すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

朝日鉱泉(補足・写真)

2020-10-28 12:57:57 | 山歩き

 大朝日岳は標高1870m。高くはないが北の豪雪地帯なので、稜線は北アルプスの3000mと変わらないお花畑だ。登山客が少ないのもうれしい。ただし稜線の小屋はすべて避難小屋なので、寝袋、マット、食料、コンロなどを担がねばならない。水場は稜線中にいくつもあって困らない。中でも「銀玉水」はぼくが今まで飲んだ中でいちばん美味い水だ。山体は大きく、鉱泉から山頂までは、一般的な鳥原山コースで約7h30かかる。金山沢、鳥原山、小朝日岳と、大きな上り下りを越えて行かなければならない。

 最短の中ツル尾根コースで約6h。こちらは二俣で沢と離れてからは、ひたすらの急登だ。このコースには昔、恐怖の吊り橋が三つあった。上下二本の太いワイヤーを細いワイヤーでジグザグに繋いだだけのもの。上のワイヤーを上から押さえるように上体の体重を掛けて下のワイヤーをそろそろ歩く…のだが、体重を掛けそこなうとオーバーハング状態になる。今はないそうだ。

 稜線に登ってしまえばなだらかな大展望の、花咲き乱れる道なので、3,4日分の食料を背負う体力があれば、北の大鳥池から以東岳を経て朝日鉱泉まで縦走するのが最も楽しい。 

 大朝日小屋付近では、ブロッケン現象がしばしばみられる。ぼくも、光背をまとった仏様を見たことがある。じつはそれは霧に映った自分自身なのだ。

 人は誰でも、ふだん気が付かないだけで、本当は光背を背負っているのだ。

 姉崎さん夫妻については、このブログで何度か書いている。18/03/13「朝日(新聞ではなく)」、19/01/11「くりばやし」、19/03/01「野中の自然教室」など。また、彼は数々の美しい樹木写真集と、「はるにれ」「ふたごの木」などの名作の写真絵本を出している。今住んでいる家については、「姉崎一馬の自然教室」という著書に詳しい。これと、「姉崎一馬の自然教室」は、彼らの長年にわたる、子供たちとの自然体験の記録だ。自然の中での生活を通して、小さな命をいつくしむことを一緒に学んでゆく、感動的な記録だ。

 西沢信雄さんも、「朝日連峰山だより」「ブナの森から都会が見える」「ブナの森通信」などの著書がある。自然の好きな人たち、山が好きな人たち、ただし、百名山のピークハントを目指すのでなくじっくり自然を楽しむ人たちに、ぜひお勧めしたい本だ。

  

上から、①鉱泉のテラスから見る大朝日岳、②ブナ林の黄葉、③頭殿山頂、遠くは雲の中の大朝日、小朝日、鳥原、④吊り橋、⑤鳥原の尾根から見た頭殿山 

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朝日鉱泉(続き)

2020-10-27 20:49:18 | 山歩き
 25日、早朝から出かけようと朝食用のおにぎりを昨夜作ってもらっていたのに、夜中に雨。4時半に起きたら外は真っ暗で、葉を打つ雨音が頻り。神様はあくまでも親切だ。でも、昨日散々濡れたから今日はまた濡れたくはないなー、と思いつつ布団の中でぐずぐず。5時過ぎに雨音が小さくなったので、支度をして5:50に鉱泉を出る。幸い上がったようだ。
 吊り橋を渡り、登山道に入る。本当は鳥原山まで行って小朝日と大朝日を間近で見たかったのだが、出発が遅くなったし、姉崎さんと1:00までには戻る約束をしているので、よほど頑張らねば届かない。朝日連峰は山としては若く、浸食が進んでいないので、登り始めから急登だ。
 この道は若いころに何度も登った。あの頃よりも今日の方が体が軽いし、楽だし、周囲も明るく感じる。今日はナップザックひとつだから楽なのは当たり前か。木々の葉がうっそうと茂る真夏の頃よりも軽やかな黄葉の森が明るいのも当たり前か。重装備を担いで大汗をかいて登ったのが懐かしい。夢のように遠い昔だ。年老いた今の方が軽く明るく楽に感じるのは、心持ちの違いもあるかもしれない。あの頃は鬱屈という大荷物も背負っていたのだ。
 青空が見えてきた! 日差しが山腹の黄葉を鮮やかに浮かび上がらせる。
 …と思ったら30分もしたらすっかり曇ってまた降ってきた。でも、気分はハイだ。足も思ったよりも順調に進む。歩き始めて1時間ほどで急登が終わり、尾根上のなだらかな道になった。風が強い。寒風だ。右手に、きのう登った頭殿山がみえる。ゆったりと尾根を広げた立派な山だ。昨日より少し赤みが増したように思える。
 しかし、寒い。時々突風が来る。金山沢に下る手前で、断念して下山することにする。しんじさん(漢字がわからない。信雄さんの次男だから、信次さんか?)の作ってくれたおにぎりを食べる。赤じそふりかけを混ぜたご飯に、昆布と梅干のおにぎりだ。大きくてしっかりと握ってあって、しかもしっとりとして、実に美味い。ウインナとカマボコと、ナスとタクアンがついている。昨夜テルモスに入れたお湯を呑む。まだインスタントコーヒーが飲めるくらいに温かい(粉は持ってないが)。このテルモスは優れものだ。充実したおにぎりに、温かい飲み物はうれしい、
 寒風に負けない活力を取り戻して下った。登山口に出る頃にはまた雨が上がって日が差してきた。神様は本当に親切だ、おかげで雨の森を堪能したし、最後にもういちど大朝日岳も遠望できた。山頂は二日前と違って白くなっていた。
 鉱泉に戻ると、先に帰った田林さんが「昨日の数式は間違いがあったから」と、改めて清書して説明をつけたものを残してくれていた。東京に戻ったら宇宙の膨張についての本と、わかりやすそうな数学の教科書を捜そうか。
 姉崎さんの車で送ってもらい、お宅に寄ってゲストブックにサインをして、寒河江駅の近くで一緒におそばを食べてから、来年は泊めていただく約束をして別れた。
 帰りは新幹線。昨日も今日も4時間ほどしか歩いてないので、あまり疲れていない。加藤周一の「『羊の歌』余聞」を再読した。うーん、加藤周一は何年か前に集中的に読んだつもりだったが、ぼくはまだ社会や文化の見方についてこの人に学ぶべきことが限りなくある。やはり宇宙物理学や数学に寄り道している時間はないな。
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朝日鉱泉

2020-10-26 22:10:38 | 山歩き
 21日23:50発の夜行バスで山形へ。三列シートで乗客はまばらにしかいなくて安心だったが、良く寝られなかった。予定より早く、5:45に山形着。
 22日、山形発7:02のバスで寒河江で乗り継いで、リンゴの実る畑の続く道を朝日町宮宿へ。
 写真家の姉崎一馬さん夫妻が迎えに来てくれていて、お二人の「ポツンと一軒家」に。この家のことは別途書きたい(来年再訪して泊めてもらう約束なので、その後になるかもしれないが)。
 再び車に乗せてもらって、朝日川沿いの山道を一時間ほど入った朝日鉱泉へ。渓谷の入り口ではまだ黄葉がまだらだが、進むにつれて次第に色濃くなる。この辺りはブナを主体とする植生なので、赤は少し混じるくらいでほとんど黄色だ。黄色一色の、しかし様々なグラデーションの森は大好きだ。鉱泉のあたりではクライマックスはもう数日後だろうか?
 鉱泉はオリーブ色の、自然に調和した古風な落ち着いた建物だ。テラスから正面の谷の奥に遠く大朝日岳が見える。まだ雪はない。鉱泉の主の西沢信雄さんとは会うのは35年ぶりくらいだ。「ナチュラリスト協会」に参加させてもらっていた頃の仲間、というか、歳は同じくらいだが大先輩だ。「主」と書いたが、今は息子さんに経営は譲って手伝っている。姉崎さん夫妻も泊まって、旧交を温める。この日はたまたま来ていた、以前に鉱泉の賄をしていた田林さん(ぼくは初対面)を交えて、昔話に花が咲き、美味しいきりたんぽ鍋の夕食をいただいた後、サイコロとカードのゲーム。ここでは昔から、カモシカ調査や登山が雨で停滞を余儀なくされたとき、ゲームで盛り上がるのが習慣なのだ。
 23日は朝から雨。那須も雨だったし、ぼくが「雨の森を歩くのが好きだ」とたびたび書くものだから、神様が雨をプレゼントしてくれるのかもしれない。夕べも体をあまり使ってないせいか、あまりよく寝られなかった。この時期に現在の体力で大朝日岳に挑むつもりはもともとなく、南側の尾根の途中の御影森山まで行くつもりだったのだが、この天候では無謀かもしれない。西沢さんのお奨めで朝日川をはさんで東側の頭殿山に行くことにした。仲間たちは停滞。酔狂なのはぼく一人、最初から上下の雨具を着こんで出かける。
 登山口からしばらくの間は杉の植林、その上はブナを主体とした混合林。黄色と緑がまじりあっているが、標高が上がるにつれてブナの割合が増え、黄葉の進み具合も増してくる。近くは比較的若く、少し離れたところは樹齢300年ぐらいだろうか、巨木が見られる。
 道は登山地図では難路のしるしの破線になっているが、おおむね歩き易い。ところどころ片側が急斜面で靴幅ていどになっているが、登りには問題がない。1時間半ほどで細い沢を越える。登りがややきつくなって尾根が近づいてきた。30分ほどで尾根に出る。前方に頭殿山がこんもりと丸く、道は左から小ピークを越えて回り込んでいる。遠く見えるがもうあと30分ぐらいだろう。反対方向は朝日川の谷の向こうに鳥原山や小朝日岳やその向こうに大朝日も見えるはずだが、雲に隠れて中腹しかみえない。
 ここから先はブナの純林だ。まだ細いが、木肌に若い力があって美しい。あえぎあえぎ最後の急登を抜けて山頂についた。360度、展望絶景、のはずなのだが、やはり雲の中。寒い。温かいお茶を飲んで、行動食を齧って、早々に下りることにする。
 山道に張り出した木の根が枯葉に隠れてしかも濡れているので、慎重に下る。途中で雨具の上を脱いだが、また強くなってきたのでまた着る。往復4時間10分。休憩時間も含めてちょうどコースタイム通りだ。確かに手ごろでお奨めのコースだ。1:00に鉱泉に戻った。
 午後、田林さんの、「宇宙の膨張はダークマターとかを探さなくても数理的に説明できる」という説を興味深く聞いた。ただし文科系のぼくは高2の数学までしかやっていないので、彼の書いてくれる数式は理解できない。「4次元の宇宙を3次元から観測している」…?
 天気予報は明日は朝から晴れ。さすがに夜はぐっすり寝た。(続く)
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感覚の恣意

2020-10-25 22:16:14 | 心にうつりゆくよしなし事
 山形の朝日連峰で非常に美しい紅葉を撮って、あとで見たらちょっと残念な写真になっていた。手前に枯れ枝が大きく伸びている。よくあることだが。
 美しいものを目にして感嘆するとき、ぼくたちしばしば、その手前にあるものを見ていない。視野には入っているのだが、それを意識から落としてしまっている。落としてしまえば、その向こうの美しいものを見るのに差し支えない。
 同じことはもっと自動的に聴覚についても起こっている。風が鳴り、木の葉がざわめき、枯葉をカサコソ踏む音を立てながら歩いていて、ふと、これから下ってゆく谷の沢音を聞いたように思う。いや、まだここからは聞こえないだろう、と思いつつ耳をすましてみれば、確かに聞こえる。期待が空耳を聞かせるのではなく、まだかまだかと意識を集中させているから聞きとれるのでもなく、耳は近場の様々な音をスルーして遠いかすかな音を捉えたのだ。
 これは例外的なことではなく、もっと日常的にも起こっていることだ。がやがやした場所で友人と会話をしている時、耳は入ってくる信号のうち必要なもの、自分にとって心地よいもの、この場合で言えば友人の声、をかなりな程度、選択的に聞くことができる。そしてそうして選択していることを意識していない。
 この選択能力は、視覚や聴覚の持つ精妙な能力だ。だが、脳の発達した人間だけに備わっているものではない。むしろ、野生の動物の方がはるかに高い選択能力を持っているだろう。人間の千倍の視力を持つ鳥は高い空からピンポイントで獲物を捉えることができる。千倍の視力ですべてのものが見えたら、煩わしくて仕方ないだろう。万倍の嗅覚を持つ獣はエサになる小動物のにおいを万物の犇めく地上で嗅ぎ分けることができる。万物すべてが同じほどにおったら臭くて気が狂ってしまうだろう。
 人間が野生の生き物を越えている分野があるとすれば、それは感覚の次元ではなくて、同じような能力を、出来事の意味の判断、という次元でも発揮できることだろう。人間はニュースを聞き、あるいはある人の発言を聞き、また新聞やネットの記事を読み、あるいは実際にある出来事を目の当たりに見た場合でさえ、それを自分の都合の良いように、あるいは心地良いように、解釈し、選択し、信じ、そうでないものに気づかないでいるという能力がある。これは、動物の感覚についての選択能力が生きるために必須であるのと同様に、人間にとって生きるために、あるいはより居心地よく生きるために、必須だ。
 だがそれはしばしば、大きな誤りのもととなりうる。人間は自分の見たいものを見、聞きたいものを聞く。それはほとんど無意識に行われ、したがって、誤りの可能性のあることに気づかない。ほかの考え方、ほかの立場のありうることに気づかない。ほかの人が自分とは異なる困難に直面していることに気づかない。トランプを熱狂的に支持する人たちの間で起きていることは、かつてヒトラーを支持する人たちの間で起きたことと似ている。それは何らかの宗教を熱烈に支持する人たちの間でも起きる。
 それは、この国でも起きる。ある程度は経験を積んだはずのぼくたち年寄りの間でも起きる。ぼくたちよりも柔軟な脳を持っている(かもしれない)若い人たちの間でも起きる。政治的リーダーと言われる人たちの間でも、組織の中で上位にいる人たちの間でも、そうでない市民の間でも起きる。
 このことは、今の社会の中で起きている様々の問題を考えるカギになるかもしれない。
 紅葉の手前に写っていた枯れ枝から、そんなことを考えた。心していよう、と思った。
 (歳をとって聴覚が衰えると、選択的に聞き分ける能力も衰えるから、聞きたいものが他の音に紛れて聞き取りにくくなる。たいへん不便なことなのだが、こんなことにもし利点があるとすれば、上記のようなことを意識する機会になる、という点だろう。)
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那須(補足・写真)

2020-10-17 08:59:24 | 山歩き
 那須ではこれまでに3回、強風に遭っている。
 1回目は若いころ、今回の同じ友人と初めての冬山登山として那須を選んだ時。北の甲子温泉から稜線に登り、雪の中を南下して坊主沼避難小屋に泊まり、翌日さらに南下して剣が峰の捲き道から峰の茶屋の手前の広い背に出た瞬間、前を歩いていた友人が強風にあおられて転がされた。びっくりした。幸い痩せ尾根ではないので転落は免れたが、峰の茶屋は風の通り道で特に強い所なのだということを、その時は知らなかった。
なお、この時は避難小屋の周りを夜中に徘徊する動物がいて緊張した。クマは冬眠しているはずなので、シカかタヌキだったろうか?
 2回目は12月初め。前日に峰の茶屋を通った時にはそれほどの強風ではなかったのだが、三斗小屋に泊まって翌日、熊見曽根を登って稜線に出たら雪の混じった猛烈な風。稜線を歩くのは困難なので、すぐ下の西側の山腹の這い松帯を捲くようにして歩いたのだが、清水平の広くなったところで元の道に戻ろうとしたら位置ががよくわからなくなった。少しウロウロしたが、北温泉分岐の大きな道標を見つけて中の大倉尾根を下って難を逃れた。
 3回目は勤労感謝の日。妹と今回と同じく峰の茶屋に向かったのだが、強風で途中で下山して来る人に何人も会った。「えーっ、登るんですか?」と言う人もいた。間歇的に風が強くなるので、突風は腰を屈めて、体重の軽い妹は岩にしがみついて、やり過ごし、弱まった間に前進し、峠は這って越えて三斗小屋に向かった。樹林帯に入ってからは思いがけぬ雪だった。翌日同じ道を戻ったが、風は弱まっていて何事もなかった。
 ゴールデンウイークにも登っている。この時は快晴、微風。上空をヘリがぐるぐる回っていた。捜索・救助だろうか、それとも単なる取材だろうか? 仲間と、「お前、もう逃げられないぞ」とか冗談を言いながら登った。
 きのう、林間学校でふもとから往復したことを書いたが、あれはまだロープウエイができる数年前だ。那須はいろいろ懐かしい山だ。百名山踏破を目標にする人もいるけれど、ぼくは同じ山に何度も登るのが好きだ。

 さて、今回は写真を入れてみる。初めてでやり方がよくわからないし、写真を撮ること自体あまりないので下手くそだが、実際はもっとずっときれいだ

 4枚目が朝日岳。左端が峰の茶屋。
 
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那須(続き)

2020-10-16 17:25:21 | 山歩き
 東の空が美しい(やや禍々しい)朝焼けに染まっていた。女将さんが首を傾げて「風が心配ですね」という。旅館の前の木はわずかに葉が揺れる程度だ。冬場の那須の稜線は強風で有名なのだ。ぼくも過去に体験している。天気予報では午前中は曇り、午後は雨の可能性、降水確率40%。
 とりあえずは空は明るい。登山道はロープウエイ山麓駅を経由して峠の茶屋までは高原道路を縫って上がっている。紅葉の季節なので平日なのに次々に車が上がっていく。「今年の紅葉は特に見事です」と女将さんが言っていた。
 夕べの寝不足で、友人についてゆくのがきつい。茶屋のすぐ上の登山指導所からいよいよ、大きな谷沿いに登る強風帯に入る。この谷が風の通り道なのだ。対岸に朝日岳の山腹が美しい。高いところは霧がかかって見えないが、山腹の上部は荒々しい露岩帯で、その下が鮮やかな赤と緑の低木の帯。その下が黄葉の高木の帯で、深い谷はまだほとんど緑だ。風は強い。が、進むのに難渋、というほどではない。寒いので薄いウインドブレーカーを着る。登山道は火山帯で荒涼としているが、所々にナナカマドの紅が鮮やかだ。
 思わず、「生きていてよかったなあ」と口にしてしまったら、友人が「なんだ、死にたいとでも思っていたのか?」と訊く。そういうわけではないが、今ここを登っている誰もが、とりあえずはコロナ禍を生き延びているのではある。「また山に来られてよかったなあ」というべきだっただろうが、ぼくはしばしば生と死のことを思うのでもある。
 霧の中に峰の茶屋跡の避難小屋がちらりと見えて消えた。まだ遠いな、と思ったが、すぐに着いた。風が強いので小屋陰で休み、雨具に着替える。防水透湿性の高い高性能のものだ。ここでカロリーメイト、羊羹などを食べる。今日は弁当は持ってきていない。
 気合を入れなおして風の中に出る。目の前にそびえる剣が峰は東側を捲くのでいっとき穏やかだが、その先は山腹の西側を登るので強風が吹きあげて寒い。霧で何も見えない。この辺りは岩場で、右側は酸化した赤い岩壁。その岩が風化してできたのだろうか、登山道は赤っぽい土が岩の上について霧に濡れて滑りやすい。左側は切れ落ちている箇所があり、丈夫な鎖がつけられている。若いころは鎖場を鎖を使わずに通過するのが楽しみだったのだが、もう足元のしっかりしない老人ゆえ、しっかりつかまって進む。
 45分ほどで分岐に出た。三本槍が岳まで行く予定だったのだが、天気が悪いのでここに荷物を置いて朝日岳をピストンし、引き返すことにした。山頂までは7,8分だ。展望雄大のはずなのだが、何ひとつ見えなかった。そそくさと引き返す。
 峰の茶屋まで戻り、茶臼岳を目指す。霧が上がり、ついさっき往復した朝日岳が荒々しい全容を現わす。あれを登ったのが嘘みたいに鋭く高い。茶臼岳にはたくさんの人がいた。中学生らしい団体が登ってくる。ぼくも初めて登ったのは中学2年の林間学校だった。まだ理科少年だった。今からおよそ60年前。あの時は快晴。湯元から7時間以上かけて歩いて往復して、宿舎についたらチョコレート色のおしっこが出てびっくりしたっけ。
 下りはロープウエイを使った。再びガスってきて、残念ながら山腹の紅葉は少しも見えなかった。
 黒磯駅で友人と別れ、経費節約のために鈍行で帰った。車内でヘッセの「青春はうるわし」と、テニスンの「イノック・アーデン」を読んだ。時間のある時は鈍行も良い。
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那須

2020-10-14 20:10:54 | 山歩き
 一昨日・昨日と那須に登りに行ってきた。今年初めての宿泊を伴う旅行だ。山小屋の大部屋は、間隔を取って泊めているようだが、まだやや心配なので、今回は個室の確保できる旅館泊で計画した。日・月の予定だったが、台風で一日延期した。
 京都からくる友人(高校の同級生)と東京駅で待ち合わせ。那須塩原でバスに乗るときにはごく細かい雨が降り始めていた。麓はやっと紅葉が始まったところ。山は雲の中。今日は足慣らしにロープウエイ利用で茶臼岳山頂往復の予定だったのだが、山頂は荒天のようだし登っても何も見えなそうなので中止。
 ぼくは環境が変わると寝られないたちなので、体を動かして疲れておきたいと思い、直接旅館に向かう友人と別れて那須湯元でバスを降り、歩くことにした。那須高原道路をたどっても登れるが、それを縫うように山道がついている。殺生石の右手から登る。旅館は那須で一番高いところにある。那須は5回ほど来ている。上から下りてくるときはどんどん下ればよいだけなのだが、遊歩道が枝分かれしたり何度も高原道路を横切ったりするので、登りの方がかえって分かりにくい(普通は逆)。
 大きな吊り橋を渡ったあたりから雨が強くなった。登山用の性能の良い上下の雨具も持っているが、稜線歩きではないし、1時間半もすれば旅館だし、傘を差しただけで歩き続ける。一昨年もちょうど今頃、北八ヶ岳のもう少しきつい道を雨に濡れて歩いた。あの時は傘をさしていては危ないので、両手を空けるために途中で雨具を着た。
 今日は、観光地でこんな雨の中を歩いている人は誰もいない。ぼくは雨の中の一人歩きが本当に好きなのだな、と、ちょっと可笑しくなる。歌でも歌いたいくらい、気分は上々だ。
 でも考えてみれば、「天気予報が雨だから中止・延期しよう」というのとは矛盾している。雨の山登りが好きなわけではなくて、雨の森の生命感が好きなのだ。さらに、雨に濡れることによってぼくたちは病気になったり、死ぬことだってある。雨は生命に水という恵みを与えてくれるが、生命を浸潤する脅威でもある。
 「雨の中歩くのが好き」というのは、今のところ、安全な範囲でのアマイ認識に過ぎない。「好きだ」と主張するためには、もっと体力をつけて(つけなおして)もっと厳しい条件のところまでいけるようにしなければならないだろう。これは恋愛と一緒かもしれない。
 …などと考えながら、1時間45分ほどで旅館に着いた。下着までびしょ濡れだ。先に着いてロビーで待っていてくれた(温泉が大好きな)友人に、悪いが先に入らせてもらって着替えることにした。
 露天風呂はやや小さいが、落ち着いた良いお湯だ。雨は小降りになったが、雨の降る中の露天風呂も面白い。ぼくの他に誰もいないし、今日はそもそも泊り客はほとんどいなそうなので(ぼくは他に客がいるとひどく居心地が悪い)、久しぶりにゆっくり楽しんだ。
 山小屋と料金はさして変わらないのに、食事もおいしかった。たまにはこういうのも良い。でも歩き足りなかったのでやはりよく眠れなかった。(続く)
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黒い瞳

2020-10-11 11:01:54 | 夢の記
 暗やみの中にぼんやりと顔が浮かんだ。白い仮面の輪郭と鼻梁と大きな目だけ。それでも、女の顔だとわかる。黒い瞳がぼくを見つめている。表情は何もわからない。なにも語らない(唇は見えない)。ぼくは横になったまま動けないが、怖くはない。何を伝えようとしているのか知りたくて、ぼくもその顔を見つめる。そのうちに輪郭と鼻梁はだんだん薄くなって消えてしまい、瞳だけが残ったが、それもやがて消えてしまった。
 あの瞳は、ぼくを糾弾しようとしていたのだろうか? それとも、ぼくの方が、今はもう亡くなってしまった懐かしい人を思い出そうとしていたのだろうか? それさえもわからない。ただ、目が覚めてぼくは理由のわからない悲しみを感じた。
 夢は、ぼくの感覚や意識を越えた無意識の深いところからのシグナルかもしれないのだが。
 ユングの心理学(最近注目されなくなってしまったね)ならば、「それはあなたの中の“アニマ”の出現ですよ」と云うのだろうか。
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秋の光

2020-10-05 17:45:20 | つぶやき
残りの日々が
この秋の午後のように
穏かな光につつまれているのなら
老いることも
死ぬことも
そう悪いことではない
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秋の山は

2020-10-03 21:23:18 | つぶやき
生き続けていくことのしんどさも
それもまもなく終わるという不安も

秋の山は
すかっと晴れ上がらせてくれる

この世界は滅びに向かっていて
すぐに悲惨な明日がやってくるという疑懼も
貧困で疫病で内戦で絶望で
今日も人々が死んでいくという悲しみさえ

忘れたほうが良いことも
忘れてはならないことも
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