すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

体力測定

2021-12-29 16:27:53 | 山歩き

  

  

昨日、年末恒例の体力測定に行った。陣馬と高尾の縦走(年末恒例、と言うのはウソで、若い頃はしていたのだが、去年から復活。まだ二回目)。
 藤野の駅を8:30にスタート。一の尾根を登り、陣馬山頂で富士山を愛で、景信山、小仏城山、高尾山を経て六号路を高尾山口駅に。到着15:44。所要時間7h14。
 去年のデータがあったので、それよりなるべく早く、と思い、かなり真剣に歩いたのだが、結果はわずか4分の短縮。とても疲れて、駅前の極楽の湯につかるのもめんどくさく、どこかでゆっくり一杯ひっかける気力もなく、まっすぐ帰った。
 マジで歩いても去年と変わらなかった、というのと、そのあとの疲労感の分だけ、去年より体力は一歩後退。でもまだ大した後退ではないから、来年も大丈夫、というあたりだろうか。
 城山との鞍部から高尾山に登り返す北側の巻き道に、霜の妖精の咲かせた花が点々と美しかった。今回はこれを愛でるのも目的の一つ。こちらは大満足。
 (シモバシラという植物の茎の中の水分が霜の結晶になったもの。地上部分は枯れても根はまだ生きていて土中の水分を吸収するから、それが地上付近で氷ったもの。ぼんやり見えるのは南アルプスで、左が赤石岳、右が悪沢岳)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

もみじ台

2021-12-22 17:33:08 | 山歩き

 心臓が悪くて医者に山登りを禁止されてしまった友人を誘いだして高尾山に行った(いいのかなあ?)。彼は若い頃、ぼくよりはるかにきつい山登りをしていたのだが、最近どうも、一緒に歩いていて、登りで息切れがひどくて辛そうだなあ、と思っていたら、弁に欠陥があって、「山はやめてください」と医者に言われたのだそうだ。
 でも完全にやめてしまうのは寂しいし、本人も「下りなら大丈夫だよ」と言うので、ケーブルカーで上がろうということにした。高尾山のケーブルカーなんて、何十年ぶりだろうただし、8カ月前には隣のリフトに乗っている。4月の下旬に、10日間入院して退院10日目に足慣らしに来た。あのときはリフトに乗るための石段がひどく辛く、降りてからも何でもない4号路の登りが辛く、ストックにすがって何度も休んだり目まいをこらえたりした。あのときに「なるほど、体の辛さと言うのは本人でないと分からないものだな」というのを実感した。
 秋の終りの爽やかに晴れた日で、高尾山口駅には平日にもかかわらず登山客がいっぱいいたが、幸いケーブルカーは一番前に乗ることができた。フロントガラスに張り付くようにして、登って行く斜面を見る。すごい。ここのは勾配が日本一急なのだそうだ。ふもとの駅では完全に冬枯れだった両側の山腹が、登るにつれて陽当りの良いところだけ紅葉がまだ残っている。光を透かして見るとまだ十分美しい。
 降りて、薬王院の庫裏の脇の通称「裏道」を登る。あまり知られていないが、これが山頂に行く最短かつ最も楽な道だ。山頂は思ったよりも空いていた。富士山と丹沢山系が美しい。展望台の下の段に降りると、右手の山並の上に微かに南アルプスの農鳥岳、広河内岳、塩見岳が白く輝いて見える。もう一度あそこに立つことはできるだろうか?
 高尾山頂は避け、もみじ台まで行ったら茶屋が営業していたので、そこでお昼にする。風がないので暖かくのんびりする。富士山もここの方が美しい。なめこ汁を頼んで、ついでについ、ワンカップの日本酒を追加する。熱燗にしたのがあって嬉しい(お腹を冷やすので、山でビールはやめている)。城山のなめこ汁は有名だが、ここのも美味い。色も美しい。
 ここのところ、現代文明は終末に向かっている、次の世代ぐらいには破局が必至だ、という思いが強くて、鬱々した日々を過ごしているのだが、まあ、この日向ぼっこの間ぐらいは、そのことは忘れていよう。相棒はこの頃お酒が入ると、日本及び日本人はいかに素晴らしいか、ということを口癖のように繰り返すのだが、心のよりどころが欲しくてそう思っていたいのだろうから、今日は議論は止しておこう。
 城山まで引っ張りまわすのは心臓に良くないだろうから、ここから戻ることにした。下りは1号路を採った。1号路は石畳み道で、下りは脚に悪い。せっかく山に来ているというのにこんなところ歩くもんじゃないな、と思った。リフトで下ったほうがましだった。
 高尾駅のカフェ「一言堂」で、いつものコーヒーとアップルパイ。相棒はビール。
 彼が山を止めてしまうと、ぼくは誰か仲間が欲しいな。いつもは一人で歩いているが、たまには仲間と歩きたい時もある。
 今年はあと、ソロで2回、かな。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歳末

2021-12-18 12:57:34 | 社会・現代

 駅前の舗道にこの頃、国境なき医師団も世界食糧計画も難民高等弁務官事務所もユニセフも、この時期にはよく見かける救世軍もいない。一年でいちばん、困窮した人たちのことを思いやったり思い出したりする季節なのに。
 今日は駅ビルの前に自転車一台も停められていない。排除通知の貼り紙が二枚、鉄のバリケードにつけられている。昨日、処分が行われたのだ(ここらあたりは駐輪場が全く足りないので、ぼくもたまに停めることがある)。
 空っぽの、きれいさっぱりとした舗道。
 寄付を呼び掛けていた人たちも排除されたのだろうか? あの人たちを排除して、どうしようというのだろうか? 今さらクリスマスや年越しのイルミネーションではないだろう。
 「道行く人たちの邪魔や事故のもとにならないように」だろうか? 「街の美化運動」だろうか? 「さっぱりとした新年を迎えたい」のだろうか? 困っている人たちの力になりたい人たちを排除して?
 助け合うべき、あるいは連帯すべき、あるいはせめて共感すべき人々は、お互いにそっぽを向いて歩いている。他人にはなるべく目線を合わせないように(ぼくも、そのうちの一人だ)。
 (山で野生の猿に出会ったら、決して目を合わせてはいけないのだそうだ。)
 現代社会が終わろうとしているのに、ぼくは何をどうしたらよいかわからない。
 だからぼくはふさぎ込み、むかっ腹を立て、それにもかかわらず、退屈までしている。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今この瞬間も

2021-12-17 09:53:48 | つぶやき

山から帰ってくると
体は疲れているのに
もう次の山に行くことばかり
考えている

歌もフランス語も
遠い昔のことになってしまった

地図やガイドブックを広げ
所要時間を計算し
「若い時ならともかく
今の体力では無理だな」
と溜め息をつき
「そうだ体を鍛え直さなきゃ」
と運動を始め
すぐに息が上がり

朝からこんな雨の日
枯れた林の上の青空を思って
鬱々と過ごす
家族に呆れられながら

山を歩いているか
山を夢想しているか

それなのに夜は
辿り着けない夢
帰り着けない夢ばかり見ている

今この瞬間も世界のあちこちで
無抵抗の人々を
軍隊が跪かせているというのに

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

月見岩

2021-12-07 10:20:17 | つぶやき

牧場あとの陽だまりで
岩にもたれてのんびり休む
ここからは
故郷に続く谷間が見える
あの左手もう少し下流
谷が盆地に向かって広がったあたりに
ぼくの生まれた家はあった

母屋と離れと土蔵とワイン醸造所と
蒸留塔と倉庫とが
中庭を取り巻いている屋根の無限軌道の上を
走り回るのが好きだった

六年生で故郷を離れたとき
突然の境遇の変化が理解できず
大人になってからもずっと
故郷を憎んでいた
懐かしく思えだしたのはここ十年くらいだ

もういちど生き直せるものならば

ブドウ畑に囲まれてそのまま育って
試験管やフラスコやアルコールランプや
八歳の誕生祝いに買ってもらった顕微鏡を友にしながら
甲府の高校に通い 夜間遠足に参加し
大学で醸造学か発酵学を学び
県の農事課あたりに勤め
時々は秩父や八ヶ岳に登りに行って

今ぐらいの歳には退職後を
またブドウ畑で過ごし
少年時のようにぶどう棚や
屋根に登って(登れるかな?)
盆地を囲む山々を眺め
風に目を細め
感嘆の声を上げ

そして月の明るい或る晩
この岩にもたれて
月からのお迎えを待つだろう

 まあ 生き直すのは無理な相談だから
 今からできるのはせいぜい
 最後のひとつだけだな

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする