すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

2024-02-09 17:43:33 | 山歩き

 (一昨日、2月7日)
 笹子トンネルを抜けると、左手に「ぶどうの丘」がこんもりと白い。丘の上に建物があって、おかかをのせた塩むすびのようだ。甲府盆地に雪の降ることはあっても、2日前のがこんなに残っているのは珍しい。これは楽しくなるぞ、とわくわくする。左前方に南アルプス北部が白銀の連嶺を連ねている。
 時間を節約するために塩山駅からタクシーに乗る。運転手さんも山男だったそうで、南アルプスや奥秩父の話が弾む。丸川峠のゲートまで行かれればよかったのだが、路面凍結で、「ひがし荘」の先で止まってしまう。ここから歩く。林道は凍っていて怖い。いちど滑ってひっくり返り、そのあとは慎重に急な所は路肩の雪の中を歩くが、ここは雪搔きの吹き溜まりだ。しかしまだアイゼンをつけるほどではない。
 ゲートは完全に雪の中で、その少し先からは、林道を離れて右手の沢沿いの緩やかな道に入る。スキーが通った跡がある。道は広く、いつもなら鼻歌混じりにとばすところだが、今日はゆっくり、一歩一歩を感触を味わいながら進む。トレッキングポールの潜り具合で、積雪25㎝ぐらいか。樹上から粉雪のヴェールが降ってきて美しい。

 橋を渡って千石茶屋に着く。ここまで30分もかかってしまった。時間は心配だ。茶屋はもちろんお休み中。ここで軒先を借りてアイゼンをつける。指が冷え切っていて痛い。テルモスのコーヒーを飲みあんパンを食べる。さあ、ここからが本格的な雪山だ。
 茶屋から150mほどは広い道だが、その先で左手に折れると急登が始まる。何十度と来ている道だが、新雪の中ではことにきつい。一人だけ、先に行った足跡がある。これは助かる。足跡のないところをラッセルして行くのはそれこそ大変だ。といっても、靴がずぶずぶ埋まってほとんどラッセルに近いが。3つ折れ式のポールの2段目まで埋まるから、このあたりは積雪50㎝ぐらいだ。少し進んでは止まって息を整え、の繰り返し。すごく楽しい。しかしキツい。ここのところ、体育館に行くのをサボっていたからかなあ。
 

 若い頃友人と冬山入門の北八ヶ岳や那須連山までは行ったが、たいていは沢山の人が通って固く踏まれた道だったし、大学山岳部とかの絶対服従の世界が嫌いで訓練などに縁がなかったから、新雪の大変さなどはほとんど経験にない。でもこのあたりはアイゼンの前爪を蹴りこんで登る、というようなところではないから安全ではある。
 雪の上になぜか動物の足跡がない。物音ひとつしない。都会に住んでいると、こういう静けさに包まれることはない。それだけでも、うれしい。死の世界というよりは、生まれたばかりの世界だ。
 やや緩やかになり、えぐられた溝状の地形が多くなる。左手奥、大菩薩嶺に続く稜線はまだまだ高い。ものすごくペースが遅い。時間が気になり始める。大菩薩峠まで行けるのが一番良いと思っていたが、この分では上日川峠までの往復でも日が暮れてしまいそうだ。
 どこかで決断して引き返す方がよさそうだ、と思い始める。そうすると今度は、何処で決断しようか、と考え始める。もうちょっと、もうちょっと先まで行こう。この先に「展望台」と呼ばれている、見晴らしの良い場所がある。
 何度目か立ち止まってコーヒーを飲んでいるところへ、一人降りてきた。若い、小柄な男性だ。「もう上まで行ってきたんですか?」と訊いたら、「いえ、この先、100メートルくらいのところで断念して引き返してきました。その先はぼくのトレースはありません」という。ぼくはこの人のトレースのおかげで登ってきたのだ。「じゃ、ぼくもその辺りまで行って引き返します。さっきから、何処で引き返そうかと考えていました」「ちょっと、雪が多すぎましたね。じゃあ、気を付けて」「ありがとうございます。あなたも」。
 というわけでその人が下ってからまた歩き始めたが、ちょっと気持ちが切れてしまった。100mどころか、100歩も行かないうちにまた立ち止まった。千石茶屋からわずか1h40。でもあんな若い人でも断念したのだから、年寄りは無理はしないほうがいいぞ。この地域には今はぼく一人しかいない。もし何かあった時、誰も通りかからない。上日川峠までの半分も行ってないだろうが、うん、ここで休んで、おにぎりを食べてゆっくり下ろう。食べながら見上げると、雪を被った木々の上の空が深い。
 

 アイゼンを穿いていれば下りは夏道よりも早いものだが、慎重に下ってもわずか40分ほどで千石茶屋に戻ってしまった。せめて展望台まで行けばよかった、上日川峠までも何とか暗くなる前に行けたのではないか、と後悔したが、もう登り返せない。登山口のバス停の前の「番屋茶屋」で熱々の美味しいほうとうを食べて、今日はやや歩き足りないから、塩山駅まで歩いて帰ることにしようか。
 今朝転んだところの先でアイゼンを外し、茶屋でほうとうを食べながら女将さんとゆっくり世間話をして、陽当りの良い故郷の道をのんびり楽しみながら歩いたら、駅到着はいつもと同じくらい、日暮れに近い時間だった。

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暗い道

2023-12-14 13:27:42 | 山歩き

ここではもう沈んでしまった太陽が
振り返ると遥か高みの
さっきまでいた頂きを照らしている
あそこには安らぎがある
とでも言うように
天国に近く
優しく暖かく

だが 幻惑されてはいけない
もういちどあそこまで登って行こう
などと思ってはいけない
あそこは間もなく
極寒の闇に包まれる
人間の住めない場所になる

ぼくはこの薄暗い道を
歩いていかなければいけない
灯りのあるところまで
人の温もりのあるところまで

もう少しの間
生きて行くつもりなら

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朝の光

2023-12-12 10:42:19 | 山歩き

山道を行く時
たびたび前を歩いていたあの娘
声をかけるにはやや遠く
見え隠れしながら歩いていた娘
ザックも背負わぬ軽い姿で
しかし薄物をまとってとか
裸足でとかでなく
つまり霊魂とか幻とかでなく
どこか異界に導くという風でなく
振り返ることも無く
ただ黙って前を歩いていたあの娘

この頃 あの娘を見かけない

道は緩やかな登り坂
葉を落としかけたブナやミズナラの林
降り注ぐ朝の陽射し
坂道の先 小ピークの先に
深い空の淵
冬のまぶしい太陽

あの娘は
どんどん先に行って
光に溶けてしまったろうか

老いたぼくを
地上に残して

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燕岳の空

2023-09-06 10:48:53 | 山歩き

  

  

 

 しばらく前にブログのタイトルを変えた。今までのものは、ぼくの大好きな歌手ニルダ・フェルナンデスの歌にヒントをもらったものだ。「ぼくが地上を離れる前に」は、「~考えること・感じること」を補わなければ漠然としすぎていてなんだかわけがわからないだろう、と思っていた。だが「ぼくが~こと」までの全体をタイトルにすると、今度は逆に直接的すぎてつまらない。
 「すべての頂の上に憩いあり」は、ゲーテの有名な詩の一行で、ご存じの方も多いだろう。普通は、「頂の上に」ではなく「頂に」と訳されることが多い。だが、ドイツ語のüber allen Gipfeln は over all summits に相当すると思うので、これは山のふもと、あるいは山中をさすらう旅人が山頂を見上げ、その上の空に安らぎを見出しているのだ。
 (ぼくは山歩きの記事をこのごろあまり書かない。自分の書くものがつまらなく思えるからだ。先人の書いた山歩きの名エッセイがたくさんある。尾崎喜八や池内紀や辻まことのものは、登山記としてよりも山歩き・山での思索として素晴らしく、ぼくが何か書こうとする時間よりも彼らのものを読み味わう時間の方がずっと良い。というわけで、これからもあまり書かないだろうが、山に行かないわけでも関心が薄れたわけでもない。むしろますます、山が関心の中心になりつつある。)
 この夏は友人と北八ヶ岳散策と、北アルプスの燕(つばくろ)岳に行った。もうテントを担いでどんどん歩ける歳ではないので、4年ほど宿泊を伴う山歩きはほとんどできなかった。この4年ほどのブランクで体力は落ちた。中房温泉から合戦尾根を登って燕岳、大天井岳、常念岳を経て一の沢に下りるコースはもともと北アルプス初級コースなのだが、今回は燕まで登ってその計画を断念し、燕山荘に連泊して天上の休息を堪能し、合戦尾根を降りてきた。
 今日は空の写真のみを揚げる(下手くそだが)。8月31日のスーパームーンがないのが残念だが、小屋の中から眺めるのみで、外に写真を撮りに出る気力がなかった。
 槍ヶ岳の夕焼け
 明けの明星(やや左上。見えるかな)
 朝焼け
 ご来光
  〃
 燕岳

 ゲーテの詩の全体を揚げておく。ごく短いが、深い味わいのあるものだ。ドイツ語は訳せないので、高橋健二の訳を借りる。

旅人の夜の歌

山々の頂に
憩いあり。
木々のこずえに
そよ風の気配もなし。
森に歌う小鳥もなし。
待てよかし、やがて   
なれもまた憩わん。

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大菩薩峠

2023-02-07 21:01:32 | 山歩き

  

雪は少ない。でも久しぶりにアイゼンでの歩行を楽しんだ。

南アルプス白峰三山:右から北岳、間の岳、農鳥岳

富士山は霞んでいてうまく撮れなかった。

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陽だまり

2023-01-10 21:08:50 | 山歩き

ここにずっといられるわけではない
日は短い
ここはたちまち暗くなり
寒さに耐えられないだろう

そうなる前にとっくに
ぼくはここを立ち去っている

だが今だけ
ほんのひと時だけ
この人けのない陽だまりに

グランドシートを拡げ
おにぎりを食べ
体を伸ばして
昼寝をしよう

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浄土

2022-12-30 20:35:07 | 山歩き

 

(明神が岳からの富士。手前の黒いのは金時山。怪童金時を抱く母なる富士、と言いたいところだが、白髪を振り乱した山姥のようにも見える。)

五十年も経つ間には
山はどんどん成長する
尾根は高く沢は深く
見上げる空は遠い

記憶の中ではここらは
陽当りの良い草原だったはずだが
雨にえぐられた赤土の溝ばかりが続く

今は凍っているからいいが
帰りは霜がとけてドロドロだろう
こんな所を降りたくはないものだ

それにしてもこの道は
こんなに長かったっけ?
どこかで間違えたんじゃないか?

・・やっと山頂にたどり着いてみれば
ここは小さなコブに過ぎない
谷を挟んでさらに高い山並

ぼくはもういちど
あそこまで行けるだろうか?

そのまたむこう遥か西に
白く輝くあの峰々は
南アルプスだろうか

ひょっとしたらあれは
西方浄土よりも遠いのではないか?

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風立ちぬ

2022-11-06 13:00:01 | 山歩き

登山道を離れて
ほとんど葉を落としたカラマツ林の
踏み跡を登ると
枯れたカヤトの小丘に出た

昔の小学校の机と椅子が
ポツンと置かれている
風に飛ばされないように
脚に石を乗せてある

誰かがここまで担ぎ上げたのだ
ずいぶん年月が経っているようだ
その人は毎日
こんな人知れぬ場所に来て
山々を眺めたのだろうか

南西にもう雪の色を見せる高い峰々
東に日陰になって暗く
凄絶な絶壁を立てた岩山
北の広い谷のずっと先に
西に流れる川
この丘は穏やかな陽だまりだ

机の上げ蓋を開けると
A5ほどの紙の束と
文鎮と鉛筆があった
一枚目に一行だけ
「もういちど生き直せたら・・・」

紙の裏にはオーケストラ用の
スコアと思われるものの一部
この人は音楽を断念した後
練習していた譜を裏紙にして
思いを綴ろうとしていたのだろうか

とつぜん激しい風が起こり
紙を空高く巻き上げ
太陽の方向に散らしていった
申し訳ないことをしたかな
でもこれでかえって
彼の想いは解放されたのかもしれない

明るい広い空に向かって
太陽に向かって

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赤城山晩秋

2022-10-22 10:47:03 | 山歩き

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赤城山の紅葉はもう(20・21、木・金)ピークを過ぎたようだ。女将さんが「月曜日には最高だったのに」と言っていた。まあ、春と晩秋では木の持つエネルギーが違うのかな。

1.左が最高峰の黒檜山、右が駒ケ岳。2.大沼を望む。4.小沼。山口百恵の「湖の決心」を思い出した。 5.尾根からの小沼遠望。真上に富士山が霞んでいたが、写真には写らなかった。 6.「みやま山荘」。古い宿だが、おかみさんのおもてなしは暖かく、食事も美味しい。2食付き8250円。 7.マユミの実。 9.黒檜山山頂。 11.大沼の対岸からの黒檜と駒。右端から登り、黒檜からは正面を沼に向かって下る。標高差は500mたらずしかないが、侮れない急登と急降下。

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何度目かの「はじめの一歩」

2022-10-04 10:07:58 | 山歩き

 春先から、膝を少し痛めていた。膝を痛めるなんてことは若い頃から何度もしているので、騙し騙し山歩きを続けていたのだが、8月の末に安達太良に行ってから、「このままではいかん。山が歩けなくなったら生き甲斐が無くなってしまう」と思い、近くの整形外科のリハビリに通って、体重を膝に掛けないで筋肉をつける方法などを教えてもらっていた。ぼくはけっこう太い太腿とふくらはぎを持っていて、自分では「山できたえた筋肉」と思っていたのだが、いつの間にか単なるお肉になっていたようだ。コロナ禍で体育館に通うのも止めてしまっていたからなあ。
 「数カ月かかるかなあ」と覚悟していたのだが、思いのほか回復が早く、昨日、5週間ぶりに恐る恐る試し歩きに行った。はじめは高尾山だ。高尾山は、こういう時に便利だ。去年春、手術の後も高尾山に行った。もっともあの時ははじめの一歩は舞岡で、二歩目が高尾山だったが。
 琵琶滝から病院坂、四号路を経て、後からくる人全員に道を譲って、1h30のコースを2h30かけて登った。急いではいけない。膝を痛める原因はたいていは大股でドシドシ歩くことにあるのだから。一歩一歩ゆっくり歩くのも楽しい。
 涼しくて気持ちよかったが、山頂から富士も丹沢山塊もぼんやり霞んでしか見えなかった。
 山頂の人出を避けて、六号路下山口のベンチでお昼を食べ、三号路を下った。
 去年の春は、歩きながらつい「♪ぼくらはみんな生きている」と口ずさんでいたが、昨日は西行法師の名高い短歌

 年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけり小夜の中山

を思い出していた。
 膝を痛めて回復して高尾山に来て、「歳を取ってまた来られるとは思わなかった。生きていてよかったなあ」とはあまりに大げさすぎるが、歳を取るとそう感じることは時々ある。それは良いことだ。この歌はむしろ、今年大病や大手術をした友人たちに捧げよう。

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分かれ道

2022-09-21 20:03:45 | 山歩き

稜線から逃れると
ダケカンバが新しい緑の芽を吹き
ミヤマザクラが下向きに
ひっそり咲いていた

独りの山歩きを
久しぶりに残念に思う

ダケカンバは雪の重みで道に迫り出していて
頭を何度も幹にぶつける
バランスが悪くなったので
つい足元が気になるのだ
動体視力も失せ
視野も狭くなっている

ぼくの生の中にはすでに衰えと
幾らかの死が混じっている

それが新緑を
薄紅色の花を
行く手の斜面の幾筋もの雪渓を
いっそう美しくしているのだ

ついさっきまで稜線では
直射日光が殴りつけるようだったが
ここは雪を渡る風が優しい

これからあの空の下の鞍部に
かすかに見える
小屋のところまで登って行かなければならない
はるか遠くに思えるが
ゆっくり歩いていけば案外近い
(これは天国の比喩ではない
そういうものを信じてはいない)

踏みしめる一歩があるだけだ

付記:最近の山ではなく、6月末のメモの再構成。先月末に膝を少し痛めて、山に行けていない。ほぼ治ったようだが、慎重に再開しないとまた痛める可能性がある。

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いつか来た道

2022-09-20 21:00:14 | 山歩き

五十年前に渡った橋は
流されて付け替えられ
新しい橋がすでに錆びて
板が腐り始めている
古いほうの残骸が
下流側に打ち捨てられたままだ

登山道はえぐれ
石の間を大量の水が流れ
沢歩きのようだ
それでもこの道をまた歩ける
トレッキングポールを頼りにゆっくり歩く

水が美しいからといって
手に掬って飲んではいけない
この上流には確か
赤い染料を流したような水が
流れ込んでいる場所があった
腐った卵の匂いのする場所もあった

さらに登って行けば前方に
爆裂火口が現れるだろう
今夜の泊りは
あの火口の傍らだ

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けもの道

2022-09-16 15:32:34 | 山歩き

微かに続いていた踏み跡らしきものは
ここの小ピークで途切れた
この先は三方とも
転げ落ちそうな急斜面だ

谷に下り着いても進めるかどうかわからない
戻るべきだ
だが
すでにずいぶん来てしまっている
うまく戻れるだろうか?

太陽を見上げ
腕時計の短針を合わせる
これで方角だけは分かるが
まったく馬鹿なことに
今日は油断して地形図も磁石も持っていない

日が暮れるまでには
登山道には戻れるだろう
麓には夜道になるな

人の歩いていなさそうな脇道をみつけると
つい踏み込んでみたくなる
冒険心と自尊心を
満たした気になる
ド素人の悪い癖だ

考えてみればこんなことを
オレは何度もしている
こんなことが楽しくもあるのだから
ふだんよほど
アドレナリンが出ていないのだな

さあ
反省しながら急いで歩け

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流れよ流れ

2022-07-18 10:56:25 | 山歩き

流れよ流れよ
できることなら
お前を抱きしめたい
無数の小さな滝となって
岩を駆け下る流れよ

ひと時も留まらずに
ひと時もためらわずに
白い泡となって走る流れよ

お前の傍らで眠りたい
お喋りを聞きながら眠りたい
お前はきらめき光り輝き
ひっきりなしに喋りながら流れる

お前が何を言っているのか
ぼくには分からないけれど
耳を傾けているだけで
心は喜びに溢れる
お前が大好きだ

ぼくになど目もくれず
永遠に向かって走り去る

青い冷たい流れよ

 

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滑落(木曽駒ケ岳ー続き)

2022-07-06 17:46:23 | 山歩き

(6/30)今日の記事は、実はかなり書きにくい・・・それに、ぼく自身、木曽駒の話題はもう切り上げたい(飽きた)。でもまだ少し、書いておかなければならないことがある。
濃ヶ池付近から見上げる乗越浄土。お椀型の中央にちょこっと尖っているのが、宝剣岳。そのすぐ右の(小さすぎて見えないだろうけど)青い点が宝剣山荘。赤い点は天狗荘。あそこから右手の稜線をたどってここまで来た。ここから、こんどは雪渓をいくつも越えて山腹を戻って行かなければならない。あそこまで2時間半くらいか?
 駒ケ岳の山頂まではゆるやかな道だ。途中、中岳の南斜面には高山植物がけっこう咲いている。いったん「駒ケ岳頂上山荘」まで下る。山荘は開業は明日からだが、テント場にはすでにテントがいくつか。ゆるやかに木曽駒に登り返す。ライチョウ保護の人があっさり追い越してゆく。
駒ケ岳山頂の神社。伊那側と木曽側の二つの神社が少し離れててんでの方向を向いて建てられている。石を積み上げるだけで大変な労力だろうに、信仰とは不思議な、おかしなものだ。
 ここから北東に、馬の背の稜線を下ってゆく。45年前には軽々と登った道を、喘ぎながら下っていく。森林限界を超えているので展望絶景だが、真上からの日光がきつい。「こんなに遠かったっけ?」と思いながら進む。そう感じるのは体力が落ちているせいだ。右下に濃ヶ池が見えてほっとする。が、そちらに入る分岐点までがまた遠い。ハイマツの小さな日陰に体を丸めて休みながら、けっこう山頂から2時間近く掛かってしまった。
 さて、ここからが問題だ。出発するとき小屋のお姉さんに道の状況を訊いた。「雪渓がいくつかあってトラバース(横断)しなければなりません」「チェーンスパイクとストックは持っているのですが」「それなら大丈夫でしょう。でも気を付けて行ってくださいね。滑ると、かなり下のガレ場まで落ちることになりますから」「わかりました。様子を見て引き返すかどうか判断します。ありがとう」。それでここまで考え考え歩いてきた。とりあえず池までは行く。それからどうするか?
 分岐からの道はほぼ水平で、森林限界の下に入ったのでいちおう日陰で涼しい。(冒頭の写真はこのあたり。)雪の重みで曲がったダケカンバが新緑と言うよりはまだ芽吹いて間もない柔らかな緑で、道に頼りない日陰を作る。それに混じってタカネザクラが遠慮がちに下を向いた花を咲かせている。濃ヶ池は中央アルプスでただ一つの氷河湖なのだそうだ。今は雪渓が流れ込んで半分埋まっている。ただ、近年どんどん乾燥化が進んで小さくなっているらしい。
濃ヶ池。道は雪渓と水面との境を通っている。
 さて、行くか戻るか判断しなければならない。今来た尾根道を引き返すのは、すでに(ここで10:00)気温が上がっているからかなりしんどい。雪渓がどんな様子だか見てみたくもある。だが、行ってみて渡れそうもないから引き返す、というのはさらに大変になる。迷ったが、冒険心が勝った。
  池に続く湿地帯を越えて間もなく、最初の雪渓。これは幅は狭い。雪渓は登ったり下ったりは怖くないが、トラバースするのは相当怖い。左右の斜面にストックを突き刺し、踏み跡があるから正確に足を載せて、一歩一歩チェーンスパイクを踏み込んで確かめてから進む。だがここ数日間の暑さで雪が融けてシャーベット状になっている。何回か踏み込んでも滑りそうになる。スパイクが効きづらい。渡る間息をつめて緊張している。一つ目を渡って、「うん、これならなんとか行けそうだ」と思った。
最初の雪渓を渡ってから振り返る。
 雪渓は、下のガレ場まで落差の相当あるもの、下が枯れた藪のもの、頭上が恐ろしげな岩のもの、など色々。幅はだんだん広くなった。6つ目が、かなり広くて急だった。「まだあるのかよー」と思った。渡り終える手前に、誰かが滑落した跡があった。それをまたいで左足を出した瞬間に、大きく開いた足が滑った。
 あっ、という間に滑落していた。「やっちゃった!」と思った。ストックで必死に制動をかけようとしたが(飯豊の石コロビ雪渓でピッケルで止めたことはあるが)、ストックでは止まらない。ただ、落下速度はある程度は抑えられたことと思う。落ちて行く先がちらりと見えた。岩や藪ではなく、草地だ。そのままずるずると落ちて、枯草の上に放り出された。左の腰とあばら骨を打ちつけた。
 呻きながら立ち上がり、体についた雪と枯草と土を払った。幸い、体は動く。どこも折れたり切ったりはしていないようだ。30mほど落ちた。距離が短くて、岩でなくて助かった。雪渓の脇の急斜面を、登山道まで喘ぎながら登り返した。
手前がぼくの滑った跡。
 そのあともう一つ、もっと幅の広いのがあったが、もう渡る気になれず、下まで降りて向う側を登ることにした。降りたところに、登山道の消えかかった古いペンキのマークが上に向かっていた。地図で難路を示す破線になっている、沢沿いに登ってくる長いコースだ。元の登山道と合流し、道はさらにぐんぐん登って行く。左手にもう一つ、今までで一番急峻な雪渓があって、「あそこは渡れないぞ。どうする?」と思っていたが、それもハシゴで高巻いていて、ほっとした。またライチョウ保護の人に出会った。「サルが上がってこないように監視しています」と言う。その上は「駒飼ノ池」。前方に天狗荘が近い。あと40分ぐらいだ。
 ここでゆっくり休んでお昼を食べ、乗越浄土に登り返して千畳敷に下った。大きな荷物を担いで八丁坂を登ってくる若い人がいっぱいいた。頂上山荘前にテントを張って7月1日のご来光を迎えようという人たちだ。老人は一足先に山を下る。

反省点:①若い頃とは全然違うということを、もう一度頭に叩き込むべきだ。今回のはファミリーコースのはずだが、そう思ってかかってはいけない。
②危険個所を通過しきるまでは、一瞬でも気を抜いたり気を逸らしたりしてはいけない。
③チェーンスパイクは便利だが、歯が浅いので、雪渓のトラバースはアイゼンでしたほうが良い。
④ヘルメットを携行したほうが良い。
⑤ぼくはそろそろ、単独行ではなく誰かと登るようにした方が安全だ。

 (今6日目。脇腹の打撲はまだちょっと痛い。念のため医者に行った。ひびが入ったりはしていないそうだ。長文を読んでくださってありがとうございます。)

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