すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

花筏

2019-04-23 22:07:04 | 無いアタマを絞る
 少し前に見た目黒川の花筏を思い出している。花見客(もしくは通行人)が、「まあ、きれい」とか「素敵ねえ」とか、ウットリした声をあげていた。そういえばTVでも、レポーターが、「美しい言葉ですねえ」とか言っていた。
 この人たちは、言葉と目の前の現実の姿をすり替えて、あるいは、ごちゃ混ぜにして気が付かないでいる。
 「これのどこがきれいなものか」と思った。
 どぶ川のような黒く濁った水に浮かんだ、流れてさえ行かない、汚れた花びらの吹き溜まりに過ぎない。
 言葉は美しくても、その言葉の指すものが現実には美しいとは限らない。、もしくは、現実は美しいとは限らない。
 この言葉がいつ生まれたのか、だれが言い出したのか知らないが、室町時代後期の小唄集「閑吟集」には既にこの語が出て来るそうだから、古くからある言葉だ。
 昔の人達は、美しい水面に浮かんだ美しい花筏を見ていたのだろう。
 どこかに、ぼくの知らないところに、目黒川を見に来る人達の想像できないような、底の小石のくっきりと見えるように澄んだ流れを広がったり集まったりしながら下ってゆく、美しい花筏があるのに違いない。
 今でも、たとえば吉野川の上流に行けば、それが見られるのだろうか? それとも、花を尋ねて山中に分け入っていかなければ見られないだろうか?

 現代は、黒く淀んだ、時には悪臭のする川のようなものだ。
 ぼくたちは、その表面に浮かんだ塵芥のようなものかもしれない。

 …とまで思うのはやめておこう。
 ぼくたちは、塵芥とは違って、生きている。苦しみもし、もがきもするが、感じることはでき、考えることはできる。
 感覚麻痺に陥っていなければ。判断停止に陥っていなければ。
 淀んでいるだけではなく、流れていこうと模索することはできる。
 言葉の上っ面だけの美しさで満足して停まってしまうのは避けよう。現代が、黒く淀んだ川のようなものだということは、忘れないでおこう。
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山笑う

2019-04-22 20:36:43 | 近況報告
 高尾駅から先、列車の車窓から見える沿線の山々が、枯れ山でなく、と言ってまだ緑でもなく、淡い緑と白の混ざった色にぼうっと烟るように見えた。 
 南(左)に高尾山、北(右)には景信から陣馬に続く尾根。やがて、並び立つ扇山と百蔵山。あの間の大きな登り下りは、結構きついのだ。南に倉岳山から九鬼山に至る尾根。北に岩殿山の大岩壁。再び南に高川山。北に大きな滝子山。その後方に、たぶん、笹子雁ヶ腹摺り山から大菩薩に至る高い峰々。
 ホリデー快速ビューやまなし号の2階席に座ったので、いつも車窓から眺めるよりずっと山並みが近く感じる。何度も登ったことのある、なつかしい山々―故郷の山々だ。
 今あの山々の中を歩くと、クヌギもコナラもイヌブナもカエデも、木々は柔らかな葉をちょうど開き始めたところなのだ。それを思うと、つい口元がほころんでうれしくなってしまう。こういう時期の山の様子を、「山笑う」というのだろうか。
 樹々は毎年生まれ変わるわけではなく、木という個体として何十年何百年と生きるのだが、毎年、新しい芽を吹き、花を咲かせ、実をつけ、それらはまた過ぎ去ってゆく。
 家族と、お墓参りに行く途中だ。塩山で降りて、観光寺として有名になってしまった恵林寺で、車で向かった弟一家と待ち合わせた。山梨の大イベントの「信玄公祭り」が終わった後だからだろうか、日曜日なのに境内はひっそりしている。
 墓地に向かう道の杉木立の真ん中に、今日は乾徳山がすっきりと立っている。見事な山だ。家の墓はその墓地の一番奥、他よりは石段を10段ほど登ったところ、歴代の住職の無縫塔が並ぶ傍らにある。由緒ある墓なのだが、ぼくたちのあと継ぐ者がいないので、いずれ墓仕舞いをしなければならないのは確実だ。
 境内にある「一休庵」という食事処の、昔は能舞台だった舞台の上にしつらえられたテーブルでみんなでミニ懐石御膳を食べる。と言っても、今回(昨日)は「何回忌」というような法事ではないので、家族だけ七人だ。一昨日が三年前に他界した母の誕生日だったのだ。舞台はガラス戸が立ててあるが、左右の戸が少し開いていて、涼やかな風が通って気持ちがいい。お互いの健康の問題や、亡くなった親族の思い出や、そんな話だ。
 帰りはぼくひとり、甲府によって北口駅前でカフェを開いている同じ年のいとこと、ぼくには大恩ある叔叔父母のお墓参りをした。ここのお墓は、「~家の墓」という文字の代わりに墓石に「~家合同船」と書いてあって、感慨深い。
 列車の中で上橋菜穂子の「鹿の王」を読んだ。ぼくは「精霊の守り人」シリーズは、特のその前半は、あまり好きになれなかったので、「鹿の王」も今頃になって読んだのだが、こちらは感動した。
 これについては、別途、じっくり考えてみたい。物語を紹介するのではなく、そこに盛られている、ぼくたちの生き方や死や人と人のつながり、あるいは生命というもの、についての考え方を(医療についてはぼくには荷が重いだろうが)。真木悠介の「自我の起原」にも密接に関連しているところだと思うので。
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トレラン・シューズ

2019-04-20 10:04:33 | 山歩き
 昨日、ふと思いついて、弁当とお茶と双眼鏡とカメラとポケット図鑑だけの軽装備で高尾山に行ってみた。靴も登山靴ではなく、ウオーキング・シューズで行った。前夜に久しぶりにデュモンに行って最近のぼくとしては夜更かしをしたので、軽装にしたのだ。コースも、城山まで行かずに高尾山だけ行くことにした。
 高尾山口の駅についたら、あとからあとから小学生が改札を出て来る。山へ向かう道も、ケーブルカー前の広場も小学生で一杯だ。八王子の小学校の合同一斉登山会だろうか。何年か前にも一度遭遇したことがある。低学年はケーブルで、中学年は6号路を、高学年は稲荷山コースを登るようで、どこもいっぱいだ。
 一緒になってしまったらとても自分のペースでは歩けないから、ぼくは高尾病院の裏から急登するコース(「病院坂」と勝手に呼んでいる)を上がり、4号路経由で山頂に向かった。北面に当たる4号路は落葉広葉樹林で、いま新緑が美しい。荷物は軽いし足も軽いのに、夜更かしのせいか体は重い。
 平行する尾根からも谷からも大騒ぎが聞こえる。それはそれで、なかなか楽しいものだ。苦笑いしながら登る。イロハの森分岐では、何と右手から登ってくる幼稚園児の集団に出会った。先生たちに励まされて、中には手を引いてもらう子も「休みたいよー」と訴える子もいて、それでも4号路と交差して山頂に向かう道を登って行った。
 山頂についたら、広い展望広場が、お昼を食べる子どもたちで完全に埋まっている。ぼくは久しぶりにビジター・センターに入り、展示を見た。若い係員が明るくはきはき応対してくれて感じが良い。毎日13:30から自然観察会をしているとのこと。今日は落ち着かないから、こんどぜひ参加してみよう。
 むかし年若い知人がここの解説員をしていて、毎日登って通勤していると言っていたが、とっくに山は下りて都心の勤務になっているだろうが、彼ももう定年退職しただろうか。
 雑踏の中でお昼にするのは嫌なので、稲荷山コースの急な階段をくだり、(ここもあとからあとから走って登ってくる体の大きな小学生が続く。子供で体力があるって、いいなあ。あの頃のぼくは運動しないで本を読む子供だった)、3号路に入ったところのベンチで上の方の喧騒を聞きながらゆっくりお昼にした。
 3号路は最初だけ急に下って、あとはほぼ水平な道だ。そこを走ってみた。日ごろ山でトレイル・ランニングをする若い人たちに出会って、「なんで山に来て走るのか、ゆっくり楽しめばいいのにもったいない」と思いつつも、いちど走ってもみたかったのだ。
 いや、年寄りのすることじゃない。すぐに息が上がり、歩いているのと変わらないペース、いや、早足よりもむしろ遅いペースになってしまう。でも、これはこれで気持ちが良い。今度、トレラン・シューズを買ってみよう か。あれはスニーカーやジョギ・シューとどこが違うのだろう。
 走ることを主にするのでなく(もちろんそんなことはできっこない)、ところどころ走ればよい。何か、体の中から湧いてくるものがあるかもしれない。
 1号路に合流し、今日は小学生騒ぎでゆっくり自然を見ることもなかったから、野草園に入った。サル園に併設されているものだが、ぼくはサルの方は行かずに野草園に行く。高尾山は今、スミレの花の盛りだ。ハート形の葉をしたタチツボスミレがほとんどだが、葉の細いエイザンスミレや花の白いタカオスミレも少しある。
 ここの野草園はサル園のおまけだからか、やや荒れた感じがする。もう少し手入れをして、案内板も増やしてほしいな、と思うのだが、静かでそれなりに美しい。大群のイカリソウがあった。ふつうは紫色だが、ここでは白い花の方がずっと多い。黄色いカタクリがあった。シラネアオイがあった。これらは自生のものではなく、植えられたものだろう。
 あとは、キランソウ、ヤマブキソウ、ヤマルリソウ、ニリンソウ、ミミガタテンナンショウ、ムラサキケマンなど。
 十一丁目茶屋まで行ったら、小学生の集団に先生が、「ロープウエイで降りる予定でしたが、大混雑で長い時間待たなければならないので、登ってきた道を下ります」と言って、子供たちから「えー、ウソだあ」「いやだあ」と悲鳴が上がっていた。「うん、先生、それはないよね。子供は納得できないよね。計画段階で予測できたでしょ」と思った。
 ぼくは、来た時と同じ病院坂を下って帰った。
 今日は大喧噪の山登りだったが、小学生が、この一年でいちばん良い時期のうちに集団登山するのは大賛成だ。苦しい上り下りも含めた、素晴らしい一日をきっといつまでも覚えているに違いない。その中から、繰り返し高尾山に登る地元の大人もたくさん育つことを期待しよう。
 そしてぼくは、トレラン・シューズを近いうちに買いに行こう。一年でいちばん良い季節だもの、年寄りも満喫しなくちゃ(年寄りの冷や水?)。
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ノートル・ダム

2019-04-17 21:51:23 | 無いアタマを絞る
 パリのノートル・ダム大聖堂の火災のニュースは大変ショックだった。フランス人たちが受けた衝撃も悲しみも、パリに住んだぼくにはかなり理解できる。あれがいかにかけがえのない文化遺産か、ということももちろん理解できる。
 パリに二年間、そのほかにも何度も行っていて、あの界隈もずいぶん歩いた。パリを訪れる友人を案内したことも多い。塔の上からのセーヌ川と市街の眺めも素晴らしいし、バラ窓も大変美しい、特に光にあふれる晴れた日は美しい。中で聴く音楽も美しい。しかし残念ながら、ぼくにはあれに対して非常に大きな、鷲掴みされるような感激、というのは感じなかった。
 なぜだろう? あの二年間が、ぼくにとって人生でいちばん苦しい時期だったからかもしれない。ぼくは、心のどこかでは救済を求めてあの界隈を歩き回りながら、あのバラ窓から差し込む光のような、宗教による救済を求めることには躊躇っていたからかもしれない。
 あの時ノートル・ダムに縋っていたら、いまのぼくはもっと心の安らぎを得ていたろうか?
 それは今となってはわからない。
 建築や造形芸術などに対する感度が悪い、ということもあるかもしれない(ほかで感度が良いわけではないのだが)。あの頃ぼくはパリ市内を歩き回るよりは、ムードンの森やフォンテーヌブローの森やランブイエの森を歩き回るほうがずっと気が晴れて心が和んだ。
 しかし、パリの南西、列車で一時間ほどのところにあるシャルトルのノートル・ダム大聖堂には感動したではないか?
 列車が町に近づくにつれて、ゆるやかに起伏するボース平野の広大な麦畑の中に、まず尖塔のてっぺんが見え始め、それがだんだん大きくなってゆく。あれがまず感動なのだ。麦が黄色に熟れる、良く晴れたけっこう暑い日だった。坂を上っていくと、平日だからか、ファサードはひっそりしていて、観光客はほとんどいなかった。あれも良かった。ロマネスク様式とゴチック様式と、形が全く違う二つの塔が立っている。ひとつはとがっていて、ひとつは四角い。その片方に登った(どっちだったかは、覚えていない)。列車の中から塔を見たのとは逆に、今度は地平線まであたりいちめんの麦畑を望むことができた。
 驚いたのは、塔のてっぺんの回廊には転落防止の柵がないことだった。「確実に死ねるな」、と一瞬思った。フランスにだって自殺する人は大勢いるのだが、カトリックでは大聖堂から下の石畳に身を投げるようなことは想定していない、ということだろうか(ヒチコックが「めまい」という映画にして有名になったフランスのミステリー「死者の中から」は、これを重要なプロットにしているのだが)。
 内陣の、パリのノートル・ダムと並び称されるステンドグラスも、非常に美しかった。(シャルトル・ブルー、と言われる)青を基調にした窓に光が当たって、「青は聖母マリアの慈愛の色だな」、と改めて思った。
 シャルトルも中世に火災に遭って、上記のように現在は左右が不均衡だ。それでもぼくが感動したのは(そして均整の取れたパリの大聖堂でさほど感動しなかったのは)、あそこではひとり静かに聖堂と向き合うことができたからだろう。広大な平野の中、というのも大きい。
 パリのノートル・ダムにひとり(静かに、というのとは違うけれども)向き合った、そしてあれをこよなく愛した日本人が、高村光太郎だ。「雨にうたるるカテドラル」という詩を、長い作品なのでここでは引用しないが、ぜひ読んでいただきたい。聖堂は、異国からのの旅人にとってさえ、神と、あるいは自己と、ひとり向き合う場所だ。
 マクロンは、「5年で再建する」そうだ。20年かかっても良いのではないか。再建された姿をぼくが見ることはないだろうが、在りし日の姿を映した写真集が近いうちに出たら買おう。それの方が、かつての記憶を合わせて、ぼくは聖堂とより深く向かい合えるかもしれない。
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「のだめカンタービレ」

2019-04-15 22:01:56 | 音楽の楽しみー歌
 家族が長い風邪をひいていて、ぼくも実は先週は風邪気味だったのだが、おととい青空に誘われて渡良瀬遊水地をレンタサイクルで飛ばしてしまったので、その時は気分爽快だったのだが、昨日今日と頭痛と寒気がしている。風邪をひいたらとにかくたくさん寝ることにしていて、たっぷり寝たから今日は昨日よりはいいようだ。
 寝ている合間に、レンタルDVDでTVドラマの「のだめ…」を見た。と言っても、続編を含めると全部で1000分ぐらいあるようで、昨日と今日でその半分ほど、ヨーロッパに旅立つ前までを見た(約8時間!)。
 コミックはだいぶ前に読んでいるのだが、笑いを取ろうとしてバカ話にしているところが多くて、そのために登場人物たちの人物造形もかなりハチャメチャで違和感は相当あるのだが、彼らの音楽に向かう姿勢は悪くない。
 TVドラマ版は、原作の人物造形や笑いを忠実に再現しようとしているので、その部分は、映像になっているだけ余計に気持ちが悪いのだが、音楽そのものが聴けるので、オケの稽古や演奏会のシーンは大変楽しい。
 ドラマは幸いに、原作コミックよりはずっと長く、演奏のシーンを追ってくれているようだ(これがなければドラマの価値が無くなってしまうものね)。
 かなりよく知られた名曲が多いので、それが出て来るだけでもうれしいし、改めて聴くとクラシックの名曲って本当に美しいものだ。
 ベートーヴェンの交響曲第7番も第5番「英雄」もブラームスの第1番もラフマニノフのピアノ協奏曲第2番もガーシュインの「パリのアメリカ人」もCDは持っていて何度も聞いているのだが、ベト7はNHKカルチャーで楽譜を読む作品研究の講座まで受講したのだが(実はよく分からなかったが)、演奏している映像を見ながら聴くのはまた格別の喜びだ。
 ドラマではもちろん音楽は断片的に使われているので、映像を見た後でまたCDを聴きなおすのも良いだろう。
 (ところで「のだめ」にはモーツアルトの「オーボエ協奏曲」や「2台のピアノのためのソナタ」もあるのだが、ぼくには、どうもモーツアルトとバッハはぴんと来ないのだ。音楽は所詮素人なので、個人的には、という話なのだが、ベートーヴェン以降でないと、悲しみや苦悩が、つまり音楽に深さが、出てこないように思う。)
 (これも余談だが、Eテレの日曜日の夜の「クラシック音楽館」も視聴するのはたいへん楽しい。9時から11時までと、やや遅いので毎回は見ないが。)
 明日からはもう少し日常に戻りたいので、残りの半分、ヨーロッパ編以降、はすぐには見られないかもしれないが、楽しみとして取っておくことにしよう。今のところまだ出てきていないドヴォルザークの「新世界」やベートーヴェンの「合唱付き」やラヴェルの「ピアノ協奏曲ト長調」なども、演奏場面を見るのが楽しみだ。
 付け足し:人物造形がかなりひどいと書いたが、シュトレーゼマンはあまりにひどい。コミックではまだしも気品や風格みたいなものを感じられるが、ドラマの方は単なる変態エロジジイだ。

 ぼくは音楽については、表現する側ではなくて、どんどん、観賞する側になってきているが、それで良い。ぼくに表現することができる音楽よりも、観賞することができる音楽の方が、はるかに、比較にならないくらい、美しい。
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渡良瀬遊水地

2019-04-13 22:11:51 | 自然・季節
 家にいるにはもったいない陽気なので、ふと思いついて渡良瀬遊水地に行ってみた。思いついたのが遅かったので、東武日光線の「板倉東洋大前」駅についたのはもう11:00近くだった(家から2時間かかる)。徒歩では回れそうもないので、駅から向かう途中でレンタサイクルを借りた。
 遊水地を囲む堤防に着いて、呆然とした。無茶苦茶広い。想像していたのよりはるかに広い。(南端にある「谷中湖」だけでも面積4.5平方キロ、一周9.2Km、遊水地全体では33平方キロだそうだ。)見渡す限りの水と平地だ。
 とりあえず、湖畔の広い道を南に走る。桜がチラホラ咲いて、木々は芽吹き始めているが、全体としては、まだ枯れた風景だ。路傍はタンポポの群落だ。桜も美しいが、緑の中の黄色い花ほど美しいものはないとぼくは思う。菜の花も、山吹もそうだ(薔薇も、ぼくは黄色い薔薇が好きだ)。ウグイスとシジュウカラがしきりに囀っている。車もバイクも入れなくなっていて、歩いている人か自転車の人だけ、それもチラホラいるだけだから、静かで気持ちが良い。青空が実に広大だ。ここは関東平野のヘソなのだなと思った。
 南端の貯水池機場のそばで湖岸に腰掛けてお昼を食べた。水面の向こう、真北に遠く山並みが見える。左奥から皇海山、日光白根山、男体山、女峰山だ。双眼鏡で見ると、真っ白に輝いているのは日光白根で、谷筋だけ白く、全体としては黒く、いちばん堂々とそびえているのが男体山だ。皇海と女峰は残念ながらやや霞んでいる。
 湖の東側は通行禁止になっているので、戻って湖水を横断する道に入った。
 傍らの木の枝で囀っているホオジロを見つけて止まってみた。顔の縞模様がくっきりと見える。囀るときに顔をあげて天を向いて、のどの部分を広げて膨らませて声を出す。その喉元の震えるのさえわかる。あそこで息の量と強さをコントロールしているのだな。
 湖を渡り切って北岸を西に向かうと、昔の谷中村の跡だ。荒畑寒村の「谷中村滅亡史」に詳細に書かれた、あの田中正造が足尾鉱毒事件で村民救済のために奔走した、廃村を余儀なくされた、あるいは、国策で廃村させられた、谷中村だ。
 自転車を降りて歩いた。
 野焼きで黒く焦げた跡にもう緑が広がり始めている原っぱの中を行くと、かつての寺の、村民の共同墓地のあとの石碑や十九夜塔や無宝塔が点在する草地があり、正造が繰り返し祈ったという神社の跡があり(美しい水仙が二輪だけ咲いていた)、すこし離れて、やや小高くなった村役場の跡がある。
 草の丘の上に大木が芽吹き始めた枝を広げ、足元にはセリ科の白い小さな花が群落をつくり、切り株の周りにヒメオドリコソウが紫の花を茂らせている。失われた夢の跡のようだ。
 原発事故の2年後に双葉町に行ったのも、確か今頃の季節(4月の後半)だった。あの時も思ったことを、今日も思った。
 こんな美しい場所があるのに、住む人はいない。産業資本の都合と、それに追随する政治の強制で住み慣れた土地を離れねばならなかった人たちは、どれだけ無念だったことか。

 再び自転車に乗り、北に広がる広大な葦原のごく一部(とても回り切れないので)を回って、活動センターによってスタッフの人と少し話して、何と一冊100円の図鑑を三種類買って、もう一度湖岸に出ておやつを食べて駅に戻った。あとで気が付いたら、ぼくは渡良瀬川まで行っていなかった。毎度こんなへまをしているが。
 あたり一面の緑になるのはもうあと一ヶ月後ぐらいだそうだ。その頃にまた来たいものだ。さぞ気持ちが良いことだろう。次回はなるべく朝早くこよう。
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「鳥の話」

2019-04-12 19:11:57 | 自然・季節
 先日、自然教育園の売店で「知っているようで知らない鳥の話」という新書を目にして買ってみた。副題が「恐るべき賢さと魅惑に満ちた体を持つ生き物」という。(細川博昭著、サイエンス・アイ新書。)
 ごくやさしく書かれた科学読み物なのだが、これが非常に面白い。
 例えばカラスの仲間であるカレドニアガラスは、道具を使って食べ物を得るこ時にができる。木の穴の中に潜むカミキリムシの幼虫を、棒を穴に差し込んでつついて怒らせて、出てきたところを捕食する。
 これだけなら大したことはないが、道具を作ることもできる。二股になった木の枝を折り取って、不要部分を捨てて、先端がかぎ状になった棒を作って、これを差し込んで幼虫に引っ掛けて引っ張り出すことができる。
 さらに、実験室で、まっすぐな針金を与えられると、これを鈎状に折り曲げて、餌の入ったバケツを穴から吊り上げることができる。同じようにオウムも、道具を作ることができる。
 オウムの仲間であるヨウムは、訓練されると、物の色や形など人間の使う概念を理解、識別することができる。
例えば、青い洗濯ばさみ、青い鍵、青いはさみなどを並べて、「共通するものは何?」と訊くと「色」と答える。さらに「それは何色?」と訊くと「青」と答える、とか。
 体の仕組みの話も面白い。
 例えばフクロウは左の耳が右の耳よりも少し高い位置についていて、水平方向だけでなく上下方向にも、獲物の位置を正確に計測できる、とか。
 中でもすごいと思ったのは、カモ類の卵は1時間ぐらいの誤差の範囲で、ほぼ同時に孵化できるということ。一日ずれてしまうと、あとから孵化したヒナが不利になる。これを避けるために、孵化が近づくと、たくさんの卵の中で、ヒナ同士が内側から殻をつついて音を出して情報を交換し合い、それによって脳内の成長スイッチをコントロールして、自分の成長を遅らせたり早めたりすることができる(こんなこと、どうやって調べたのだろう?すごくね?)。
 カルガモのお母さんがそっくり同じようなたくさんの雛を連れて移動している姿を見かけるのはこのためなのだそうだ。
 まだほかにも、どうしてアネハヅルは高度1万メートルを飛べるのか、とか、どうしてタンチョウは凍傷にならないのか、とか、渡り鳥は空中で眠れるのか、とか、興味深い話がたくさんある。
 サル類に見られる「子殺し」は有名だが、ある種の鳥類にも、自分の遺伝子を残すためにメスが生んだ別のオスのヒナを殺す生態が見られるのだそうだ。例えば、ツバメもそうらしい。ツバメの巣の下にヒナが死んでいるのは、事故や外敵のせいではなく、若いオスの仕業かもしれない、のだそうです。
 この本はお薦めです。
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舞岡散策

2019-04-10 22:47:14 | 自然・季節
 最近どうもぼくは鬱々している。
 TVではここ数日、「5Gで私たちの暮らしはどう変わるか」などと言っているが、ぼくたちが加速度的に技術革新を続けて物を売り続けなければ崩壊してしまうような社会・時代にいることは確かだ。
 自分自身のことはともかく(それは、たかが知れているから)、この国の将来、世界の将来、人類の将来のことを思うと鬱々せずにはいられない。
 ぼくにはそういう事柄について自分なりの展望を切り開くことができるような力はないから(まあ、たいてい誰もがないだろうが)、このブログも、すごく中途半端に思えて、そういう鬱々した状態の時には書く意欲がなかなか出ない。
 ぼくがこの頃、この鬱っぽい状態から抜け出せるのは、山を歩いているとき、自然の中を歩いているときだけだ。
 ぼくはそれを、「ふだん運動不足気味で、そういう時だけ体が活性化するのだな」、と思っていたのだが、実はそういう時だけ気分が晴れ晴れするから、体も楽になる、ということなのだろう。

 昨日はぼくの人生の先達のUさんと戸塚区の舞岡の尾根と谷戸をのんびり散策した。
 地下鉄舞岡駅を出て、オオイヌノフグリやタンポポやヒメオドリコソウの咲く田んぼの脇の道を行くと舞岡八幡宮がある。その先を右に折れ、畑の横を通って山道を上がるとすぐ、尾根上の、良く整備された散歩道にでる。真っ青に晴れた空に富士山が優美に輝いている。思わず感嘆の声をあげる。
 道は前夜の雨で桜の花が散って、花びらのカーペット・ロードだ。ウグイスが鳴いている。ウグイスは、行く先々でずっと鳴いていた。声は聞こえど姿は見えないのが常だが、珍しく、枝に止まっている姿が見えた。すぐに飛んで藪に隠れていった。
 いったん畑地に出て、久しぶりなので道を間違えて、引き返してまた山道を辿って、途中で左手の谷戸の方に降りる丘の途中でお昼を食べた。
 ぼくもUさんもおにぎりとサンドイッチとフルーツを持ってきていて、おしゃべりしながらシェアして食べた。Uさんとのおしゃべりは本当に楽しい。ぼくは会うたびにいつも彼女に元気をもらう。
 Uさんの枝豆とゆかりのおにぎりとママレードのサンドイッチ、とてもおいしかった。ぼくのブルーチーズのサンドイッチとチーズおかかのおにぎりは、どちらも本来予定のチーズではないのを使ったため、やや気の抜けた味だった。
 食後は谷戸に降りて散策を続けた。むかし自分が関わった田んぼの跡とか、かつて作業小屋があった丘の傍らに新たに作られた活動センターや、移設された古民家を見て回った。古民家の庭には鯉のぼりが泳ぎ、中には武者人形が飾られ、子供の頃にタイムスリップしたような気持ちになった。
 帰り道の途中の池で、チュウサギが食餌するのを見た。写真を撮る人がいるので人慣れしているのか、歩きながら首をのばしたり縮めたりして、悠然とドジョウ(らしきもの)を咥えて呑み込んでいた。美しかった。
 でも、昨日いちばん心に留まったのは、自然そのものより、そこにいる人間、畑仕事をしている人の姿、谷戸の自然を保つために作業をしているボランティアの人たちの姿、八幡様の前の田んぼ道で遊んでいた3人の幼児とお母さんの姿だった。
 ここには、自然と触れ合って過ごしている、あるいは生活している、そうして充足している人たちがまだいる。

 この社会の行く末を考えて過度に鬱々するのは止そう。
 「暗い予想は暗い現実を実現させる」という。ぼくたちが明るく過ごす方が、未来が少しでも明るくなる、かもしれない。
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空洞

2019-04-04 21:33:40 | つぶやき
 世界は揺らいでいる。民主主義も、基本的人権も、平和も、自由も、「自由・平等・連帯」も…明日はどうなっているかわからない。安定した、安心できる生活の基盤は、まだ失われていないとしても、明日には失われるかもしれない。
 外にしっかり支えてくれるものが見つからない時、人は攻撃的になるか、あるいは反対に内省的になる。自分の中に、自分を支えられるものを見出そうとする。そうして、人は外に向けていた眼を自分の内部に向ける。
 だが、たとえば夜の静かな時間に、自分の中をじっくり点検してみて、あるいは恐る恐るのぞき込んでみて、そこに何もなかったらどうしたらいい?
 信仰も、信念も、叡智も、愛も、根拠のある自信も、力もエネルギーも、自分のよって立つ基盤になるようなものが何もなかったら、愛の幻想すら、根拠のない自信すら、自尊心すら、なかったらどうしたらいい?
 そんなことに気が付いてしまうのが恐ろしいから、人は(ぼくも)自分の中を見たいのに見ようとしない。そしてもう一度、外の世界に、表面的にだけでも、しがみつこうとする。
 世の中の大部分のコミュニケーション・ツールは、そのために存在するような気がする(当然ながら、このブログもその中にはいる)。
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賢者

2019-04-03 22:11:49 | 老いを生きる
 林内が美しい緑色の下草に覆われた、気持ちのすがすがしくなる林試の森を一周半して、目黒不動を通って自然教育園へ向かおうと、目黒川から駅に続く行人坂を登ったのだが、昨夜寝不足、というわけではないのに、今日は息が切れる。
 ちょうど出勤時間帯で、職場に向かう人たちに次々に追い越される。カツカツと気持ちの良い靴音を立てていく若い女性にも次々に抜かれる。仕事に行くのではなさそうな白髪の痩せた男性にも抜かれる。
 がっかりして、教育園には行かずに駅前のモリバに入ってコーヒーを飲んで帰ってきた。
 こんなことで、夏に三泊四日程度の北か南アルプスの縦走ができるだろうか? 
去年の今頃よりは調子が良いはずなのだが、まだまだ何段かギアを上げなければならなそうだ。果たして、それを最優先にすることなしに上げられるだろうか?(最優先というのは、ちょっと困る。) 
 三泊四日の道のりを四泊五日でゆっくりと歩く、というのは、小屋のいっぱいある北アルプスのメインルートなら可能だろうが、日数が増えれば疲労も蓄積するしなあ…

 …ところで、先週から何度も通っているが、目黒川の桜は今年はあまり美しい盛りにならなかったようだ。場所にもよるのだろうが(中目黒の駅より上流は良いのだそうだが)、雅叙園前の「太鼓橋」(平らな橋なのだが、なぜかこの名)から見ると上流側も下流側も、満開にならないままに葉桜になり始めているように思える。木の上の方の花が蕾のまま開かないで終わってしまうようだ。
 葉よりも先に花が咲く木は光合成で栄養を作れるのはもっと後だから、蓄えてある栄養を使って咲かなければならないのだろうが、もしかして、ここらの木は老化が進んで、梢の先まで栄養を届けるパワーがなくなっているのかもしれない。川面に張り出すように枝を伸ばしているから、上野公園など日当たりの良い場所に咲く桜に比べて、もともと厳しい条件にあるのではないだろうか。
 ただでさえも、日本全国のソメイヨシノは老化の時期を迎えているというのに。
 ここ数日、足の先が冷えて、厚い靴下を重ね履きしてふかふかのスリッパをはいてもまだ辛いぼくは、老いたソメイヨシノに同情してしまう。

 しかし、その日の体調の良し悪しで一喜一憂しても仕方ないではないか?
 若き日に持っていた力の喪失を嘆いたところで何になろう? 
 歳をとったら、理想は賢者になることだ。
 「子供に返ること」と言いたいところだが、それははた迷惑かもしれないし、それにぼくは無垢な子供だったわけではないのだし。
 「季節よ! 城よ! 無垢な魂が何処にある?」
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新元号

2019-04-01 18:24:33 | 社会・現代
 新元号が決まった。
 少し、胸がざわついている。
 ニュースを見ると、「『和』の字が入って良かった。平和な世の中になってほしい・平和な世の中が続いてほしい」という好意的な感想を持つ人が多いように思う。でも、その前に「令」の字があることは指摘しておきたい。
 ぼくが自分の意見を書くよりも、辞書にあたるほうが良いだろう。

 「広辞苑」を引用する。
れい【令】
①命ずること。言いつけ。
②おきて。のり。
③長官。
④他人の家族などを尊敬して言う語。

 念のため、「新漢語林」も引用してみる。かなり長くめんどくさくなるが、大事なので、読んでほしい。
【令】字義
①命ずる。いいつける。法令などを発布する。
②みことのり。君主の命令。
③のり。おきて。法令。布告書「律令」
④いましめ。おしえ。教訓。
⑤おさ。長官。「県令」
⑥よい(よし)。りっぱな。すぐれた。「令名」
⑦他人の親族に対する敬称。「令兄」
⑧文体の名。皇后・太子・諸侯などの命。
解字
会意。人+卩。人は集めるの意味とも、頭上にいただく冠の象形ともいう。卩は、人のひざまずく形にかたどる。人がひざまずいて神意をきくさまから、いいつけるの意味を表す。令を音符に含む形声文字に、伶・冷・玲・嶺・羚・鈴・零・齢(…以下略)などがあり、これらの漢字は、「ひざまずき神意に耳を傾ける」の意味を共有し、そこから「すがすがしい」の語感を伴う玲・冷・怜などの漢字も派生した。

 いかがだろうか。
 万葉集巻第五、通し番号815から始まる梅花の歌の序の文、「初春の令月にして、気淑く風和らぐ」に使われている「令」は、この新漢語林の最後に書かれている派生的な意味の方だ。その前に本来の意味がある。
 このことを、新元号の選定に関わった人たち、総理大臣・官房長官ら決定した人たち、が知らなかったとはとても思えない。辞書を引けば簡単にわかることだし、あらかじめあらゆる方面から調べているはずだから。
 彼らは、この二重の意味の存在を良しとしたかもしれない。

 新しい時代が、上から与えられる、押し付けられる「和」の時代にならないよう、見守りましょう。
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