現代のぼくたちは、ひどく貧しい生活をしている。
金銭的な、あるいは物質的な意味ではなく、心を満たし、日々の安心感や充実感を与えてくれる必要不可欠な条件である、自然との接触、人との具体的な接触、の欠乏、あるいは少なさ、という意味で。
仕事をやめて頻繁に山に行くようになって、ますますそう思う。現代の都会に生きる誰もが、自然とかかわりの薄い生活をしている。ネット空間で人とつながっていると思っている誰もが、人との具体的なかかわりの薄い生活をしている。そして、酸素濃度の足りない水槽の中にいる魚が苦しむように苦しんでいるのに、自分ではその原因がわかっていない。ただ不安とか苛立ちとか怒りとか欝な気分とかを抱えているだけだ。
月に何回かハイキングに行く程度では、自然との接触はまだ全然足りないはずなのだ。生活と密接にかかわる状態で自然が存在しなければ。そして、保土ヶ谷の林の中の生活から目黒に移って7年になるぼくは、水槽の中のようにこのあたりを歩き回る。
国木田独歩の「武蔵野」は1898年(明治31年)刊行。あの文章を読んで神代植物公園とかあるいはもっと遠くを思い浮かべるが、実は独歩は今の渋谷区に住んでいたのだ。
明治では昔過ぎて、いまと違うのが当たり前と思うなら、たとえば児童文学作家として名高い石井桃子の、児童文学でない長編小説「幻の赤い実」は、二・二六事件前後の荻窪あたりを描いている。豊かな自然の中の生活と、人との魂レベルの深い交流を描いて感動的だ(岩波現代文庫)。
もう少し近い話をするなら、ぼくが6年生で越してきたころには、このあたりもまだ畑が広がっていた。探検をする雑木林もあった(今は小さな公園として残されているだけだ)。地元でとれたネギやニンジンを買うことができた。今では食品は、巨大な流通経路を通して全国から、あるいは外国から、送られてくる。便利にはなった。でも東京のトマトやニンジンは、フランスのトマトやニンジンのような濃い味がしない。また、アルジェリアのオレンジやオリーブは本当においしかった。
自然との深い付き合いを取り戻すことはもうできないかもしれない。これからますます縁遠くなるのは確実だろう。でもぼくたちが貧しい生活をしていることだけは忘れないでおこう。それぞれの人にとって、緊急対策の必要な日が来るかもしれない。
(関係ないが附記)先日、東横線で、ぼくを含んで並んで座った4人が文庫本を読んでいるのに気が付いて驚いた。このごろみんなスマホで、本を読む人を見かけること自体が稀だから、めったにない光景。嬉しくなった。
金銭的な、あるいは物質的な意味ではなく、心を満たし、日々の安心感や充実感を与えてくれる必要不可欠な条件である、自然との接触、人との具体的な接触、の欠乏、あるいは少なさ、という意味で。
仕事をやめて頻繁に山に行くようになって、ますますそう思う。現代の都会に生きる誰もが、自然とかかわりの薄い生活をしている。ネット空間で人とつながっていると思っている誰もが、人との具体的なかかわりの薄い生活をしている。そして、酸素濃度の足りない水槽の中にいる魚が苦しむように苦しんでいるのに、自分ではその原因がわかっていない。ただ不安とか苛立ちとか怒りとか欝な気分とかを抱えているだけだ。
月に何回かハイキングに行く程度では、自然との接触はまだ全然足りないはずなのだ。生活と密接にかかわる状態で自然が存在しなければ。そして、保土ヶ谷の林の中の生活から目黒に移って7年になるぼくは、水槽の中のようにこのあたりを歩き回る。
国木田独歩の「武蔵野」は1898年(明治31年)刊行。あの文章を読んで神代植物公園とかあるいはもっと遠くを思い浮かべるが、実は独歩は今の渋谷区に住んでいたのだ。
明治では昔過ぎて、いまと違うのが当たり前と思うなら、たとえば児童文学作家として名高い石井桃子の、児童文学でない長編小説「幻の赤い実」は、二・二六事件前後の荻窪あたりを描いている。豊かな自然の中の生活と、人との魂レベルの深い交流を描いて感動的だ(岩波現代文庫)。
もう少し近い話をするなら、ぼくが6年生で越してきたころには、このあたりもまだ畑が広がっていた。探検をする雑木林もあった(今は小さな公園として残されているだけだ)。地元でとれたネギやニンジンを買うことができた。今では食品は、巨大な流通経路を通して全国から、あるいは外国から、送られてくる。便利にはなった。でも東京のトマトやニンジンは、フランスのトマトやニンジンのような濃い味がしない。また、アルジェリアのオレンジやオリーブは本当においしかった。
自然との深い付き合いを取り戻すことはもうできないかもしれない。これからますます縁遠くなるのは確実だろう。でもぼくたちが貧しい生活をしていることだけは忘れないでおこう。それぞれの人にとって、緊急対策の必要な日が来るかもしれない。
(関係ないが附記)先日、東横線で、ぼくを含んで並んで座った4人が文庫本を読んでいるのに気が付いて驚いた。このごろみんなスマホで、本を読む人を見かけること自体が稀だから、めったにない光景。嬉しくなった。