すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

シャンソンの反戦歌-補足

2023-08-28 22:07:47 | 音楽の楽しみー歌

 シャンソンの中の反戦歌について、あと幾つか取り上げたいものがあったが、今は気力がないので、またいつか、ということにしておく。涼しくなったら、続きを書く‥かも知れない。明日から、北アルプスにリフレッシュに行く。
 取り上げようと思っていた幾つかのシャンソンのうち、「約束の地」と「ヒロシマ」については、国見靖幸さんの日本語訳歌詞があるので関心があったら本人に問い合わせてほしい。どちらも元の詞を十分に大切にしていて、良い訳だ。
 このうち「約束の地」は日野美子さんが持ち歌にしている。熱唱なのでじかに聴いてもらえると嬉しい。
 「ヒロシマ」は、本にも載っている既訳詞が物足りなく思えたので、頼んで訳してもらい(ぼくは歌詞には訳せないので)、歌っていたのだが、耳が悪くなって歌は止めてしまったので、今は歌う人がいないかもしれない。もったいないことだ。集会などでも歌えるし、その場でリピートを一緒にも歌ってもらえる。
 また、「太陽とそよ風の下で」と、「今夜は帰れない」(厳密にはシャンソンではないが)は、朝倉ノニーさんの「朝倉ノニーの歌物語」というサイトで訳詞と動画が見られる。朝倉さんとは面識がないが、日本にシャンソンを紹介することに長年尽くしてこられた蓄積には感嘆している。
 「太陽と‥」は美しい声のナナ・ムスクーリの歌う、シンプルな美しいメロディーの歌だ。今はこういう美しいものは少なくなってしまった。ぼくが東京日仏学院でフランス語を学んでいたころ、この歌は生徒の間で大変に人気があった。
 「今夜は‥」はパリで活躍したポーランド出身の女優・歌手のアンナ・プリュクナルがポーランド語で歌った歌だ。ぼくは彼女の声が大好きでパリで彼女の自宅に会いに行ったし、コンサートのチラシ配りも手伝った。VTRや5枚組アルバムを日本に持ってきたが、今は手元にない。誰に貸したのか覚えていない。酔って人にものを貸したがるのは悪い癖だ。
 あと、「インシャッラー」は、反戦歌ではなくイスラエル側に加担した歌だが、反戦歌と思っている人が多いようなので、取り上げるつもりでいたのだが、以前にすでに書いた。これも、国見さんに原詞に沿って訳してもらった新訳がある。ただし、ちゃんと訳してもらうとますます歌いにくい。(アダモは後に批判を受けて歌詞を書き直しているが、あまり知られていないし、書き直しが成功してもいない。)
 エピソードをひとつ。故永田文夫先生がデュモンでシャンソンの講座をしていらした頃、ぼくはこの歌の訳が先生のものだと気が付かないで、「あれは誤訳です」ということを子細に申し上げたことがある。そのとき先生は困ったような顔をして「そうでしたか・・・」と口ごもっておられた(あとで気が付いて「ゲゲッ」となったのだが)。それから後しばらくの間、先生はお話をされた後、ぼくに向かって同意を求められることが何度もあったが、「よくわかりません」「知りません」としか答えられないので、そのうちやめてしまわれた。ぼくがフランス語は多少わかるがシャンソンについてはろくに知らないことに気が付かれたのだろう。問いかけが無くなってぼくはホッとした。
 お後がよろしいようで・・

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「夜と霧」

2023-08-21 13:39:28 | 音楽の楽しみー歌

              ジャン・フェラ詞:樋口悟訳
彼らは二十人、百人、いや、何千人だった。
装甲された列車の中で、裸で震えていた。
爪を打ちつけて夜を引き裂いていた。
彼らは二十人、百人、いや、何千人だった。
自分では人間のつもりでいたが、もう数でしかなかった。
とっくの昔に彼らの運命のサイは投げられていた。
上げた腕が再び下ろされると、あとにはもう影しか残っていない。
彼らは二度と、夏にめぐり合うことはなかった。

逃避行は長く、単調だった。
あと一日、せめて一時間、生き延びること。
車輪はどれだけ回転し、止まり、また回ったか。
絶え間なく、わずかな希望を蒸発させながら。
彼らはジャン・ピエール、ナターシャ、あるいはサミュエルという名だった。
ある者はイエスに、あるいはイェホバやヴィシュヌに祈った。
祈らない者もいた。でも、何を信仰しようと彼らの願いはひとつ
もうひざまずいたまま生きたくはないということだった。

旅の終わりに着かない者もいた。
生き残って戻ってきた者も幸せになれたろうか?
彼らは忘れようと努めた。そして驚くのだった、その年齢で
腕の血管がすっかり青く膨れ上がってしまったことに。
胸壁の上でドイツ兵たちが見張っていた。
月は口をつぐんだ、君たちが遠くを見ながら
外を見ながら口をつぐんだように。 
君たちの肉はやつらの警察犬には柔らかだった。

今、人々はぼくに言う、「もうそんなことに耳を貸すものはいない。  
恋の歌だけ歌っていたほうが良い」と。
「血は歴史に組み込まれるとすぐに乾いてしまうのだ」と。
「(そんな歌を歌うために)ギターを手にしても何にもならない」と。
でも、誰がぼくを思いとどまらせることができよう。
いま、夏が再びめぐって来て、影は消えて人になったが、
ぼくは必要ならばいくらでも言葉を紡ぎだそう
君たちが誰だったかを、いつか子供たちに知らせるために。

君たちは二十人、百人、いや、何千人だった。
装甲された列車の中で、裸で震えていた。
爪を打ちつけて夜を引き裂いていた。
君たちは二十人、百人、いや、何千人だった。

 ジャン・フェラの1962年の曲。ナチス・ドイツによるユダヤ人迫害・虐殺をテーマにむしろ淡々と歌った。この曲が、翌年の「山(ふるさとの山)」の史上空前のヒットにつながった。
 説明の必要は何もないと思う。その代わり、明日以降、まったく別の状況で別の詩人によって書かれた、この作品を強く喚起させる作品を紹介したい。
 ただ一つだけ、ぼくがあらためて注目したいのは、第四連だ。

今、人々はぼくに言う、「もうそんなことに耳を貸すものはいない。  
恋の歌だけ歌っていたほうが良い」と。

 今、戦争や災害や貧困なんかまるで関係ないことのように歌を消費しているぼくたちは、耳を貸すだけでも良い、心を痛めた方がもっと良い、のじゃないだろうか? ぼくたち自身の感性を守るためにも。ジャック・ブレルの歌の言葉を借りれば、「ぼくたちの心は 翼を失っている/でも 友が泣くのが見える」。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「私の好い人」(愛の追憶)-補足

2023-08-18 10:07:31 | 音楽の楽しみー歌

 「私の好い人」はナチスドイツ占領下でのフランス娘とドイツ兵の恋の物語だ。彼女は彼に命を助けられ、愛し合うようになる(このことについては、後の方で再び書く)。でも、その恋が幸福に終わるはずはない。連合軍の反撃が始まり、彼は「必ず戻ってくる」と約束して去ったまま、帰ってはこなかった。彼は殺されてしまったものと思われる(このことも後で触れる)。
 日本では歌い手が「戦争があったことさえ覚えていない、というのはつまり認知症になってしまったんですね」なんて説明していることがあるけれど、「ばっかじゃないの」と思う。彼女は、あまりに体験が辛すぎるので、無意識に心を閉ざして記憶を封じ込めてしまったのだ。PTSD(心的外傷後ストレス障害)だ。
 この歌で思い出す映画がある。マルグリット・デュラス脚本、岡田英次とエマニュエル・リヴァが主演、アラン・レネ監督の「ヒロシマ・モナムール」(邦題「二十四時間の情事」‥なんてまあ、トンデモ題をつけたものだ!)。詳しくは省くが(そのうち、この映画については別途書きたい)、主人公のフランス人女性は娘時代、占領下のフランスの地方都市ヌヴェール(パリから南南東に約200Km)でドイツ兵と恋仲になり、戦争末期、二人で駆け落ちしようと公園で待ち合わせるのだが、ドイツ兵は住民に射殺され、彼女は見せしめのために住民たちの前で頭を丸坊主にされ、地下室に閉じ込められる。このことが彼女の心を今でも苦しめている。
 (同じように、ジャン=ポール・ベルモンド主演、クロード・ルルーシュ監督の映画「レ・ミゼラブル 輝く光の中で」⦅「レ・ミゼラブル」の設定を第二次大戦下に移した驚くべき映画だ⦆のなかでも、パリ解放後、公衆の面前で頭をそられる女性たちが出てくる。“敵と通じた恥ずべき女”たちを晒し者にするためだ。)
 「私の好い人」の「冬の眼をした 子供のままのその老婆」も、彼を失っただけでなく、その後の混乱の中で同じようなつらい体験をし、住民たち白い目に晒されて生きてきたのだと思う。
 ところで、彼女の愛したドイツ兵について書きたい。
 愛し合うようになるまでのことは「私を救ってくれたのがあなただ‥」としか書かれていないので、聴く(または読む)側が勝手な想像をすることができるのだが、ぼくにはこの後の「・・って知ったら天国の父と母はどう思うでしょうね」というのが気になる。一般には「敵であるドイツ兵に助けられたなんて」と解釈するのだろうが、それならば「救ってくれたのがドイツ兵のあなた」というのが普通だ。
 そこでぼくは想像をたくましくする。生前、この一家とこの兵士は旧知の間柄だったのではないか。この歌詞から読み取れるのは、この兵士は普通にイメージするナチスドイツの冷酷な人間とは違うということだ。彼は彼なりに善意の人であり、希望を失くしてはいない。未来の平和と復興を信じてもいる(たとえそれが「民族共和」のような間違った信念であったとしても)。
 そして彼は、フランスをフランス人を、征服すべき対象とは思っていない。彼はひょっとしたら、フランスやフランス文化を愛するドイツ人であって、戦前にパリに、例えばフランス文化の勉強に、来たこともあり、その時にこの家族と知り合っているのではないか。彼はナチスのパリ占領時、この家族のことを心配して訪ねて来て、その時点ですでに両親は死んでいたが、娘だけは救うことができたのではないか?
 ・・・ぼくは想像しすぎるだろうか? でも、こう想像すると、この物語にはもう一つの悲劇が隠れていることがわかる。フランスが好きだったドイツ兵の悲劇。帰ってこれなかった彼は、どんな死に方をしたのだろう? 退却戦の戦闘の中で? 「ヒロシマ‥」の兵士のように、抵抗する住民に狙撃されて? それとも、ベルリンに戻り、ヒトラーに反対し、反逆罪で処刑された?
 ・・・いや、やはり想像が過ぎるようだ。でも、ひとつの歌からはこんなに想像を膨らませることができる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「私の好い人」(愛の追憶)

2023-08-16 14:06:02 | 音楽の楽しみー歌

              Michaële詞:樋口悟訳
娘は彼を“マイン・リーバー・ヘア”(私の好い人)と呼んでい
 た
幾夜も夜通し愛し合った屋根裏部屋で
彼の瞳のなかに 娘はふたたび見出したのだ
戦争前の 父の微笑む姿を 母の歌う姿を

「ねえ マイン・リーバー・ヘア 
私を救ってくれたのがあなただって知ったら
天国の父と母はどう思うでしょうね
私を置いていかないでね マイン・リーバー・ヘア
わかっているでしょう もう私には
この世にあなたしか残されていないってこと」

彼は答えた「もうけっして 
君の心のなかの恐れに耳を貸してはいけない
ほんの少し希望を持つだけで
世界はずっと良くなるはずだ
アオフ・ヴィーダーゼーン・リーベ(さようなら愛しい人)
ぼくはすぐに戻ってくるよ ベルリンからパリへ
戦争は終わるだろう 樹々は花咲き
人々は優しい心を取り戻すだろう
約束する 必ずぼくは戻ってくると
アオフ・ヴィーダーゼーン・リーベ」

娘は彼をマイン・リーバー・ヘアと呼んでいた
二人の語り合うのは素晴らしい勝利の日々だった
娘は聞いていた マイン・リーバー・ヘアが話すのを
いつか二人で叶えるだろう夢の数々を
「イルミネーションに輝く街を一緒に歩こう
カフェのテラスで食事をしよう
アオフ・ヴィーダーゼーン・リーベ
ぼくはすぐに戻ってくるよ ベルリンからパリへ
戦争は終わるだろう 樹々は花咲き
人々は優しい心を取り戻すだろう
約束する 必ずぼくは戻ってくると
アオフ・ヴィーダーゼーン・リーベ」

娘は彼を待っていた 来る日も来る日も
地獄のような叫びと沈黙の中で
暖炉の暖かな火のかたわらに坐っても
娘は自分の周りにだけ張りめぐらせてしまった
凍りつくような冬の夜を
そして・・・

  「連合軍がノルマンディーに上陸したぞ!」
  「鐘だ! 鐘が鳴っている! パリは開放されたんだ!」
 
・・・彼女はもうマイン・リーバー・ヘアと口にしなかった
冬の眼をした 子どものままのその老婆は
人々が呼びかけても答えなかった
昔戦争があったことさえ もう憶えてはいなかった

けれど時々 記憶のよみがえる夜があり
すると彼女の瞳は急に輝き 
語り始めるのだった かつての愛の物語を
アオフ・ヴィーダーゼーン・リーベ
ぼくはすぐに戻ってくるよ ベルリンからパリへ
戦争は終わるだろう 樹々は花咲き
人々は優しい心を取り戻すだろう
約束する 必ずぼくは戻ってくると
アオフ・ヴィーダーゼーン・リーベ
 アオフ・ヴィーダーゼーン・リーベ
 ぼくはすぐに戻ってくるよ ベルリンからパリへ
 戦争は終わるだろう 樹々は花咲き
 人々は優しい心を取り戻すだろう
 約束する 必ずぼくは戻ってくると
 アオフ・ヴィーダー・ゼーンリーベ
 ・・・・・・・・・

 ずいぶん前に訳したものだが、今回ドイツ語の片仮名表記を大きく、その他を幾らか、手直しした。
 題名も、娘が彼に直接呼びかける言葉だから「愛しいあなた」ぐらいのほうが良いかな、と思ったのだが、この娘のドイツ語は若干ぎこちないところがあると考えられる(ドイツ語では手紙は別として、通常、呼びかけにMein Lieber Herrとは言わないはずだ)ので、そのままにした。なお、この二人は呼びかけ以外はフランス語で会話している。
 また、ぼくはなるべく直訳を心掛けているが、ここではいくらか自由訳をしているところがある。
 この詞については、明日か、たぶんそれ以降、グダグダと長いコメントを書くつもりでいる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「バルバラ」

2023-08-15 08:48:55 | 音楽の楽しみー歌

 八月は戦争について、平和について、考える月だ。ふだんそのことを忘れて暮らしていても、今いちど思い出すべき月だ。だがどうやって? ぼくは戦後すぐの生まれで、直接的な記憶はない。毎年この時期になると、1985年5月8日(ドイツの敗戦40周年)に西ドイツのヴァイツゼッカー大統領が連邦議会で行なった演説、いわゆる「荒れ野の40年」を読み直してきた。自分の国・民族の歴史に真摯に謙虚に向き合う姿勢を学ぶために。
 正直に言うと、ぼくは今、戦争や平和についてよりも、全地球的な気候危機とそれによる差し迫った人類の運命の方に、より大きな直接的な関心がある。だがロシアによるウクライナ侵攻がいまだに続いている中で、そう言って済まされない気がする。
 それで今年は、自分としては親しみ深いシャンソンの中の反戦歌をいくつか揚げてみることにする。ただしぼくの訳は原詩の意味をなるべく忠実に紹介するためのものであって、歌うための訳ではない。これを歌ってみたい、もしくは学んでみたい、と思う方は、既存の日本語歌詞を参考にしてください。
 「バルバラ」は、ジャック・プレヴェール詩、ジョセフ・コスマ作曲の反戦歌中の最高の名曲。なお、原詩には区切りはないが、読み易くするために適宜分かれ目を入れた。

思い出してバルバラ
あの日ブレストには雨が小止みなく降っていた
その雨に濡れて
君は歩いていた微笑みながら
晴れやかに夢見心地に光り輝いて

思い出してバルバラ
ブレストには雨が小止みなく降っていた
ぼくはシャム通りで君とすれちがった
君は微笑んでいた 
ぼくも微笑んでいた

思い出してバルバラ
君を知らないぼくと
ぼくを知らない君
でも思い出して 
思い出して
忘れないであの日を

一人の男がポーチで雨宿りしていた
彼は君の名を叫んだ
“バルバラ!”
君は走った彼のもとへ雨の中を
光り輝いて晴れやかに夢見心地に
そして君はその腕の中にとびこんだ
あの時を思い出してバルバラ

そしてぼくが“きみ”と呼ぶからといって気を悪くしないで
ぼくはぼくの好きなすべての人を“きみ”と呼ぶ
たった一度しか会ったことのない人でも
愛し合うすべての人達をぼくは“きみ”と呼ぶ
会ったことがない人でさえも

思い出してバルバラ
忘れないで 
海に降っていたあの雨を
君の幸せな顔に降っていた
幸せな町に降っていた雨を
海に降る雨 
兵器敞に降る雨
ウエサン島行きの船に降る雨

おおバルバラ
なんて馬鹿げたことだ戦争なんて
君は今どうしているのだろう
この鉄と火と鋼と血の雨の下で
そして愛する腕に君を抱いたあの若者は
死んだのか行方知れずかそれともまだ生きているのか

おおバルバラ
ブレストに雨は降り続いている
しかしそれはもう同じ雨ではない
すべては台無しになってしまった
今は恐ろしい後悔の喪の雨だ
もはや鉄と鋼と血の嵐ですらない
ただ単に犬のように引き裂かれてゆく
重い雲でしかない

そうブレストで犬たちは
濁流に運ばれて姿を消し
遠く遠く沖に押し流されて腐っていく
そして今はもうブレストに
何一つ残っていない。                           

            ジャック・プレヴェール:樋口悟訳

註:ブレストはブルターニュ半島西端近くにある港湾都市、軍港。第二次大戦ではドイツ軍に占領され甚大な被害を受けた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

白い月

2022-11-10 11:10:20 | 音楽の楽しみー歌

 月はやはり白く輝くほうが良い。一昨日の晩、ぼくと同じように感じた人は多かったのではないだろうか。だんだん欠けて行くのを見ている間は、確かに興味深かったのだが、皆既月食になった後のあの赤黒い月には、何か禍々しいものを感じた。人は古代から皆既日食には凶事の予兆を読み取っていたようだが、月食にも同じことを感じる。
 それでも双眼鏡で見ると、赤い円の縁のあたりは真珠の光沢のようなものがないではなかった。だが、皆既が終わって再び白く輝きだした時、ほっと安堵を覚えた。だんだん大きくなり満月に戻って行く光を眺めながら、安心感と共に嬉しさが込み上げてきた。
 やはり月は、ことに秋の月は、白く煌々と輝いていなければならない。440年ぶりだかの見ものは、マスコミが言うような「この天体ショーを見逃しては損」などというものではない。かぐや姫が今でも住んでいそうな澄みきった月が良い。
 戻った白い光を見ながら、三木露風作詞・本居長世作曲の名歌曲を思い出した。

    白月

 照る月の 影みちて
 雁がねの さおも見えずよ
 わが思う 果も知らずよ
 ただ白し 秋の月夜は

 吹く風の 音さえて
 秋草の 虫がすだくぞ
 何やらん 心も泣くぞ
 泣きあかせ 秋の月夜は

 旋律を載せられないのは残念だ。動画をご覧ください、と言いたいところだが、動画でもあまり良いのは無いように思う。大変難しい曲なのだ。出だしの「照る」の高音で躓いてしまう。抑えて出すことができずに耳障りな大声になるか、感情過多になるかだ。これはむしろ、月を眺めながら口ずさむか、心の中で歌うのが良い。
 秋の月の歌というと、滝廉太郎作詞・作曲の「秋の月」という名曲もあるが、詩だけだと平凡で(月並みで)、「白月」の方がずっと味わいが深いように思う。なお、「荒城の月」は冬の月の歌なのでここでは取り上げない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「夏の緑の葉」

2022-05-17 22:16:07 | 音楽の楽しみー歌

   夏の緑の葉
            ポール・ウエブスター:詞
            ディミトリ・ティオムキン:曲
穫り入れしているべき時
種蒔きしているべき時
夏の緑の葉が
故郷へとぼくを呼んでいる
 若いってことは素晴らしかった
 稔りの季節に
 ナマズが空と同じくらい
 高く跳ねている時に

木を植えるべき時
鋤で耕すべき時
君が心に決めた娘に
求婚しているべき時
 若いってことは素晴らしかった
 大地と共に生き
 子供が生まれる時に
 妻の傍らで見守ることは

穫り入れしているべき時
種蒔きしているべき時
今こそ生きるべき時
やがて骨を埋める土地で
 若いってことは素晴らしかった
 大地と共に生きることは
 夏の緑の葉が
 今 故郷へとぼくを呼んでいる
  若いってことは素晴らしかった
  大地と共に生きることは
  夏の緑の葉が
  今 故郷へとぼくを呼んでいる

 ぼくの年代の方はブラザーズ・フォーの大ヒットを覚えているでしょうが、1960年の西部劇「アラモ」のメイン・テーマ曲です。日本語タイトルは「遥かなるアラモ」でした。映画は、メキシコからの独立を目指すテキサス軍が圧倒的大軍を前にアラモの砦に立てこもって全滅する話でした。でも今は映画の政治性には触れないでおきます。
 作曲者のティオムキンはウクライナのクレメンチュークの生まれ。ドニエプル川沿いの、キーウとマリウポリを真っ直ぐに結ぶ線のややキーウ寄りです(すぐ北西にクレメンチューク湖という大きな湖があります)。たぶん、穀倉地帯の真ん中の美しい土地なのだと思います。
 この旋律はウクライナ民謡がもとになっているという話を聞いたことがあります。でもぼくには確認はできません。どなたかご存じだったら教えてください。
 作詞のウエブスターはアメリカ人で、この歌詞が直接ウクライナ歌ったものとは思えませんが、曲作りについてティオムキンと話し合っているうちに、彼の地の農民の生活を思い浮かべていた可能性はあります。アラモとは関係がない、故郷を離れた(故郷を追われた)人々が、大地と共に生きていた生活への郷愁、その土地に戻りたいという願い、を歌った歌です。
 (自分で訳しては見ましたが、英語はよくわからないので、樋口悟訳、とはしませんでした。)

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「約束の地」補足

2022-05-04 10:42:21 | 音楽の楽しみー歌

 昨日の記事をアップした直後に友人の国見靖幸君から指摘があった。この歌の作詞はダニエルセフではなく、弟のリシャール・セフなのだそうだ。早速訂正したい(ブログの方は訂正できるが、FBの表示画面の方は訂正の仕方が分からない)。
 ついでに幾つか。
 「約束の地」は、ずいぶん前にその国見君から教えてもらった曲だ。3日前に彼と横浜でコーヒーを飲んでいて、こんなご時世だから、この歌の話が出た。それで、ぼくはすでに09年にブログにいちど載せているが、少し手直しして、改めて昨日、紹介してみた。
 この曲は1993年のフランスのシンガーソングライターのダニエル・セフのアルバムに収録されている。その少し前、89年11月にベルリンの壁が崩壊している。最初に出てくる「古い世界の壁」はこのことを言っているのに違いない。
 この歌が心を震わせるのは、発表されてから今日までずっと、まるで現代の世界を予言しているかに思われるからだ。ぼくの意識の中ではじめのうち、「壁」はベルリンの壁であり、「国境線」は例えば旧ユーゴスラビアであり、「像」はスターリンやフセインだった。だがその後も今日まで、世界貿易センターは破壊され、アフガニスタンで、またシリアで、泥沼の戦争が続き、イスラエルはガザに、アメリカはメキシコ国境に新たな壁を作り、今またロシアがウクライナで無惨で不条理な軍事侵攻をしている。
 「約束の地」はシャンソンとしては珍しいゴスペルの曲だ。そして苦悩と祈りに満ちた歌だ。今は、苦悩に満ちた歌はあまり好まれないのかもしれない。好まれるのは「イマジン」のような希望の歌だ。でも、世界は苦悩に、そして祈りに満ちている(もちろんぼくは「イマジン」も好きだ)。
 「約束の地」は今、ぼくがもっとも歌いたい、聴きたい歌だ。だがぼく自身は歌から降りてしまった(それにぼくはこれをフランス語で歌っていた)。
 ぼくの知る限り、シャンソン歌手の日野美子さんがこれを上記の国見君の日本語訳で歌っている。国見君自身も歌っているが、彼は自分のコンサートでしか歌わないので、この歌が聴きたい人は日野美子さんのライヴに行ったら良い。
 (ダニエル・セフは1949年、フランス南西部のトゥールーズの生まれ、ぼくとほぼ同世代だ。彼の原曲はDaniel SeffまたはTerre Promiseを検索するとYou Tubeで聴くことができる。)

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「約束の地」

2022-05-03 13:26:07 | 音楽の楽しみー歌

   約束の地
        リシャール・セフ:詞、ダニエル・セフ:曲
               樋口悟:訳 
旧い世界の壁のひとつが壊れて
闇から開放されるたびに
人々はすぐにまた石を投げあい始める
国境線とか宗教とか
狂人どもにしか理解できない
理由や情熱のために

長い鉄のマントを着た独裁者の像が
埃の中に砕け落ちるたびに
人々はその台座に
新しい預言者や将軍を据え
同じ石でまた作り上げる
別の地獄の壁を

  あとどれだけ時がたてば
  夜明けの来ない夜を過ごせば
  どれだけの涙と悲劇を繰り返せば
  ほんのわずかな希望の光が見えるのか
    なんて長い長い長いのだろう
    命を呑み込むこの砂漠の中を続く道は
    なんて長い長い長いのだろう
    約束の地へと続くはずの道は

待ち望む心の上で
光が消えるたびに
飛び去った夢の向こうで
看守が振り返るたびに
壊れやすい子供が独り
渡り綱の上で理想の一日を描く

  あとどれだけ時がたてば
  夜明けの来ない夜を過ごせば
  どれだけの涙と悲劇を繰り返せば
  ほんのわずかな希望の光が見えるのか
    なんて長い長い長いのだろう
    命を呑み込むこの砂漠の中を続く道は
    なんて長い長い長いのだろう
    約束の地へと続くはずの道は

    なんて長い長い長いのだろう
    約束の地へと続くはずの道は
      約束の地へと 続くはずの道は

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

訂正と補足

2022-02-11 10:08:04 | 音楽の楽しみー歌

訂正:昨日の記事をアップした後で念のために「朝倉ノニーの歌物語」にアクセスしてみたら、ぼくはフランス語の大きな間違いをしていることに気づいたので、訂正しておきたい。

 第三節の「時の調べを生きていた」と訳したところは原文では
   Et nous vivions de l’air du temps 
だが、「vivre de l’air du temps」は成句で、「無一文で暮らす」という意味なのだそうだ。
ただ、貧しく、腹が減って、というのがすでに繰り返し出てくるし、

「時の調べを生きていた」⇒「霞を食って生きていた」 と訂正したい。

(「l’air du temps」に含まれる詩的ニュアンスは残しておきたい。例えばニナ・リッチの香水「l’ air du temps 」はやはり「時の調べ」だろうし、ここを単に「無一文」とするのはやや寂しい。「かすみを食べて生きる」の訳語は「ロワイヤル仏和中辞典」にあった。)

ついでにその前の「誰もが」はやはり「二人は」に訂正しておきたい。これは、浮草暮らしをしている仲間たち全員を包みたかったので、勇み足。
 ぼくはシャンソンに関心を持っていた時期は比較的短かったので、調べ足りないところはいろいろある。朝倉ノニーさんの上記のサイトは大変詳しく、教えられるところが多い。これを読んでいる人は関心があったらそちらも当たってみてください。

補足:「ラ・ボエーム」はもともとはプッチーニの有名なオペラのタイトルだ。主人公は絵描きではなく、お針子のミミと詩人のロドルフォだ。こちらは「冷たい手を」、「私の名はミミ」、「愛らしい乙女よ」、「あなたの愛の呼ぶ声に(ミミの別れ)」、「みんな出かけてしまったの?」など、心を震わす名曲が目白押しだ。ただ、オペラはそういうものが多いが、ストーリーはややお粗末だ。これは名曲集として聴くほうが良いかもしれない。あるいは、映画のほうが良いかもしれない。アンナ・ネトレプコがミミ役を演じた2008年の映画は哀切で涙が止まらなかった。
 オペラの舞台は1830年代のカルチェ・ラタンだが、これは「レ・ミゼラブル」の中の学生たちの蜂起(1832年)と同時代だ。
シャンソンの「ラ・ボエーム」は主人公を絵描きに絞って、したがって舞台をモンマルトルに移した。こちらは歌があるだけで、どんな物語があるのかはわからない。(ぼくは「ラ・ボエーム」を最初に聴いたのはアズナヴールの歌唱ではなくて、ジョルジュ・ゲタリーという歌手のものだった。感情がこもらなくて上っ面な歌だった。シャンソンの10枚組のCD の中にあった。これは1965年のオペレッタの中で使われたものらしい。それは見ていないし、見るつもりもないが。)
アズナブールの歌の素晴らしいところは、オペラとは逆に、それを聴くぼくたちが、聴きながらめいめいの青春の物語を重ねられるところにある。例えばぼくの年代なら、5月革命のパリに重ね合わせることもできるし、あるいは茗荷谷の、今は無い東京教育大学のキャンパスに重ねわせることだってできる。
 個人的には、ゴットフリート・ケラーの小説「緑のハインリヒ」の、ミュンヘンの画学生たちの極貧の青春を連想する。同じような青春がいつの時代にもあちこちにあった。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ラ・ボエーム(浮草暮らし)」

2022-02-10 07:37:25 | 音楽の楽しみー歌

 ネーサン・チェンがこの曲でショートを滑るのを見ていて、「ああ、懐かしい!」と思った人はかなりいるのではないだろうか。何よりもまず、アズナヴールのあの声の響きが懐かしいし、その声から紡ぎ出されてくる、ぼくの青春が、ぼくたちそれぞれの青春が懐かしい。
 今日の昼にフリーがあるそうだから、そこでは別の曲が使われるのだろうから、それが始まる前に、急いで訳を掲げておこう。

      シャルル・アズナヴール (樋口悟:直訳)

未成年には分からない
ある時代の話をしよう
あの頃モンマルトルでは
リラの花が窓辺まで咲いて
ほとんど家具もないぼくたちの巣は 
ひどくみすぼらしかったけど
そこで二人は出会ったのだ
ひもじさに悲鳴を上げていたぼくと
裸でモデルをしていた君と
  「ラ・ボエーム」「ラ・ボエーム」
  その言葉は「二人は幸せ」って意味だった
  ラ・ボエーム ラ・ボエーム
  二日に一度しか食べられなくても

近くのカフェでぼくたちは皆
栄光を待つ者だった
空きっ腹を抱えて
惨めではあったけど
そう信じて疑わなかった
そして どこかの居酒屋が
暖かい食事と引き換えに
一枚の絵を取ってくれると
ぼくたちは詩を口ずさみ
ストーブの周りに仲間たちと集まって
冬の寒さを忘れた
  ラ・ボエーム ラ・ボエーム
  それは「君は美しい」って意味だった
  ラ・ボエーム ラ・ボエーム
  ぼくたちはみんな天才だった

ぼくはよく画架に向かって
君と幾夜も夜を明かした
君の胸のふくらみや腰の線の
デッサンを描き また直しながら
ひと椀のカフェ・オ・レを前に腰を下ろすのは
もう明け方だった
へとへとになりながらも夢見心地で
抱き合わずにはいられなかった
人生を愛さずにはいられなかった
  ラ・ボエーム ラ・ボエーム
  それは「二人は二十(はたち)」って意味だった
  ラ・ボエーム ラ・ボエーム
  誰もが時の調べを生きていた

あるとき 偶然に導かれて
ぼくたちの古い住みかの
界隈を一回りした
見覚えのあるものは何一つなかった
ぼくの青春を見ていたはずの
壁も通りも
階段を上がってかつてのアトリエを探してみたけど
もう何も残ってはいなかった
新しい大道具に囲まれた
モンマルトルは悲しげで
リラも枯れていた
  ラ・ボエーム ラ・ボエーム
  二人は若く 愚かだった
  ラ・ボエーム ラ・ボエーム
  その言葉にはもう 何の意味もない

注1:リラの花はフランスでは青春の象徴です。だから、かつては貧しい二人の窓辺に咲き、今はもう枯れている。だから、「リラの花の咲く頃」、人々は愛を語る。また、だから「過ぎ去りし青春の日々」で、青春はリラの色をした瞳を私から背けてしまう。そういうことが本当は分かっていないと、「涙の向こうで揺れているリラ」や「窓辺に開くリラの花」が、単なる小道具になってしまうと思います。

注2: 原曲でMontmartreには八分音符2つしか充てられていないのに、日本語のモンマルトルは音符5つになっている。これは日本語の特徴で仕方ないし、そこが短所なだけではなく長所にもなりうる(俳句や短歌の短詩形を発達させた)のですが、歌の詞として訳そうとすると「愛の部屋で」「愛の眠りの」「愛の街角」などのあいまいな決まり文句を採用せざるをえないのは残念なことです。ただ、そんな条件の中でも、なかにし礼さん訳の歌詞はさすがに簡潔で素晴らしく美しい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「枯葉」

2021-10-25 10:12:13 | 音楽の楽しみー歌

   枯葉                      
              ジャック・プレヴェール:詩                    
 思い出してほしい
 二人が愛し合っていたあの幸せの日々を。
 あの頃 人生はもっと美しく
 太陽はもっと燃えていた。
 枯葉がシャベルで集められる。
 ねえ ぼくは忘れてはいないよ。
 枯葉がシャベルで集められる。
 思い出と悔恨もまた。
 そして北風がそれを
 忘却の冷たい夜へと運び去る。
 ねえ ぼくは忘れてはいないよ
 君の歌っていたあの歌を。
   ぼくたち二人のことのようなあの歌。
   君はぼくを愛していた。
   ぼくは君を愛していた。
   二人は固く結ばれて生きていた。
   ぼくを愛していた君と
   君を愛していたぼくと。
   でも 人生は愛し合う二人を引き裂く。
   ゆっくりと 音も立てずに。 
   そして海は消してゆく 砂の上の
   別れた恋人たちの足跡を。

 枯葉がシャベルで集められる。
 思い出と悔恨もまた。
 でも ぼくの静かな変わらぬ愛は
 いつも微笑んで 人生に感謝する。
 ぼくはあんなに君を愛した 君はあんなに美しかった。
 どうして君は 忘れて欲しいなんていうの?
 あの頃 人生はもっと美しく
 太陽はもっと輝いていた。
 君はぼくのいちばん優しい恋人だった。
 でも今のぼくには 後悔しか残されていない。
 そして君の歌ったあの歌を
 いつまでもいつまでも ぼくは思い出すだろう。
   ぼくたち二人のことのようなあの歌。
   君はぼくを愛していた。
   ぼくは君を愛していた。
   二人は固く結ばれて生きていた。
   ぼくを愛していた君と
   君を愛していたぼくと。
   でも 人生は愛し合う二人を引き裂く。
   ゆっくりと 音も立てずに。 
   そして海は消してゆく 砂の上の
   別れた恋人たちの足跡を。    (樋口悟 直訳)

 秋になると必ず繰り返し暗誦したくなる詩が、とりあえず二つある。ひとつがこれで、もうひとつはライナー・マリア・リルケの「秋の日」。
 「枯葉」は以前にブログに書いているが、また書いておきたい。ただしぼくのは直訳であって、歌うことはできないし、みんなに歌われている「あれは遠い思い出~」の名訳に比べるといかにも散文的だ。だが、シャンソンを日本語の歌詞にすると、通常、とても情緒的にセンチメンタルになってしまうので、原詩の言っていることを直訳で丸ごと伝えることはそれなりに意味がある、と思う。
 
 日本で普通歌われているのは、一番分と繰り返ししかないし、英語の「枯葉」は繰り返しの部分しかない。
 よく見ると、一番で使われた歌詞の一部が、二番でバラバラに繰り返されている。メロディーもそれにあわせて低く変えられている。

 シドレ シドレ シレドラ  →  #ソラシ #ソラシ #ソシラ#ファ   のように。

 作曲者ジョセフ・コスマの、精妙なテクニック。そして、この繰り返しと微妙なトーンダウンが、ハラハラと散り行く落ち葉の様を見事に表現している。この名曲の、ここを見過ごすのはもったいない。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「浅き春に寄せて」

2021-02-02 19:36:11 | 音楽の楽しみー歌

 昨日最初の部分だけを引用した立原道造の詩は、「水色のワルツ」の高木東六が作曲している。優しい、美しい曲で日本歌曲中の名曲だと思う。
 以下にその歌詞の全体を紹介しておく。立原の原詩とは若干の違いがあるが、ここでは歌の方を書く。

今は 二月 たったそれだけ
あたりには もう春がきこえている
だけれども たったそれだけ
昔むかしの 約束はもうのこらない

今は 二月 たった一度だけ
夢の中に ささやいて ひとはいない
だけれども たった一度だけ
その人は 私のために ほほえんだ

そう 花は またひらくであろう
そして鳥は かわらずにないて
人びとは春のなかに 笑みかわすだろう

今は 二月 雪の面につづいた
私の みだれた足跡 それだけ
たったそれだけ 私には 私には

 (立原の原詩と違うところは、さいごの「私には」の繰り返しが原詩にはないこと、原詩では「笑みかわすであろう」となっていること、原詩は旧仮名遣いであること、など。)

 ぼくはこの歌が大好きで、練習して発表会では歌ったことがある。特にこの季節になると歌いたくなる。ただ、なかなか伴奏してもらう機会がないのは残念だ。また、伴奏してもらうにしてもいきなりは歌えない。何回か合わせてみなければならない。それも大変だ。
 仕方がないから鍵盤かマンドリンで旋律だけなぞりながら歌うが、フラットが5つもついているので、ぼくにはけっこう難しい(マンドリンのほうがいくらかやりやすい)。

 静かな前奏に続いて、その出だしの音をなぞって静かに歌が始まり、第1節、2節の間、歌は懐かしい遠い思い出のように、悲しみを漂わせながらもやわらかな明るさで続く。だが1~2、2~3節の間の間奏は、心の深層にあるものが無意識のうちに表に出ようとしているかのように、次第に複雑な和音を増してゆく。
 第3節でメロディーラインは変わるものの相変わらず明るいやさしさのままと思わせておいて、「かわらずに」で初めてフォルテになり、「ないて」の「て」の音でいったん身を屈めるように収まり、その3拍の間に伴奏はクレッシェンドし、「人びとは」から激情がほとばしり出てすぐに元に戻り、歌の感情は落ち着いたものの、次の間奏はまだ激情のほとばしるままに下降し上昇し、それから急に、流れるように美しい三連符に変わる。
 その三連符の伴奏の上を最初の穏やかな歌の旋律が、ただし今度は孤独感を込めて歌われ、最後はあきらめきれないあきらめのうちに消え入るように終わる。
 立原道造の甘やかな青春の抒情から、音楽によって複雑な心の裡を浮かび上がらせた、名曲だと思う。

 鮫島有美子の歌ったCDを持っている。ただし、立原が書いた詩なので、元々は男性の感情だと考えられる。高木東六がそう思って作曲しているかどうかは分からないが。やわらかなハイ・バリトンの歌で聴いてみたいものだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「出船」

2020-09-12 21:46:54 | 音楽の楽しみー歌
 デュモンの日野さんに日本歌曲やラジオ歌謡などのレッスンをしてもらう二回目。一か月ぶりだが、ほぼ毎日少しずつ声を出しているので、先月よりはいくらかは良いだろうか。午前中歯医者でそのあと帰宅せずに直に行ったので発声のウオーミングアップをすることができず、いきなり歌う、だったが、先月よりは声のひび割れは減ったのじゃないだろうか。
 先月の歌に加えて、「波浮の港」と「雪の降る街を」。どれも比較的易しくて声も出しやすくて、情感豊かな良い歌だ。
 日本歌曲も、現代曲になるにつれて不思議な複雑なコードの、不安な音楽に、つまり現代音楽に、なっていくが、大正から昭和前期までは歌いやすいものが多い(ただしこの時期の代表的作曲家の山田耕作のものはクレシェンド/デクレシェンドの指定が極端に多くて大変難しい)。ぼくは、聴く音楽は現代的なものが好きだが、歌うとなったら易しいものが好きだ。好きだ、というよりは、そういうものしか歯が立たない、のだが。
 来月は、「この道」と「砂山」を加えよう。そして、だいぶ先になるが、「からたちの花」や「初恋」や「やはらかに柳あをめる」を何とか歌えるようにしたい。
 12月の発表会には、「出船」と「さくら貝の歌」を歌わせてもらうつもりだ。

 今宵出船か お名残り惜しや    
 暗い波間に 雪が散る       
 船は見えねど 別れの小唄に    
 沖じゃ千鳥も 鳴くぞいな     

 今鳴る汽笛は 出船の合図     
 無事で着いたら 便りをくりゃれ  
 暗いさみしい 灯影の下(もと)で     
 涙ながらに 読もうもの      

 男に旅立たれる女の嘆きを歌った(演歌によくあるテーマの)歌だが、なぜか男が歌うことが多いようだ。女声が歌うと抒情的になりすぎるかもしれない。声量のある男声が、その声を楽々と使う中で、どのように哀しみも表現できるかが勝負だろう。そういう意味では、簡単なようでいて難しい。声を出しっぱなしではいけないし、嘆き節になってもいけない。
 シンプルな歌詞だが、この歌の主人公はどこにいて、どういうシチュエーションなのだろう? というようなことを考えるのはなかなか面白い。歌う時に思いを込めればよいのであって、書くのは意味が薄いかもしれないが、あとで少し触れてみよう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

優しい歌

2020-08-13 21:43:58 | 音楽の楽しみー歌
 この夏は音楽がどんどん遠くなっている。楽器の練習をする元気が出ない。体力が落ちていろんなことを一日にできなくなっていて、この夏は読書と散歩が優先になっている。
 いつの間にか歌の練習…どころか声さえあまり出さなくなっていた。
 このまま声が出なくなってしまうのはあまりに残念だ、と思い、日野さんにレッスンをしてもらいにデュモンへ行ってきた。そのためにその前一週間ほど声を出してみていたのだが、ひび割れたかすれた声が出るし、どうすれば良い声が出せるのか、ポイントがわからなくなっている。「うん…これはやばい」と思いつつ一週間。出し方はわからないままだが、ひび割れは減ってきた。
 で、新しく覚えるのでなく、昔うたったのを練習しようと思い、用意したのが日本の抒情歌。昨日見てもらったのは、「出船」、「さくら貝の歌」、「あざみの歌」、「霧と話した」の4曲。
 さいわい、日野さんには「いい声ねえ」と言ってもらえた。一日一時間ぐらい手探りでポイントを再発見していけば、年末ぐらいにはもう少し、ひびではなくて響きを取り戻せるようになるだろう。
 歌ってみると、日本の抒情歌は本当に良い。心にしみる。心にしみる歌を心にしみるように歌えるようになりたいものだ。優しい歌が好きだ。ということはぼくの心にもまだいくらかは優しさが残っているということだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする