆく。
 「竹取」のかぐや姫は月に帰らなければならないと知るまでは悲しみを知らない。石上の中納言が死んだと聞いた時にわずかにあわれと感じるだけだ。情感は薄い人ではないかと思えてしまう。
 「竹取」は、いわゆる「貴種流離譚」で、これは古今東西の羽衣伝説、御伽草紙の「鉢かつぎ」、アンデルセンの「野の白鳥」や「人魚姫」、「みにくいアヒルの子」…などなど世界中に流布する、この世を生きる人間の生きるゆえの悲しみを表現した説話だが、アニメの「かぐや姫の物語」では、姫は二重の流離を生きなければならない。
 ひとつは月の世界から地上への流離だが、それ以前に、豊かな自然の中での何の曇りもない生活、仲間、子供の時の完全な幸福感からの流離。彼女が都に上がって、成人してまず味わうのはこの流離感だ。
 都で暮らすようになっても、男である翁は、そういう気持ちを全く感じていない。媼は、夫には黙って従うものの、屋敷の奥に小さな庭を持ち、土間を持ち、糸を紡いで機を織って、かつての暮らしを忘れないようにしている。姫はその庭に鳥や虫を見つけ、ミニチュアの自然をこしらえたりするが、それだけでは心を満たすことができない。
 だから、翁が貴人たちを招いて催したお披露目の宴の途中で癇癪を起こし、発作的に田舎に帰る(夢を見る)が、そこに見出すのは、かつての家には別の人が住み、懐かしい人たちは立ち去った後の、冬枯れの自然だ。   
 かつてそこで梅の咲く頃からキノコの実るまでの季節(その間に彼女は赤ちゃんから少女までを経験した)だけを過ごした彼女は、炭焼きに教えられるまで、春が再びめぐりくることすら知らない。そして、今はすべてが枯れてしまった季節だと知った時、失意のまま、都に帰って行き、いったんはそこでの生活を受け入れようとする。
 都での生活、季節など意に介さない人たちの中での生活自体が、流離だ。ここで思う。彼女の流離の悲しみがぼくたちの心を打つのは、それがぼくたち自身も知っていたはずの感情、あるいは、ぼくたちの心のどこかに無意識のうちに引っかかる感情だからではないかと。
 現代の都会に住むぼくたち、貴種ではないぼくたちも、自分をはぐくむ基盤であるはずの自然から離れ、幼年期の全的な充足感・幸福感から離れ、姫と同じに流離を生きているのではないかと。  
 彼女の悲しみは、それを感じる心さえあれば、ぼくたちの悲しみでもあるのではないかと。
 この物語はここで、ぼくがこのブログでたびたび書いていること(そこにこだわりすぎているかもしれないこと)とぴったり一致するのだ。
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南高尾

2019-01-20 22:11:12 | 山歩き
 人混みの高尾山口の駅から国道20号を渡って、ひっそりとした南高尾山稜に向かう。登山口にもう紅梅が花をつけている。二分咲きぐらいだ。その傍らの人家には、黄色な蠟梅が、こちらはもう満開だ。まだ一月半ばだが、まだ本当に寒い日々はこれからだが、それでももう春は始まろうとしている。
 15分ほどの急登で、尾根に出る。今日たどる道は花の時期にはスミレの大群落や下向きに白い花をつけるモミジイチゴの大群落の見られる道だ。むかしここでの自然観察会に何度か参加したことがある。今はまだ枯葉の道だ。
 右側の山並みの高いところに高尾本山の薬王院の建物を認めながら小さい上り下りを繰り返すと、左側にまことに無粋な有刺鉄線の柵が現れ、けっこう続く。何から何を護っているというのだろう。柵の向こう側はかなり荒れた谷だ。
 やっと柵が終わると、スタートから1時間半ほどで草戸峠の休憩所。左下に城山湖が見える。中学三年生たちと戸塚から境川をさかのぼって、あそこのダムの堰堤でお昼を食べていたら、急に真っ黒な雲が湧いてきて土砂降りの夕立になって、あわてて逃げたっけ。あれは別の世のことのように遠い思い出だ。
 少し行くと草戸山。さらに30分ほど行くと三沢峠。今度は左手眼下に津久井湖が見え始め、さらに西山峠を過ぎると、道標はないが右手後方に登ってゆく細い道があって、その奥に秘密の休憩所がある。
 秘密の、と言っても、人に知られていない、したがって人が来ない、という意味だが、今回は真新しいベンチとテーブルができていて驚いた。地元の篤志家が作ったに違いない。
 少し早いがここでお昼にする。正面に大山三ッ峰、その右に高取山、左に大山と、ヤビツ峠を挟んで三の塔が見える。陽当たりが良くて見晴らしが良くて人がいなくて、この場所はこのコースの大きな魅力の一つだ。
 元の道に戻り、山腹を巻きながら15分ほど進むと見晴らし台。ここは眼下に津久井湖とその周辺の集落、その向こうに丹沢山塊が見え、先ほどの休憩所より展望はさらに良いのだが、一列に並んだベンチは満員のことが多い。ぼくのパソコンの起動画面の富士山はここで撮ったのだったと思うのだが、残念ながら今日は見えない。
 さらに中沢山を過ぎ、コンピラ山、大洞山と、暗い植林と明るい雑木林の交互する道を上り下りを繰り返す。どちらにも気持ちの良いベンチがあって、休んでゆきたくなる。
 大洞山の少し先で右手に急に下ると道路が近づき、大弛峠に出る。ここまで休憩を含めて4時間30分。ここからいったん登り返す。日当たりの良い斜面に目をやりながら歩くが、まだ花は見られない。さらにほとんど水平に近い道をたどると、高尾山から城山に至る縦走路の中間に出る。
 人混みを避けて長い3号路を辿り、いい加減くたびれたころ薬王院の浄心門に出る。ここからは観光客の中だ。十一丁目茶屋でビールを飲み、リフトに乗る。お酒を飲んで乗ってはいけないのだが、ほろ酔いで乗るのが気持ちが良いのだ。ただし、今の季節は寒い。スタートから6時間40分、15:10に高尾山口に戻った。
 この冬は少し心臓がどきどきするし圧迫感があるのだが、山を歩いても大丈夫なようだ。ただし、心拍数を上げないように気を付けながら歩くので、ペースは上がらない。
 高尾山周辺はこれから、花粉症にはつらい季節に入る。
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「夜と霧」

2019-01-18 11:09:34 | 音楽の楽しみー歌
 昨日のついでに、ナチスドイツによるユダヤ人迫害を歌った、ジャン・フェラの歌。

彼らは二十人、百人、いや、何千人だった。
装甲された列車の中で、裸で震えていた。
爪を打ちつけて夜を引き裂いていた。
彼らは二十人、百人、いや、何千人だった。
  自分では人間のつもりでいたが、もう数でしかなかった。
  とっくの昔に彼らの運命のサイは投げられていた。
  上げた腕が再び下ろされると後にはもう影しか残っていない。
  彼らは二度と、夏にめぐり合うことはなかった。

逃避行は長く、単調だった。
あと一日、せめて一時間、生き延びること。
車輪はどれだけ回転し、止まり、また回ったか。
絶え間なく、わずかな希望を蒸発させながら。
  彼らはジャン・ピエール、ナターシャ、あるいはサミュエルという名だった。
  ある者はイエスに、あるいはイェホバやヴィシュヌに祈った。
  祈らない者もいた。でも何を信仰しようと彼らの願いはひとつ
  もうひざまずいたまま生きたくはないということだった。

旅の終わりに着かない者もいた。
生き残って戻ってきた者も幸せになれたろうか?
彼らは忘れようと努めた。そして驚くのだった、その年齢で
腕の血管がすっかり青く膨れ上がってしまったことに。
  胸壁の上でドイツ兵たちが見張っていた。
  月は口をつぐんだ、君たちが遠くを見ながら
  外を見ながら口をつぐんだように。 
  君たちの肉はやつらの警察犬には柔らかだった。

今、人々はぼくに言う、「もうそんなことに耳を貸すものはいない。  
恋の歌だけ歌っていたほうが良い」と
「血は歴史に組み込まれるとすぐに乾いてしまうのだ」と。
「(そんな歌を歌うために)ギターを手にしても何にもならない」と。
  でも、誰がぼくを思いとどまらせることができよう。
  いま、夏が再びめぐって来て、影は消えて人になったが、
  ぼくは必要ならばいくらでも言葉を紡ごう
  君たちが誰だったかを、いつか子供たちに知らせるために。

  君たちは二十人、百人、いや、何千人だった。
  装甲された列車の中で、裸で震えていた。
  爪を打ちつけて夜を引き裂いていた。
  君たちは二十人、百人、いや、何千人だった。

 日本でも、これくらいの歌が書かれて、それが大ヒットするくらいの文化的な下地があればよいのにね。それこそ、「恋の歌だけ」じゃなく。
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「インシャッラー」

2019-01-17 22:44:11 | 音楽の楽しみー歌
 友人からアダモの歌「インシャッラー」の意味について訊かれた。よく知られている日本語訳で勘違いしている人が多いと思うので、書いておきたい。
 まず、ぼくの直訳から。

夜空に浮かぶオリオン座を見た。
月がかかって(アラブの)旗のように見えた。
ぼくは四行詩でその輝きを
世界に向かって歌おうと思った。
でも、エルサレムを
岩の上のヒナゲシの花を見たとき
そしてその上にかがみ込んだとき
ぼくにはレクイエムが聞こえたのだ。
  地上の平和をつぶやく
  粗末な礼拝堂よ
  お前には見えないのか
  「危険・国境」の炎の文字が。
    道は泉に続いている。
    桶を満たしたいだろうが
    行くな マリー・マドレーヌ。
    彼らにはお前の体は
    水一杯にも値しない。
    インシャッラー インシャッラー
    インシャッラー インシャッラー

オリーブの木は自分の影を
優しい妻や恋人を思って泣く。
彼女は敵地に捕らわれ
瓦礫の下で眠るのだ。
  有刺鉄線の刺の上で
  蝶がバラを見ている。
  人々はあまりに能天気で
  ぼくが話しかけてもそっぽを向くだけ。
    地獄の神か天の神か知らないが
    お前は居心地の良さそうなところにしかいない。
    このイスラエルの地で
    子供たちは震えているのに。
    インシャッラー インシャッラー
    インシャッラー インシャッラー

嵐の中で女が倒れる。
血は明日には洗い流されるだろう。
道は女たちの勇気によってつくられる。
舗石ひとつに一人の女。
  そう ぼくは見た エルサレムよ。
  岩の上のヒナゲシの花よ。
  そしてその上にかがみこむと
  常にレクイエムが聞こえる。
    祀られるべき霊廟を持たない
    六百万の魂のためのレクイエム。
    その魂が 流れる砂の上に
    六百万本の樹を茂らせたのだ。
    インシャッラー インシャッラー 
    インシャッラー インシャッラー

 非常に強い語調で書かれているのに驚かれるかもしれない。ぼくの訳の語調が強いのではなく、アダモの元の詞が強いのだ。
 そして、これは反戦歌ではない。完全にイスラエル側に立った、いわば戦意高揚歌なのだ。そのため、中東戦争の時にはアラブ各国で放送禁止になったと聞く。
 「インシャッラー」はアラブ語で「アッラーの神の御心のままに」という意味だが、アラブ諸国でさえ、むしろ「わたしのせいではない。成るようにしかならない」という意味で使われる。例えばぼくの体験。アルジェリアを旅行していて、長距離バスを待っている。定刻になっても、何時まで経っても来ない。窓口に訊きに行くと係員が「インシャッラー」。ホテルで風呂のお湯が出ない。フロントに行くと「インシャッラー」。
 ぼくもシャンソンを始めたときにこの歌を習ったことがあるが、先生に「このインシャッラーはもっと祈りの気持ちを込めて歌いなさい」と言われた。とんでもない。イスラエル人がインシャッラーと祈るわけがない。アダモはこ こで皮肉を込めて、あるいは批判を込めてこの言葉を繰り返している。
あまりに一方的な歌だと思う。歌うのならそうと知ったうえで歌ってもらいたいものだ。
 ついでにいくつか補足:
「六百万」は、ナチスドイツによるユダヤ人虐殺の数。それだけの犠牲の上にイスラエルは建国されたのだと言っている。
「マリー・マドレーヌ」は、イスラエルでは一般的な名前。ここで、マグダラのマリアを喚起しているかどうかはわからない。
 水の少ない中近東やアフリカを旅すると、水桶を頭に載せた女たちや子供たちをよく見かける。水汲みは彼女らの日常生活を支える大事な仕事だ。ここでは、敵に捕まったら簡単に犯されて殺されてしまうよ、と言っている。 
 I Sなどに関するニュースを耳にすると、これがぴったりであるような気がしてしまうが、あれはイスラムの中でも原理主義的過激派の一部であって、イスラム一般ではないと信じている。
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「かぐや姫の物語」―昨日の補足

2019-01-16 21:29:20 | つぶやき
 ふと思い出した。昨日の文章と論理的につながりがあるわけではない。だから補足にはならないかもしれない。だが、昨日の文を書いたことでふと思い出したのだから、書いておくことにする。
 ジブリの高畑勲監督のアニメ「かぐや姫の物語」の中で、翁と媼に「自分は月の世界に帰らなければならない」と告げる場面の、彼女の苦悩の言葉。

 「…私は生きるために生まれてきたのに。鳥やけもののように。」

 わたしという命は、鳥やけものの命と異なるものではない。異なってしまうならば、安楽な華やかな生活であっても、幸福にはなれない。同じ生き方はできないにしても、彼らと親和性のある、自然の中での生活をこそ営むべきであった。そこでこそ、わたしはこの地上での限られた命の全体を生きることができるのに。
 ということ。
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動物の視覚・聴覚・嗅覚

2019-01-15 12:39:12 | 老いを生きる
 去年の暮れに作った連続焦点レンズを断念することにした。「慣れるしかない」と人に言われたが、慣れの問題ではなく、使用目的が違うのだと思う。
 ぼくは頭がよくないので、作る前、連続焦点というのは、見る対象によって焦点距離が変わるものだと漠然と思っていた。老眼になる前の人間の目はそういうものだ。見る対象との距離によって水晶体が自動的に厚くなったり薄くなったりする。
 考えてみれば、ガラスまたはプラスチックのレンズを削って作る眼鏡でそんなことができるわけはないのは最初から分かりそうなものなのに、なんて抜けているんだろう。
 連続焦点というのは、中心から外に向かってレンズが連続的に薄くなっているもので、無意識に筋肉が動いて調整をしてくれていた眼の構造とは根本的に違う。近くを見るときには中心部分を使い、遠くを見るときには周辺部分を使う、というように、知りたい情報との距離に合わせて、視線や顔を動かさなければならない。
 これは、日常生活を眼鏡をかけっぱなしで通そうと思ったら、慣れれば便利なものであるかもしれない。でもぼくはその必要な感じていない。立ち上がって動くときには、あるいはすこし離れた物や人を見るときには、あるいは山道を歩くときには、眼鏡をはずした方が具合がいい。
 ぼくが眼鏡を必要とするのは、本を読むときと楽譜を見るときだけだ。これは、普通の単焦点の老眼鏡の方がはるかに便利だ。(さすがに、百円眼鏡はやめて、そういうものをいくつか買った。)行きつ戻りつして本や楽譜を見る習慣のあるぼくには、たかが文庫本サイズで中心と周辺部の焦点距離が違ってしまう、したがって視線を移動するのではなく顔を動かさなければならないのは、不便この上ない。
 
 聴覚が衰えてからかえって、物音を耳障りにうるさく感じることが増えた。安い飲み屋などで周りの人声がうるさくて耐え難く感じることが多い。その一方でたとえば人混みの中などで、隣にいる友人の声が聞き取りにくい。
 以前は、自分にとって必要と思われる音を自動的に選択して聴いていたのだ。人間は、そして動物はだれしも、そういう能力を持っている。その選択能力が衰えたのだ。これは聴覚に限らず、視角、嗅覚についても、動物にとって基本的な能力だ。
 人間より何百倍も何千倍も優れた聴覚を持っている動物が、近くの物音が同じように何倍も大きく聞こえたら気が狂ってしまうだろう。匂いだって同じ、臭くて臭くて生きていけないに違いない。視覚だって同じ。空の上から、人間より何千倍も細かく詳しく見える周りの自然に邪魔されずに、ピンポイントで自動的に目標に焦点を絞れるから、獲物を得ることができるのだ。
 動物たちにとってはその能力の衰えは、エサが取れなくなるのだから、あるいは、敵の存在を察知できなくなるのだから、生死にかかわる問題だ。ほとんどの動物は、病気などの場合を除き、また、人間が原因の場合を除き、そのようにして死んでゆく。
 人間はそのようなことはない―それは、ありがたく思うべきだろう。
 だが、ぼく自身に限って言えば、そのようなことを好ましく思う気持ちが、心のどこかにないわけではない
 現実の人間としてのぼくはもう少し生きていたいし、飢えるのは嫌だし、本が読めないのは困る。だから現実としてではなく、あこがれのような感覚として。
 いのちというものが、単純ですっきりしているではないか。
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横断歩道

2019-01-13 22:08:36 | 社会・現代
 ぼくは目黒通りを渡ろうとしていた。対角線の位置に白髪のやや背中の曲がった、つえを突いたおばあさんがいて、やはりを渡ろうとしているのが、ふと目に入った。そのお年寄りの歩くのがあまりに遅いので目に入ったのだろう。渡り終えてから、気になって振返ってみていた。うつむいて、あたりを全く見ずに、ゆっくりゆっくり歩いていた。「どうかな。わたりきれるかな」と気になったが、ぼくのところからは赤信号を突っ切らなければ近寄れない。
 半分もいかないうちに信号が点滅し始め、やっと半ばを越えたところで赤になった。おばあさんはそのまま同じペースでうつむいて歩いている。すぐに目黒通り側が青になって、先頭の車が交差点に入りながら激しくクラクションを鳴らした。おばあさんは立ちすくんだ。その横をかすめるように車は走り抜けていった。幸い、次の車は交差点内で停まっておばあさんが通り過ぎるまで待った。
 先頭の車に無性に腹が立った。この世の中にはこんなことが多すぎる。
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「くりばやし」

2019-01-11 22:15:05 | 自然・季節
 姉崎一馬さんの写真絵本「くりばやし」が出た。(月間の絵本雑誌「たくさんのふしぎ」の18年11月号として。)
 住宅地の中の栗林の、幼樹から実をつけるまでの成長を2年間にわたって季節の中に辿ったものだ。一馬さんの写真にエミリーさんが言葉をつけている。写真も文も、視線がほんとにやさしい。子供の成長を見守る親の視線のよう、と思ったが、ここには人間の子供の成長過程にある親と子の葛藤がないので、いっそう純粋にやさしい。
 雪の上の幼樹の影、やわらかな小さな芽吹き、新緑の育ってゆく様子、日を浴びた葉のかがやき、花、熟さないまま落ちた実、金色の枯葉、再び雪の中に立つ姿、そして新しい季節の移り変わり、ぐんぐん育っていってたくさんの実を落とすまで、どの写真もみんなやさしい。
 文もしっとりと落ち着いた慈しみに満ちている。
 姉崎さんは植物写真家で、ぼくの友人で、昔参加していたナチュラリストの会の大先輩だ。年齢は一緒だが、自然についての知識、自然との接し方、ほかたくさんのことを教えてもらった。
 このブログの18/03/13の朝日連峰についての記事に書いた友人が姉崎さんだ。写真絵本も写真集もたくさん出していて、なかでも「はるにれ」、「ふたごの木」は名作だ。「はるにれ」はサンケイ児童出版文化賞を獲得している。
 なお、「くりばやし」はぜひおすすめだが、絵本雑誌のバックナンバーなので、ネットで入手してください。
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寝袋

2019-01-09 20:56:52 | 老いを生きる
 昨夜は寒かった。夜中に目が覚めて、パジャマの下に長袖の肌着を着て寝なおした。今夜はさらに寒いそうだ。
 夏の暑い盛りを除いてほぼ一年中、寝袋のお世話になっている。キャンプの気分を味わうために床に寝袋、ではない。ベッドに敷布団を重ねて敷いて、その上に寝袋を敷いて、上から毛布と薄い羽毛布団をかけて寝ている。それでも寒いのだから、今夜からは、下にさらに毛布を敷いて、羽毛布団を厚いものに変えて寝ることにする。
 ぼくの寝袋は厳冬期用でない、冬の低山まで用の薄いやつだ。買い替えるときに、「もう厳冬期用のものは必要あるまい」と考えて軽いのにした。ちょっと後悔している。
 ぼくの部屋は家の中では一番寒いのだが、それだけでなく、ぼくはひどい冷え性でもある。この時期は、「指先が冷たいな」、と思って手を見ると、血が指先にまで回らなくて白くなっていることがよくある。こんなんで、若い頃はよく冬山になど行ったものだ。
 ところで、寝袋は夜寝るときだけでなく、昼間ちょこちょこ使っている。「疲れたなあ。ちょっと休もう」と思う時に、タイマーを15分にセットして寝袋に潜り込んで、仰向けになって(ぼくは夜寝るときは横を向いて寝ている)、目をつむって体中の力を抜く。眠ってしまうこともあるし、そのままタイマーが鳴るまでじっとしているだけのこともある。タイマーが鳴ったら、いずれにしても起きる。
 もう少し横になっていたい時もあるが、それをすると結果的に1時間も2時間も寝てしまうことになりかねない。タイマーの時間を長くするのも同じ。眠らなくても、寝袋から出るといくらか体が楽になっているような気がする。さっきまでやっていたことの続きができる。また疲れてきたらまたやればよい。
 数年前にはこんなことする必要はなかったから、そのぶん体力は落ちているのだとは思う。一日に2回ぐらいはそんなことをしている。
 ぼくはこれを自分では「さなぎになる」とイメージしている。力を回復して、ちょっとだけだけれど、新しい自分を始める感じ。
 でも、客観的には、寝袋に潜りこんでじっとしているのは、どう見たってむしろミイラに近いよね。
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「わたしの/いずみは」

2019-01-08 21:10:05 | 
 以前にも書いた須賀敦子の詩集(18/03/25)をときどき読み直している。そのたびに改めて、シンプルな言葉の中に心を打つ表現に感嘆する。ぼくの今の気持ち、ぼくのある時の気持ちにぴったりな。というよりも、ぼくの心の中に形を持たないままにあったのは、こんな気持ちだったのだ、と気づかせてくれるような。クリスチャンであるかないかに関わりなく、だれでもがある時感じるかもしれない気持ちの動き。
 良い詩は、時に希望を、時に慰めを、時にもう少しのあいだ生きる勇気を与えてくれる。
 以下もその一つ。

わたしの
いづみは
きふに
うたはなくなってしまった。
なゝいろのつめたいしぶきを
きらきらと
朝の陽のなかに
まきちらし
ねむりからさめたばかりの
わたしの髪に
かほりをあたへ
わたしのからだに
仔鹿のちからと
よろこびを
あたへてくれた

わたしの いづみは
きふに
うたはなくなってしまった。

いづみよ
だれが
おまへを
のみほしてしまったといふのか。

いづみよ
それとも
おまへは
もう
わたしのところにかへってこないといふのか。

紫の
夕ぐれのひかりのなかで
きふに
涸れてしまった
わたしの
いづみのよこにすはり

わたしはたゞ
しづかにすゝりなく。

うたっておくれ
もう いちどで いゝのだから。
そのうたが
わたしの いのちをうばっても
いゝのだから。
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