すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

友の骨をリュックに

2019-08-18 11:18:12 | 夢の記
 いつか、比較的最近、山に登ったよな、と、一生懸命思い出そうとしている。リュックに友人の骨を入れていたはずだ。彼が山で遭難したのでなく、「死んだら骨を山に埋めてくれ」と言ったのだ。あれはどこの山だったろうか、思い出せない。かなり高い山だったはずだ。登ってゆく道は冬枯れだった。途中から樹林は切れた。小屋に着いた。鄙びた小屋で、煙突から煙が上がっている。人の姿は見えない。入り口に「両俣小屋」と書いてあるようだ。そこに行く道は二本あったはずだ。でも、南アルプスの両俣小屋のはずがない。そこには行ったことがないし、熟達者でなければ行かない小屋だ。では、あれはどこだったのだろう。必死に思い出そうとしているのだが、思い出せない。稜線を登ってゆく自分の姿が浮かぶ。ストックを二本ついて、毛糸の帽子をかぶって、ニッカーズボンをはいている。向こうの空は曇って白い。どうしても思い出せない。
 …これは、山登りをしている夢ではなく、山登りしたことを思い出そうとしている夢。思い出さなければいけない、と思って必死なのに思い出せない、かなり苦しい夢だった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

体力

2019-08-10 10:40:14 | 老いを生きる
 北岳の大樺沢を登る途中、下ってくる、もしくはぼくを追い抜いていく何人もの人に、「どこまで行くのですか?」とか「お気をつけて」とか声をかけられた。右股を山頂に向かう途中だけでなく、初日に御池小屋に向かう途中ですでに。「御池小屋までです」と答えると、「ああ、それが無難でしょうねえ」と言ってくれる人までいた。
 (同じようなことを、「三つ峠山」19/05/25でも書いているが)ぼくはよほど疲れて大変そうな顔をしていたに違いない。ぼくはその時、一方ではあの沢沿いの気持ちの良い道を満喫して歩いていたのだが。しんどくはあるがそれはまあ当たり前のことでもある。
 ただし、「無難でしょうねえ」と言うということは、11:00に広河原にバスで到着して肩の小屋まで行くのは、体力さえあれば普通のことだ、ということでもある。
 事実、ぼくの妹は若い頃、夜行バスで広河原に入って翌日山頂に立ち、さらに二日かけて白根三山を縦走して奈良田に下りている。若い頃のぼくならもっと先まで行けただろう。
 今回は夏山だし危険なところはない山だから当てはまらないが、若い頃には何でもなかったことが、いまの老いたぼくには命がけの冒険になることもありうる。積雪期の山に行く場合、縦走何日目かで疲れた体で岩尾根を下る場合、など。
 なんたって、昔の半分も歩けない体力なのだから。
 それでも、やや冒険だなと思うようなところに行きたい気持ち、自分の力の少しだけ先に行きたい気持ちは持ち続けたい。
 「無理しなさんな」とか「年寄りの冷や水」とか、仲間にさえも言われることがあるが、心配してくれるのはまことにありがたいのだが、一方、そういう人たちは、たぶん、解ろうとしてくれていない。
 若い人にとっては、あるいは自分の若いときであったら大したことのないことが、いまのぼくにはかなり大変なことでありうるということが、そういう行動を選ぶ理由のひとつでもあるということ。
冒険を好む趣味ではなく、そういう時にはぼくの頭や体のいまある能力を駆使しなければならないからこそ、いまのぼくにとって価値がある、ということ。
 それは同時に、その時自分が目にしている雪の斜面や緑の谷が、よりいっそう美しいということでもある。
 (先日、コンゴ民主共和国から帰国した70代の女性が帰国後に発熱して、エボラ出血熱が疑われたが陰性と判明した、というニュースが流れた。
 コンゴ民主共和国! その女性は仕事で行ったのだろうか。
 もういちど行きたいなあ。もうぼくはお金がないし、フランス語ももう仕事でつかえるレベルに全然ないから、行きようがないが。)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ありがとうございます。

2019-08-07 13:48:07 | 自然・季節
 Facebookほかで誕生祝いメールをくださった皆様、ありがとうございます。
 今朝ぼくは日本第二の高峰・北岳の山頂で御来光を見るはずだったのですが、一昨日の夜、中腹の白根御池小屋でほとんど寝られず、昨日の朝、大樺沢右股の登りの途中で、暑さのためもあってリタイヤして下山しました。
 今年は梅雨明けが遅くなったので、毎年登山者の多いこの時期にこの夏は特に一気に集中しているのだそうです。
 ぼく自身、誕生日だから、ということではなく、「梅雨が明けたら…」と思っているうちにたまたま誕生日と重なってしまったのです。
 大樺沢はたいへん美しい気持ちの良い沢で、できれば来月にでも、人出と暑さが少し緩んだ頃にもう一度チャレンジしてみたいです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「神様は声と指は」

2019-08-02 23:22:22 | 老いを生きる
 古くからの友人の一人が、何年か前に大病をして、その後も手術を繰り返した。さらに去年の暮れにはバイクに乗っていて交通事故にまきこまれて、大怪我で集中治療室に入れられた。「ああ、私はこれで終わりかな」と思ったそうだ。
 幸いその後、順調に回復が進んでいるらしい。大病や大事故の前、彼女は歌をうたっていて、ギターも弾いていた。
 一月に、以下のようなメールをくれた。
 「…私は振返ってみると随分、音楽に救われた人生と思います。癌になっても事故に遭っても、神様は声と指は残してくれました。今は歌いたい曲、「ナブッコ」の「行け我が思いよ」を、気楽に歌っています…」
 ぼくは、「お互いにそれぞれのかたちで音楽が続けられたらいいね」「そのうちあいましょう」と、返事を書いた。
 その彼女が、2,3日前にメールをくれた。「9月にコンサートをする」という。「友情出演で歌わない?」というオファーもくれた。
 コンサートができるところまで回復したのだ。それが何よりもうれしい。楽しみに聞きに行きたい。でも、ぼくが歌うのはお断りしよう。このごろぼくは耳が遠くなって自分がマイクで声を出してしまうと、伴奏のピアノが聞こえにくくなってしまうのだ。去年お店を辞めたのも、お客様の注文が聞き取りにくい、というのが大きな理由だったのだ。
 今回は、久しぶりの彼女の歌を楽しみに行く。お茶か、お酒が飲める程度に回復していたら、お祝いに乾杯をしたい。ワクワクしている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする