すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

「アエネーイス」

2022-05-27 20:57:24 | 読書の楽しみ

 こんなご時世だからこそ古典を、と思い、ホメロスの「オデュッセイア」とウェルギリウスの「アエネーイス」を読んだ。オデュッセイアは御存じの方も多いだろうが、アエネーイスの方は日本では知名度は低いようだ。
「アエネーイス」は「アエネーアスの物語」という意味だ。紀元前19年に世を去ったローマの詩人ウェルギリウスが初代皇帝アウグストゥスの求めに応じて書いたローマ建国の英雄アエネーアスの放浪と戦いの物語(叙事詩)で、ラテン文学の最高傑作とみなされている。
(ローマ建国伝説としては、狼に育てられたロムルス(とレムス)のほうが良く知られているが、ロムルスは人格的に問題があるのでアエネーアスの方が好まれたらしい。ちなみに、ロムルスはアエネーアスのおよそ400年後の子孫ということになっている。)
 ギリシャ軍によるトロイア陥落の折、トロイア側の総大将ヘクトールの従兄弟で、女神ヴィーナスが人間との間に儲けた子である英雄アエネーアスは、家族や仲間たちとともに落ちのび、神の予言に従ってローマ建国のために艦隊を編成して地中海を7年間放浪し、苦難の後イタリアのローマ南方のラウィニウムに上陸し、平和裏に入植を希望するが、けっきょく望まぬままにラテン人と戦う。全12巻のうち前半は放浪の物語、後半は戦争の物語だ。
 特に後半は殺戮の詳述の連続でうんざりする(ぼくは以前にいちど途中で投げ出している)のだが、それでも、これをそのおよそ800年前に成立したホメロスの叙事詩と比較すると、大変興味深い相違がある。
 ホメロスの英雄たちは、敵を滅ぼすために集団で戦っているには違いないのだが、描かれるのはあくまで個人の戦闘能力や智謀だ。彼らは復讐心とか怒りとかに駆られて、個人の栄誉をかけて戦っているにすぎない。そして、友情や家族愛はあっても、社会的使命のような意識はまだ芽生えていない。倫理観もごく低い。例えばオデュッセウスはトロイアから故郷への帰りがけにイスマロスという都市に立ち寄り、そこで男たちを殺し、女たちや財宝を略奪し、山分けしている。当然のことのように。彼らはまだ野蛮人なのだ。
 これに対してアエネーアスは、放浪の途次、行く先々で何度かその土地に平和裡に住み着こうとはするが、略奪行為はしていない。イタリアに至り、結果的に戦争になり、殺戮はするが、まず初めに平和を望んでいる。土地の王に「自分たちの暮らせる土地を分け与えてくれ」と頼み、2度にわたって盟約を結ぼうとしている。彼が戦うのは、2度とも盟約が一方的に破られ、突然の襲撃を受けて戦闘に引きずり込まれたためだ。
 また彼は、自分の社会的責務に目覚めている。放浪の途中、その土地に留まろうと考えるたびに神々から予言を思い出さされ、「イタリアに行ってそこにトロイアを再建し、将来のローマの礎になる」という運命を使命として引き受ける。それは彼にとって苦悩を伴う決心でもある。カルタゴの女王のもとを黙って去るのもそのためだ(これは遠い将来、ローマとカルタゴとの、全面戦争のもとになるのだが)。
 さらに、彼はこれ以上無駄な血を流さないために相手の大将との決闘で決着をつけようと提案するのだが、驚くべきなのは彼の示す取り決めの条件だ。
 「自分が敗れたら、トロイア軍はこの土地を去り、以後いかなる戦争も仕掛けない。だが自分が勝ったら、『我々に従え』とは言わない。対等の条件で盟約を交わし、王権も武力も信仰もそのまま認める。両民族の融和を推し進め、自分はただ王女を妻にもらい、王権に従い、王の定める土地に都市を建設することを認めてもらえばよい。」
 後のローマの繫栄と平和の源となる存在として、詩人は英雄を最大限に美化しているのは間違いないが、それにしても、平和の希求とか民族の融和という考え方が出てきたこと自体、また倫理という面でも、人類はホメロス以降800年の間に確実に進歩したのだ。
 さてその後の2千年を見ると、どうだろう? 現代では、非戦闘員に対する無差別攻撃とか、捕虜や住民の奴隷化とか、財産や農作物の略奪とかは、戦争犯罪として禁止されている(そうなったのは最近のことだ)。ただしそれは戦い方のルールに過ぎないのであって、平和とか融和とかへの明確な希求ではない。しかも現在のロシアのウクライナ侵攻を見ると、そうしたルールさえ守られていない。この2千年間に人類は本当に進歩し、賢くなったのだろうか? 相変わらず野蛮なままなのだろうか?

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「死のかげの谷」

2021-06-30 16:28:12 | 読書の楽しみ

 学生時代(と言っても、大学には最初の一か月以外、まったく行かなかったのだが)、諏訪湖から霧ヶ峰に上る途中にあるゴルフ場でふた夏、住み込みのキャディーのアルバイトをした。その一年目の給料で堀辰雄全集を買った。もともとそれが欲しくてそのバイトをしたのだった。
 その全集は、その後いつ頃だったか、ぼくの関心が堀から離れたこともあって、何度かの引っ越しの際に手離してしまった。今では文庫本が数冊あるきりだ。その文庫も、昔の変色した紙のしかも小さな活字が、今のぼくの目にはひどく読みにくいので、手に取ることはほとんどない。
 それでも今でも、「風立ちぬ」ほかの幾編かは活字の大きくなった新しい文庫に買いなおしていて、時々読む。
 堀辰雄は文章に独特の気取りのようなものがあって、それが関心を無くした大きな理由だ。たとえば、「風立ちぬ」の冒頭の「それらの夏の日々」という翻訳調の言い方がすごく引っ掛かる。もっと引っ掛かるのは、彼が(主人公が)自分の行動や心の動きを述べるのにしばしば使う「~でもしたかのように」、「まるで~であるかのように」という言い方だ、例えば「私はとうとう焦れったいとでも云うような目つきで…」とか書いてあると、読者は「あんたの目つきを、だれがどこで観察しているんだよ。じれったいなあ、もう」と思ってしまうのだ。

 …にもかかわらず、「風立ちぬ」は、生きていることの意味を、幸福ということの意味を、愛するということを、考えさせてくれる物語だ。ぼくは特に、最後の章「死のかげの谷」を、自分がちっぽけな存在で、生きている意味が良く分からない、などと思う時に読む。その時はそれで力をもらえても、やがてまた同じように自分の意味が分からなくなる時は来る。そしたらまた読む。そのたびにあの、山小屋の窓からこぼれる光のエピソードに救われたように思い、「何とか生きていくことにしよう」と思う。

 サナトリウムで共に暮らした婚約者を亡くした「私」は、一年後にK村(現在の軽井沢)の谷の奥の山小屋で一人で冬を過ごすことにする。そこは別荘地の外国人たちが「幸福の谷」と呼んでいる、だが自分には「死のかげの谷」のように思える場所だ。
 ひと月ほど経ち、炊事などをしてくれている村の娘の家に招かれて小さなクリスマスの宵を過ごした後、雪明りの道を小屋に戻る途中、雪の上に小さな光が落ちているのに気付く。「こんなところにどうして」と不思議に思い、見回してみると、明かりがついているのは谷の上の方にある自分の小屋だけだ。これまで自分では少しも気づかなかったのだが、小屋の灯は谷じゅうの林の中に雪の上の小さな光の粒となって散らばっているのだ。
 やっと小屋までのぼってベランダに立ってみると「明りは小屋のまわりにほんのわずかな光を投げているに過ぎなかった。」
 「(…)おれは、おれの人生のまわりの明るさなんぞ、たったこれっ計りだと思っているが、本当はこのおれの小屋の明りと同様に、おれの思っているよりかもっともっと沢山あるのだ。そうしてそいつ達がおれの意識なんぞ意識しないで、こうやって何気なくおれを生かして置いてくれているのかも知れないのだ・・・」

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「チボー家の人々」

2021-04-23 08:56:05 | 読書の楽しみ

 新宿の朝日カルチャーに野崎歓先生の「原語で楽しむフランス文学」という講座を受講しに行った。月一回、一年間でロジェ・マルタン・デュ・ガールの「チボー家の人々」の名場面のいくつかを読む、というものだ。昨日開講だったのだが、手術とその予後がどうなるのかが分からなかったから、受講できるかどうかもわからなかった。受けられて幸いだった。
 「チボー家」は一昨年2回続けて読んで、原語版も入手したのだが、「ぼくの語学力ではこれを読みだしたら一生かかる」と思い、早い段階で断念していた。今回ちょうどこの講座ができてうれしい。原語で、と言ってもおよそ2500ページもある大作のうち、せいぜい読めるのは100ページぐらいだろうが、それでも原作に触れた気にはなるし、いろいろ解説していただけるのもうれしい。
 板書の文字が読めないと困るので一番前の席に座ったから、後ろの方の受講生はよくわからなかったが、ほとんど女性で、年配の方が多いようだ。主人公の兄弟のうち弟のジャックは純粋だがかなりアブナっかしく、女性本能を刺激されるタイプだし、兄のアントワーヌは優秀な医師で優しく、女にもてるタイプだからなあ。講義が終わってから先生と熱心に話していた方は、「1947年ごろに初めて読んで…」というようなことを言っていた(ぼくの生まれた年!)から、80代の後半だろうか。「チボー家」は戦後、若者たちに熱狂されて、心の拠り所になった時代があったと聞いているから、彼女もその一人なのだろうな。
 それにしても、現在ではこの大河小説はほとんど顧みられていないように見えるのはどうしてだろう。世界がひどく不安定になっている今、あちこちで戦争や紛争や暴力が起き、疫病が蔓延している今、これはもっと読まれるべき小説だと思う。
 「チボー家」は、途中で構想が一変している。かなりバランスを欠いた作品に思われる。そのことが今はあまり顧みられない原因だろうか。でもこの変貌は高く評価したい。
 前半は家父長制度、宗教的価値観、ブルジョワ社会、に対する若者の反抗の物語、家庭小説と言うか、一種の成長小説と思われるが、中ほどの第一次大戦開戦直前の部分から一気に反戦平和を希求する社会小説に変貌する。弟のジャックが反戦行動に倒れた後、前線で毒ガスを吸って死を待つ身となった兄のアントワーヌはウイルソンの国際連盟構想に世界平和の実現を希求しながら果てる。
 ぼくたちはそのウイルソンの構想がけっきょく破綻し、その後第二次大戦が起きたことを知っている。1940年にこの大作を書き終えたマルタン・デュ・ガール自身もそのことは知って、かつ戦争の足音も聞いていた。それだけでなく世界もそのことを予感していた。だからこの作品は1937年にノーベル文学賞を受賞している。そしてぼくたちは今、社会制度の変革について、戦争や疫病との戦いについて、今一度熟慮すべき時に生きている。
 なお、今回のコロナでカミュの「ペスト」が再び脚光を浴びたが、野崎先生も言っていたが、「ペスト」と「チボー家」には共通点がある。主人公が医者であること。つまり社会の問題と闘う最前線に医学の役割があるということ。片方は疫病と、もう一方は戦争と、であるが、全力をもってそれと闘おうと意思し、行動する人間たちが、その過程の中で生きることの意味を見つけて成長していくこと。
 その戦いは「ペスト」では勝利と希望に、「チボー家」では暗澹たる敗北に終わるのではあるが。
 ついでながら、アントワーヌとジャックのそれぞれをめぐる恋愛模様も、たいへん豊かな、読み応えのあるものです。特に、アントワーヌとラシェル、ジャックとジェンニーの恋は。
 …退院2日後の12日に申し込みに行った時には新宿から住友ビルまで杖を突いて歩くのがやっと、だったのだが、昨日は並木道の新緑を楽しんで帰りは遠回りをする余裕があった。

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さらば/佐原村―辻まこと

2021-03-22 19:37:29 | 読書の楽しみ

 西本正明という作家が辻まことの生涯を描いた小説「夢幻の山旅」を読んでいたら、終わりの方で下記の詩に出くわしてガツンと鷲掴みにされた。

 さらば
 佐原村(さはらそん)
 さらば
 おまえの 月夜は もう見られない
 馬追いの少年
 阿珍(あちん)
 おまえのアシ笛に よび戻される
 千万先祖の声も
 もう聞けない
 長根の笹原を 過ぎて行く 風の音は
 渡らいながら 旅を続ける
 あの人たちの はなしだと
 おまえは わたしに教えてくれた
 すべての笛は 風の声
 阿珍の笛は
 いつも わたしの のどもとを あつくした
 それから
 神楽堰の渡し場
 そのしもてで 川海老を釣ることも
 もう出来ない
 渡し小屋の いろりで その海老を塩焼きにして
 渡し守の駄団次と
 どぶろくを飲むことも なくなった 
 あじさい色の夕暮が
 足もとから わたしを包むころ
 くりやから ひそかに (あんちゃ)と
 和尚に声を かける
 妹
 ただそれだけで
 お風呂が わいたのがわかる
 声は皆な
 いのち
 音は皆な
 深く
 光は 遠く
 時は 静かに
 ていねいだった
 佐原村
 さらば
 わたしの 佐原村
 もう おまえの処へは もどらない
 ある日
 長根の笹原を 渡ろう
 風の中から
 阿珍のアシ笛が      
 わたしの声を     
 みつける日まで

 「辻まこと」という名前は御存じだろうか? かつて愛読された伝説的な山の文芸誌「アルプ」にイラストやエッセイを載せたり、いまでも発行されている山の雑誌「岳人」の表紙絵を描いていたりしたので、山が好きな人には広く知られている。
 ウィキペディアで検索すると「詩人・画家」となっているが、彼の詩は初めて知った。探しても詩集などは出てないようだが、「歴程」の同人だったそうなので詩も書いているのだろうか? あるとしたら他の作品も読みたいものだ。この作品ひとつだけでも詩人といってよいものと思う。
 この詩は胃の全摘の緊急手術のあと予後が悪くて入院中にノートに書かれたものだから、死の予感のもとにある。訣別の詩であり、同時に、個々人の死を越える時の流れと自然とその中での生者と死者のつながりに思いを馳せたものだ。ここに出てくる「アシ笛」はまた、アンデスの草原を渡るケーナの響きをも思わせる。
 ぼくはこのごろ、行分けのつぶやきなどをブログに載せているが、この詩は一読、「ああ、ぼくにはこれだけ思いの深い、これだけ哀切な、かつ自由闊達な詩はとても書けないな」と溜め息が出た。
 阿珍は日本人の名前としては奇妙だが、佐原村他も含めて、固有名詞はみな非現実の、幻想世界のものではないかと思う。

補:辻まことの作品で入手しやすいのは、画文集「山からの絵本」(ヤマケイ文庫)。軽妙洒脱、じつに楽しい。山好きでなくてもオススメの一冊。

 

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「ペスト」

2020-04-17 21:15:00 | 読書の楽しみ
 アルベール・カミュの小説「ペスト」が大いに売れているそうだ。とは言っても年頭から15万部ほどだそうだから、もっともっとたくさんの人に読んでほしいものだ。
 ぼくには全体を適切に要約して紹介するなどということが出来るわけもないので、最後の一節だけを引用することにしたい。これから読む予定の人は以下を読まない方が良いかもしれない。でも、この最後の一節を読んで全体を読んでみる気になる人がいたら嬉しい。
 これは今現在の危機的状況の中でぼくたちが肝に銘じなければならないこと、そして感染が収まった後には決して忘れてはならないことだ。
 …ペストの終息宣言がなされ、封鎖されていた市の門が開かれ、街中から喜びの歓声が上がるのを聴きながら、この疫病との戦いに中心的な働きをしてきた医師リウーは考える。

 「じっさい、リウーはこの町から立ちのぼる歓喜の叫びを聞きながら、この歓喜がつねに脅やかされていることを思いだしていた。というのも、彼はこの喜びに沸く群衆の知らないことを知っていたからだ。それは様々な本のなかで読めることだ。ペスト菌はけっして死ぬことも、消滅することもない。数十年間も、家具や布製品のなかで眠りながら生きのこり、寝室や地下倉庫やトランクやハンカチや紙束のなかで忍耐づよく待ちつづける。そして、おそらくいつの日か、人間に不幸と教えをもたらすために、ペストはネズミたちを目覚めさせ、どこかの幸福な町で死なせるために送りこむのである。」
(これも、「100分de名著」中条省平から引用しました。全訳は新潮文庫・宮崎嶺雄訳があります。)
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「チボー家の人々」原書

2019-11-25 10:40:08 | 読書の楽しみ
 飯田橋にあるフランス語書籍の専門店「欧明社」本店で、「チボー家の人々」の原書を買った。folio版(新書サイズ)3冊、約2400ページ。ネットで「お取り置き」にしたので、寒い雨の降る中を取りに行った。

 「当店のカードをお持ちですか?」
 「いえ」
 「お作りしますか?」
 「いえ、けっこうです。あまり使う機会がないと思うので。じつは、フランス語の本を買うのは10年ぶりぐらいなんです」
 「そうなんですか。でも、「チボー」を全巻お読みになるなんて、すごい語学力ですね。フランス語はよほど研究されたんですね」
 「いえ、まだ買っただけなので。読み終わってからほめて頂かないと」
 「あはは、そうですね。では、読み終わられたらまた別のをお買い求めください」

 それは何時のことになるかわからない。それこそもう死ぬまで、これだけで十分かも知れない。とりあえず読むべき本が何冊かあるので、これに取り掛かるのは新年ぐらいになるだろう。
 新しい本に、それも大作に、取り掛かる予定があるというのは楽しいものだ。
 電車の中で最初の数ページを読んでみた。最近日本語訳を読んだばかり、ということもあるが、比較的読み易いので安心した。かつてお終いまで読むには読んだが途中わからないところがいっぱいあった「レ・ミゼラブル」よりは読み易い。途中で投げ出してしまった「失われた時を求めて」や、同じく「ジャン・クリストフ」よりは読み易い。これは、ぼく程度の語学力でも、なんとかおしまいまでたどり着けると思う。三か月か?
 今は、店村新次の「ロジェ・マルタン・デュ・ガール研究」という、これも大作を読んでいる。これも大変面白い。 「チボー家の人々」にはおよそありとあらゆることが書かれていると思うが、その前にマルタンさん(長い名前なので、以後、この人について書くことがあったら、この略称を使わせていただくことにする)は膨大な資料を作り、試行錯誤を繰り返し、失敗作と挫折の山を築いているのだ。この地道な刻苦勉励は、ぼくにはとうてい考えられなかったことだ。
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「チボー家の人々」

2019-11-13 13:12:40 | 読書の楽しみ
 先月末に引いた風がまだ治らない。(心配されるといけないので、急いで書いておくと、医者は「もう少しですね」と言っている。)「2・3日寝れば治る」はずだったのだけど、友達に会う約束も、山登りの予定も、キャンセルが相次いでいる。
 時間がたくさんあるのを利用して、ロジェ・マルタン・デュ・ガールの大長編「チボー家の人々」を読んだ。
 うーん、残念! 
若い頃に出会って愛読書にしていれば、ぼくの生き方は変わっていたかもしれない、と思う。もっとも、そのころこれを読みこなす力はぼくにはなかったのだろうが。難解な話ではないのだが、これがスッと心に入ってくる下地ができるのに、ぼくのこれまでの迷走の人生が必要だった、ということかも知れない。
 残りの人生の間、ぼくはこれを繰り返し読むことになるだろう。
 とりあえず何冊かの詩集を読みたいので、そのあとさっそく、再読に取り掛かることにしよう。
 風邪を引いて時間ができて、結果的には幸いだった。
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フォーゲラー、芸術家の運命

2019-10-18 11:05:04 | 読書の楽しみ
 先日(10/07) 「ヴォルプスヴェーデふたたび」について書いた時、その本をぼくは半分ぐらいまでしか読んでなかった。その後お終いまで読んで、「これは続きを書くか修正をしなければ」、と気になっていたのだが、何となくためらっていたら日が経ってしまった。

 先日、「美術評論書」と紹介したが、この本の前半と後半では、かなり性格が違う。
 後半は、ヴォルプスヴェーデの芸術家コロニーの中心的存在であったハインリッヒ・フォーゲラーの、彼の地での運動が退潮した後の生涯をおもに辿り乍ら、激動する社会と芸術家とのかかわりを描いている。激動する社会のなかでの、狂気にも似た一人の芸術家の運命を、といっても良い。

 第一次大戦がはじまると彼は志願兵として東部戦線に行き、クロポトキンの影響を受けて反戦主義に転じ、戦争停止の直訴状を皇帝に送り、そのため銃殺は免れたものの精神病院に監禁され、脱走し、戦後はドイツ革命に参加してヴォルプスヴェーデの屋敷「白樺の家」をコミューンに開放する。革命の挫折の後はそこを労働学校に、次いで革命運動の中で親を亡くした孤児たちのための「子供の家」という共同体に改変するが、これも経済的に挫折する。
 その後「約束の地」と思っていたロシアに行くが、トロツキーに共鳴していた彼はその失脚後、スターリンの共産党指導のソ連に失望し、反党的とみなされ、いったんはロシアを離れてスイスに自給自足の農業コミューンを建設する。そこも放棄してモスクワに戻り、極貧生活を送る。 
 抜け出すチャンスはあった。だが、亡命を進める友人に、「私から信仰を奪わないでくれ。それでは私の一生はナンセンスだったことになる。今ここで脱走したのでは、わたしはもう生きていられない」と言ったという。ナチスドイツがモスクワに迫るとカザフスタンに送致され、強制労働に従事させられる。西欧の芸術家たちによる救出運動を拒否した果てに、ヤギ小屋の藁の中で餓死する…

 彼が「信仰」と言ったのは、宗教や革命のことではなく、芸術への夢だろう。彼は芸術への夢に殉じたのだ。
 彼は、40年ほど先に活動したイギリスのラファエル前派の中心的芸術家ウイリアム・モリスと同様に、食器や家具や織物や建築を手がけ、身の回りの生活の全てを芸術で包むことを理想とした全体芸術家だった。
 生活を芸術化する、労働の、手仕事の、農作業の喜びを再発見する。そのために理想の社会を求めて社会改革に参加する。芸術家コロニーも、自給自足の共同体も、革命も、その夢を実現するための方法だ。結果的に八方破れではあっても。そして、ここにぼくは大きな共感を覚える。
 彼には才能が、財産が、熱い情熱が、何よりも理想を実現しようとするための行動力が、あった。それでもそれは、かなわぬ夢だった。理想は、現実と常に切り結び、現実を少しずつ齧り取ることでしか実現しない。現実を一気に飛び越えようとすると、それは単なる夢になってしまう。
 今の言葉で言うと、彼の生涯は「自分探し」であったのだろう。ここが、同じように全体芸術の活動をし、社会主義的関心も持っていた先達のウイリアム・モリスと大きく違うところだ。
 そしてぼくは、竹久夢二と宮沢賢治とを思い出した。(続く)
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「ヴォルプスヴェーデふたたび」

2019-10-07 09:51:37 | 読書の楽しみ
 ヴォルプスヴェーデという村がどこにあるのか、詳しくは知らない。北ドイツのブレーメン近郊らしい。
 ただ、村の名前は以前から知っていた。19世紀末から第一次大戦にかけての時期、イギリスの「ラファエル前派」などと並ぶドイツのモダン・アート運動「ユーゲント・シュティール」の中心になった村だ。ロシア旅行から帰ってきたばかりの若い詩人ライナー・マリア・リルケが一時滞在し、結婚をしたことでも知られている。
 ドイツ文学科でリルケを勉強しようとしていたかつてのぼくには、その村の名は、彼がパリという大都市で底知れぬ孤独に苛まれる前の、束の間の美しい季節の象徴のように響いていたのだ。堀辰雄の軽井沢や信濃追分のような。

 …先日、武蔵小山の古本屋で、種村季弘の上記の本を見つけた。1980年刊行の、壁紙デザインのような花模様の装丁の美しい箱に入った、しっかりとした本だ。嬉しくなってつい買ってしまった。
 かの村に滞在中のリルケの様子がわかるのではないか、と思ったのだが、それはわずかで、ユーゲント・シュティール運動の全体像、それにかかわった主な芸術家たちの思想や行動や運命、世紀末、第一次大戦、その後のドイツ革命、から第二次大戦後までに渉るドイツの、そして世界の、社会情勢と、その情勢の中で運動の担った役割、などを詳述した美術評論書だった(まだ読みかけだが)。
 美術というのは音楽と同様、いやそれ以上に、ぼくには最も分かりにくい分野だ。美術潮流とその同時代については、ぼくは何一つ、感想さえ書けない。だが、これを読みながら、「ぼくはリルケに、ドイツ文学に、改めて戻っても良いな」と思った。時間さえあれば、ドイツ語文法にも(ぼくは語学を、会話のためではなく、読むために学ぶものだから)。

 …プラハに生まれ、母親に女の子として育てられ、軍学校と商業学校を中退し、ミュンヘン大学に学んだリルケは24歳の時、ルー・ザロメ夫妻に従ってロシアを旅行し、そこに生きる素朴な人々に深く感動を受け、「ここでは人間が大地の上に生きている」「こここそ故郷だ」「いつかは自分もここに住まなければならないだろう」と感じる。そしてそのあと、以前にフィレンツェで知り合っていたハインリッヒ・フォーゲラーを訪ねてヴォルプスヴェーデにやってくる。
 ここで、この本の短い引用をさせてもらう。

 …リルケは、ここで初めて自分が幼年時代の継続を生きていることを感じる。とはつまり、「あまりにもよそよそしい存在の中で道に迷ってしまわなければならなかった時以前に居た場所に、それらよそよそしいものすべてを立ち越えてふたたび結びつく」ことの絶え間ない浄福感である。…

 ここでこれを引用したのは、ぼくに思い当たることがあるからだ。   
 自分の幼年時代の幸福感、小学校6年から始まった東京での「あまりにもよそよそしい」生活の中での喪失感、結果、道に迷ってしまった自分…
 ぼくがこのごろ頻繁に山梨の山に行くのは、無意識のうちに幼年時代の取戻しをしている、という面があるかもしれない(水曜日には、乾徳山に行く)。

 たまたま手にした、自分にはほとんど縁のない美術評論の本の中でも、人は自分を考える手掛かりを得ることができる。
 このごろネットで本を入手することが多いが、たまには古本屋を覗いてみることにしよう。
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「獄中からの手紙」

2019-06-04 21:37:48 | 読書の楽しみ
 友人に勧められていた、ローザ・ルクセンブルグの「獄中からの手紙」を読んだ。
 驚嘆した。
 ぼくはローザの政治的・経済的思想について、何も知らない。だからそれが現在でも有効な思想であるか、もちろんわからない。彼女が武力による革命を容認していたとすれば、第一次世界大戦に対する反戦活動と、明らかに矛盾するだろう。
 だが、幼友達に宛てて書かれたこの書簡集には、彼女の思想についてはひと言も出てこない。そこにあるのは、夫を逮捕されて嘆き困惑している友達に対する、心からの思いやりの言葉。友と一緒に過ごした懐かしい時、出所後に共に過ごすであろう時へのあこがれ。
 それから、自然に対する深い知識と愛情。そして読書、とくにゲーテをはじめとする文学作品に対する愛着。
 ぼくが驚嘆したのは特に、自然に対するこの深い愛だ。
 彼女は、牢獄の庭で目にする花々や樹々、庭にやってくる、あるいは塀越しに聞こえる鳥たちの鳴き声について驚くべき知識で語る。この知識は、自然に対する深い愛情があり、それについて知ろうとする意志と日常的な習慣がなければ身につかないものだ。どれほど彼女が、闘争と研究の日々の中で、小さな生き物たちに共感を寄せていたかが良くわかる。
 そしてこの共感の心が、当然、人間に、とくに、弱い立場の貧しい人々たちにも向けられていたからこそ、彼女の思想と闘争もあったのだろうことが、よくわかる。
 人間への、自然への、深い共感がなければ、政治によって、経済によって、宗教によって、科学技術によって、より良い世の中を作り上げようとするいかなる試みも、無残な社会にしか行きつかない。
 そのことをぼくらはすでに知っているはずだが、今一度、肝に銘じておこう。
 ごく薄い岩波文庫の一冊で、山に行くときに電車の中で読む本がまたひとつ増えた。
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「秘密の花園」

2019-03-07 21:04:17 | 読書の楽しみ
 子供の頃、児童文学をたくさん読んでおいてよかった。それは今でも僕の大切な財産だし、それだけでなく、ぼくはかつて危機的な状況にあって、その時子供の頃の読書体験に支えられて生きてきたと思う。
 田舎の、祖父の暮らす離れの座敷には、書棚に少年少女世界文学全集と、同じく日本文学全集があった。祖父がそれを読んだかどうか知らない。祖父は当時すでにほとんど口がきけなかった。「長男は家業を継ぐのだから学問の必要はない」という理由で高等教育を受けさせてもらえなかった祖父は、少年少女~が唯一可能な読み物だったかもしれない。
 ぼくはその本を片っ端から読んだ。「ロビンソンクルーソー」も「トムソーヤ」も「若草物語」も「十五少年」も「宝島」も「巌窟王」も、「源平盛衰記」も「里見八犬伝」も「次郎物語」も…その多くはダイジェスト版だったかもしれないが。
 最近、バーネットの「秘密の花園」を読み直した。岩波少年文庫の新訳が2005年に出ていて、旧版でも読んでいるから、少なくとも3度目だ。改めて、大いに感銘を受けながら、かつ納得しながら読んだ。
 簡単に書くが、同じ著者の「小公子」、「小公女」とは大きく異なる点が二つある。
 前2作はいずれも、主人公が純真で愛らしくて利発で人懐こくて思いやりに満ちていて、だれもが彼らを好きにならずにはいられない存在であり、彼らと接することによって、頑なな心を閉ざした人たちが幸福になってゆく、という話なのに対して、「花園」の主人公メアリは、裕福な家庭ながら親に愛されないで育った、人に命令することしか知らない、不健康で意地悪で癇癪もちでやさしさのかけらもない、可愛げのない子供だということだ。あとで登場する彼女のいとこコリンは、それに輪をかけたような子供だ。
 物語は、この二人が次第に、人の心の分かる、明るくて健康な子供に育ってゆく過程なのだが、そのために契機となる人物が何人かいる。中でも重要なのが、女中のマーサの弟のディコンと、母親のスーザンだ。
 二人とも、素朴で優しくて思いやりに満ちていて、「小公子」のセドリックや「小公女」のセアラのような、誰もが好きにならずにはいられない存在で、メアリとコリンはこの二人とのかかわりを通して変わってゆく。
 …というと、まるで主客を入れ替えただけ、のように思われるかもしれないが、ここで前2作と異なる第二の点が重要だ。それは、自然の持つ働きだ。
 新鮮な空気、季節とともによみがえり、芽を出し、育ち、花を咲かせる植物たち、人間と心を通わせることのできる小動物たち、それらに囲まれ、それらの中で遊んだり働いたりすることを通して、人は少しずつ、体と心の健康を取り戻してゆく。その自然の描写も大変美しい。
 自然は、人が健やかに育つために、健やかに生きていくために、必須なのだ。
 それは現代でも変わらないはずだ。
 だから、ぼくたちの生きているこの社会は、深刻な困難な問題のただなかにある。自然から力をもらえなくなってしまったからだ。
 皆さん、「秘密の花園」読みましょう。岩波少年文庫に入っています。
 今の子供は本を読んでいるかなあ。インターネットをする時間が小学生で平均約2時間、というニュースを先日していたが、本も読んでないし、ましてや自然の中で遊んでいないのだろうなあ。
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「クヌルプ」-山に持ってゆく本

2019-02-11 21:56:05 | 読書の楽しみ
 日帰りのハイキングに行くときに、薄い本を一冊、ポーチに入れていく。行き帰りの電車用だが、行きは早起きの寝不足を補うために寝て行くことが多いし、帰りは疲れと駅で買ったビールのせいでうつらうつらしていることが多いので、実際にはあまり読まない。でも、なぜかうまく眠れなかったとき、途中で目が覚めたときなどに、あると落ち着く。
 歩いている間は荷物になるので、ごく薄い文庫が良い。初めて読むものよりも、何度も読んで気に入っているものが良い。気に入っている箇所だけを思い出しながら拾い読みもできるし、パラパラめくって線を引いてあるところだけを読むのも良い。何べん読んでも飽きないもの、改めて感銘を受けるもの、あるいは改めて納得できるものが良い。
 となるとかなり限られてくる。思いつくままにいくつか挙げると、ヘッセの「シッダ-ルタ」、「デミアン」、「クヌルプ」、トーマス・マンの「トニオ・クレーゲル」、コクトーの「恐るべき子供たち」、ヴェルコールの「海の沈黙」、パウロ・コエーリョの「アルケミスト」、サン=テグジュペリの「夜間飛行」、ジャック・ロンドンの「荒野の呼び声」、ジェイムズ・バリーの「ケンジントン公園のピーター・パン」など。日本のものでは、堀辰雄の「風立ちぬ」、谷崎潤一郎の「吉野葛」などだ。もう少し厚いものでお気に入りのものはいっぱいあるが、山には持って行かない。
 これらの中でとくに気に入っているのが、「クヌルプ」だ。
 一生、定職を持たず、安定した家庭生活も持たず、放浪の職人の生活をつづけ、明るく陽気で、行く先々で人々をやさしい気持ちにさせた主人公クヌルプが、歳をとり、旅に疲れ(といっても、長生きになった現代と違って、40になったばかりなのだが)、最後は故郷に近い山道の雪の中で行き倒れになる、という話だ。
 なぜこの本に惹かれるかと言うと、主人公が一生風来坊であったというところについ自分を重ねてみてしまうこと(と言ってもぼくは彼のように愛されキャラではないのだが)、山で行き倒れになること(そのように死んだらいいかも、と心のどこかで思っている自分がいる)。
 だがそれだけでなく、彼が雪の中で意識が朦朧となって神様と対話する(幻想を持つ)場面が、繰り返し読んでもそのたびに美しいのだ。彼は「自分の生涯は無意味だった」と言う。神様が「いや、そうではないよ、思い出してごらん」と言って、彼の命が輝いていて、彼に接する人々もその喜びを共有していたことを、彼の愛した女たちのことを、次々に思い出させる。クヌルプは最後にすべてを肯定して、再びやさしい気持ちになって、雪の中で目を閉じる。
 「山で行き倒れになるのが好ましい」と書いたが、訂正。
 彼が最後に、風来坊であった自分の一生のすべてを肯定して、「何もかもあるべき通りです」と神様に告げることができるのが、好ましいのだ。このために、繰り返し読む。

 ここ数年、毎年夏に霧ヶ峰に行く。車や観光客の多いビーナスラインから外れた沢渡という静かな谷間の宿に泊まる。その宿の名が「クヌルプ・ヒュッテ」という。去年7月に亡くなられた先代のオーナーがヘッセが大好きで、特に「クヌルプ」が好きで、山小屋をはじめ、この名をつけられたという。初めは、名前に惹かれて行ってみた。小さいけれど清潔で食事のおいしい、若主人とお母さんのやさしい、良い宿だ。サロンの書棚に、山の本や画集に交じって、古い版のヘッセ全集が並んでいる。
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「春になったら苺を摘みに」

2018-11-23 21:54:20 | 読書の楽しみ
・・・できること、できないこと。
 ものすごくがんばればなんとかなるかもしれないこと。初めからやらないほうがいいかもしれないこと。やりたいことをやっているように見えて、本当にやりたいことから逃げているのかもしれないこと。――いいかげん、その見極めがついてもいい歳なのだった。
 けれど、できないとどこかでそう思っていても、あきらめてはならないこともある。・・・
    (梨木香歩「春になったら苺を摘みに」新潮文庫)

 今日は、引用だけ。
 「見極めがついてもいい歳」と言っているのは、彼女は1959年生まれだから、書いたのはたぶん、47歳ぐらい。
 ぼくは、いまだに見極めがつかないなあ、と思いつつ。
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「老年を生きることの恩寵」

2018-10-31 10:13:04 | 読書の楽しみ
 梨木香歩の小説「海うそ」を読んでいたら、最後のところでこの言葉に出会った。
 なんて素敵な、うっとり幸福を感じるような言葉だろう!
 昭和初期、若い博物学的研究者の秋野は、かつて修験道の一大聖地であった、今はうっそうとした自然の中に平家の落人だったと言い伝えられる人々の住んでいる、南九州のちいさな島に入り、島の若者と野宿しながら山野を歩き回る。秋野は最近両親を相次いで失くし、婚約者も失くし、深い喪失感を感じている。その喪失感が、かつての隆盛の跡が廃墟となって残っている島自体の感じさせる喪失感と呼応する…
 …これから読むかもしれない人のために、ストーリーを書くのはやめよう。

 人生は、たぶんほとんどの人にとって、失うことの連続だ。親しい人を失い、若い頃の大きな夢やあこがれを失い、歳をとるにつれて体力や能力や健康を失い…にもかかわらず、老年を生きることは恩寵でありうるか?
 失うことの悲しみは、わたしの心の中で、というよりわたしという命の中でゆっくりと溶けて吸収されていく。歳をとるにつれて、わたしはその過程を自分で感じられるようになり、静かに肯定して受け入れることができるようになる。
 
 作者は、「喪失とは、わたしのなかに降り積もる時間が、増えていくことなのだった」と書いている(小説の最後の部分では、50年の時が経っている)。
 その通りだと思う。ぼくはまだ喪失感のただなかでもがいて抵抗しようとしているようだが、やがてそういう肯定に達することができたら良いなと思う。

 ところで、梨木香歩はとても好きな作家だが、ぼくより一回り若いはずだ。「海うそ」は2014年刊行だから、55歳くらいでこの小説を書いているはずだ。80を過ぎた老人の心境がこんなに的確に書けるなんて、作家というのはすごいものだ。

 …と思って、しばらくたってから、「あれ、ぼくは一度、過ぎていく時間に対する肯定感って、感じていたことがあったよな? この場合と全然違うものではあるかもしれないけれど」と気が付いた。保土谷の林の中の一軒家に一人で住んでいた時のことだ。そこは、時が非常にゆっくりと流れているような場所だった。あの頃はまだ、いまよりは体力があった。
 ぼくは今、抵抗しようともがいているただ中だが、あの林の中でそのまま老いていくべきではなかったし、そうはできなかったのだ。

 とすれば、梨木香歩がこれから実際に年老いていく中で、どのように思いを変化・深化させていくか、そこから書かれる作品がますます楽しみになってきた。
 残念ながら、ぼくの方が先に地上を離れてしまうが。
(「海うそ」岩波現代文庫)
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やっと・・・(2)

2018-09-16 21:49:12 | 読書の楽しみ
 やっと、いくらかは本が読めるようになってきた。本を読むのには、体力はあまりいらないが、かなり集中力がいる。猛暑の間は、コマ切れのごく短い時間で読める詩のアンソロジーみたいなものしか読めなかった(ぼくは短編小説はほとんど読む習慣がない)。
 とりあえず、今年の初めに亡くなったアーシュラ・ル=グィンの作品を読み直している。「アースシー(ゲド戦記)」6巻を読んで、「西の果ての年代記」3巻を読んで、いま「ラウィーニア」を読んでいる(これは、4回目)。ル=グィンの作品でぼくが読んだのはこれで全部だ(彼女はSFをたくさん書いているが、ぼくはSFはほとんど読む習慣がない)。
 「アースシー」は、以前読んだ時に大きな読み間違いをしていたことに今回気づいた。これだから、同じ本を繰り返し読むのは意味がある。
 ル=グィンの作品について書くのは骨が折れる。というより、ぼくの手には余る。だから簡単に、以下のことだけ書くことにする。
 読み直してみて改めて思うのは、彼女の作品がどんどん豊かになっているということだ。「アースシー」の最初の3巻と第4巻、さらに第5・6巻ではそれぞれ10年以上の間隔があいている。そのあとは、比較的短い間隔で「西の果ての年代記」3巻が書かれ、続けて「ラウィーニア」が書かれている。彼女が書き継いでくれてよかった。最初の3巻はいわゆるファンタジーであり、しかもファンタジーの最高峰とは言えない。例えば「指輪物語」や「果てしない物語」と比べたらよくわかる。
 しかし「アースシー」の後半はファンタジーを書きながらファンタジーの枠を軽々と超え、人権、特に女性の権利と社会でのその充実した生き方、平和を実現するための基本的な姿勢、宗教的な考え方とその軛からの開放、人が自由であるためには何が必要か、など現代を見通せる目を獲得し、しかも物語の語り口が進化している。
 「西の果て」は書き進むにつれて、物語が生まれ、語られ、記憶されること自体が重要なテーマの一つになり、「ラウィーニア」ではローマの詩人ヴェルギリウスの「アエネーイス」を下敷きに、その中に数行出て来るだけの女性を主人公に、時間と空間を全く自由に行き来して精妙な物語が紡ぎ出される。
 …作品の中からどんどん引用して具体的に紹介しなければ、こんな抽象的な書き方をしても仕方がないのだが、多くの人が「ゲド戦記(アースシー)」でやめてしまうのはあまりにももったいないので、あえて書いてみた。
 幸い、「西の果て」は文庫(4巻)になっている。「ラウィーニア」は単行本しか出ていないが、ぜひ、そこまでたどり着いて読んでほしい。
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