すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

舞岡散策

2022-09-29 15:18:12 | 老いを生きる

 今年は大病をした、あるいは大手術を受けた、友人が多い。ぼくより若い人もいるが、同年配が多い。そういう歳なのだ、と改めて思う。
(「健康寿命」とやら言う概念があるのだそうで、詳しい定義は知らないが、日常生活を支障なく送れる限界年齢、の平均は男は72.64歳なのだとか。ぼくもすでにそれを超えている。もちろん、寿命があるのなら「健康余命」というものもあって、もう少し長いのだろうが。まあ、誰でも、寿命が尽きるまではなるべく健康で生きたいものだ。)
さて、昨日ひさしぶりに会ったのは、7月に心臓の大手術を受けた同じ年の男性Aと、半周りほど年下の女性B。二人とも山の仲間、というよりは、近年はすっかりハイキングの仲間だ。Bも足やら首やら腰やらにトラブルを抱えている。前回三人で一緒にハイキングしたのは梅の花の季節だ。
 今回は、再会を兼ねてAの足慣らしということで、戸塚区の舞岡谷戸の散策にした。ぼくとA には、三十数年前、今のように公園として整備される前に、仲間たちと田んぼを借りて稲を作っていた、思い出のいっぱい詰まった場所だ。ぼくも去年、頸動脈の手術を受けた後、足慣らしの初めにここに来た。
 地下鉄舞岡駅で待ち合わせ。思ったよりもずっと元気そうだ。顔色がいい。酒好きのAはさっそくコンビニにビールを買いに行く。40日間断酒をしたそうだ。 
野道を歩く。ふだんは八幡神社の裏手から登って尾根道を行くのだが、Aはまだ上り坂は苦しいので舞岡川のせせらぎ沿いに行く。昔はここは田んぼの脇の素朴な小川だったのだが、公園の整備と一緒に川床と岸は石で固められ、道には石畳が敷かれ、誰でも楽しく安全に歩ける遊歩道になっている(昔の野道が懐かしくもあるが)。ムラサキツメクサとツユクサが続いている。
 ゆっくりゆっくり歩いて30分ほど、住宅地を通り抜けて「坂下口」バス停を過ぎ、かつて「舞岡水と緑の会」の事務局だった家の前を過ぎると道は右折して農道になる。ここまで駅から約1km。さらに200mほど行くと車止め。右手に公園関係車の駐車場があり、入り口左右の垣根に枳殻(カラタチ)が、春には白い花が咲くが、今はゴルフボールの大きさぐらいの黄色い実をいっぱいつけている。
 さらに500mほど入ると北門。門の手前を右に急登。Aは辛そうだ。休みながら登って行くと草地が広がる。「中丸の丘」だ。ここのテーブルでお昼にする。
(舞岡については以前に何度も書いているので、ここがどんなに気持ち良いところか、とかは省略。)
 例によって、病気の話で盛り上がる。あとは、山の思い出話、これから行けそうな山の話。最近、仲間が奥穂高岳に登ってきたので、これが話のハイライト。あとは、どうしても、前日の“国葬”の話題と、これからこの国と世界はどうなる?という暗い話になってしまう。
 お昼を食べて丘を下ると、北門の先はぼくたちが最初に田んぼをやった思い出の場所だ(これも前に書いたから省略)。ネムノキ(?)がからからに干からびた大きな豆をつけ、クサギガ濃い瑠璃色の実を、カラスウリが赤い実をつけている。田んぼには案山子がいくつも立てられている。稲刈りが始まった時期で、週末には子供や大人の歓声でにぎやかなのだろう。稲架も作られている。
かつて農機具小屋があって、脱穀や餅つきをした小丘の先で、道は少し急になる。その辺で引き返すことにして、谷戸の田んぼの反対側を通ってバス停に戻って戸塚駅に出て、「カナール」で美味しいコーヒーを飲んで分かれた。
 時間をかけて体力をつけ直して(これはBもぼくも一緒)、紅葉の頃にはもう少し遠くに行こう。来年になったら高原に泊まりに行こう。山登りも再開しよう。
 

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井戸 2

2022-09-25 17:21:37 | 詩集「黎明」

大地が闇と溶け合うところまで
枯草の疎らにへばりついた砂地が続く
井戸がただひとつ これを掘った部族は
古代史にさえ知られていない

折れた跳ね釣瓶に燐の月光
覗きこむ体が力を失ってそのまま落ちていきそうな深淵
叫んでみる声が自分の耳にさえ聞こえない

水は吸い込まれてしまったのだ 大地の底に
テントも集落も都市国家も
髪飾りの珠をきらめかせた娘たちも 昼も
吸い込まれてしまったのだ この虚空の奥に
以来 夜ばかりの悠久の時

銀河は氾濫して空を覆い尽し
その光の乱反射で
折れた跳ね釣瓶が井戸の周囲にあいまいな影を描く

何時 水は再び湧き出してくるか
何時 井戸は溢れ 大地は水で覆われ
銀河の氾濫を映して輝くか

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井戸

2022-09-24 10:35:03 | 詩集「黎明」

待ち続けていればいいのだ
古い井戸の傍らで
羊の皮を広げて
静かに座っていればいい
印を結ぶ必要はない
結跏するにも及ばない
ゆったりと楽にしているのが良い
いつまで待つかは分からないのだ

何ヵ月に一度か何十年に一度
疲れた旅人が水を求めてやってくるだろう
首を振って示してやればいい その井戸は
旅人のたどって来た丘が
まだそこになかった頃から枯れていることを
旅人は足を引きずって立ち去っていく
砂の上の足跡が消えてしまったら
また次の何十年かが過ぎる
北極星が幾たびか廻る
そのうちに君は
旅人がまったく来なくなったことすら忘れてしまうだろう

終日 風が荒れて
砂も雲も太陽も吹き消し
昼の光という光を吹き消してしまったあとで
君は聴くだろう
宇宙を埋め尽くしている
微かな通奏低音を
星々の生まれてくる源を
それは降りてきて大地を包み込んでしまう
この星が再び生まれるために

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三渓園散策

2022-09-22 15:16:13 | 老いを生きる

 大病を克服した友達と、「久しぶりに外を歩いてみよう、でもまだハイキングではなく」、ということで、本牧三渓園に行った。先月末に半年ぶりに会っているのだが、その時もびっくりするくらい元気になっていたのだが、一か月たってさらに元気になって体力も回復しているようだ。
 三渓園の一番好きなのは、正門を入るとすぐに眼前に大池の広々とした開放的な水面が広がるところだ。内苑の重要文化財指定の建築が狭い谷戸に並ぶ日本庭園より、こちらの方がはるかに解放感がある、繁りに繁った蓮池と睡蓮池に沿って、大池を左手に眺めながら明るい歩道を歩くと、また一緒に歩けるようになった嬉しさが込み上げてくる。なんせ半年前には、彼女はもう帰らぬ人になってしまうものと思い、ロシアのウクライナ侵攻の連日の衝撃的なニュースもあって、ぼくは絶望的な気分でいたのだ。
 分かれ道を右に、ちょうど今5年越しの改修工事が終わって内部を公開している臨春閣を拝見しようと御門をくぐると、和装の新婚さんが記念撮影をしていた。思わず「おめでとうございます。お幸せに」と声をかけた。
 臨春閣は日本庭園の池に沿った三段の雁行式の(雁が飛ぶ時のように斜めに連なった)凝った作りの建物で、紀州徳川家の初代藩主が建てた由緒ある建物だそうだが、お殿様の趣味の建物という感じがして、生活感が無さ過ぎて軽く、ぼくも友達もあまり好きにはなれなかった。襖絵など狩野派の名品が目白押しなのだそうだが、色褪せてぼんやりとしかわからない。池の水は降り続いた雨のせいか白く濁っていたが、芝生の緑は瑞々しく、粋を凝らした建物よりも外の風景に心を惹かれた。植物は、造られた庭であっても、雨が降れば生命力を取り戻すが、建物はどんどん劣化していく。
 内苑の古建築群はざっと見て門を出ると再び外苑。三重塔のある丘に登る道。「ゆっくり歩けば大丈夫」と言うので、休みながら登る。
登りながらふと別のことを思った。生糸貿易で莫大な資産を築いた男が金に任せて京都他から歴史的建造物を集めている間にも、飛騨の貧しい村々の娘が製糸工場で働くために峠を越えて行った。今度、女工哀史の関係の本を読んでみよう。そして、友達がもっと元気になったら、できたら一緒に野麦峠も訪ねてみたい。
 展望台は急な階段で、しかも醜いごちゃごちゃした埋め立て地しか見えなそうなのでパスして、三重塔へ。至近距離から見上げると九輪の上に真っ青な秋の空だ。飛天達が人間から身を隠してまじっていそうな微かな雲だ。
 東屋をみつけてお弁当を食べることにする。横浜駅で買った崎陽軒の炒飯弁当と季節のお弁当「秋」。季節のお弁当も好きだが、ぼくは特にこの炒飯が好きだ。崎陽軒はご飯が美味しい。
 お弁当を食べながら見ると50mほど先に彼岸花の群落があり、通る人ごとに足を止めている。食べ終わって行ってみたら、チョウがたくさん来ていた。キアゲハとクロアゲハ。もう少し色が複雑なのがカラスアゲハで、よく似ているけど瑠璃色の強い美しいのは何だろう? ミヤマアゲハだろうか? 子供のころ昆虫が苦手だったのでよくわからない。友人は「あ、恋をしている」というのだが、種類が違うから、「この蜜はオレのだぞ」とかやっているのだろう。
 矢箆原家(やのはらけ)住宅というのに行ったら、上がり込んで内部の見学ができた。白川郷のさらに奥の荘川村の庄屋が、御母衣(みほろ)ダムの建設で水没することになった家を三渓園に寄贈したのだという。これは江戸時代の農民の家とは言え、じつに重厚な建物だ。臨春閣よりははるかに生活の実質のある、しかも年月によっても容易には色褪せない風格のある家だ。ボランティア・ガイドの方にいろいろ詳しく教えていただいたが、その立派さはぼくが書いても表現できないから、行って見てもらうしかない。説明書も置いてある。コロナ禍で二階は解放していないというのが残念だった。 
 池のほとりのお茶屋さんで氷を浮かべた抹茶と水まんじゅうをいただいた。本牧まで歩き、バスで関内に出た。「月に一回ぐらい、出かけようね。旅行もしたいね」、と約束して別れた。家に帰って万歩計を見たら、一万五千歩を超えていた。彼女も一万歩は超えているだろう。大したものだ。
(なお、三渓園は以前にも行ったことがあるが、桜と紅葉の頃には人混みになるので御用心。)

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分かれ道

2022-09-21 20:03:45 | 山歩き

稜線から逃れると
ダケカンバが新しい緑の芽を吹き
ミヤマザクラが下向きに
ひっそり咲いていた

独りの山歩きを
久しぶりに残念に思う

ダケカンバは雪の重みで道に迫り出していて
頭を何度も幹にぶつける
バランスが悪くなったので
つい足元が気になるのだ
動体視力も失せ
視野も狭くなっている

ぼくの生の中にはすでに衰えと
幾らかの死が混じっている

それが新緑を
薄紅色の花を
行く手の斜面の幾筋もの雪渓を
いっそう美しくしているのだ

ついさっきまで稜線では
直射日光が殴りつけるようだったが
ここは雪を渡る風が優しい

これからあの空の下の鞍部に
かすかに見える
小屋のところまで登って行かなければならない
はるか遠くに思えるが
ゆっくり歩いていけば案外近い
(これは天国の比喩ではない
そういうものを信じてはいない)

踏みしめる一歩があるだけだ

付記:最近の山ではなく、6月末のメモの再構成。先月末に膝を少し痛めて、山に行けていない。ほぼ治ったようだが、慎重に再開しないとまた痛める可能性がある。

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いつか来た道

2022-09-20 21:00:14 | 山歩き

五十年前に渡った橋は
流されて付け替えられ
新しい橋がすでに錆びて
板が腐り始めている
古いほうの残骸が
下流側に打ち捨てられたままだ

登山道はえぐれ
石の間を大量の水が流れ
沢歩きのようだ
それでもこの道をまた歩ける
トレッキングポールを頼りにゆっくり歩く

水が美しいからといって
手に掬って飲んではいけない
この上流には確か
赤い染料を流したような水が
流れ込んでいる場所があった
腐った卵の匂いのする場所もあった

さらに登って行けば前方に
爆裂火口が現れるだろう
今夜の泊りは
あの火口の傍らだ

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・・・ 

2022-09-17 10:56:23 | 老いを生きる

どうもぼくはこのごろ
他の人には見えぬ
誰かと話をしているらしい

時々家族に
「え、何か言った?」
と訊かれる

「いや、何でもないんだ
ただちょっと
・・・がそこに坐っていたような気がしたんだ」

街で自転車にぶつかりそうになった
「大丈夫ですか?」
突然立ち止まったようだ

「いえ、ごめんなさい
 ちょっとそこの角に
 知り合いがいたような気がしたので」

窓辺の椅子に坐って
君がうつむいて泣いているのは
ぼくと一緒に歳が取れなかったからか?

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けもの道

2022-09-16 15:32:34 | 山歩き

微かに続いていた踏み跡らしきものは
ここの小ピークで途切れた
この先は三方とも
転げ落ちそうな急斜面だ

谷に下り着いても進めるかどうかわからない
戻るべきだ
だが
すでにずいぶん来てしまっている
うまく戻れるだろうか?

太陽を見上げ
腕時計の短針を合わせる
これで方角だけは分かるが
まったく馬鹿なことに
今日は油断して地形図も磁石も持っていない

日が暮れるまでには
登山道には戻れるだろう
麓には夜道になるな

人の歩いていなさそうな脇道をみつけると
つい踏み込んでみたくなる
冒険心と自尊心を
満たした気になる
ド素人の悪い癖だ

考えてみればこんなことを
オレは何度もしている
こんなことが楽しくもあるのだから
ふだんよほど
アドレナリンが出ていないのだな

さあ
反省しながら急いで歩け

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セカイノオワリ(2)-気候危機

2022-09-11 10:00:47 | 社会・現代

 「気候変動」という言葉は、すでに今地球規模で起こっていることを表わすのに全然足りなくなっているのだそうだ。言葉が現実に置いて行かれてしまった。今の現実は、「気候危機」、あるいは、「気候崩壊」と呼ばねばならないのだそうだ。
 この夏、少しでも日本の、世界の自然災害のニュースに耳を傾けた者の多くは不安を感じ、危機や崩壊が迫ってくるのを目の当たりにする思いがしただろう。現時点では、それは都会に住む我々が直面する問題ではないように見える。人々の多くは「何とかなるさ」と思っているかもしれないし、不快ではあるが差し迫った問題ではない、と感じていられるかもしれない。だが、たちまち、自分自身の生活にも大きな困難をもたらす問題になることは間違いない。
 気候危機は、現代の東京に暮らすぼくたちにも、水害や山火事という形ではなくても、大きな苦難をもたらす。ぼくたちにいちばん直接的にかかわる問題の一つは、食糧の確保の問題、当面は食糧価格の高騰だ。だが価格高騰に留まらず、そう遠からず、食料が手に入らない、というところまで事態は進む。食べることができる者とできない者に分断され、社会全体が不安定化し、暴動が起きる時代はそう遠くはない。
 現在の食料品とエネルギーの価格の高騰はロシアのウクライナ侵攻が原因の一時的な事態であって、いずれ戦争が終結すれば元に戻る——ということではない。いったんは下がるかもしれないが又すぐに上がる。そして将来は、一年で2倍、3倍になる。日本のように食料自給率の低い国では、輸入できる食料が減れば、当然そういうことになる。買いたい国がいっぱいあれば競争になるから高い金を出さなければならなくもなる。中国やインドが食糧確保は自国民優先、となれば、何倍の価格でも手に入らなくなるだろう。
 食料がなぜ問題なのか? あれは、異常気象に見舞われた今年だけの問題ではないのか? もちろん、そうではない。なぜなら、気候危機によって、世界の農作物の、特に、主食である小麦、米、トウモロコシの生産は減少の一途をたどるからだ。このことの一部は、少し考えてみればすぐに分かる。
 世界はあちこちで、旱魃と水害に見舞われている。見舞われているのはいずれも、大食糧生産地だ。旱魃や水害に見舞われた土地は、食糧の生産ができない。一度見舞われれば数年はできない。そして旱魃と水害は年々繰り返され、年々ひどくなっている。
 干ばつや水害だけでなく、世界の食糧生産地は水不足という深刻で長期的な問題に悩まされている。アラル海はほとんど乾上ってしまった。サブサハラ(サハラ砂漠南縁の地方・国々)では砂漠の拡大に苦しんでいる。いちばん深刻なのは中国だろう。
 ぼくの友人数人が、マリ共和国の内陸部の砂漠化を食い止める活動に従事していた。灌漑施設を作り、農業指導をし、遊牧民の定住を図る運動だ。だが、灌漑をして作物を育て始めると、土中の塩分が上昇してきて作物は塩害を起こしてしまう。また、民族対立が激しくなり、活動は停止している。ここでは穀物の不足は民族対立・宗教対立の原因にもなっている。北部の遊牧民はアラブ人でイスラム教徒だし、南部の農耕民は黒人でキリスト教徒もしくは民俗信仰だからだ。
 これと同じ現象は、もっと過激な形でスーダンで起きている。こちらはアラブの遊牧民、黒人の農耕民、どちらもイスラム教徒だ。そして、食糧争奪のための民族紛争や戦争は、穀物不足が深刻になるにつれてさらに世界のあちこちで起こるだろう。
 気候危機による水不足は氷河の消失という形でも起こる。インドと中国の農業生産は、ヒマラヤ(と、チベット高原)の氷河という水源に大きく依存している。どちらも、氷河が融けるのにつれて水量はどんどん減っている。黄河は近年たびたび枯渇している。ロッキー山脈とアンデス山脈でも同じことが起きている。
 温暖化と、もう一つは増え続ける人口による水不足を解消しようと、各国は井戸を掘って水を汲み上げている。井戸はどんどん深くなっている。降雨による地下水では足りないので、さらに深くの「化石帯水層」からのくみ上げが行われている。これは石油や天然ガスと同じく、これから回復することは無いので、使い切ってしまえばおしまいだ。すでにサウジアラビアでは使い切ってしまい、穀物は全面的に輸入することにした。
 人口が急速に増え続けるインドでも、穀物生産は落ちている。アメリカの大穀倉地帯「グレート・プレーンズ」でも、化石帯水層はどんどん減少しているという。
 中国やインドやアメリカが穀物輸入国に転落する事態になれば、日本は遥かにひどい食糧不足に見舞われる。日本人は性格が温和な国民だそうだが(?)、深刻な食糧不足となれば別だ。歴史で習った「米騒動」のような暴動が起きるかもしれない。そしてそれは、セカイノオワリの悲惨のほんの始まりなのだ。

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セカイノオワリ

2022-09-10 10:54:34 | 社会・現代

 人類は滅亡するか?
 長い間この自問に、「然り」と答えてきた。
 最近、そうではないだろう、と考えている。現象としてはほとんど同じことだが、どこを重大視するかが違う。
 現代文明は遠からず崩壊する。これは間違いない。ただそれは人類という種の滅亡ではない。黙示録の時代を耐えて生き延びる、数少ない人たちがいるに違いない。その人たちが、放射能から身を護るためのシェルターの中に閉じこもって自然から切り離されてテクノロジーの夢を見続けることができるか、あるいは「風の谷」のような、とりあえず汚染を免れて、だがいつも不安には曝されている小さな土地で、中世風のささやかな耕作の生活を営むことになるか、それは分かりようがない。
 いずれにしてもその時、人類は自らを「絶滅危惧種」と認めるだろう。
 ところで、ぼくの関心は、人類が生き延びるか否か、ではない。自分の老いと死が現実のものとなってくるにつれて、最初の自問の答えも変わってきた。
 いまぼくは自分の死は少しも怖くはない。その時が来たら受け入れるだけだ。だが、そこにいたるまでに長い激しい苦痛に耐えなければならないというのは恐ろしいし、嫌だ。(このことについて深く、執拗に考え続けたのは、大河小説「チボー家の人々」でノーベル賞を受賞したフランスの作家ロジェ・マルタン・デュ・ガールだが、ここでは話が逸れるので、別の機会に触れたい。)
 現代文明が崩壊する過程で、その過程の中を生きねばならない人たちが、どれだけ過酷な悲惨な現実を突き付けられることになるか、それは自分の死の苦痛どころではない、目が眩むほど恐ろしいことだ。
 そしてそれは、すでに世界のあちこちで始まっている。食べ物が無くて餓死する人たち、疫病にかかって非衛生的な環境で薬もなく死んでいく人たち、戦争で殺される人たち。
 これからぼくたちは、ぼくたちより後の世代はなおさら、どのような悲惨に直面しなければならないか? このことは今やぼくの強迫観念のようになっているから、これから繰り返し考え、考えるために書くことになると思うが、はじめに、気候変動について少しだけか触れてみたい。
(長く考えるのが苦手になっているので、この項続く)

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羽化

2022-09-08 21:18:29 | つぶやき

朝早く
まだ薄暗い巣の中で
また意識を取り戻す
また
羽化の時を耐えねばならない

あたりは白い靄に閉ざされている
体はだるく
記憶は途切れたまま
どろりとした緑色の液体が詰まっただけの
白い袋の残骸を
体にくっつけたまま

もう少しこのまま待てば
きっと 体に力が戻り
頭もはっきりするだろう
それまで 反転しながら
待たねばならない

光が甦り
靄が晴れ
鳥が囀り
新鮮な風が吹くだろう

風こそが救いだ

そう思って幾度
目覚めたことか
幾度
朝を繰り返したか

皮膚がねばねばと
白い糸を引いている
その糸に逆らって
上体を起こそうとする
そしてまた崩れる

もうとっくの昔に
繭は褐変し
縮んで乾涸びているのに

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8月中書かなかったブログ

2022-09-06 10:13:47 | 近況報告

 数日前の夜、友人Aから久しぶりの電話がかかってきた。ぼくが7月26日を最後にひと月以上ブログの記事を書いていないので、奥さんと二人、「どうしたんだろう? 病気でもしているんだろうか?」と心配して電話をくれたのだそうだ。あらためて、友達というのはありがたいものだ。
 ぼくらの年代になると久しぶりの電話と言えば、「その後体調はどう?」「うーん、あっちは良くなったがこっちは悪くなった」「体力はどんどん落ちてるね」「友人Bはどこが悪くてCはどこが悪いらしい」という話になるのだが、幸いAもぼくも、まあそこそこ苦労しながらも夏を乗り切ったようだ。秋になったらまた会おう、と約束した。
 ここ数年、夏になると「この夏は無事乗り切れるだろうか?」と思い、冬になると「この冬は・・・」と思う。だが今年の夏は特に厳しかった。体調が、ということではない。
 戦争、水害、山火事、旱魃、食糧危機・・・猛暑に加えて、世界は苦しみに満ち、TVも新聞も暗い報道に満ちていた。暑いから外出せずにそういうニュースを見続けていると、どんどん気持ちが落ち込んで閉塞感に押しつぶされそうになる。
 それで、ぼくはブログを書く気になれなかった(むろん、無気力なのは世界のせいだけではなくて、ぼく自身の問題であるのだが)。
 ぼくはブログに、原則として、何処に出かけて誰と会って、何を食べた、と言うような記事を書かない。その時自分が何をどう感じ、どう考えたか、を忘れないために、文字として残しておきたいから書く。ただでさえも日常考えることの暗い傾向にあるぼくが、この8月に記事を書いたら、暗い暗い、底無しに暗いものになっていただろう。
 だが、Aからの電話の翌日、気を取り直して「背の高い娘」を書いた(決して明るくはないが)。
 これから、気を取り直して、暗いものを躊躇わずに書くことにしよう。
 暗いものを書く人間がいることは必要だ。世界は現実に苦しみに満ちているのに、なるべくそちらは見ないようにして生きて行こうとする人が多いのだから。そして実は、そういう人だって大きなストレスは受けているのだから。
 ただまあ、苦しみに満ちた世界の中で、問題解決の希望の糸がいくらかでも辿れないか、を考えることも必要だ。
 すこしはものを考えやすい季節になりそうだし、ぼくも無気力にばかり陥っていないで、もう一度考えることにしよう。
 現代文明は、これまでに滅びた幾多の文明と同じく、滅びることは免れないと思うが、滅びる過程がなるべく悲惨なものにならないよう、考えることは必要だ。

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背の高い娘

2022-09-03 09:12:21 | 夢の記

古いトロッコ道で朝
山を下りてくる娘に出会った
モンペのようなものを穿き
三つ編みの肩から
布のカバンを斜めに下げ
白いブラウスに
なぜか襷掛けをしていた

二里離れたふもとの女学校まで
毎日山道を通うという
バスケの練習をして帰ると
日が暮れて提灯を頼りに登る
少し怖いが慣れてしまった と
笑っていた

この下には隼渓谷の
断崖の縁をたどる場所もある
この上は木樵と炭焼きの小集落
女学校が休みの日には
炭を背負って下るのだろうか?

・・・振り返って見送ると 襷と見えたものは
負んぶ紐のようだった
紐は空っぽで
赤子はいなかった

今はもう無い
杣口の峠道

背の高い娘 二里のトロッコ道 バスケ 提灯

ひょっとしたらあれは
結婚前のぼくの母で
背負われるべき子供は
生まれる前のぼくだったか

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