すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

赤岳-補足

2021-07-26 20:49:49 | 山歩き

  文三郎道の急斜面の道の傍らにハイマツが赤い花を咲かせていた。
 すぐ後を下りてきた単独行の若い女性が「何かあるのですか?」と訊くから指し示したら、「あら可愛い」。ちょっと間があって、「これが実になって、小さい生き物たちがそれを食べて栄養を蓄えて冬を越すんですね」。
 山に来る若者の感性は良いなあ。おじいさんは目を細めた。

  

山は
そこに生きて死ぬ
植物や動物たちと
悠然と時を過ごしていて
人間なんか来なくてもいいと
思っているかもしれない

赤岳文三郎道の
あの無惨に続く
階段や鎖を見ると
いつもそう思う

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

八ヶ岳(赤岳)-続き

2021-07-25 17:21:16 | 山歩き

 21日、快晴。空は深い青。横岳と赤岳はまだ陰になっているが、阿弥陀岳はすでに明るく聳えている。3年前にはあれに登った。手がかりのない急な下りが怖かった。下りが怖いと思い始めたのはあの時からだろうか?
 6:15スタート。地蔵尾根を登る。急峻な尾根だが、何度も通っている。八ケ岳は若い頃から一番来ている山域だ。文三郎道を登る人が圧倒的に多いようだが、階段が延々と続くあっちよりは手を使って登るこっちが好きだ。でも、実はここを登るのは10年ぶりくらいだ。
 最初は緩やかな針葉樹林帯。だんだんきつくなる。左手にごろごろ石の重なった溝が急峻に落ちている。あれがいつか行者小屋あたりを襲うことはないのだろうか? 半分ぐらい上がったところで、西に展望が開ける。中央アルプスの向こうに14年に大爆発を起こした御嶽山が堂々と高い。
 森林限界を抜けると、むき出しの急峻な岩場の尾根。階段もあるが、クサリ場が多い。若い頃から、クサリには捉まらずに何とか両手両足で攀じ登るようにしている。その方が絶対楽しい。
 でも、ここって、こんなに厳しかったっけ? 攀じ、というよりは、殆んど四つん這いで這い登る感じだ。昔は鼻歌混じりだったのになあ。鎖に頼ることにしようか? いや、もうちょっと、頑張ってみよう…三百歩数えては息を継ぎ、を繰り返していると、小さなお地蔵さまが置かれていて、稜線の上の赤岳天望荘がすぐそこに見える。やった。足もとは切れ落ちた急斜面の下に、今朝出てきた行者小屋が小さい。
 地蔵の頭で稜線に出る。ここまで一時間半。すごくゆっくり登った気がするが、登山地図のコースタイム通りだ。「なかなかやるじゃん」、と思う。ここを下っていくグループがある。下山には近道で、ぼくも以前は良く下ったのだが、今はちょっと怖い。天望荘の向こうに赤岳が高い。「ここから山頂まではだらだらとジグザグを繰り返す、ゆるやかな登り」と記憶していたのだが、「えっ?こんなに急登だったっけ?」と、ここでも思う。山が急になったわけでは無論ない。ぼくの体力が落ちているからそう感じるだけだ。
 赤岳の左に富士山が遠く夢のように浮かんでいる。ここで、ヘルメットをかぶってお父さんとザイルをつないだ8歳の女の子に会った。昨夜は天望荘に泊まったのだと言う。すごい。感動ものだ。「星を見るのが好きで、山そのものにはあまり興味がないようですよ」とお父さんが笑いながら言う。天望荘は星空観察で人気の山小屋だ。ぼくもここで夜空を見上げたことがあるが、今ではその前に麓で一泊しなければ、東京を朝発ったのでは無理だ。
 多くの人は赤岳を越えてきて、ここから北に横岳の岩場に向かうのだが、ぼくは今日は赤岳だけだ。横岳とその北の硫黄岳は高山植物の豊富なところだが、赤岳はそれに比べると花が少ないように思う。高山植物のいわゆる「お花畑」もないし。「赤岳」の名のもとになった酸化鉄の地質のためだろうか?
 それでも、岩の道をあえぎながら登って行くと、花が気を取り直させてくれる。ミヤマダイコンソウが一番多いかな。イワベンケイ、ミヤマシオガマ、オヤマリンドウ、オヤマノエンドウ、ミヤマツメクサ、など。ぼくはとくに黄色な花が好きだ。
 山頂は絶景だがやや狭いので、文三郎道の方に一段下ったところでゆっくり休むことにする。立場川本谷の深く切れ込む沢を挟んで南南西に、左から権現岳、編笠山、西岳の山稜。その向こうに二重になって、摩利支天のコブの顕著な甲斐駒ヶ岳、右にカールのある仙丈岳、左にさらに高い北岳。みんな青春の山だ。権現からキレットを越えてここに登った時の友はその秋に病を得てすでにいない。
 文三郎を下る最上部の急峻なザレ場で、登ってきた若い三人組の女性に、「すごい体力ですね。感動してしまいます」と言われた。すれ違ってから、ニガ笑いした。いったい幾つに見えたのだろうな? 団塊の世代が山登りするから、ぼくの年齢は例外じゃないはずだ。よほどの年寄りが苦悶の表情で歩いているように見えたのだろうか? 文三郎道は延々と階段が続くから、ここまで登ってきた彼女たちも相当しんどかったのだろうな。またどこかですれ違おう。80になったら、誉めてもらってもいいよ。
 下りは、転倒が怖いから意地を張らずにクサリをつかむ。ヘルメットを持ってくればよかった。赤岳でメットを使うなんて思いもしなかった。
 赤岳鉱泉で美味しいコーヒーを飲み、来た道を下って美濃戸口でタクシーを待ちながらまたコーヒーを飲んだ。ほんとうは、コンロとエスプレッソ・メーカーを荷物に入れて自分でどこでもコーヒーが淹れられるだけの体力は取り戻したいのだが、はたしてその日はあるか?

(註:ぼくは本来怖がりでしかも大げさなので、無茶をしているように思うかもしれませんが、赤岳はごく一般的な山です。)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

八ケ岳(赤岳)

2021-07-24 10:18:03 | 山歩き

 茅野の駅に降りてバスの切符売り場で呆然とした。「コロナ禍で平日の運転は取りやめています」と(7月20日のことです)。そんなあ…
 この頃いくつか読んでいる戦前・戦後の山の記録などでは、みんな駅から歩いているのだが、この歳では無理だ。それだけで疲れて、舗装で足を痛めてしまう。
 家を出るときに、予備にと思って一万円を財布に加えておいてよかった。今回は登山口まで往復タクシーの大名旅行になってしまった。片道6千円ちょっと。 割り勘する相客がいれば良かったのだが、行き帰りとも、登山客はぼく一人だった。梅雨が明けたし、ワクチンも打ったのにね。
 美濃戸口で身支度を整え、歩きはじめる。けっこう涼しい。ここは歩き慣れた道だ。林道歩きだが、ほとんど人に会わないショートカットがいっぱいあって楽しい。前回来たのは3年前だ。その時は南沢を登ったが、今日は北沢を行く。北沢の方が少し林道歩きが長いが、そのあとの沢沿いの道が好きだ。南沢は暑くてつらい。
 堰堤を越えて登山道に入る。梅雨明け直後で水量が多く、水音が大きく気持ち良い。柔らかな色の葉を広げたダケカンバの林の中だ。林床はスギゴケなどのコケ類が美しい。苔の美しいのも、八ヶ岳の魅力だ。
 鉄の橋や木の橋を何度も渡る。中間地点あたりの橋の上から、谷の奥に横岳の大同心の特異な岩峰が見える。「帰りのバスの時間を気にしなくても良いのだから、横岳の縦走も…」とちょっと思ったのだが、いまのぼくの体力では、無謀というものだろう。すでにこのなだらかな道でバテている。
 針葉樹林帯に入ると、前方の木の間越しに黄色や青色が見える。赤岳鉱泉のテント場だ。テントもいつもに比べてだいぶ少ない。鉱泉の前に出て一気に展望が開けて、正面に横岳のギザギザの稜線が、右手に赤岳が聳える。今日はもう少し歩いて行者小屋泊だ。途中、中山乗越の展望台に寄る。ここからの眺めは圧倒的だ。知らずにここを飛ばしてしまう登山客が多いらしいのだが、まことにもったいない。
 行者小屋に着き、ふんだんにでている冷たい美味い水を飲み、さらに生ビールまで注文する。胃腸が弱いので医者に冷たい飲み物は禁じられているのだが、これはもう欲望に勝てない。汗をかいたTシャツの背中を西日で乾かしながら、東の岩壁を眺めながら飲むビールは最高!(後で小屋に入ってからお腹が痛くて参った。)
 今夜の宿泊はわずか4人。夕食はチーズ入りハンバーグとウインナポトフ。お腹を気にしながらちょっとだけ食べた(明日の体力が心配だが)。山自慢など食後のおしゃべりをすることも無く、淋しい宿泊だ。でも、行者小屋は構造上、他の客と雑魚寝ではなく間仕切りがあって広くて、落ち着いて寝ることのできる良い小屋だ。山小屋で寝付けないことの多いぼくにはまことにありがたい。
 夜、外に出てみたが、十一日の月が明るく、ここは東と南に稜線が高いので星を見るには向かず、早々に寝た。(続く)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

広い河原

2021-07-04 10:34:02 | 山歩き

中途で断念して
下りてきてしまった河原の
樺の木陰に座ると
谷の奥 遥かに
今頃は立っているはずだった
頂きが大きい

涼風とせせらぎのざわめき
・・敗退にも安らぎと慰めがある

白い丸い石を拾い
青い急流に投げ込む

四十数年の昔
アフリカに出稼ぎに行って
当時のぼくとしては大金を掴んで
人生なんてチョロいものと思った

山道具一式を買い
ピカピカの出で立ちで
この山に来て
あの時も敗退した

あの時もこの河原で
石を投げた
だがぼくは思った
「俺にはまだアフリカがあるさ」

あれから
ぼくは何を断念して
何を学んだのだろう?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岩壁(バットレス)

2021-07-02 10:45:04 | 山歩き

岩屑の上に立って息を継ぐ
行く手の遥かな高みに岩壁がそそり立つ
山頂はあの上だ
登山道は岩壁を避けて
左右に雪渓の上を続いているが
あの壁を登って行く人もいるのだ

左手の鞍部の手前の
小さな点は
小屋を同時に出た若いパーティーだ
とてもぼくにはついて行けない
まあ良い
一歩一歩を味わいながら
ゆっくり登るのも
老いの山の楽しみだ

足元で轟音が響く
雪渓の末端が
融けて谷底に崩れ落ちたのだ

疲れた腰を伸ばして
反り返るように見上げると
空が吸い込まれそうに深い

あの岩壁の上から
あの空に向かって飛び立てたら
どんなにか良いだろうにな

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

暗い道

2021-07-01 19:01:17 | 夢の記

眠りに入る前
ベッドで目をつむっていると
いつも目蓋に浮かぶのは
山に入る
草深い細道だ
曲がりながら
暗い林に向かっていく

あれはどこの山だったろう
思い出しそうで思い出せない

思い出そうとしている時
じつはぼくはもう眠っていて
夢の中でその道を
見ているのだろうか

あの道はどこに続いているのだろう
本当に
頂きに登って行くのだろうか
それとも
どこか暗い淵にでも
下りていくのだろうか
それでも少しも恐ろしくはない

もしかしたら
眠ろうとしているつもりで
じつはぼくはもう死んでいるのじゃ
ないだろうか
それならそれで良いのだ

と思いながらまだ暗い夜明けに
意識を取り戻す

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする