すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

「わたしの/いずみは」

2019-01-08 21:10:05 | 
 以前にも書いた須賀敦子の詩集(18/03/25)をときどき読み直している。そのたびに改めて、シンプルな言葉の中に心を打つ表現に感嘆する。ぼくの今の気持ち、ぼくのある時の気持ちにぴったりな。というよりも、ぼくの心の中に形を持たないままにあったのは、こんな気持ちだったのだ、と気づかせてくれるような。クリスチャンであるかないかに関わりなく、だれでもがある時感じるかもしれない気持ちの動き。
 良い詩は、時に希望を、時に慰めを、時にもう少しのあいだ生きる勇気を与えてくれる。
 以下もその一つ。

わたしの
いづみは
きふに
うたはなくなってしまった。
なゝいろのつめたいしぶきを
きらきらと
朝の陽のなかに
まきちらし
ねむりからさめたばかりの
わたしの髪に
かほりをあたへ
わたしのからだに
仔鹿のちからと
よろこびを
あたへてくれた

わたしの いづみは
きふに
うたはなくなってしまった。

いづみよ
だれが
おまへを
のみほしてしまったといふのか。

いづみよ
それとも
おまへは
もう
わたしのところにかへってこないといふのか。

紫の
夕ぐれのひかりのなかで
きふに
涸れてしまった
わたしの
いづみのよこにすはり

わたしはたゞ
しづかにすゝりなく。

うたっておくれ
もう いちどで いゝのだから。
そのうたが
わたしの いのちをうばっても
いゝのだから。
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