すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

2020-12-28 18:46:13 | 

俺タチノ放浪生活ノ上ニ
ソノ山ハ何時モ聳エテイル

殴り倒すような太陽や
背骨を締めつける寒気に曝され
革のサンダルをひきずって砂の中を歩きながら
俺たちは喉の渇きの奥で
水を求めるようにその山を呼んでいる
草一本無い ぼろぼろに風化した
岩屑の積み重なるその山を

その山はどれくらいの距離にあるのか分からない
行く手にすぐ近く見えることもある
だが 三日三晩歩き続けても
やはりそれは 同じ遠さに聳えたままだ

砂嵐に包まれて何も見えない日には
山は確かに
すぐ傍らに迫っている
俺たちを押し潰そうとする意思を持つもののように

山の中腹に巨大な城砦のようなものが建っている
あるいは 放棄された古い僧院かもしれない
それが何時から在るのかは
古い言い伝えにも残っていない
その壁の内側には たぶん
俺たちの知らない古代の文字で
祈りの言葉が綴られているに違いない

誰も その謎を解きに行こうとは言い出さない
俺たちは日々 羊の世話に追われ 水探しに追われ
たたかいに追われ

夜 焚火を囲んで座っていると 月明かりに
その岩山と城砦が浮かび上がることがある
そんな時 俺たちは互いの目を覗き込み
そして黙る

ソノ山ハモハヤ 俺タチノ放浪生活ノ
運命ナノダ

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霧の中

2020-12-27 17:27:41 | 山歩き

“トガリ岳”は標高1500mに満たないが
その名の通り険峻な 修験道の山だ
昔の行者はここを標(しるべ)もなく
白足袋に草鞋で登ったのだ

今はクサリもあるし赤ペンキの印もあるが
それでも両手両足で攀じ登らなければならない
ただ 俺は昔の人のように
クサリに頼らずに
できれば赤ペンキもなく
祈るような気持ちで登ってみたいのだ

天が俺の意思を試すつもりか
途中から濃い霧が立ち込めて
目の前の岩場しか見えなくなった

根性無しの俺は
さっきの高揚はたちまち失せ
不安に駆られ
ホワイトアウトの向こうに
必死に赤い丸を探す

“針の山”と思われる場所では
強風が左の谷から吹き上げ
右の“無間”へ落ちて行く
あの向こうには“血の池”もあるはずだ

僅かな木の根を掴んで
次の足場を求めて大きく踏み出す
岩棚に両手をかけて
思い切って体を持ち上げる

俺は鉄棒の懸垂
一度もできたことがなかった
ここで上がり切らなければ
死ぬな と脳をふと過る

なんでこんなことをムキになってしているのか
馬鹿じゃないか俺は

やめようかと思うが
もう引き返すのは無理だ
向こう側に下るしかない

それに
こんなことをしてでも
捨て去りたい思いもあるのだ

長い
そんなに大きな山ではない
道を間違えたのか?
でもやはりまだ岩場は上に延びている
上に延びている限り
山頂へは向かっているはずだ

何度もやっと息を継ぎながら
どれだけ登ったことだろう

ついに 頂きと思われるところに着いた
霧の中に木の柱が立ち
小さな祠もある
反対側は見えないが
今のよりきつい山稜ではないはずだ

息が上がり 膝が崩れそうになり
冷たい汗が背中を這う
天を仰いでも何も見えない

だがその時 その柱の傍らで
確かに俺は 見るはずのないものを見た

白い髪と髭の老人
と思われるもの
声をかけようとした瞬間に
それはふっと 霧の中に消えた

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第九

2020-12-24 14:17:39 | 音楽の楽しみ

 昨夜、初台のオペラシティに第九を聴きに行った。秋山和慶指揮の東京交響楽団。今年はベートヴェン生誕250年で密になるかと、ちょっと怖くてためらったのだが、客席はかなり空いていた。ただし、いちばん高いS席と、ぼくたちのいるいちばん安いC席は混んでいてその中間がガラガラだった。これはコロナ禍で取りやめた人が多かったということよりは、二極化している、つまり格差が広がっていることの表れではないだろうか。
 さて、ぼくは音楽について、「良かった」「感動した」などと言うことのほかに言及する能力が無い者だが、ひとつだけ気が付いたことを書いておこう。たくさんの人がたくさんの感動を書く第4楽章ではなく、第3楽章について。
 第3楽章って、眠ってしまう人がかなりいるのではないだろうか? ぼく自身も以前はそうだった。そこで今回は直前にエスプレッソのダブルを飲み、さらに普通のブレンドまで飲んで、眠らないことにした。
 そうして改めてじっくり聞いてみると、実に穏やかで美しい、というより、甘美な楽章であることが分かった。寝てしまう人がかなりいるというのは、心地良すぎて眠気を誘われてしまうからだろう。
 「能楽の客席で眠るのが最高の贅沢だ」というのは井上靖の「氷壁」の中に出てくるが、第九の第3楽章も夢幻能と同じように、夢うつつの世界に誘い込まれるのだ。そしてそこは死の眠りに近い。
 弦の甘やかなメロディーに酔いしれているうちに、第1楽章、第2楽章の反抗や闘争や情熱を忘れて、静かに満ち足りた状態を永遠の安らぎと思ってしまうのだ。闘争のあとでそこにたどり着いて、そこで終わりにすることができたらどんなに良いだろう、と思う。
 だが、その安らぎは激しい金管の音によって突然に揺さぶられる。にもかかわらず、人はなおも安らかな夢を見続けようとする。夢幻の世界が完全に戻ってきた、と思われるがそこでもう一度、激しい金管の響き。それでもまだ、人は安らぎにしがみつきたい。
 その静穏はみたび突然に、今度は決定的に、轟音によって吹き飛ばされる(実際に眠っていた人は、びっくりして目を覚ます)。第4楽章の始まりだ。第3楽章と第4楽章が切れ目なく演奏されるのはこのためだ。そこで初めて、人は闘争も、闘争の放棄も越えて、連帯の喜びに浸る奇跡に巡り合うのだ。
 この第3楽章を心地よく眠ってしまうのは、だから、それがいかに贅沢な眠りではあっても、じつに惜しい。
 ためらっていたのだが、来て良かった。そして、眠らなくてよかった。
 出口で友人と別れて、ぼくは新宿まで歩いた。音楽会のあと歩くのは気持ち良いものだ。

 

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陣馬-高尾縦走

2020-12-23 10:07:20 | 山歩き

 一昨日、ほぼ40年ぶりに陣馬山-高尾山の縦走をした。藤野駅を8:50にスタート、陣馬山登山口を経て一の尾根を登り、陣馬山頂11:18、景信山頂13:22、城山山頂14:23、高尾山頂15:12、六号路を下って高尾山口駅着16:19。登山地図のコースタイムで7h20のところをちょうど7h20で歩いた。
 予想ではもっと時間がかかって六号路の途中で暗くなるかと思っていたのだが、幸い明るいうちに降りきった。
 日曜日の陣馬や高尾はものすごい人出なのだが、一日ずらした月曜日は、藤野から陣馬山頂までで登山客一人にしか会わないガラガラで、“密”を恐れずに歩くことができた。
 終日、明るい陽だまりのハイキング。体は快調。荷物は軽めにして、トレッキングポールを2本使ったためでもあるのだが、最近になく息も上がらず、足が前に進んだ。六号路の最後の平らな道は7h20以内に合わせるためにほとんど小走りだった。まだかなり歩き続けられる気がした(通常山登りの翌日のほうが体が活性化しているためか、かえって普段より体調は良いのだが、昨日はさすがに疲れて半日寝た)。
 食事は、行きに高尾駅の一言堂でアップルパイを買えなかったので(まだ出ていなかった)、陣馬山頂の富士見茶屋でうどんを食べたが、それ以外はほぼ1時間おきに行動食の羊かんやソイジョイを食べた。先日南高尾でガイドらしい人が団体客に「こまめに早めに食料を補給してください。今食べたものがエネルギーに替わるのは2時間後です」と言っているのを聞いて、フンフン、と思ったのだ。富士見茶屋のうどんは山菜と柚子が入っていて美味かった。前に冷たいのを食べたときには柚子が多すぎるのか、酸っぱいな、と思ったのだが、温かいのはうまかった。
 陣馬山頂からはまだ頂上付近だけ斑に白い富士が見えた。その右手、西側の山並みの向こうには南アルプスの赤石岳あたりだろうか、こちらは真っ白く浮かんでいた。茶屋のすぐ横に、山並みを背景に、カキの実がいっぱいなっていた。
 若い頃は、陣馬-高尾縦走はアルプスや朝日連峰に行く前の足慣らし程度にしか思っていなかった。今ではこの一年の目標を果たしたような気になっている。それはそれで良い。若いうちには若いうちの登り方が、歳を取ったらそれなりの楽しみ方が、ある。年寄りの山の楽しみの第一は、葉の落ちた低山の展望の良い陽だまりハイク、それとこれまでの山の思い出、だろうか。
 ベタな言い方だが、「これまでの人生の様々な思い出-後悔も懐かしさも」、と言い直しても良い。

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リュウグウの玉手箱

2020-12-16 17:16:58 | 社会・現代

 理科オンチの心配性の妄想と思って読んでほしい。
 今年コロナ禍で改めて脚光を浴びた小松左京のSF「復活の日」は、いま手元にないが確か、宇宙空間から持ち帰った微生物が生物兵器として研究される間にDNAの変異を起こして、南極にいた人間以外の全人類が滅亡する話だったはずだ。
 真空の、超低温の、放射線だらけの宇宙空間に生息できる細菌ないしウイルスがありうるかどうかぼくは知らない。しかし小松左京はありうるという前提で書いているはずだ。
 逆に超高圧高温の、とても生物が生きられそうにない深海の海底火山の付近になら、嫌気性の細菌の存在が確認されている(その細菌は酸素のあるところでは生存できないから、地上に広がる心配はない)。それなら、宇宙空間で、というのもありうるだろう。
 ところで、はやぶさ2のカプセルの話だ。コロナのせいでどうしても暗い話題になる今日この頃、日本の科学技術の大成功の、夢のある、明るい話題として取り上げられるカプセルだが、あれって、本当に開けても大丈夫なのだろうか? 
あの中には有機物(つまり、生命の元になりうる炭素化合物)が含まれていて、しかもそれからガスが発生しているのだそうだ。それで、人類にとって未知のウイルスなどが入っている可能性はゼロなのだろうか?
 もしそういう可能性がゼロではなくて、しかもそのウイルス(と仮に呼ぶが)が今まで生存していたリュウグウの地表とは全く異なる環境である地球の大気の中でも生存することができるとしたら、また、例えば人間の体内でも生存することができるとしたら、玉手箱はコロナ以上の災厄をもたらすことにならないのだろうか?
 浦島が乙姫様からもらった玉手箱の中には、300年の時間が入っていた。だから浦島はたちまち白髪に、あるいは白骨に、なってしまった。今から千数百年前の日本人が考えたこの想像力豊かな話が好きだが、現代の玉手箱はどうだろう? エボラ出血熱のウイルスなどと同じ、バイオセーフティー・レベル4の施設内で開けたほうが良くないだろうか?
 これはぼくの荒唐無稽の杞憂かもしれない。でも、知らないことに対しては慎重かつ謙虚であるべきだろう。手離しで喜んでいてよいのだろうか?

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日連(ひづれ)アルプス

2020-12-15 21:33:53 | 山歩き

 「アルプス」とついていると何処の高峰かと思うが、相模湖の南、最高点が鉢岡山460m。中央線の藤野駅から歩いて藤野駅に戻る全行程3時間半ほどの、老人には手ごろなハイキングコースだ。時節柄、バスを使わないのも好ましい。相模湖を渡る日連大橋から正面に見える山並みがそれだ。アルプス、とはよくぞ名付けたものだ。
 「鎌倉アルプス」(大平山192m)というのもあるし、伊豆には「沼津アルプス」(鷲頭山392m)、六甲には「須磨アルプス」(横尾山312m)もある(六甲には行っていないが)。「~アルプス」というのはどれも、地元の山歩き愛好家たちに親しまれて四季折々に登られている山なのだ。
 駅から20分ほどで金剛山登山口につく。「杉峠入り口-杉峠間は昨年の台風19号による崩落で通行止めです」という立て札がある。まだあちこちの山が通行止めになっているのだ。相棒と「はて、杉峠入り口というのは通らないはずだが?」と首をかしげる。「まあ、行ってみてダメだったら引き返せばいいよ」ということにする。これもいつものことだ。
 緩やかな登りだ。ところどころ、カエデの紅葉が美しい。天気が良いので陽を浴びて真紅に燃えている。このコースの魅力は展望だ。木の間越しに麓の集落、枝分かれした相模湖、藤野の市街、中央道や中央線、その向こうの陣馬山塊などがくっきりと見えて、登るにつれてだんだん低くなる。正面は三角形のスッキリした大室山と西丹沢の山々だ。登山口から30分ほどで急登になって、「通行禁止でここを引き返す場合は足元に気をつけなくちゃな」と思いながら登る。急斜面に枯葉が積って地肌が見えないので下りは滑りやすい。
 ほどなく、金剛山の山頂だ。金剛山神社がある。小さいがしっかりした社だ。栃木の古峰神社の分社のようだ。すると防災の神様だろうか。疫病退散を願ってお参りをする。
 南に向かっていた道がここからは東に向かう。けっこう下って登り返すと分岐があり、左に入ると大展望が開ける。「峰」だ。ここでお昼ご飯にする。朝の通勤時間をさけて出てきたので、もう昼の時間だ。風は冷たいが、日差しは暖かく、気持ちが良い。北に、陣馬から三頭山まで続く笹尾根が近い。西に高いのはたぶん大菩薩の山並みだ。
 縦走路に戻り先に進む。小さな上り下りがあって杉峠だ。登山口にあった通行止めは、北の集落に下山する道だった。ほっとする。
 ここから右に分かれて山腹の広い道をたどると林道に出て、さらに進むと本日(昨日)の最高峰、鉢岡山だ。午後から曇りの予報だったが、急に日が陰ってきて寒くなってきた。鉢岡山までの道も日差しがあったら最高に気持ちの良いのんびりコースなのだろうが、残念だ。また新緑のころにでも来よう。山頂からの展望はない。「烽火台跡」という杭と小さな送電施設のようなものがあるだけだ。
 杉峠に引き返し、さらに道を続ける。ちいさなアップダウンを越えていくと日連山。さらに小さなアップダウンで宝山。この山並みは面白いことに途中は展望が美しいのにピークはどれも無展望だ。ここから下り。最初は普通の急なくだりだが、その先にロープを張られた急降下がある。若い頃は、意地でもロープや鎖につかまらずに何とか上り下りするのがスリルがあって楽しかったのだが、この歳になったらもう足元が怖くてだめだ。安全に降りることにする。
 下りきると水平道だ。沢に出会い、その沢沿いに下るとお墓に前に出て集落だ。後は舗装道路を駅まで30分ほどだ。のんびりとした山裾の集落だ。この辺りは近年、画家や陶芸家をはじめとするアーチストがおおぜい移住してきて活動をしているはずだ。それらしい家はないかときょろきょろしながら歩いたが分からなかった。
 高尾山域から少し足を延ばすと、冬の低山歩きに適した山がたくさんある。雪のある時に来るのも楽しいかもしれない。でも、もう少しきついところにも行きたいものだ。

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かりん酒

2020-12-11 21:50:09 | 自然・季節

 今年も花梨を焼酎に漬けた。
 花梨は12月の初めに小石川の植物園に行って貰ってくる。受付の前に箱の中にたくさん置いてあって、「ご自由にお取りください」と書いてある。7年ほど前にいちど漬けてみたらなぜかものすごく苦いお酒になってしまって、しばらく敬遠していたのだが、一昨年恐る恐る再挑戦してみたらほろ苦く美味しくできたので、去年も浸けた。手元にあるレシピ本には書いてないのだが、レモンのスライスを入れると苦みが抑えられるようだ。
 今の時期の小石川は紅葉がほぼ終わりを迎えて、でも入り口の近くのメタセコイアがオレンジ色に空に向かって燃え上がっていて美しい。日曜日に行ったのだが、紅葉の盛りが過ぎたせいか、静かに散策する家族連れや老夫婦がちらほらいるくらいで好ましかった。花梨園の花梨の実はほとんど落ちて、なぜか2本だけまだいっぱいに実を残した木があった。
 花梨の実は硬くて生食はできない。表面が蜜でべとべとしているからビニール袋に入れて持ち帰って、洗ってザルに上げて3日ほど置いてから、氷砂糖と一緒に焼酎に漬ける。ザルに上げている間は、台所行くと花梨のさわやかな甘い香りがして気持ちが良い。
 「一か月ぐらいから飲める」、とレシピには書いてあるが、3か月か半年くらい我慢して待っていたほうが芳醇になって美味しさが増すようだ。
 今年は一昨年昨年の成功に気を良くして欲張って沢山もらってきたので、2瓶になった(ちょっと、ほかの人の楽しみを奪ったかな、と、気が引けているのだが、毎日たくさん置かれているのだと思う)。片方は、飲んでしまわないで何年か寝かせておいてみよう。「ぼくが死んだら、10年目まで取っておいてね」と言ったら、家族が「へっ?」と言っていた。「智恵子抄」の「梅酒」に倣ったのだ。
 無論、10年後に無事、自分で飲むのに越したことはない。もし途中で死にそうなことにでもなったら、その前に飲んでしまうことにしよう。酔っぱらって旅立つのも悪くない。

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