すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

飛行機

2020-06-29 09:42:33 | つぶやき
向こうの草原で
友人が飛行機を飛ばしている
遠く木立の間からでも彼とわかる
何年も会っていない友人だ
こんなところで会うなんて不思議だ

飛行機と言っても
竹ヒゴのフレームに紙を張った
割りばしの胴体の
ゴムをかけて飛ばすやつだ
むかし見せてもらったことがある

飛行機は急角度で夏空に上がり
ゆっくりと輪を描いて滑空して
ふわりと草の上に降りて来る

彼は少し足を曳いて歩み寄り
飛行機を点検し
主翼の反り具合やら尾翼の角度やらを少し直して
また真上に向けてゴムひもを引いて
飛行機を放つ
何度も何度も

遊びに夢中でぼくには気が付かない
近づいて行って話しかけるのは止そう
こっちの岩の上に座って見ているだけで
そしてそっと立ち去ろう

夜にでも電話をすればよい
昼間見かけたよ などとは言わず
久しぶりに会わないか とだけ言おう

受話器から懐かしいあの声が聞こえるだろうか

あれ 彼はもういないのだったっけ?

それとももういないのはぼくのほうか?
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100年…

2020-06-28 20:49:26 | 社会・現代
(寿命の話ではありません。もとい、寿命の話です。)
 宇宙のどこかにいる(かも知れない)知的生命体(地球人を含む)が、他の知的生命体との交信を試みることができるほど高度な技術文明を維持しうる期間はおよそ100年なのだそうだ。
 「銀河系には少なくとも36の文明が存在する」という記事を何日か前にネットで読んだ(イギリスのノッティンガム大学の研究チームの論文に基づくのだそうだ)。ただし、記述がやや厳密でないところのある文章だった。ぼくの理解したのは、次のようなことだ。

 地球人は宇宙からの知的生命体の発する電波を探知しようと試みているが、これまでのところ成功していない。だが、宇宙には知的生命体の生存しうる条件を持つ星はたくさんあると考えられる。銀河系だけで少なくとも高度な文明が36は存在する。それなのになぜ交信が成立しないか? それは高度な文明は長続きしないからだ。ある星で生命体が通信能力を持つまでには、地球と同じように50億年ぐらいかかる。しかしその能力は短期間で失われてしまう。その能力の維持できる期間が長ければ長いほど、別の知的生命体と同時に存在する可能性、したがって交信できる可能性、は高まる。
 見方を変えれば、高度な文明がどれくらいの期間存続しうるか、わたしたち地球人はどれくらいの期間高度な文明を保ちうるか、は、交信が成立するかしないかで推定できる。
 この研究をしている科学者たちは、その期間を100年ほどとしている…

 NASAがいつごろから遠い宇宙に電波を発しているかぼくは知らない。いずれにしても、その100年のうちの一部はもう過ぎてしまっているだろう。
 このごろ問題になるいろいろなことが、たとえば地球温暖化が、資源の枯渇が、海洋とそこに生きる生き物のプラスチック汚染が、テクノロジーでは解決できない心の荒廃が、格差の広がりが、今現在のパンデミックを含めて、上記のような観点から説明できるかもしれない。それは恐ろしいことだが。
 昨日、バスで家に帰る途中、あとからあとから延々と続く目黒通りの渋滞の車を見ながら、ふと思った「ぼくたちはひょっとしたら、この文明が燃え尽きる前の黄昏れの輝きの中を生きているのではないか」と。

 じつを言うとぼくはこの奇妙な感覚を40年以上も前から持ち続けている。自費出版の詩集「廃墟へ」も「黎明」もその感覚の中で書いている。そして今もなおそれは続いている。
 ネットで読んだだけの、しかも推論の飛躍の大きい記事をもとにこれが正しいと言うつもりはない(元の論文に当たる能力はもちろんぼくにはない)。が、この記事は心のどこかで、ぼくの長年の感覚と呼応するのだ。
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週末の高尾山・城山

2020-06-27 22:11:59 | 山歩き
 3日前に北高尾に行ったばかりなのだが、今日また高尾山・城山に行った。今日はいつものハイキング仲間と二人で行った。先日は人っ子一人会わない山歩きだったが、今日は高尾山口の駅に降りたらすごい人出だった。土曜日だし、もともと人の多い山域だからある程度は覚悟していたが、予想を大きく超えていた。
 なるべく人の少ない道を、と思い、5月29日に登ったのとほぼ同じコースを取ったのだが、それでもかなりの人に出会った。いつもは人に会わない三号路でさえ、かなりの人がいて驚いた。あの時は、「三号路は考え事をするのに良いな」などと思ったのだった。
 城山の山頂にたくさんあるベンチほぼ埋まっていた。桜や紅葉の頃の人出よりも多かったかもしれない。空きを見つけて、ゆっくりビールを飲んで話をした(ビールは持参した)。ぼくは人づきあいはあまり多くない方なので、いろいろ時事やら文化やら読書やらについて雑談できる、時には議論も戦わせることのできる友はありがたい。彼とは、ハイキングというよりはむしろ話の方が主目的で登る。その中身は…ややこしくなるので書かない。
 ところで、緊急事態宣言の出ているあいだは登山も(特に高尾山は)自粛要請が出ていたのだが、解除されて「また山登りができるぞ」と思って、うれしくてうれしくて、とりあえず手近の高尾山に来る人は、ぼくたちも含めていっぱいいるのだろうが、今日はやや危ないかな、という感じはした。
 山登りの人達は比較的静かで、屋外でビールを飲んでいると言っても新宿などの夜の街と違って大勢で盛り上がって大騒ぎ、というようなことはないのだが、狭い山道でたくさんの人とすれ違うとやはり多少不安は感じる。
 働いている人たちはそうはいかないが、仕事を卒業したぼくたちは、高齢者ではあるし、土日はなるべく避けるべきだろうな。
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雨と霧

2020-06-25 10:57:13 | 山歩き
 去年の台風19号以来ずっと、おそらく高尾周辺で唯一、いまだに通行止めになっている、小下沢林道のことが春の花の時期から気になっていた。小下沢林道は花を楽しむ人たちによく知られた静かな道で(友人の植物写真家の姉崎一馬さんと先日電話で話した時も、「若い頃よく写真撮りに行ったよ」と言っていた)、北高尾山稜からのエスケープルートとしても便利な道だ(った)。
 ネットにいくつか最近の通行の記事が出ていたが、「車はダメだが徒歩なら問題ない」というのと、「荒れ放題で手が付けられないようだ。危険個所も多い」という記事と両方ある。
 昨日、自分の目で様子を見に行ってみることにした。通行止めだが、行けるところまで行って、危険なら引き返せばよい。
 大下でバスを降りて歩き始めたら小雨が降ってきた。ここを今日歩くのはぼくともう一人いくらか年下らしく思われる温厚な男性だけらしい。情報を交換しながら、前後して歩く。花はほとんど終わっていて、ハルジオンとドクダミぐらいしか見られない。雨がやや強くなってきて、傘をさして歩く。雨の森もすがすがしく気持ちが良い(20/05/19「雨の森」) 。
 ところどころ崩れてはいるが、とくに危険なところはない。40分ほどで作業小屋の立つ広場に着いた。ここで景信山に登る道が左手に(これも通行禁止になっている)、北高尾山稜に登る道が右手に分岐する。男性は、「雨が強くなると嫌だからここから引き返します」という。ぼくは、「林道終点の関場峠まで行ってみます」、と言って別れる。
 10分ほども進んだところに、「浩宮殿下御誕生記念植林地」という大きな石碑がある。石碑自体は無事だが、その前は土石流の堆積した広い荒れ地になっている。波立つ海のよう。「現天皇なんだから、補修してさしあげたら良いのにな」と思う。
 その先は、両側が高い崖になった道や草深い道。途中から雨は小降りになったが、道の崩壊はひどくなってきた。関場峠まで20分ぐらいのところで林道は大きく抉れて、長さ20mぐらいに渡って靴一つ分ぐらいの幅の縁をヘツらねばならなくなっている。小雨だからよいが、本降りならば足元から崩れるかもしれない。川までは2mくらいだが、緊張し、息をひそめて渡る。その先で道は完全に消失し、踏み跡を辿って川原に降りなければならない。幸い、誰かが目印の大きなケルンを積んでくれている。水量が多ければ渡れないかもしれない。再び踏み跡を見つけて林道の続きに戻る。
 峠の10分ほど手前で、左手の沢側の斜面でぼくの通ったすぐ後にガサガサと茂みが騒ぎ、バキバキと枝の折れる音がした。恐る恐る振り返る。何も見えないが、ひょっとして熊だろうか?二週間ほど前に、友人が山梨の櫛形山で熊に遭遇している。あわてず、でも足は速める。林道終点が見えた!
 関場峠に上がると、急に霧が立ち込めてきた。視界30mくらいだろうか。人っ子一人いない。細い尾根の上で道は一本道で迷う心配はない。ちょっと幻想的だ。峠から堂所山までは、今日はぼく一人しか通っていないようで、蜘蛛の巣が顔に懸かる。トレッキングポールを出して払いながら登る。霧の中でしきりにウグイスが鳴いている。金子光晴の詩「かっこう」を思い出す。大好きな詩だ。
 とちゅう、モミジイチゴの大群落を見つけた。南高尾山稜にも群落があって毎年楽しみにしているのだが、こっちのがはるかにデカい。やや時期は遅いし、粒も小さいが、自然の恵み、歩きながら摘んで食べた。
 堂所山のベンチでお昼にした。ここは陣馬-高尾の縦走路からほんの少し外れている。誰もいない。霧に包まれておにぎりを食べていると、ぼく一人残して世界からは誰もいなくなってしまったような、不思議な気がしてくる。だから不安、と言うのでなく、それはそれで良いという、かえって安心感のような。
 縦走路に出たらさすがに人に会った。雨と霧と汗で体が冷えたので、陣馬山に向かわずに相模湖に降りた。
 夕方までは持つかな、と思って行ったのだが、雨と霧でかえって気持ち良い山歩きをした。東京は暑かったようだ。

参考所要時間:大下バス停スタート 8:30、広場 9:12、関場峠 10:29、休、堂所山 11:25、昼食、スタート11:50、明王峠 12:20、大沢小屋跡 13:00、貝沢経由相模湖駅着 13:58
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「老人と海」

2020-06-23 14:30:05 | 老いを生きる
 Uさんから昨日の記事について、Facebookの方へ下記のコメントをいただいた。ありがとうございます。
・・・・・・・・・
 老人と海のシーンが眼に浮かぶ。私も港に向かって一人でオールを漕いでいます。ちょっと鼻歌まじりにね。
・・・・・・・・・
 …確かにね。じつはぼくも書きながら、「老人と海」を思い出していた。
 ヘミングウェイの老人は、極限の、最後は絶望的な、戦いを戦い抜き、戦いが終わった後も、疲れ切ってはいてもまだ戦うことを投げ出してはいない。
 この希望を捨てない姿勢によってヘミングウェイはノーベル賞を授与されたのではなかったろうか。ヘミングウェイは好きだが、やや、男の文学し過ぎるようにも思う。
 彼は鬱と神経衰弱で、最後は自殺した。男は脆い。
 ぼくの老人は、どこかで戦うことをあきらめてしまったように思える。あきらめてしまって、戦う代わりに夢想にふけった方が楽ではある。最初は「酒瓶を片手に」と書いたのだが、やめた。朝から酒を飲まないだけましかもしれない。
 ともあれ、この老人は(この船も)10年後ぐらいのぼくかもしれない。
 現在のぼく自身は、まだあきらめきっているわけではない。
 まだ戦おうとする気持ちと、夢想にふけった方が楽だろうと思う気持ちが、かわるがわるやってくる状態にある。
 鼻歌まじりにオールを漕いでいるUさんを見習わなきゃね、と思いつつ。
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老いた小舟

2020-06-22 22:06:44 | つぶやき
老いた小舟は
砂の上でうつらうつら
まだ見たことのない
サンゴ礁の夢を見ている
白い砂の透明な浅瀬を泳ぐ
色鮮やかな魚の群れ
持ち主の漁夫が
一人語りのように聞かせてくれる
ミクロネシアの海
(老人も実は行ったことがないのだが)

彼はもう体がうまく動かない

彼がまだ子供だった頃
初めて魚を釣り上げたのも
この小舟の上だった
餌にするような小さなイワシだったが
あの喜びは今もあざやかに思い出す

老人は毎朝やってきて
舷側にもたれて砂に座り
舟に話しかけながら
一日 沖を見ている

また一緒に漁場に向かうことができたら…

だが今は舟板は風にさらされ
ひび割れ
もう水に浮かぶかどうかも分からない

たぶんもう船出することはないだろう
最後の船出のほかは

老人が足を引きずりながら小屋に帰ると
舟もまた うつらうつらと眠る
夜中に目覚めて見上げる
満天の星
空の中を流れる白い河

いっそ最後の船旅は
あの河を高く遡りたいものだ
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自然教育園・初夏

2020-06-21 22:02:44 | 自然・季節
 前回行ったのは3月27日だ。(入園証の)リボンを返す時「明日から臨時閉園になります。二週間程度と思いますが、申し訳ありません」と言われた。昨日はほぼ3か月ぶりの訪問になってしまった。受付の女性もこんなに長くなるとは思いもしなかったろう(再開は6月1日だったが)。
 おととい丸一日降った雨のおかげで、森はしっとりと潤って、でも蒸し暑くはなく、むしろ涼しいくらいの爽やかさだ。この時期あまり花は咲いていないが、ゆっくりと歩くこと自体を楽しむ。何でもないことがすごく嬉しいのは、やはり長い蟄居の副産物だ。
 ドクダミだけは行く先々で咲いている。濃くなった緑の茂みの中で、白い十字形の花(本当は、総苞片)は静かで良い感じだ。あまり密集していなければ、の話だが、ここのは比較的つつましくて好ましい。
 ヤブレガサ(破れ傘)の頭状花がもう半分黒く変色して残っている、これは春先に葉が傘状に開き始めた頃に摘んで天ぷらにして食べると美味なのだ。
 トラノオは、虎というよりは真っ白い子猫のしっぽのようでかわいい。
 池のほとりにはピンクのブラシ状のチダケサシと強い橙色の六弁の真ん中だけ筋状に色の薄いノカンゾウと紫のクサフジが咲いている。
 クサフジはフジに似てさらに可憐なマメ科の花だ。チダケサシ(乳茸刺し)は変な名前だが、長野の方で乳茸というキノコを収穫する時にこの草に差す習慣があるのだそうだ。なぜかは知らないが。
 ノカンゾウは春先に摘んで酢味噌和えにすると、ほのかな甘みがあって美味だ(教育園のを摘むわけにはいかないが)。ユウスゲやニッコウキスゲもそうだが、この仲間は一日だけしか咲かないのだそうだ。次の日に同じところで見つけても、それは昨日とは違う花だ。
 園の一番奥の武蔵野植物園では、小さな池に小さな黄色の五弁の水草、アサザが咲いていた。地下茎が泥の中を這い、水面に葉と花を浮かせる。これも可憐な花だ。
 ぐるっと回って戻る途中の水路沿いにアジサイとガクアジサイがたくさん咲いていた。先日大磯で見たガクアジサイは深く鮮やかな青色だったが、ここのは真っ白だ。青いのは土壌の酸性が強いからだが、家に帰って調べたら、白いのにはアントシアニンという色素がないのだそうだ。どちらも美しい。
 ついでに調べたら、クサフジも春先には食べられるのだそうだ。これは知らなかった。
 白金台駅の近くの八百屋の店先にすごく大きくて美味しそうなアメリカンチェリーを見つけた。佐藤錦にはなかなか手が出ないが、これなら大丈夫。山のように買って家に帰って氷水で洗ってワシワシ食べた。
 なんだか、食べる話が主になってしまった。
コメント (2)
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児童虐待、など

2020-06-19 18:10:37 | 社会・現代
 朝、居間に行ったら家族が見ている「あさイチ」に杉山春氏が出ていた。テレワークや外出自粛の影響でDVや児童虐待が改めて問題になっているからだろうか。始めのところを見なかったので事情は分からないが。
 杉山氏は児童虐待問題を中心に非常に示唆に富む、考えさせられるルポルタージュを書かれている方だ。ちょうど二年前、ぼくは彼女の著作に触れてこのブログにいくつか記事を書いている。改めて書き起こす用意がないので、そのうちの一部をここに再録しておきたい。雑文だし大変長いが、今でも有効だと思う。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(「だれでもよかった」18/06/16)(これは大部分、児童虐待に関したことではないが)
 ある男のことが頭の片隅に引っかかっている。その男を擁護したり酌量したいわけではない。彼は厳しく裁かれねばならない。被害者の家族の無念さや怒りや、いつ被害にあうかもしれない市民の不安や恐怖は言うまでもない。だが一方で、「これは別の意味で容易ならぬことだ」と頭のどこかで感じている。
 新幹線の車内で無差別殺傷事件を犯した男のことだ。
 捜査が、というか、裁判になって審理が進まなければ問題の全容はわからないことだが、これまでの報道を見る限り、彼の成育歴と、彼の社会の見方が、いいかえれば、家族の在り方と社会の在り方が、かなりの重要度でかかわっているのではないかと思う。
ぼくの乏しい脳力では、その事に言及しない方が良いかもしれない。だが、一般論として少し考えておきたい。
 「むしゃくしゃしてやった。だれでもよかった」という言葉には、彼の精神の異常さや知能の弱さよりもむしろ、社会に対する憎悪や、自分の境遇に対する希望のなさが含まれていると思う。(犯行に至るまでの彼の家庭や職歴などについて、報道されていることをここで繰り返すのは避ける。)
 先日書いた「「CM等で欲求が、あるいは欲望や希望がすぐ叶えられる錯覚が刷り込まれ続けてきた結果、忍耐不足の暴挙・暴力が増えた」(06/07)というのは、問題の半面であって、他の半面は、「現実には非正規の仕事しかなかったり、仕事があっても安い賃金で、しかも非人間的にこき使われ、取り換えのきく労働力として、生活設計も自己実現の可能性も奪われた境遇の中で貧しく希望もなく生きている人が多い」ことだ。
 目の前に水があるのに飲もうとするとその水が逃げるので、猛烈な渇きにさいなまれる人の話がギリシャ神話かなんかにあったと思う。
 再びアメリカ社会との比較になるが、銃乱射事件の多くは、これは検証したわけではないが、学校に恨みがあったり、交友関係に問題があったり、テロの思想にはまってしまったり、というように、あるていど動機がはっきりしているものが多いように思う。
 その点では、日本の社会の方が病いが深いのかもしれない。ちょうど10年前の6月8日の秋葉原の事件をいやでも思い出す。「だれでもよかった」という人間が銃を持つことができたら、どんな悲惨な状況になることだろう。
 ぼくたちは、異常な思い込みや残忍な性格を持った人間に注意するだけでなく、この社会がその中で生きる人たちにとって、絶望や無感覚の原因にならないように気を付けていなければならない。
 この事件の問題とは少しずれるが、先日題名を挙げた「児童虐待から考える」杉山春著、朝日新書から、少しだけ引用させていただく。

 「――の父親たちの世代は、会社が丸抱えで家族の面倒を見た。ととのった社会福祉が会社を通じて提供され、会社に奉仕をすれば…ケアを担う妻とともに家庭は維持できた。
 しかし、1997~98年の大手金融機関の連鎖倒産の時期を経て、片働きで男性が就労を確保し、女性がケアを担うという日常の支え方が、経済的な力の弱い家庭では、できなくなっていく」
 「厚労省『労働力調査』によれば、2000年には26.0%だった非正規雇用労働者の比率は…2016年現在で37.5%に達している。とくに15歳から24歳の非正規雇用は49.1%にも上る」
 「困難な生い立ちを抱えているものは、さらなる困難を抱えてしまう。さまざまなことを人と共有できなくさせ、周囲から自分自身を隠してしまう」 
 「社会の中に居場所を見いだせないことへの憎悪」

(「二番絞り」 18/06/17)
 昨日引用した杉山春さんの著書は児童虐待のいくつかの事件とその事件の起きる要因をルポルタージュしたものだが、その過程で様々な問題が浮かび上がる。
 昨日引用した非正規雇用の増加の問題とは別に、ひとり親家庭の、その多くはシングルマザーの、貧困の問題。労働力不足を補うための外国人労働者の、特に技能実習制度の問題。そして当然、幼時に虐待を受けて育った人間や、発達障害などのハンディキャップを抱えた人間の、社会の中での生きにくさの問題。
 そしてこれらの問題は、相互に絡み合って、問題を一層複雑に、解き難いものにする。
 例えば、これも同書からの引用になるが:

 「非正規労働者の約7割が女性だ。…ひとり親世帯の相対的貧困率は54.6%…ひとり親世帯の85%が母子家庭であり、母子家庭の就業率が80.6%であることを考え合わせると、シングルマザーの場合、働くことが貧困から抜け出すことに結びつかない。…20台のシングルマザーの貧困率は8割近い」

 技能実習制度が深刻な不当労働を招き、被害者がけがや病気になったり、過酷な状況に耐えかねて脱走して不法滞在者になったりしていることは、国内だけでなく、国際的にも批判されている。
 ブドウを圧搾機にかけて絞り上げる。ブドウ液が出なくなるまで絞ったところで、固まりになった絞りかすに水を足してかき混ぜて、もう一回絞り上げる。すると、薄いブドウ液が出て来る。これを二番絞りという。
(すみません。ぼくの知っているのは、ぼくの子供の頃、だから今から60年ぐらい前の山梨の古い技術です。今はもっと進んでいるのでしょう。でも、原理的には変わらない。いや、もっと徹底的に絞るようになっているはず。)

 経済的効率を追求し、そうしやすいように政策が整えられ、それが当たり前と思うような価値観が醸し出され、現在の日本の弱者は、二番絞りに掛けられているのだと思う。

(「補足」18/06/19)
 先日から引用させていただいている杉山春さんの旧著「ネグレクト 真奈ちゃんはなぜ死んだか」(小学館文庫)を読んだ。
 これは、2000年に愛知県で起きた、三歳の女の子が段ボール箱に入れられ、ミイラのようになって餓死した事件を追ったルポルタージュで、小学館ノンフィクション大賞を受賞している。
 両親(事件当時ともに21歳)の成育歴だけでなくその親たちの成育歴から追った、たいへん考えさせられるところの多い重い書物だが、今まで書いてきたことの繰り返しになるので、この本自体の紹介はしないでおく。
 そのかわり、と言っては何だが、文庫本解説を書いている野村進氏の文章を引用させていただく。これも、大変重い文章だ。
野村氏も、ぼくが「社会が病んでいる」(06/07)で書いたのとまったく同じような母と子の姿を目撃したことから書き始めている。そこでは、母親のののしり声は、「早く来いって言うんだよ!てめえ、ぶっ殺されてえのか!」となっている。

 …わたしが付き合う機会の多いアジアの留学生たちからは、こんな質問を受ける。
「どうして日本人は、親が子供、殺しますか? そして、子供が親、殺しますか? わたしの国では絶対ありません」
 来日して一番ショックだったのはこのことだと、ベトナム人の留学生も、モンゴル人の留学生も、中国人(正確に言えば中国・朝鮮族)の留学生も口をそろえた。私たちは、子殺しや親殺しのニュースに驚かなくなって久しいが、アジアの、とりわけ“発展途上国”から来た留学生にとっては、頭を棍棒で殴られたような衝撃を受けるようだ。
 日本も昔はこうではなかった。明治時代の初期に来日した欧米人たちは、日本人が朝から晩まで子供らの世話を焼き、人目もはばからず我が子を慈しむ姿に感銘を受け、しばしば滞在記に書き留めている。それがいつごろ、なぜ変わったのか。
 次から次へと起きるショッキングな事件をマスコミ経由で知らされる私たちは、異常な事件は、自分とは縁もゆかりもない異常な人間がしでかした凶行と何となく結論づけ、そうやって自分をまたなんとなく納得させて、すぐに忘れ去る習慣を身に付けてきた。…
 
 ここで触れられている、欧米人から見た明治時代の日本人の姿については、「逝きし世の面影」渡辺京二著、に、感動的に記されている(実は、大変分厚い本であって、ぼくも一部しか読んでいないのだが、今度読み直してみたい)。渡辺京二さんは、先日亡くなった石牟礼道子さんを支えた人としても良く知られている。
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大笑い

2020-06-18 21:09:23 | 近況報告
 お弁当を食べている間に、歩く同好会のようなものだと思うが、大人数の団体が来てぼくらの後ろでわいわいがやがや大賑わいで(密集で)お昼を始めて、ちょっとびっくりした。この人たち大丈夫かな、と少々気になった。
 ぼくたちはその後、ふたたびNさんの車で湘南平へ。
 湘南平とその東に続く高麗山の尾根は、大磯の駅から南側を登る山道があり、初めてのハイキングのような人を誘ってくるのに良いコースで、何度か歩いたことがあるが、北側からは山頂直下まで立派な車道がついている。桜の季節には大渋滞するのだそうだ。
 山頂の下に車を停めて階段状の道を登る。様々な種類のアジサイが植えられていて今が花の盛り。中にすごく鮮やかな濃い青のガクアジサイが数株あり、その色の美しさに息を呑んだ。アジサイなら家の近所にも山路にも当たり前にあるが、こんなに美しいのは見たことがない。
 展望塔から江の島や遠く大島も見える広大な、水平線の丸い海の眺めを楽しんだ後、茶店のベンチに腰を下ろしてソフトクリームを舐め、丹沢の大山を正面に見ながら話をした。そして笑った笑った。茶店のメニューに「軽食・飲み物・おつまみ・南京錠」とあるのを見ながら大笑い、看板に「I湘南」とある、ハートのマークが消えかかっているのを見ながらまた大笑い、テーブルに「元祖おでんラーメン」という宣伝があるのを見ながらさらに大笑い。
 何がそんなに、と思うが、「箸が転んでもおかしい年頃」とでもいうように、とにかくおかしくて、と言うより、嬉しくて大笑い(もちろん、横並びに同じ方を向いて、だが)。
 さっきの人達の大賑わいが理解できた。きっと彼らも、何か月かの不安な暗い籠城生活のあとで再びお日様の光の下に出て、心地良い風に吹かれながら仲間たちと過ごすのがうれしくてうれしくて仕方ないのだ。生きているのって、良いなあ(でも用心はしなけりゃね)。
 Nさん、Uさん、素晴らしい時間をありがとうございました。
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照葉樹林

2020-06-17 22:08:36 | 自然・季節
 昨日、梅雨の晴れ間、二人のレディーと大磯を散策した。
 時々お会いしてエネルギーを分けていただくUさんと、お会いするのは5,6年ぶりになるだろうか、地元に住むNさん。そのNさんの運転する車で東海道の松並木を通ってまず旧吉田茂邸跡の公園へ。小さなバラ園の先に、手入れの行き届いた明るい日本庭園。その奥の住まいにはコロナ禍の時節柄、上がることはできなかったのが残念。
 菖蒲の花の終わりかかった池の向こうの丘の上に。吉田の銅像が立っている。庭園からは見えない位置にあるのが顕示的でなく好ましく思う。西郷隆盛と同じようなずんぐりがっしりした体形。でも上野の森の西郷の像よりはずっと品のある、穏やかな顔とたたずまい。丘の下には湘南の海が広がり、その手前に西湘バイパス。下をひっきりなしに車が通る喧噪の中で、吉田は静かに横を向いて立っている。その顔は講和条約を結んだサンフランシスコの地を向いているのだそうだ。
 現代の政治家にもこのような品と温和さと腰の坐った落ち着きがあって欲しいものだ、と思うのは無いものねだりだろうか(唇をゆがめて尖らせて偽悪的な攻撃的な口調で話す大臣は孫だ)。
 ついで、東海道を挟んだ山側の、旧三井別邸跡の城山(じょうやま)公園。うっそうと茂る木々の間のスロープを登っていくと視界が開けて、丘の上に東屋のある展望台。ここで海を見ながら並んで座ってお昼を食べた。
あいにく富士山は雲の中だが、箱根の山々が見え、その左手に(たぶん)真鶴岬と伊豆半島。輝く海。海からの涼風が照葉樹林の樹上を越えてきて、まことに心地よい。
 樹々は、同じ緑にもこんなに色のグラデーションがあったのかと驚くほど、それぞれ自分の色に美しい。落葉広葉樹と違って照葉樹林は樹の下に光をあまり通さないから林内は暗い感じがするのだが、高い位置から見ると樹冠の広がりはこんなにも陽光をいっぱいに受けて輝いている。もともと葉っぱに光沢があって照り輝いて見えるから照葉樹というのだったな、と改めて思う。百万色の緑とでも言おうか。
 人も、仮にそれぞれの生の中に暗いものを秘めているのであっても、陽の光を浴びてそれぞれに自分自身の緑に輝くことはできる。
 お弁当を食べて、二人のレディーは朝ドラで話題になっているという「船頭可愛や」を歌ってくれた。技巧たっぷりでない素朴な歌い方をすると、節回しの美しい良い歌だ。
 久しぶりに、清々しいのんびりとした時間を味わうことができた。
(明日、続きを少し書くつもり)
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