すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

武蔵野

2019-01-06 21:25:38 | 社会・現代
 現代のぼくたちは、ひどく貧しい生活をしている。
 金銭的な、あるいは物質的な意味ではなく、心を満たし、日々の安心感や充実感を与えてくれる必要不可欠な条件である、自然との接触、人との具体的な接触、の欠乏、あるいは少なさ、という意味で。
 仕事をやめて頻繁に山に行くようになって、ますますそう思う。現代の都会に生きる誰もが、自然とかかわりの薄い生活をしている。ネット空間で人とつながっていると思っている誰もが、人との具体的なかかわりの薄い生活をしている。そして、酸素濃度の足りない水槽の中にいる魚が苦しむように苦しんでいるのに、自分ではその原因がわかっていない。ただ不安とか苛立ちとか怒りとか欝な気分とかを抱えているだけだ。
 月に何回かハイキングに行く程度では、自然との接触はまだ全然足りないはずなのだ。生活と密接にかかわる状態で自然が存在しなければ。そして、保土ヶ谷の林の中の生活から目黒に移って7年になるぼくは、水槽の中のようにこのあたりを歩き回る。
 国木田独歩の「武蔵野」は1898年(明治31年)刊行。あの文章を読んで神代植物公園とかあるいはもっと遠くを思い浮かべるが、実は独歩は今の渋谷区に住んでいたのだ。
 明治では昔過ぎて、いまと違うのが当たり前と思うなら、たとえば児童文学作家として名高い石井桃子の、児童文学でない長編小説「幻の赤い実」は、二・二六事件前後の荻窪あたりを描いている。豊かな自然の中の生活と、人との魂レベルの深い交流を描いて感動的だ(岩波現代文庫)。
 もう少し近い話をするなら、ぼくが6年生で越してきたころには、このあたりもまだ畑が広がっていた。探検をする雑木林もあった(今は小さな公園として残されているだけだ)。地元でとれたネギやニンジンを買うことができた。今では食品は、巨大な流通経路を通して全国から、あるいは外国から、送られてくる。便利にはなった。でも東京のトマトやニンジンは、フランスのトマトやニンジンのような濃い味がしない。また、アルジェリアのオレンジやオリーブは本当においしかった。
 自然との深い付き合いを取り戻すことはもうできないかもしれない。これからますます縁遠くなるのは確実だろう。でもぼくたちが貧しい生活をしていることだけは忘れないでおこう。それぞれの人にとって、緊急対策の必要な日が来るかもしれない。
 (関係ないが附記)先日、東横線で、ぼくを含んで並んで座った4人が文庫本を読んでいるのに気が付いて驚いた。このごろみんなスマホで、本を読む人を見かけること自体が稀だから、めったにない光景。嬉しくなった。
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ハイキング始め

2019-01-05 12:41:13 | 山歩き
 朝ご飯を食べて、まずストレッチをする。昨日まで3日間の怠惰な生活をきっちりと抜けだす決意だ。こわばっていた筋肉を伸ばし、ほぐす。痛・気持ちよい。ストレッチは、自分の体の点検でもある。うん、たぶん、年相応よりはぼくの体は柔らかい。
 今日(4日)は新年会を兼ねたのんびりハイクだ。大船駅で10時に山仲間三人と待ち合わせ、金沢八景行きのバスに乗り、光明寺で降り、住宅地を抜けて山道に入る。瀬上市民の森入り口から天園を経て北鎌倉の明月院までは4時間弱のコースだ。
 すぐに馬の背休憩所になり、直進もできるのだが、左に下って谷戸に出る。このあたりは3,40年ほど前、自然観察会で小中学生たちとよく来た懐かしい場所だ。そのころと変わらず、住宅地に近いとは思えない、ひっそりと静かな場所だ。
 いかにも淀んだ感じの瀬上池を右に見下ろして進み、昔は水田を作っていた跡だろうか、狭い棚田のような形の谷戸を詰め、登りにかかる。今日一番の急騰だ。息が上がる頃、円海山から天園に向かう尾根に出る。ここからはほとんど平らな散歩道だ。お年寄り夫婦やトレーニングの若者グループとすれ違い、挨拶をする。うららかに晴れた明るい青空で温かい。長袖と半そでの肌着の重ね着と薄手のシャツ一枚で十分だ。
 尾根の右下は住宅街が広がっているが、その向こう、真正面に富士山。その右に丹沢山系、左に箱根山系が見える。住宅街の奥の方に、かつて遊園地のシンボルだった多重の塔と、今日同行の友人二人の住む戸塚のドリームハイツが見える。
 右手の住宅街が切れ、横浜自然観察の森に変わる頃、左手に分岐した急な階段道を登ると、展望の良い大丸山だ。ここまで歩き始めから約1時間半。ここが横浜市最高地点だそうだ(167m)。広々とした展望地になっていて、眼下に八景島。その向こうに東京湾が広がっている。ちょうど12時。陽だまりのテーブルでお昼にする。
 ここから天園(大平山)までは1時間ほどだが、やや飽きる道だ。右手は、横浜霊園の広大な敷地が広がる。一体ここに何家族、何人が眠っているのだろう。尾根の直下ぎりぎりまで造成して、大地震が来たらどうなるのだろう。お墓参りも大変そうだ。ぼくたちもつい、田舎にある先祖代々の墓をどうするか、というような話をしながら歩く。
 天園の分岐から瑞泉寺に降りると初詣での人波に巻き込まれるので、道を続けて明月院に降りることにする。ここからはけっこうアップダウンのある、雨が降ったら滑りそうな岩場も多い道だ。ちょっとくたびれたなあと思うころ登り返して勝上ヶ嶽につく。
 眼下に建長寺の大伽藍、その向こうに由比ガ浜。湘南の海が光り輝いている。海の向こうの浄土を求めて補陀落渡海に漕ぎ出したくなるような輝きだ。左手の海の向こうに浮かぶのは房総半島だろうか。ここから見下ろした古(いにしえ)の人はあれが極楽浄土と思ったかもしれない。そういえば若き三代将軍実朝も鎌倉から船出しようとしたのだった。
 建長寺に降りると拝観料を取られるので、さらに道を続ける。いったん下って今泉台の住宅地に降りる道を分けると本日最後の急登に息を切らす。そのあと明月院の裏手に降りる。もう北鎌倉の駅はすぐだ。途中にある葉祥明美術館は、小さいながらも、彼の絵本が好きな人には必見のお勧めスポットだ。
 大船駅で降りる。老舗の「観音食堂」はお魚が美味しいのだが、正月休みだったので向かいの焼鳥屋に入る。ここはすごく安いのだが残念ながらおいしくはなかった。最近こういう店が多い。
 今年の山の計画をしたかったのだが、一人は百名山を目指していていちど登ったところは行きたがらないし、一人は同じところに何度も行くのが好きだし、一人は楽なところが好きだし…で結局、梅雨に入る前に甲武信ケ岳に登る、高山植物の美しい7月に白馬岳に登る、近いうちに雪のある低山に登る、ということだけ約束して別れた。
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謹賀新年

2019-01-01 21:26:52 | 老いを生きる
(私の詞華集31 石垣りん詩集「宇宙の方隅で」より「太陽のほとり」)

太陽
天に掘られた 光の井戸。

私たち
宇宙の片隅で 輪になって
たったひとつの 井戸を囲んで
暮らします。

世界中 どこにいても
太陽のほとり。

みんな いちにち まいにち
汲み上げる
深い空の底から
長い歴史の奥から
汲んでも 汲んでも 光
天の井戸。

(日本の里には 元日に 若水を汲む
という 美しい言葉が ありました)

昔ながらの
つるべの音が 聞こえます。

胸に手を当てて 聞きましょう
生きている いのちの鼓動
若水を汲み上げる その音を。

新年の光
満ち あふれる 朝です。 

  謹 賀 新 年

 去年2月末で、「デュモン」を退職しました。いまは、読書や音楽の練習をしたり、歩きながらまとまらないことを思案したり、の日々です。
 「今日はぼくに残された人生の最初の一日」と毎日思って暮らせればいいのだけれど、すぐ疲れて呆然としています。今年の目標は、この疲労感の克服、かな。
 いつまで行けるかわからないので、今年はできる限り山に行こうと思います。
 社会との距離、も課題です。このまま、いわば引きこもりに近い状態でもいいような気もするし、もう少し社会とかかわる努力をすべきかなあ、とも思うし、模索の一年になりそうです。   
 いずれにしても、ぼくはこの社会の積極的構成員であるよりは通過者であるように感じています。
 皆様のこの一年の健康を祈ります。
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