「竹取」では、媼はほとんど何の役目もしていない。
翁が姫を家に持ち帰って、「妻の媼にあずけて養なわせる」とあり、あべの右大臣が皮衣を持ってきた時に「『今度はきっと姫が結婚を承諾するだろう』と媼も考えた」、とある。いちばん詳しく出て来るのは、御門の使者の来訪の場面だ。ここは媼が使者に応対し、姫に取り次ぎ、 姫の拒否を聞いて「『自分のお腹を痛めた子のように思っているのに、なんてそっけない』と思うけれど、強制もできないのでそのまま使者に伝える。あとは、天人たちが来る時に「かぐや姫を抱いて納戸に隠れた」とあり、納戸がひとりでに開いて姫が出た時、「止めようがないので仰ぎ見て泣いた」とあるだけだ。
「かぐや姫の物語」の媼は、はるかに重要な働きをする。姫を育て、悲しむ彼女を繰り返し繰り返しそっと抱いて慰めてやり、心の拠りどころになり、一緒に喜んだり悲しんだりし、姫の心がわからない夫を非難したりする。
ここは、アニメが「竹取」と大きく異なるもうひとつの点だ。全編を通して、姫がこの地上で生きてゆくのに不可欠な母性の役割を媼は務めきる。
もう少し詳しく見て見よう。
そのことが一番よく示されているのが、初めの部分だ。彼女は、「育てるのは私です」「この子は私に育ててもらいたいのですよ」と翁に宣言し、あまつさえ、育てるために体さえ変化してお乳が出るようになる!
都に出てからは、心に沿わない生活を強いられる姫に機織りや糸紬ぎなど、昔からの女たちの、ある意味心の休まる手仕事を教え、「自分が貴公子たちを死なせたり不幸にしたりした」と嘆き悔やむ姫を「あなたのせいではありませんよ」と抱いて慰める。御門から求婚があったと有頂天になる夫には、「いい加減にしてくださいな、あなた」「あなたにはまだわからないのですか、姫の気持ちが」と非難する。ここはこの物語で唯一、媼が厳しい表情を見せるところでもある。
また、姫が、月の世界に帰らなければならぬ、と告白することができないまま苦しむ場面では、姫を抱いて、「わたしにも打ち明けられないことなの?」とやさしく問う。これは、自分ならわかってあげられるはず、という信念がなければできないことだ。そう促されて初めて、姫は自分の運命を打ち明け始める。
翁が姫を奪われないための手立てをはじめ、姫は悲しみに沈むときに、媼は姫に糸の輪を手渡し、自分はしずかに歌いながらその糸を巻き始める。これはぼくたちの年代ならたいていの人は母や祖母とやったことがあると思う、懐かしい行為だ。二人でなければできない、心通い合う、心休まる行為だ。
さらに、「もう一度帰りたい」という姫の叫びを聞いて、媼はひそかに車を準備させる。姫が子供の頃を楽しく遊び暮らした、あの野山に帰らせるために。
そのつどそのつど、我が子が苦しみ悩むときに、どうすれば最善かを、母性はちゃんと知っている。
…それにもかかわらず、媼の母性は結局は報われない。姫はその宿命から逃れられず、翁と媼のもとを去ってゆく。
これは、報われることのない母性の物語でもある。
去らねばならぬ人の悲しみと、慈しみ育てた対象に去られてしまう人の悲しみ。
…ここで身も蓋もないことをひとつ書く。
現代では、かぐや姫の物語は、この世界に生きにくさを感じて苦しむ多感な少女が、けっきょくはそこから完全に逃避してしまう、あるいは自らの人生を終わらせてしまう、そのアレゴリーの物語かもしれない。
当人の苦しみは例えようもなく深いが、残されたものの悲しみも同じように深い。
翁が姫を家に持ち帰って、「妻の媼にあずけて養なわせる」とあり、あべの右大臣が皮衣を持ってきた時に「『今度はきっと姫が結婚を承諾するだろう』と媼も考えた」、とある。いちばん詳しく出て来るのは、御門の使者の来訪の場面だ。ここは媼が使者に応対し、姫に取り次ぎ、 姫の拒否を聞いて「『自分のお腹を痛めた子のように思っているのに、なんてそっけない』と思うけれど、強制もできないのでそのまま使者に伝える。あとは、天人たちが来る時に「かぐや姫を抱いて納戸に隠れた」とあり、納戸がひとりでに開いて姫が出た時、「止めようがないので仰ぎ見て泣いた」とあるだけだ。
「かぐや姫の物語」の媼は、はるかに重要な働きをする。姫を育て、悲しむ彼女を繰り返し繰り返しそっと抱いて慰めてやり、心の拠りどころになり、一緒に喜んだり悲しんだりし、姫の心がわからない夫を非難したりする。
ここは、アニメが「竹取」と大きく異なるもうひとつの点だ。全編を通して、姫がこの地上で生きてゆくのに不可欠な母性の役割を媼は務めきる。
もう少し詳しく見て見よう。
そのことが一番よく示されているのが、初めの部分だ。彼女は、「育てるのは私です」「この子は私に育ててもらいたいのですよ」と翁に宣言し、あまつさえ、育てるために体さえ変化してお乳が出るようになる!
都に出てからは、心に沿わない生活を強いられる姫に機織りや糸紬ぎなど、昔からの女たちの、ある意味心の休まる手仕事を教え、「自分が貴公子たちを死なせたり不幸にしたりした」と嘆き悔やむ姫を「あなたのせいではありませんよ」と抱いて慰める。御門から求婚があったと有頂天になる夫には、「いい加減にしてくださいな、あなた」「あなたにはまだわからないのですか、姫の気持ちが」と非難する。ここはこの物語で唯一、媼が厳しい表情を見せるところでもある。
また、姫が、月の世界に帰らなければならぬ、と告白することができないまま苦しむ場面では、姫を抱いて、「わたしにも打ち明けられないことなの?」とやさしく問う。これは、自分ならわかってあげられるはず、という信念がなければできないことだ。そう促されて初めて、姫は自分の運命を打ち明け始める。
翁が姫を奪われないための手立てをはじめ、姫は悲しみに沈むときに、媼は姫に糸の輪を手渡し、自分はしずかに歌いながらその糸を巻き始める。これはぼくたちの年代ならたいていの人は母や祖母とやったことがあると思う、懐かしい行為だ。二人でなければできない、心通い合う、心休まる行為だ。
さらに、「もう一度帰りたい」という姫の叫びを聞いて、媼はひそかに車を準備させる。姫が子供の頃を楽しく遊び暮らした、あの野山に帰らせるために。
そのつどそのつど、我が子が苦しみ悩むときに、どうすれば最善かを、母性はちゃんと知っている。
…それにもかかわらず、媼の母性は結局は報われない。姫はその宿命から逃れられず、翁と媼のもとを去ってゆく。
これは、報われることのない母性の物語でもある。
去らねばならぬ人の悲しみと、慈しみ育てた対象に去られてしまう人の悲しみ。
…ここで身も蓋もないことをひとつ書く。
現代では、かぐや姫の物語は、この世界に生きにくさを感じて苦しむ多感な少女が、けっきょくはそこから完全に逃避してしまう、あるいは自らの人生を終わらせてしまう、そのアレゴリーの物語かもしれない。
当人の苦しみは例えようもなく深いが、残されたものの悲しみも同じように深い。