すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

寝袋

2019-01-09 20:56:52 | 老いを生きる
 昨夜は寒かった。夜中に目が覚めて、パジャマの下に長袖の肌着を着て寝なおした。今夜はさらに寒いそうだ。
 夏の暑い盛りを除いてほぼ一年中、寝袋のお世話になっている。キャンプの気分を味わうために床に寝袋、ではない。ベッドに敷布団を重ねて敷いて、その上に寝袋を敷いて、上から毛布と薄い羽毛布団をかけて寝ている。それでも寒いのだから、今夜からは、下にさらに毛布を敷いて、羽毛布団を厚いものに変えて寝ることにする。
 ぼくの寝袋は厳冬期用でない、冬の低山まで用の薄いやつだ。買い替えるときに、「もう厳冬期用のものは必要あるまい」と考えて軽いのにした。ちょっと後悔している。
 ぼくの部屋は家の中では一番寒いのだが、それだけでなく、ぼくはひどい冷え性でもある。この時期は、「指先が冷たいな」、と思って手を見ると、血が指先にまで回らなくて白くなっていることがよくある。こんなんで、若い頃はよく冬山になど行ったものだ。
 ところで、寝袋は夜寝るときだけでなく、昼間ちょこちょこ使っている。「疲れたなあ。ちょっと休もう」と思う時に、タイマーを15分にセットして寝袋に潜り込んで、仰向けになって(ぼくは夜寝るときは横を向いて寝ている)、目をつむって体中の力を抜く。眠ってしまうこともあるし、そのままタイマーが鳴るまでじっとしているだけのこともある。タイマーが鳴ったら、いずれにしても起きる。
 もう少し横になっていたい時もあるが、それをすると結果的に1時間も2時間も寝てしまうことになりかねない。タイマーの時間を長くするのも同じ。眠らなくても、寝袋から出るといくらか体が楽になっているような気がする。さっきまでやっていたことの続きができる。また疲れてきたらまたやればよい。
 数年前にはこんなことする必要はなかったから、そのぶん体力は落ちているのだとは思う。一日に2回ぐらいはそんなことをしている。
 ぼくはこれを自分では「さなぎになる」とイメージしている。力を回復して、ちょっとだけだけれど、新しい自分を始める感じ。
 でも、客観的には、寝袋に潜りこんでじっとしているのは、どう見たってむしろミイラに近いよね。
コメント
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