すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

2024-02-09 17:43:33 | 山歩き

 (一昨日、2月7日)
 笹子トンネルを抜けると、左手に「ぶどうの丘」がこんもりと白い。丘の上に建物があって、おかかをのせた塩むすびのようだ。甲府盆地に雪の降ることはあっても、2日前のがこんなに残っているのは珍しい。これは楽しくなるぞ、とわくわくする。左前方に南アルプス北部が白銀の連嶺を連ねている。
 時間を節約するために塩山駅からタクシーに乗る。運転手さんも山男だったそうで、南アルプスや奥秩父の話が弾む。丸川峠のゲートまで行かれればよかったのだが、路面凍結で、「ひがし荘」の先で止まってしまう。ここから歩く。林道は凍っていて怖い。いちど滑ってひっくり返り、そのあとは慎重に急な所は路肩の雪の中を歩くが、ここは雪搔きの吹き溜まりだ。しかしまだアイゼンをつけるほどではない。
 ゲートは完全に雪の中で、その少し先からは、林道を離れて右手の沢沿いの緩やかな道に入る。スキーが通った跡がある。道は広く、いつもなら鼻歌混じりにとばすところだが、今日はゆっくり、一歩一歩を感触を味わいながら進む。トレッキングポールの潜り具合で、積雪25㎝ぐらいか。樹上から粉雪のヴェールが降ってきて美しい。

 橋を渡って千石茶屋に着く。ここまで30分もかかってしまった。時間は心配だ。茶屋はもちろんお休み中。ここで軒先を借りてアイゼンをつける。指が冷え切っていて痛い。テルモスのコーヒーを飲みあんパンを食べる。さあ、ここからが本格的な雪山だ。
 茶屋から150mほどは広い道だが、その先で左手に折れると急登が始まる。何十度と来ている道だが、新雪の中ではことにきつい。一人だけ、先に行った足跡がある。これは助かる。足跡のないところをラッセルして行くのはそれこそ大変だ。といっても、靴がずぶずぶ埋まってほとんどラッセルに近いが。3つ折れ式のポールの2段目まで埋まるから、このあたりは積雪50㎝ぐらいだ。少し進んでは止まって息を整え、の繰り返し。すごく楽しい。しかしキツい。ここのところ、体育館に行くのをサボっていたからかなあ。
 

 若い頃友人と冬山入門の北八ヶ岳や那須連山までは行ったが、たいていは沢山の人が通って固く踏まれた道だったし、大学山岳部とかの絶対服従の世界が嫌いで訓練などに縁がなかったから、新雪の大変さなどはほとんど経験にない。でもこのあたりはアイゼンの前爪を蹴りこんで登る、というようなところではないから安全ではある。
 雪の上になぜか動物の足跡がない。物音ひとつしない。都会に住んでいると、こういう静けさに包まれることはない。それだけでも、うれしい。死の世界というよりは、生まれたばかりの世界だ。
 やや緩やかになり、えぐられた溝状の地形が多くなる。左手奥、大菩薩嶺に続く稜線はまだまだ高い。ものすごくペースが遅い。時間が気になり始める。大菩薩峠まで行けるのが一番良いと思っていたが、この分では上日川峠までの往復でも日が暮れてしまいそうだ。
 どこかで決断して引き返す方がよさそうだ、と思い始める。そうすると今度は、何処で決断しようか、と考え始める。もうちょっと、もうちょっと先まで行こう。この先に「展望台」と呼ばれている、見晴らしの良い場所がある。
 何度目か立ち止まってコーヒーを飲んでいるところへ、一人降りてきた。若い、小柄な男性だ。「もう上まで行ってきたんですか?」と訊いたら、「いえ、この先、100メートルくらいのところで断念して引き返してきました。その先はぼくのトレースはありません」という。ぼくはこの人のトレースのおかげで登ってきたのだ。「じゃ、ぼくもその辺りまで行って引き返します。さっきから、何処で引き返そうかと考えていました」「ちょっと、雪が多すぎましたね。じゃあ、気を付けて」「ありがとうございます。あなたも」。
 というわけでその人が下ってからまた歩き始めたが、ちょっと気持ちが切れてしまった。100mどころか、100歩も行かないうちにまた立ち止まった。千石茶屋からわずか1h40。でもあんな若い人でも断念したのだから、年寄りは無理はしないほうがいいぞ。この地域には今はぼく一人しかいない。もし何かあった時、誰も通りかからない。上日川峠までの半分も行ってないだろうが、うん、ここで休んで、おにぎりを食べてゆっくり下ろう。食べながら見上げると、雪を被った木々の上の空が深い。
 

 アイゼンを穿いていれば下りは夏道よりも早いものだが、慎重に下ってもわずか40分ほどで千石茶屋に戻ってしまった。せめて展望台まで行けばよかった、上日川峠までも何とか暗くなる前に行けたのではないか、と後悔したが、もう登り返せない。登山口のバス停の前の「番屋茶屋」で熱々の美味しいほうとうを食べて、今日はやや歩き足りないから、塩山駅まで歩いて帰ることにしようか。
 今朝転んだところの先でアイゼンを外し、茶屋でほうとうを食べながら女将さんとゆっくり世間話をして、陽当りの良い故郷の道をのんびり楽しみながら歩いたら、駅到着はいつもと同じくらい、日暮れに近い時間だった。

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