すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

母鳥のうた

2022-05-31 10:32:42 | 自然・季節

そしてお前は
翼を広げる
光あかるい空へ

私のくちばしから
赤い実を受け取った
まだ柔らかなくちばし

私の翼の下で
寒さに震えていた
みぞれの夜

お前を温めながら
私も温かかった
冬の夜

そしてお前は
翼を広げる
香る草原の上で

飛ぶのが怖くて巣の端で
ぎゅっと目をつむった
初めての日

飛び移った枝から
振り返りながらあげた
喜びの叫び

一年が去って今
森は嫩葉の季節
旅だちの季節

そしてお前は
翼を広げる
光まぶしい空へ

新しい愛を
見つけるために

そしてお前は

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緑の森

2022-05-30 21:29:00 | 社会・現代

ここに来てこの美味い空気を吸え
君は
呼吸するってことがどういうことか
知るだろう
君が今まで都会で
じつは息ができていなかったのを
知るだろう

ここに来てこの岩の上から
見渡す限りを見ろ
これが世界だ

君が都会のニュースで見聞きすること
そのすべては「今の世の仮の姿」に過ぎない
それらが 敵も味方もすべて滅びたとしても
ここから見える緑の森が
これが世界だ
失ってはいけないものだ

これさえあれば
やり直すことができる

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「アエネーイス」

2022-05-27 20:57:24 | 読書の楽しみ

 こんなご時世だからこそ古典を、と思い、ホメロスの「オデュッセイア」とウェルギリウスの「アエネーイス」を読んだ。オデュッセイアは御存じの方も多いだろうが、アエネーイスの方は日本では知名度は低いようだ。
「アエネーイス」は「アエネーアスの物語」という意味だ。紀元前19年に世を去ったローマの詩人ウェルギリウスが初代皇帝アウグストゥスの求めに応じて書いたローマ建国の英雄アエネーアスの放浪と戦いの物語(叙事詩)で、ラテン文学の最高傑作とみなされている。
(ローマ建国伝説としては、狼に育てられたロムルス(とレムス)のほうが良く知られているが、ロムルスは人格的に問題があるのでアエネーアスの方が好まれたらしい。ちなみに、ロムルスはアエネーアスのおよそ400年後の子孫ということになっている。)
 ギリシャ軍によるトロイア陥落の折、トロイア側の総大将ヘクトールの従兄弟で、女神ヴィーナスが人間との間に儲けた子である英雄アエネーアスは、家族や仲間たちとともに落ちのび、神の予言に従ってローマ建国のために艦隊を編成して地中海を7年間放浪し、苦難の後イタリアのローマ南方のラウィニウムに上陸し、平和裏に入植を希望するが、けっきょく望まぬままにラテン人と戦う。全12巻のうち前半は放浪の物語、後半は戦争の物語だ。
 特に後半は殺戮の詳述の連続でうんざりする(ぼくは以前にいちど途中で投げ出している)のだが、それでも、これをそのおよそ800年前に成立したホメロスの叙事詩と比較すると、大変興味深い相違がある。
 ホメロスの英雄たちは、敵を滅ぼすために集団で戦っているには違いないのだが、描かれるのはあくまで個人の戦闘能力や智謀だ。彼らは復讐心とか怒りとかに駆られて、個人の栄誉をかけて戦っているにすぎない。そして、友情や家族愛はあっても、社会的使命のような意識はまだ芽生えていない。倫理観もごく低い。例えばオデュッセウスはトロイアから故郷への帰りがけにイスマロスという都市に立ち寄り、そこで男たちを殺し、女たちや財宝を略奪し、山分けしている。当然のことのように。彼らはまだ野蛮人なのだ。
 これに対してアエネーアスは、放浪の途次、行く先々で何度かその土地に平和裡に住み着こうとはするが、略奪行為はしていない。イタリアに至り、結果的に戦争になり、殺戮はするが、まず初めに平和を望んでいる。土地の王に「自分たちの暮らせる土地を分け与えてくれ」と頼み、2度にわたって盟約を結ぼうとしている。彼が戦うのは、2度とも盟約が一方的に破られ、突然の襲撃を受けて戦闘に引きずり込まれたためだ。
 また彼は、自分の社会的責務に目覚めている。放浪の途中、その土地に留まろうと考えるたびに神々から予言を思い出さされ、「イタリアに行ってそこにトロイアを再建し、将来のローマの礎になる」という運命を使命として引き受ける。それは彼にとって苦悩を伴う決心でもある。カルタゴの女王のもとを黙って去るのもそのためだ(これは遠い将来、ローマとカルタゴとの、全面戦争のもとになるのだが)。
 さらに、彼はこれ以上無駄な血を流さないために相手の大将との決闘で決着をつけようと提案するのだが、驚くべきなのは彼の示す取り決めの条件だ。
 「自分が敗れたら、トロイア軍はこの土地を去り、以後いかなる戦争も仕掛けない。だが自分が勝ったら、『我々に従え』とは言わない。対等の条件で盟約を交わし、王権も武力も信仰もそのまま認める。両民族の融和を推し進め、自分はただ王女を妻にもらい、王権に従い、王の定める土地に都市を建設することを認めてもらえばよい。」
 後のローマの繫栄と平和の源となる存在として、詩人は英雄を最大限に美化しているのは間違いないが、それにしても、平和の希求とか民族の融和という考え方が出てきたこと自体、また倫理という面でも、人類はホメロス以降800年の間に確実に進歩したのだ。
 さてその後の2千年を見ると、どうだろう? 現代では、非戦闘員に対する無差別攻撃とか、捕虜や住民の奴隷化とか、財産や農作物の略奪とかは、戦争犯罪として禁止されている(そうなったのは最近のことだ)。ただしそれは戦い方のルールに過ぎないのであって、平和とか融和とかへの明確な希求ではない。しかも現在のロシアのウクライナ侵攻を見ると、そうしたルールさえ守られていない。この2千年間に人類は本当に進歩し、賢くなったのだろうか? 相変わらず野蛮なままなのだろうか?

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蛾ヶ岳(ひるがたけ)

2022-05-26 22:48:54 | 山歩き

 山梨県南西部、富士の麓の蛾ヶ岳に行った。甲府駅で、同じ歳の、生まれが一日違いのいとこT夫婦と待ち合わせ。彼の車で山上の湖四尾連湖(しびれこ)に向かう。途中、富士山の手前、河口湖から本栖湖の北側の山並が近い。その右端(西端)が蛾ヶ岳だ。きれいな台形をしている。約一時間。待ち合わせが遅かったので、歩きはじめはすでに11:45だ。
 新緑の中の、あまりキツくない登りを35分、尾根に出る。「大畠山」の道標がある。そこからは所どころ痩せ尾根になっているがさらになだらかな道をやはり30分ほど。ミズナラとブナの若葉が美しい。ついで蛾ヶ岳の大きな山腹を右に巻く道をさらに30分ほど。ヒノキの植林を行くと「西肩峠」に出る。古い六地蔵が祀られている。ここから最後の、というか、唯一の急登。と言っても15分。ぽかっと山頂に出る。13:38。
 南側に富士山が近い。沢筋だけ雪を残して、やや霞んで北斎の富岳のように高い。その手前に富士の展望台としてカメラ愛好家に人気の高い竜ヶ岳。その右手に雨ヶ岳。雨ヶ岳は長い急登の大きな山だ。以前に友人と一緒に登ろうとしたが彼がバテてしまって山頂の少し手前でお昼にして下山した。本当はあれを越えて高デッキも越えて毛無山まで行くつもりだったのだが、もう無理かもしれない。
 反対の北側を見ると、遠くに南アルプスがかなり霞んでぼおっと見える。晴れていれば素晴らしいのだろうが。北岳はすっきりとしたピラミッドだが、その左に続く高峰は間ノ岳・農鳥岳だろうか?右の大きな山体の櫛形山の向こうは八ヶ岳だろうか?鳳凰三山だろうか? 足元に見えるはずの四尾連湖は残念ながら樹が茂りすぎて見えなくなっている。ついでに台形の左端を確かめてみようと思ったのだが、5分ほどで急な下りになってしまった。車から見えていた地形はどうなっているのだろう? 
 富士山を正面にのんびりお昼ご飯。14:30に下山開始。16:06駐車場着。湖畔でコーヒーでもと思ったが、あいにく光明荘は休み。四尾連湖は山に囲まれた真ん丸の、流れ込む川も流れ出る川もないという不思議な湖だ。尾の四つある竜神が棲んでいるという言い伝えがあるのだそうだ。何年か前にアニメに取り上げられて人気の場所になったらしいが、そして岸にはスワンボートがいくつか係留されているが、宿が休みの所為か、人影はなく、神秘の湖という感じはする。百恵ちゃんの「湖の決心」を思い出した。あれは好きだ。
 ここは楽ちんで静かで良い山なので、そのうち、身延線の市川本町から歩いて湖畔の宿に泊まって、翌日は三方分山を通って精進湖までの道を歩き通したいものだ。ここから8時間ぐらいだろうか?泊まるときはまずこの湖畔を一周しよう。1時間はかからないと思う。
 甲府の駅まで送ってもらって、北口の駅前の広場でコーヒーを飲んで別れた。
 (この山は蛾ヶ岳と書いて「ひるがたけ」と読む。どうしてなのか、いとこも知らないという。今度ここに泊まったら宿の人に訊いてみよう。)

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「夏の緑の葉」

2022-05-17 22:16:07 | 音楽の楽しみー歌

   夏の緑の葉
            ポール・ウエブスター:詞
            ディミトリ・ティオムキン:曲
穫り入れしているべき時
種蒔きしているべき時
夏の緑の葉が
故郷へとぼくを呼んでいる
 若いってことは素晴らしかった
 稔りの季節に
 ナマズが空と同じくらい
 高く跳ねている時に

木を植えるべき時
鋤で耕すべき時
君が心に決めた娘に
求婚しているべき時
 若いってことは素晴らしかった
 大地と共に生き
 子供が生まれる時に
 妻の傍らで見守ることは

穫り入れしているべき時
種蒔きしているべき時
今こそ生きるべき時
やがて骨を埋める土地で
 若いってことは素晴らしかった
 大地と共に生きることは
 夏の緑の葉が
 今 故郷へとぼくを呼んでいる
  若いってことは素晴らしかった
  大地と共に生きることは
  夏の緑の葉が
  今 故郷へとぼくを呼んでいる

 ぼくの年代の方はブラザーズ・フォーの大ヒットを覚えているでしょうが、1960年の西部劇「アラモ」のメイン・テーマ曲です。日本語タイトルは「遥かなるアラモ」でした。映画は、メキシコからの独立を目指すテキサス軍が圧倒的大軍を前にアラモの砦に立てこもって全滅する話でした。でも今は映画の政治性には触れないでおきます。
 作曲者のティオムキンはウクライナのクレメンチュークの生まれ。ドニエプル川沿いの、キーウとマリウポリを真っ直ぐに結ぶ線のややキーウ寄りです(すぐ北西にクレメンチューク湖という大きな湖があります)。たぶん、穀倉地帯の真ん中の美しい土地なのだと思います。
 この旋律はウクライナ民謡がもとになっているという話を聞いたことがあります。でもぼくには確認はできません。どなたかご存じだったら教えてください。
 作詞のウエブスターはアメリカ人で、この歌詞が直接ウクライナ歌ったものとは思えませんが、曲作りについてティオムキンと話し合っているうちに、彼の地の農民の生活を思い浮かべていた可能性はあります。アラモとは関係がない、故郷を離れた(故郷を追われた)人々が、大地と共に生きていた生活への郷愁、その土地に戻りたいという願い、を歌った歌です。
 (自分で訳しては見ましたが、英語はよくわからないので、樋口悟訳、とはしませんでした。)

 

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桃源

2022-05-16 14:09:44 | つぶやき

笹子の長いトンネルはいつも
故郷という異郷への入り口だ
スイッチバックの引き込み線跡の
遊歩道は葉桜の並木
眼下に広がる桃の花の霞
その中に点々と混じる緋色は花桃か
盆地を囲む陰の山並の向こう
前方高く南アルプスの白雪の連嶺
父に連れられて
子供には訳のわからない出郷をして65年
あの白い輝きが悔恨や穢れを
拭い去ってくれるとは思わないが

いつかはここと似た眺望の
峠を探さねばならぬ
そこを歩いて登り
そこで憩い
下らねばならぬ
桃源に本当に戻るためには

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あいつ

2022-05-13 09:56:50 | つぶやき

そうだ久しぶりに
向うにいるあいつと
話ししたいな
あの低い優しい
歌できたえた声が聞きたい

そっちはどうだい?
病期は治ったのかい?
メシは美味いかい?
本なんかいっぱいあるのかい?
歌っているかい?
良いピアニストは見つかったかい?
仲間はできたかい?
退屈してないかい?

そっちはいつも晴れで
いつでも昼なのかい?

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「約束の地」補足

2022-05-04 10:42:21 | 音楽の楽しみー歌

 昨日の記事をアップした直後に友人の国見靖幸君から指摘があった。この歌の作詞はダニエルセフではなく、弟のリシャール・セフなのだそうだ。早速訂正したい(ブログの方は訂正できるが、FBの表示画面の方は訂正の仕方が分からない)。
 ついでに幾つか。
 「約束の地」は、ずいぶん前にその国見君から教えてもらった曲だ。3日前に彼と横浜でコーヒーを飲んでいて、こんなご時世だから、この歌の話が出た。それで、ぼくはすでに09年にブログにいちど載せているが、少し手直しして、改めて昨日、紹介してみた。
 この曲は1993年のフランスのシンガーソングライターのダニエル・セフのアルバムに収録されている。その少し前、89年11月にベルリンの壁が崩壊している。最初に出てくる「古い世界の壁」はこのことを言っているのに違いない。
 この歌が心を震わせるのは、発表されてから今日までずっと、まるで現代の世界を予言しているかに思われるからだ。ぼくの意識の中ではじめのうち、「壁」はベルリンの壁であり、「国境線」は例えば旧ユーゴスラビアであり、「像」はスターリンやフセインだった。だがその後も今日まで、世界貿易センターは破壊され、アフガニスタンで、またシリアで、泥沼の戦争が続き、イスラエルはガザに、アメリカはメキシコ国境に新たな壁を作り、今またロシアがウクライナで無惨で不条理な軍事侵攻をしている。
 「約束の地」はシャンソンとしては珍しいゴスペルの曲だ。そして苦悩と祈りに満ちた歌だ。今は、苦悩に満ちた歌はあまり好まれないのかもしれない。好まれるのは「イマジン」のような希望の歌だ。でも、世界は苦悩に、そして祈りに満ちている(もちろんぼくは「イマジン」も好きだ)。
 「約束の地」は今、ぼくがもっとも歌いたい、聴きたい歌だ。だがぼく自身は歌から降りてしまった(それにぼくはこれをフランス語で歌っていた)。
 ぼくの知る限り、シャンソン歌手の日野美子さんがこれを上記の国見君の日本語訳で歌っている。国見君自身も歌っているが、彼は自分のコンサートでしか歌わないので、この歌が聴きたい人は日野美子さんのライヴに行ったら良い。
 (ダニエル・セフは1949年、フランス南西部のトゥールーズの生まれ、ぼくとほぼ同世代だ。彼の原曲はDaniel SeffまたはTerre Promiseを検索するとYou Tubeで聴くことができる。)

 

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「約束の地」

2022-05-03 13:26:07 | 音楽の楽しみー歌

   約束の地
        リシャール・セフ:詞、ダニエル・セフ:曲
               樋口悟:訳 
旧い世界の壁のひとつが壊れて
闇から開放されるたびに
人々はすぐにまた石を投げあい始める
国境線とか宗教とか
狂人どもにしか理解できない
理由や情熱のために

長い鉄のマントを着た独裁者の像が
埃の中に砕け落ちるたびに
人々はその台座に
新しい預言者や将軍を据え
同じ石でまた作り上げる
別の地獄の壁を

  あとどれだけ時がたてば
  夜明けの来ない夜を過ごせば
  どれだけの涙と悲劇を繰り返せば
  ほんのわずかな希望の光が見えるのか
    なんて長い長い長いのだろう
    命を呑み込むこの砂漠の中を続く道は
    なんて長い長い長いのだろう
    約束の地へと続くはずの道は

待ち望む心の上で
光が消えるたびに
飛び去った夢の向こうで
看守が振り返るたびに
壊れやすい子供が独り
渡り綱の上で理想の一日を描く

  あとどれだけ時がたてば
  夜明けの来ない夜を過ごせば
  どれだけの涙と悲劇を繰り返せば
  ほんのわずかな希望の光が見えるのか
    なんて長い長い長いのだろう
    命を呑み込むこの砂漠の中を続く道は
    なんて長い長い長いのだろう
    約束の地へと続くはずの道は

    なんて長い長い長いのだろう
    約束の地へと続くはずの道は
      約束の地へと 続くはずの道は

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