すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

あやつり人形

2019-02-27 22:29:29 | 偏屈老人申す
 林試の森は、ポケモンとやらが出やすいらしい。
 散歩を兼ねて目黒まで出かけるのによく通るのだが、しばしば、たくさんの人の群れに驚く。広い敷地なので、時には出口付近でまた別の群れに遭遇したりする。
 散歩やジョギングをするでもなく、ゲートボールやキャッチボールをするでもなく、バラバラに立ってバラバラの方向を向いて、黙々とスマホを操作している人の群れ。ポケモンて何だか知らないのだけれど、あの人たちはそれが目当てであそこにいるのだよね?
 何をするのも自由だし、人に迷惑をかけるわけではなし、こちらも目くじらを立てるわけではないが、大の大人たちがなんだか異様な光景。というか、なんだか不気味。
 東側の広場では芝生の一角にまとまって植えられた寒緋桜が満開に近いのに、その傍らで花には目もくれないでスマホをいじっている人たち。
 そのうち、魂を抜かれて操り人形になってぞろぞろ歩き出すのではないか。
 本来は、家から近くて非常に気持ちの良い場所なのに、残念な気はする。
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工事中

2019-02-25 22:00:23 | 偏屈老人申す
 この時期は毎年だが、いたるところで道路工事をしている。あの音やアスファルトの匂いや埃が苦手なので横道にそれると、そこでもやっている。地方自治体は今年度の予算を使い切ってしまわないと来年度の予算が減らされるので、帳尻合わせにこの時期に工事をするのだ、と聞いたことがある。
 古くなった水道管やガス管の取り替え、などのように必要不可欠の工事もあるだろうが、そうではなさそうなものもある。公園の芝生をはがして花壇にする、とか、ジョギングしやすそうな木材チップの道をアスファルトにする、とか、池の底をコンクリートにする、とか。
 ぼくの通った中学校に沿った道は、車道との間の生け垣を根こそぎにして鉄のフェンスに変えた。スイカズラかツクバネウツギの仲間と思われる、しっかりと密生した、安全上の問題はまったくなさそうな、良い生垣だったのに。
 公共工事はいちばん手っ取り早い経済活動だから、想像力のない役人や政治家が地域を活性化させるために、つまりお金を使うために、まず考えるのがこれだ。「物から人へ」というキャッチフレーズは今も有効だと思うのだが。
 「経済成長は、国家が、国家の経済が、安泰であるためになくてはならない、そしてそれは人々が豊かで幸福な生活を送るために必須である」、と考えている人々が、経済界も政治家も庶民も、大多数なのだろう。先日、「庶民の暮らしを守ります」と言っているある政党の支持者と話をする機会があったが、「経済成長って、それは必要に決まっているじゃないですか。それなくしてどうするの」と、彼は言っていた。あまりにも当然のように言うので、ぼくはあっけにとられて反論する気をなくしてしまった。
 人々が幸福な生活を送るためには、いまよりは手間がかかったり物があふれていなかったりするのは、ある程度は仕方がない、工夫の余地はある、とぼくは思う。
 でも、そのように考える政治家は決して多数派にはならないだろう。票が集まらないから当選しないし、政治は経済の手下、もしくは微修正者、でしかないから。
 世の中が変わるためには、たぶん、素晴らしい政治家、ではなく、偉大な思想的リーダーが必要だろう。あえて言えば、霊的リーダーが必要だろう。
 人類は今、第二の転換期に差し掛かっている。急成長から安定状態への転換点。そこを乗り切るには、第一の転換点、定常から成長への転換点、の時に出現した思想的リーダー、すなわちシャカやイエスなどのレベルのリーダーたちが必要だろう。
 地球温暖化は、地球の気象現象の全てを混乱させつつある。環境の悪化は、地上の生き物全ての生きる基盤を変えつつある。でも、このままでは破滅に至る道しかない、ということに人々が戦慄的に思い至るまでに、まだ時間がかかるだろう。
 したがって、思想的リーダーが出現するまでには、まだ百年か二百年くらいかかるかもしれないので、ぼくは居合わせることができないのが残念だが。
 (これから、「偏屈…」カテゴリーが増えそうだなあ。)
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望郷じょんから

2019-02-23 21:32:42 | 音楽の楽しみー楽器を弾く
 町内会の老人クラブに、津軽三味線の達人がいる(かりに、Uさんと呼ぶ)。鉄工所を経営していて、事故で左手の指を一本怪我しているのだそうだが、音を聞いているとそんなことは全く分からない、素晴らしい演奏だ。来年、東京オリンピックの開会式のイベントでも弾くのだそうだから、本当にすごい。
 老人クラブの集まりのある時には、その演奏を聴かせてくれる。ぼくもその集まりでマンドリンを鳴らしながら歌うのだが、Uさんの前後では、自分のやっていることがあまりにへたっぴーで、気後れがして、「やりたくないな-」、といつも思う。もっとも、ぼくは皆さんと一緒に歌えばいいと思っているので、それでもやるのだが(先日、彼はぼくのあとに登場して、「わたしは歌えないので…」と言っていた。人それぞれ持ち場はある)。
 その音色があんまり素晴らしいので、ぼくもやってみたくなった。もちろん、三味線を、ではなく、津軽っぽい音楽を、マンドリンでだ(もちろん、単なるまねっこだ)。
 三味線の楽譜などぼくに理解できるはずもないし、あれは師匠と一対一で一音一音稽古するものだろうから、やりようがない。そこで、細川たかしの「望郷じょんから」をやってみた。たまたま、家に伴奏付きの楽譜があったのだ。
 やってみると、なかなか楽しい。
 津軽三味線による前奏・間奏・後奏は、はじめのうち何がなんだかわけがわからなかったが、手の付けようがないながらやっていると、そのうち何となくメロディーラインだけは見えるようになってきた。でも津軽三味線特有のあのずり上がるような唸るような音はどうすれば出せるのだろう? 
 フラット・マンドリンのテクニックのハンマー・オンかスライドで、いくらか雰囲気だけは出せるようだが、本当はどうするのかは分からない。連続して同じ音を素早く弾くときに、右手のピッキングだけではなく、左指をいちいち上げて下ろす方が、近い感じになるようだ。これはマンドリンやドムラではやらないようだが。
 こんどUさんに会ったらどうするのか尋ねてみよう。たぶん4月下旬だろうから、それまで自分でいろいろ考えるのも楽しい。
 津軽三味線とマンドリンでは楽器としての表現力が数段違うと思うし、Uさんのように何十年やっている達人のしていることが真似できるわけはないので、やってみること自体あまり意味がないのだが、興味深くて楽しければそれでよいことにしよう。
 人に聴かせるものじゃなし。
 アンデスのフォルクローレの楽器、チャランゴみたいな感じで「コンドルは飛んでゆく」を弾いてみる、とか、沖縄の三線みたいなかんじで「芭蕉布」を弾いてみるとか、遊びはいろいろできる。
 余生は遊びだからね。
 あ、ついでに、津軽三味線の真似をするには、マンドリンのあの小さいピックではなくて、ギター用の大きな三角のピックの、鼈甲製のを使った方が良いようだ。これも、遊びの中の発見だ。

 明日は友人と筑波山だ。ケーブルカーで登るようだし、帰りは温泉なので、ハイキングというよりは物見遊山だけれど。
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科学技術は

2019-02-22 23:24:23 | 偏屈老人申す
 はやぶさ2が小惑星リュウグウへの着陸に成功した。すごいことだと思う。地球から遠隔操縦してるんでしょ、あれ。3.4億キロ離れた機体に信号を届けるだけでもすごいし、その信号が届くのに、電波は秒速30万キロとして約18分かかるのだから、それにもかかわらず、動いている対象を、必要に応じて、指令通りに加速したり減速したり、直径6mの円内にソフトランディングさせるというのは想像を絶する。
 ところでぼくは、同時に、すこしちがうことも考えた。
 科学技術は、目覚ましく進歩する。世の中はどんどん便利になる。時に、早く変化しすぎて老人には付いていけないと思うほど。あるいは、めまいがするほど。
 科学技術は、どんどん積み上げていくことができる。今ある技術を改良し、または、より効率の良い新しい技術を開発していけばよいのだから、幾何級数的に進歩する。
 人間の叡智は、というのは大げさならば、人間の考える能力は、非常にゆっくりしか進歩しない。時には退歩もする。今から2000年やそれ以上前の思想家や宗教指導者の言葉が今でも有効性を持つ。
 科学技術を扱う人間の側は、しばしば大きな間違いを犯す。技術を正しくない、使うべきでない方向に使う(核兵器とか)。あるいは、正しいと思って使ったつもりが間違いだった、ということがある(遺伝子操作とか)。あるいは、使いこなせる積りでいても実はそうではない(原発とか)。
 だが、ここではもう少し身近のことを考えてみよう。
 ぼくが幼稚園の頃、お遊戯の練習の音楽はゼンマイ式の蓄音機にSP盤のレコードだった。中学の時にはポータブルの電蓄にEP盤でプレスリーやコニー・フランシスを聴いた。テープレコーダーができ、CDができ、MDができ、ICレコーダーができ、いまではそれらのほとんどは、過去の技術になっている。
 ぼくはいまだにMDで録音している。ICレコーダーはぼくにとっては使い勝手が悪すぎる。だから廃れてしまって、今ではスマホなのだろうが、ぼくはいまだにガラケーを使っている。スマホの使い方を覚える気にならないし、友人たちが使っているアプリのほとんどすべてを、必要のない余計なものだと思っている。電車に乗っている人のほとんどはスマホ中毒だと思っている。
 いま使っているMDレコーダーとMDアンプが、そう遠くないうちに壊れるのだろうが、そうすると、ぼくがこれまでに録音した膨大な音源はすべて、使い物にならなくなるのだろう。大打撃だ。今のうちにスマホにダビング、なんてこと考えただけでも気が遠くなるから、たぶんぼくはそれらの音源をすべて捨てて、これから後を生きることになるだろう。
 その上、ガラケーって、もう生産していないのだそうだ。通信大手の三社も、順次ガラケーは使えなくするのだそうだ。
 まあ、電話とメールが出来さえすればよいのだから、それだけはスマホで覚えることになるのだろうが、煩わしいことだ。
 山登りと音楽と読書で余生を送るつもりなら、そのほかにはせいぜいこのブログだけならば、アプリなんて何にも要らないのだからね。
 便利はときに人を生きにくくする。例えば、携帯電話ができたおかげでほとんどの従業員は個人の時間と自由を大幅に失った。まあそのことは、そのうち書くことにしよう。

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蝉時雨

2019-02-20 21:58:40 | 老いを生きる
 昨夜ふつうに眠れたはずなのに疲れが取れないので、出かける前に少し休んでおこうと横になったのだが、目を閉じるとセミが鳴いている。あっちでもこっちでも、様々な音程で。少年の日の夏の午後のように。
 ここ数年、かなり耳が悪くなってきていて、去年デュモンをやめたのも、お客様のオーダーが聞き取りにくい、というのも理由のひとつにあったのだが、この蝉の声も聴力の衰えのせいだろうか。
 毎晩寝るときに枕もとの両側の小型スピーカーで一晩中せせらぎの音を小さく流している。それで気が付かなかったのだが、沈黙の中で目をつむると、じつは以前からこんな音がしていたのだろうか。それともこれは老化に関係なく、血流の音など体の中の音が誰でも本当はこんなように聞こえているのだろうか。
 その疑問はともかく、その蝉時雨のせいで、ぼくは半ズボンの自分の姿を思い浮かべた。麦わら帽子をかぶって、真新しい捕虫網を持って、腰から虫かごを下げている。顔は陰になってよく見えない(自分の顔なのだから、よく見えないのは当たり前だが)。
 捕虫網が真新しいのは、じつはぼくがそれをほとんど使わなかったからだ。ぼくはどちらかと言うと昆虫が苦手な、魚釣りも苦手な男の子だった。ほかの子が夢中になっていると羨ましくなって、真似して網や棹をおねだりしてみるのだが、全然採れないし釣れないのですぐに飽きてしまうのだった。
 これに対して、親戚の人にプレゼントしてもらった顕微鏡には夢中になった。小学生の顕微鏡だが、おもちゃのようなものではなく、ちゃんと対物レンズが3つあって回転式に倍率を変えられる本格的な物だった。ぼくは何でも、花びらでも葉っぱでも土でも泥水でも、葡萄のカスでも台所の灰でもその辺にあるものは何でも、時には薄くカミソリでスライスなどして、プレパラートに載せて覗いてみたのだった。あれは、幸福な夏だった。
 …耳の中の音からそんなことをぼんやり思い出していたら、枕もとのタイマーが振動を始めた。もう少しそうしていたかったが、ぼくは起き出して老人会に行ったのだ。会場準備のお手伝いと、みんなで歌う懐メロのお相手に。
 夜、パソコンに向かっていると、またセミが鳴いている。慣れるまでしばらくかかりそうだ。
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立ち向かう力

2019-02-16 21:16:54 | 夢の記
 昨日書いた夢のことをぼんやり考えていたら、あの夢と池江選手の病気の報道とは、じつは繋がっているということに、ふと気づいた。

 池江選手はたとえ今現在どんなに心身ともに打ちのめされているとしても、必ずそれを跳ね除けるだろう。彼女の、アスリートとして鍛えぬいた体の若い生命力が、病気に打ち勝つに違いない。一時的に混乱や絶望的な気持ちになることがあっても、彼女の闘争心が、まっすぐ前を向いている心のありようが、必ず困難や悲観に打ち勝つだろう。 
 ぼくはそのことを、すこしも疑っていない。安心して、陰ながら応援していればよい。

 自分のことを少し心配してみよう。
 昨日の夢の中のぼくは、自分が陥った理不尽な状況に抵抗する意欲を全く失っている。その前に飛びながら必死に抵抗はしていても、それで疲れ切ってしまって、後半は、ただ休みたいと思っているだけだ。
 ぼくが今、現実に重大な病気になるとか、あるいは雪の山で道に迷うとか、のような大きな困難に直面したら、ぼくは「もう年だし、このまま受け入れればそれでいいのだ」とか、「ぼくには立ち向かう力がない。これがぼくの人生だったのだからやむをえないのだ」とか思って、あっさりギブアップしてしまうかもしれない。現に、2月11日の記事(「クヌルプ」)の中で、そのようなことを書いている。
 とすれば、夢がぼくに突き付けたのは、「お前は本当にそれでいいのか? 何か起きたときに立ち向かおうとしなくていいのか?」という問いだったのだ。
 それだけではない。それは同時に、「お前は今の自分の状況を少しでも良くしようという努力を、ほとんど投げ出していないか?」と問う声でもある。
 とすれば、池江選手の、「自分に乗り越えられない壁はないと思っている」という言葉で、ぼくは自分自身の生きる姿勢を揺さぶられたのだ(情けない話だが)。
 一昨夜の夢の中で、ぼくは銃撃されて撃ち落されてもいいから隙を見て脱出しよう、と思うべきだったのかもしれない。
 しかし、この問いに対する答えを、早急に出すのはやめておこう。時間をかけて良く考えてみなくてはわからない。慣れ親しんできた心情を振るい落とすのには生半可ではないパワーが要る。
 でもとりあえず、ひとつだけ確認しておこう。夢の中でぼくが、「寝ている間に器具を取り付けたり麻酔を打ったりしないでくれ」と言ったのは、受け身的な弱い抵抗ではあるが、困難な状況から抜け出そうとする試みを、完全に捨てたわけではない、ということを意味するだろう、と。
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空を飛ぶ

2019-02-15 13:25:53 | 夢の記
 学校のグランドで、住民全員参加の、防災についての集会があるという。家を出て向かうが、いつの間にか山間のお寺の長い石段の前にいる。道を間違えたようだ。グランドが反対方向の町中に見える。人が集まっていて、拡声器で何か言っているようだ。間に合わないので、空を飛んでいくことにする。
 ところが、工事現場のようなところに入り込んでしまう。鉄道工事のような、長い長い現場だ。次々に現れる巨大なクレーンやパワーシャベルのようなものを避けながら飛ばなければならない。両側には鉄骨が立ち並んで、その狭い現場から抜け出すことが難しい。
 やっとそこを抜けだすと、突風に襲われる。もうどこを飛んでいるかわからないが、どんどん流されて海上へ出ているようだ。下に船がいっぱい見える。「陸に戻らなければ危ない」と思い、必死に風に逆らって飛ぼうとするが、前には進まず、どんどん後ろに、沖に流されてゆく。   
 「そうだ、気流を横切って抜けなければいけないんだった」と思い、右にカーブを切ろうと全身の力を籠めるのだが、いくら頑張っても抜け出せない。右前方に美しい海岸と陸地が見えるが、全然近づかない。ついに力尽きて気を失ったようだ。
 気が付くとベッドに寝かせられていて、看護婦さんのような人がついている。ふらふらする体で起き上がって、「ああ、ぼくは助かったのですね。信じてもらえないでしょうが、ここまで空を飛んできたのです。ここはどこでしょうか? 帰らなければなりませんが、もう飛びたくありません。最寄りの地下鉄かバスの乗り場を教えてもらえないでしょうか?」と尋ねるが、彼女は何も言わない。
 軍人のような服を着た男が二人来て、看護婦さんは部屋から出ていく。男は、「ここは船の上だ。君を返すわけにはいかない。君はここで取り調べられることになる。けっして逃げ出そうとしてはいけない。空を飛ぼうとしても、私たちは銃を持っている。君は直ちに射殺されるだろう」と言う。でも、そのしゃべり方は穏やかで威圧的ではない。
 「そうか、ぼくはたまたま船の上に落ちて助かったのか。スパイ活動か何かしていたのか、何か軍事的な秘密のある船らしい。」と思う。それならそれで仕方がない。
 「それでは逃げはしません。取り調べも受けます。でも、もし許されるなら、もう少し休ませてください。疲れ果てていて眠りたいのです。それから、ぼくの寝ている間に体を調べようとして機具を取り付けたり麻酔を打ったりしないでくださいね。目が覚めたら何でもしますから。ぼくがなぜ空を飛べるのか、ぼくにもわからないのですが、何も秘密はありません」と言う。男たちは黙って部屋から出てゆく。ぼくはもう一度眠りに落ちる。

 …空を飛ぶ夢を久し振りに見た。以前よく見たのは、あまりに高く上がってしまって、一人ぼっちで、心細さに胸がつぶれる思いをしている、というものだった。それとはかなり違う。
 昨夜のは明らかに、この頃よく見る夢、冷たい雨の中や泥の中を進もうとしているのだが、体が思うように動かず、目的地にたどり着けない、というのと合体している。
 それはそれなりに理解できなくはないのだが、後半部分はなぜ見たのか、腑に落ちない。
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ひまわり娘

2019-02-14 09:38:01 | 社会・現代
 ぼくは競技スポーツの記録とか順位とかに比較的関心が薄い方だが、「池江璃花子選手がまたまた日本記録更新!」というようなニュースが流れるときに映し出される明るい笑顔は、「ああ、いいなあ」と感じてきた。すごくきつい練習を重ねているだろうに、すこしもそういうことは顔に出さない満面の笑顔。
 女子の体操選手やフィギュアの選手が時にあまりにも幼く見えることがあるが、競泳の池江選手は手足が伸びて、成長していく若さと健康そのもののすこやかさに見えた。
 ぼくは彼女がTVに映ると、ひそかに「ひまわり娘」と思って、元気をもらっていたのだ。そういうふうに思っていた日本人は多いかもしれない。
 今度のことは、病気を告げられた本人がいちばん大ショックで辛いのに違いないのだが、そう思うとぼくまでかわいそうで涙が出そうになるが、彼女は「神様は乗り越えられない試練は与えない」と書いている。
 「何とかオリンピックまでに治したい」という気持ちはあるかもしれないが、どうかじっくりと完治を目指してほしい。
 そしてあのひまわり娘の笑顔をまた見せてほしい。
 彼女が病と闘い、乗り越えれば、今までアスリートとしての彼女に励まされてきた人たち、彼女の笑顔に爽やかさと元気をもらった人たちだけでなく、病と闘うたくさんの人たちを、もっと深く、励まし、乗り越えようとする勇気を与えることができるのだから。
 神様がもしいるとすれば、そして彼女に試練を与えたとすれば、その試練は同時に、病と闘うたくさんの人たちの希望となるという、大きな計らいでもあるのだ(そんな神の試練や計らいは無い方が良かっただろうが)。
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音色

2019-02-13 20:35:50 | 音楽の楽しみー楽器を弾く
 同じ楽器を弾いても、弾く人によって音色は大きく違う。熟練した人が弾くとクリアな良い音に、初心者が弾くと、ぼやけた頼りない音になる。これは聞いている人がアマチュアでも、違いはすぐわかる。ピアノの音色などで多くの人が経験していることだろう。
 ぼくが以前持っていた2台のドムラの片方を手放した時、渡した相手がそれを手に取って弾き始めた瞬間に驚いたことがある。ぼくが弾いていた時と全然違う音が出た。「これは、こんなに良い音だったのか」と思った。相手は、ロシア民族楽器オーケストラの指揮者で、日本一の演奏家でもあるのだから、あたりまえと言えばそれまでだが。
 また、良い楽器は弾き込めば引き込むほど、初めは生硬だった音が柔らかくしかも豊かに響くようになるということも良く知られている。
 ぼくの今弾いているフラットは、やっとこの頃、初めの頃よりは良い音で鳴るようになったと実感できる。専門家が弾いたらこんなものではないだろうが。
 昨日ぼくは、「あまり進歩していない」と書いたが、じつは楽器もぼくも、いくらかずつは進歩しているのかもしれない。ぼくの腕はとにかく、いまの楽器には満足している。
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立ち弾き

2019-02-12 21:48:12 | 音楽の楽しみー楽器を弾く
 ロシアの民族楽器ドムラを腰痛でマンドリンに持ち替えてからそろそろ3年になる。あまり進歩していない。
 マンドリンと言っても、普通のマンドリンはやはり腰に負担が来るから、ぼくのはフラットマンドリンという楽器だ。最初の練習用のを買ってほぼ1年後に、「なんとかやれそうだ」と思って買い替えてちょうど2年になる。
 今もっているのは、ウエーバー社のAタイプの、かなり良いものと思われる、なかなか美しい楽器だ。こんなに進歩しないのでは宝の持ち腐れでもったいないくらいだ。
 フラットは本来はカントリー・ミュージックでバンジョーとかフィドル(ヴァイオリン)とかと一緒に、ストラップで肩から吊るして立って弾く楽器だ。ドムラからの習慣でずっと座って練習していたが、最近になって立って弾いてみたら、体全体を使うから大変気持ちが良い。感情もずっと入れやすい気がする(もちろん、マンドリンの奏者は座って弾いて感情を入れている。初心者の話だと思ってほしい)。右手の強弱も付けやすい。
 ぼくは弾きながら歌をうたうのだが、歌も乗りやすい気がする。ただし年寄り故、疲れてしまうから、譜面台を二つ並べて、立ったり座ったりしながら弾いている。
 若い頃、合気道の練習をしていて右側のあばら骨を折って(剥離骨折して)、医者がそのままコルセットで固定したから、今でも骨が出っ張ったままだ。これが楽器の背に当たって痛いので、出っ張った骨の上下に肌着の上から極厚の隙間止めテープを張って、当たらないようにしている。
 立って弾くようになったきっかけは、心臓だ。この冬は少し心臓の動悸が強く、やや圧迫感もあり、楽器を弾くときに共鳴して余計に動悸が強くなるような気がしたので、なるべく心臓から離した位置で、今までよりも下げて弾いてみようと思ったのだ。左手首の返りがやや強くなって慣れるまでは多少弾きづらい、心臓には良いようだ。
 いろんなことがあって、いろんな発見をするものだ。
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「クヌルプ」-山に持ってゆく本

2019-02-11 21:56:05 | 読書の楽しみ
 日帰りのハイキングに行くときに、薄い本を一冊、ポーチに入れていく。行き帰りの電車用だが、行きは早起きの寝不足を補うために寝て行くことが多いし、帰りは疲れと駅で買ったビールのせいでうつらうつらしていることが多いので、実際にはあまり読まない。でも、なぜかうまく眠れなかったとき、途中で目が覚めたときなどに、あると落ち着く。
 歩いている間は荷物になるので、ごく薄い文庫が良い。初めて読むものよりも、何度も読んで気に入っているものが良い。気に入っている箇所だけを思い出しながら拾い読みもできるし、パラパラめくって線を引いてあるところだけを読むのも良い。何べん読んでも飽きないもの、改めて感銘を受けるもの、あるいは改めて納得できるものが良い。
 となるとかなり限られてくる。思いつくままにいくつか挙げると、ヘッセの「シッダ-ルタ」、「デミアン」、「クヌルプ」、トーマス・マンの「トニオ・クレーゲル」、コクトーの「恐るべき子供たち」、ヴェルコールの「海の沈黙」、パウロ・コエーリョの「アルケミスト」、サン=テグジュペリの「夜間飛行」、ジャック・ロンドンの「荒野の呼び声」、ジェイムズ・バリーの「ケンジントン公園のピーター・パン」など。日本のものでは、堀辰雄の「風立ちぬ」、谷崎潤一郎の「吉野葛」などだ。もう少し厚いものでお気に入りのものはいっぱいあるが、山には持って行かない。
 これらの中でとくに気に入っているのが、「クヌルプ」だ。
 一生、定職を持たず、安定した家庭生活も持たず、放浪の職人の生活をつづけ、明るく陽気で、行く先々で人々をやさしい気持ちにさせた主人公クヌルプが、歳をとり、旅に疲れ(といっても、長生きになった現代と違って、40になったばかりなのだが)、最後は故郷に近い山道の雪の中で行き倒れになる、という話だ。
 なぜこの本に惹かれるかと言うと、主人公が一生風来坊であったというところについ自分を重ねてみてしまうこと(と言ってもぼくは彼のように愛されキャラではないのだが)、山で行き倒れになること(そのように死んだらいいかも、と心のどこかで思っている自分がいる)。
 だがそれだけでなく、彼が雪の中で意識が朦朧となって神様と対話する(幻想を持つ)場面が、繰り返し読んでもそのたびに美しいのだ。彼は「自分の生涯は無意味だった」と言う。神様が「いや、そうではないよ、思い出してごらん」と言って、彼の命が輝いていて、彼に接する人々もその喜びを共有していたことを、彼の愛した女たちのことを、次々に思い出させる。クヌルプは最後にすべてを肯定して、再びやさしい気持ちになって、雪の中で目を閉じる。
 「山で行き倒れになるのが好ましい」と書いたが、訂正。
 彼が最後に、風来坊であった自分の一生のすべてを肯定して、「何もかもあるべき通りです」と神様に告げることができるのが、好ましいのだ。このために、繰り返し読む。

 ここ数年、毎年夏に霧ヶ峰に行く。車や観光客の多いビーナスラインから外れた沢渡という静かな谷間の宿に泊まる。その宿の名が「クヌルプ・ヒュッテ」という。去年7月に亡くなられた先代のオーナーがヘッセが大好きで、特に「クヌルプ」が好きで、山小屋をはじめ、この名をつけられたという。初めは、名前に惹かれて行ってみた。小さいけれど清潔で食事のおいしい、若主人とお母さんのやさしい、良い宿だ。サロンの書棚に、山の本や画集に交じって、古い版のヘッセ全集が並んでいる。
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山はいつまで…

2019-02-08 21:49:38 | 社会・現代
 去年の秋から、山を歩いていて倒木の多さに心が痛んでいる。特に多かったのは杓子山と、昨日の倉岳山からの下りだろうか。
 まだそんなに古くないと思われるのは去年の台風の爪痕だろう。昨日の下りの月尾根沢などは、もともと植林地の手入れが行き届いていないために荒れてしまった例だろう。
 巨大な木が根っこから倒れて道を塞いでいる。尾根の上にあった大木が強風にあおられて表土ごと引き抜かれて、谷に向かって逆さに倒れている。いずれも、木の大きさに比べて根っこの浅さに驚く。たったこれだけの土の上に立っていたのだ、という感じ。
 ぼくたちのイメージでは、木は大きくなればなるほど地中に深く根を下ろす、と思っているが、実はそうではない。日本の山地は大概は、岩の上を薄い表土が覆っているだけで、そこに木が根をなるべく横に広げてしがみついて育つのだ。
 地震とか台風とか集中豪雨とかがなくても、そういう木はもともと倒れやすい環境に育っている。さらに、特に日本の山は、地殻のプレートのぶつかり合いのせいで崩れやすく、もろくなっている。
 そして、山は何万年もかけて少しずつ崩れ、やがては海に押し流されてゆく。

 ボブ・ディランの初期の名曲「風に吹かれて」の三番の歌いだしは、
 How meny years can a mountain exist
 Before it’s washed to the sae?
 山はどれだけの年月 存在し続けることができるのか
 海に洗い流されてしまう前に?
だった。

 そのように地球の表面は、何万年も何億年もかけて変化してゆく途中で、現在の仮の姿をしているのに過ぎない。その仮の姿が、現在という短い時を生きる人間にとっては変わらぬ姿に見えるとしても、忘れてはいけない。
 人間は、そして人類の総体も、その地球の仮の表面を一時的に借用して存在しているのに過ぎないことを。
 自然災害は起こるべくして起こる、と言っているわけではない。変化していくものだということをしっかり意識しておこう。だから一層、土地を私たちの手で弱くするようなことには反対しよう。そして、危険のありそうなところにはなるべく住まないようにしよう。人口が減っていく状況では、それは可能なはずだ。

 尾根や沢の上部が荒れれば、その荒廃は必ず下流に流れ下り、海までの流域の広い範囲に及ぶ。
 ここで、直接つながりはない付け足しになるが、ぼくには気になっていることがひとつある。
 ぼくの出身地は山梨県だが、その山梨でも一番山深い地域、南アルプスのふもとの奈良田(ならだ)のことだ。リニア新幹線という途方もないものを通すために、山々が削られ、途方もなく長いトンネルが掘られる。掘削工事のため、そしてそのために出た膨大な土砂を運び出すため、林道が作られる。
 荒らされた山は、そこから次第に周囲の山域を荒廃させてゆく。その荒廃はまた谷を荒らし、川を荒らし、そこに住む人たちを追い出し、下流に広がってゆく。
 奈良田は、かつては風習も言葉も独特の土地だったと聞く。例えば、日本の子守唄としては全く異例と思われる、朗々と明るい、歌声が山々にこだましてゆくような子守唄「焼き餅好き(奈良田の子守唄)」がある。
 すでにダム湖のために集落は移動し、温泉も出るので山奥の観光地になっているが、これからさらにどう変化していくだろうか? なるべく昔の姿をとどめて、というのは、そこに住まない人間のエゴだろうか?
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倉岳山・高畑山

2019-02-07 21:47:01 | 山歩き
 雪は全く、ひとかけらもなかった。山道がカラカラに乾いていたので、昨日はあのあたりでは雨さえも降らなかったのだろう。このコースは夏に2回、冬に1回来たことがある。前に冬に来た時には、山腹をジグザグに登っていく道が雪で覆われていて、アイゼンがなければ滑り落ちる危険がある感じだったのだが、それを期待していたのだが、残念だ。
 雲が広がっていたので、今日は富士山はダメだろうな、と思いながら登ったのだが、どちらのピークからも美しく白い姿が、いくらか霞んで見えた。ここは両方とも、富士の美しく見える名所なのだ。「竹取物語」をいくらか詳しく読んだ後なので、富士を見ておきたい、というのも今回の目的のひとつだったのだ。
 高畑・倉岳とも山頂付近は、立っていると体を持って行かれそうな、すごい突風が吹き荒れていた。
 今日も人にほとんど会わなかった。鳥沢の駅で降りた登山客はぼく一人。春秋はけっこう人気の高い山なのだが、登山道に入ってからも誰も会わず、高畑山の頂上でお昼を食べている間も誰も来ず、倉岳山の山頂までのあいだも誰にも会わず。まるで、世界はいつの間にか終わってしまっていて、風が吹き荒れているのはそのせいで、人類はすべて姿を消してしまって、ぼく一人が生き残って、しかもそのことを知らずに歩いている、というような不思議な気がしながら歩いていた。
 倉岳山の山頂で休んでいたら、やっと大学生が一人ぼくの後からやってきた。良かった、ぼくは人類の最後の一人ではなかった。
 並んでベンチに座って富士山を見ていたら、突風で目の前の道標が倒れた。「←梁川駅 高畑山→」と書いてあるやつ。見ると根元は平たい鉄板でできていて、鏃のように先がとがっていて、それを地面に打ち込んで周りに石を並べただけのものだった。二人でそれを立て直して石で押さえた。ちょっと面白かったが、また倒れるだろうな。
 倉岳山からの尾根道は倒木がすごかった。沢沿いに下る道もひどく荒れていた。もともとここは以前から荒れた感じの沢なのだが。水場もすっかり干上がっていた。荒廃した下りが長くていささか飽きた。
 けっきょく、今日出会ったのはその大学生一人だけだった。
 明後日土曜日は都内でも雪になるそうだから、きっと山ではたくさん降るだろう。ただ、残念ながらぼくは次は月末にならなければ山に行けない。その時はもう少し標高のあるところに行こう。

コースタイム:鳥沢駅スタート9:15、小篠貯水池9:52、地蔵分岐10:28、仙人小屋跡11:22、高畑山頂12:00~30、穴路峠12:55、倉岳山頂13:30~45、立野峠14:10、登山口15:11、柳川駅15:30
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デュモン再訪・歌・山登り

2019-02-06 20:58:04 | つぶやき
 シャンソニエ「デュモン」のスタッフを辞してからほぼ一年になろうとしている。昨夜、2か月ぶりに歌を聴きに行ってきた。感想を書こうと思ったのだが、今回感じたことと同じようなことを以前に書いた気がして記事を探してみたら、ちょうど3か月前に書いていた。
 歌い手さんの一部と、それから当然、曲目は変わっているが、デュモンの居心地の良さも、歌・歌い手・歌い手である/になる、ということについての今現在のぼくの思いも、あの文のままで、ぼくが昨日ふたたび感じた事と変わらない。
 もし、3か月前のをまだ読んでいただいてなかったら、良かったら読んでみて欲しい。「秋の光」18/11/09 、「秋の光(続)」18/11/10。

 ところで、明日、今年4回目のハイキングに出かける。中央沿線の高畑山(982m)と倉岳山(990m)。どちらも標高1000mに満たないが、今日の雨が山では雪になっているだろうと思う。郷里が山梨だから比較的よくそっち方面に行くのだが、冬に甲府盆地から中央線で帰ってくるときに、盆地が雨だと笹子トンネルからこちらは雪になることが多いのだ。
 雪だったら、これはもうハイキングではなくて登山と言っても良いだろう。
 まだ新しい雪の上をアイゼンを利かせて、ウサギの足跡とかを見つけながら歩く楽しみ! ここのところ冬は山登りには行かなかったから、雪の上を歩くのは3年ぶりだ。ワクワクしている。
 人間も、雪の上を歩くと、かつて狩猟に明け暮れた頃の遠い記憶が血管の中で騒ぐのだ。
 まだらになってしまった富士山も、明日はふたたび気高い白い姿に戻っているだろう。
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摂食障害―もうひとつ、お粗末な話

2019-02-04 22:28:25 | 無いアタマを絞る
 実はぼく自身、摂食障害の経験がある。昨日書いた話より、さらに10年以上前の話だ。
 その経緯を、原因と考えられるものや始まったきっかけを、ここで詳しく書くことはしないし、書けない。
 経過だけ簡単に書くと、初めのうちは体が軽い。「食べ物から解放されるって、こういうことなのか」というような高揚感もある。自分が、今までの自分とは違う一段高い存在に移行した感じ。
 高揚感のある間は、食べないことが苦しくない。ジュースぐらいは飲めるが、固形物は食べる気になれない。その高揚感はどれくらい続くか、人によってさまざまだろう。ぼくの場合何日ぐらい続いたのか、もう覚えていない。一か月ぐらいは続いたろうか。
 とにかく、そのあと、非常に苦しい期間がやってくる。体は食べ物を要求しているのに、心はそれを受け付けない。体重はみるみる13キロほど減った。もう、高揚感や解放感なんてものは全く消えて、それでもまだ抵抗を続ける、打ちのめされた自分がいるだけだ。
 でも本当に苦しいのは、その後だ。ある日、抵抗を続けられなくなる時が来る。食べて、それまでのタガが外れたかのように、一気に食べ物を詰め込む。そして吐く。
 これは、不可避のコースだ。誰も、生きて抵抗を続け通すことはできない。続け通すということは、カレン・カーペンターのように死んでしまうということだ。
 だから、拒食は必ず過食に転化する。そして、敗北感に打ちのめされる。食欲に負けた自分の弱さに対する嫌悪感と無価値感。自己処罰のためにまた食べて吐くことの繰り返し。
 それは、自己処罰であると同時にある意味、心地よいものにもなってくる。「やっぱり、これが自分なんだ」と、安心するような。
 ふつうはそのあとに、長い治療期間、あるいは破綻、がやってくる。
 …幸い、ぼくの場合は、フランスにいた時に先生に言われた言葉がその状態から抜け出す転機になった。当時その先生をほとんど崇拝していて、彼の言うことは絶対だった。「歌を続けたいなら、決して吐いてはいけない」という言葉。「吐くということは、胃酸が口まで上がってくるということだ。喉を焼かれるし、歯はボロボロになる。遅かれ早かれ、歌う声は出なくなる。だから、他の何をしてもいいから、吐くことだけはやめなさい」。
 ぼくは、吐くことだけはやめることにした。「ほかのことは、多少不健康や不道徳であっても、まあ仕方がない。吐くのだけはやめる。ただし、完全に止められるかと言ったら、自信がない。またあの苦しいのをはじめからやり直すのだけは御免だ。だから一年に二回だけ、頑張ったご褒美に吐いてもいいことにしよう」…これがまあ、二十か十代ならともかく、五十歳になろうとする男の考えることですかね。
 今考えると恥ずかしい限りだ。だが、これは病だから仕方がない。
 ともかくぼくはそれを実行した。結局、そのあと二回ぐらい吐いたと記憶するが、それだけで済んだ。
 「一年に二回だけは」というのは自分で考えて思いついたのだが、これは大いに有効な方法だと思う。
 ぼくのことだけでなく、一般的に言っても自己処罰感や無価値感が食べて吐く原因だと思うが、これを頑張った自分に対するご褒美に変えてしまうのだから、そうしたネガティヴな感情から解放される可能性がある。
 10年前に、Aさんにもメールで書いた。
 「強い願望があって、それを実現するためにひたむきになることができれば、食べ吐きの輪から脱出することは可能です。大きな選択をすれば、それに反する小さい選択はしなくなるから」と。
 もっとも、今ではぼくから歌はほとんど出て行ってしまったのだが、あの時に、歌うという願望があったおかげで、とにかく生き延びて今ここにいる。
コメント (1)
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