すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

夢の中の女

2020-05-31 10:02:00 | 夢の記
 まだ暗いうちに目が覚める。「そうだ、今日は出発するのだったな」と思い出す。「出かける前に海を見ておこう」と思い、暗い海岸に行く。潮が引いていて、いつもの盛り上がった海岸線の下に砂浜が出ている。その波打ち際まで降りる。黒い波に足をさらわれそうになる。「これは今満ちてきているんだ。気をつけなくちゃ」と思う。
 部屋に戻る道で仕事に行くらしいわずかな人とすれ違う。黙々と歩いている。部屋は大きな建物の一階で、広い部屋だ。じつは二階にもう一部屋持っている。そのうえ、その隣に女を住まわせている。上の部屋の荷物を取りに、そして女に別れを言いに上がる。だがぼくの部屋のはずのところには明かりがついていて、人の気配もする。「あれ、ここじゃなかったっけ?」と首をかしげる。だがその隣りは確かに、女を住まわせている部屋だ。
 合い鍵を使ってそっと扉を開ける。女は寝ていると思ったのに、あわてたような物音がする。誰かがカーテンの陰に隠れた。「あれ、ここの部屋、こんなに狭かったっけ?かわいそうなことをしたな」と思う。ぼくの女が、裸で、でも布で体を覆いながら振り向き、「出かけるの?」と訊く。カーテンに隠れたやつも顔を出す。見知らない女だ。「ああ、そういうことか。まあ、ぼくがこんなだから、それも仕方がないな」と思う。
 「ねえ、隣り、誰かいるみたいだけど、ぼくの部屋じゃなかったっけ?」と訊く。女は、「あら、あなた、もうとっくに引き払ったじゃないの。あなたの部屋は今は一階でしょ」と言う。
 それを聞いて、「ああそうだ。俺はとっくに出発してしまっていたのだった」と思い出す。
 「あの一階の部屋、君にやるよ。そこの彼女と住んでいいよ」と言っているうちに、自分の体が白い靄のようになって消えていくのがわかる。

 …これも、無意識の中で生と性と死に関わっている夢なのだろう。「女を住まわせている」とか「ぼくの女」とかいう発想がふだん無いので、面白いなと思う。むろん、ぼくには人に残してやれるような財産などないので、これも面白い。面白いと思うのは自分だけだろうが、人間は無意識のうちに何を持っているかわからない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

二か月ぶりの高尾山・城山

2020-05-30 20:55:09 | 山歩き
 昨日、解除後初のハイキングに行った。
 他県に入らないで、なるべく人の少ないところを、といったらまず北高尾山稜だが、あそこは帰りにバスを使わないとなると藤野駅まで約8時間半の歩きになるから、二か月ぶりの歩きには向かない。それで、高尾本山周辺でなるべく人の少ないところ、と考えたら下記のコースになった。
 高尾山口駅→病院坂→三号路→富士見台巻き道→北側の巻き道経由一丁平→城山山頂(昼食)→大垂水峠→高尾林道→稲荷山尾根→高尾山口駅
 稲荷山尾根は人気の高いコースだが、尾根道が広いので、密を避けるには問題なかろうと判断した。
 行きと帰りの電車の混雑を避けるため、5:20武蔵小山駅発に乗ったら、高尾山口駅に6:40には着いてしまった。こんな早い時間に高尾を歩くのは初めてだ。人はほとんどいないし、早朝の空気はまことに清々しくて気持ちが良い。4:20に起床はいささか早いが、これからはなるべくこの時間に来ることにしよう。
 沢沿いの道はカエデの新緑がまことに美しいが、すぐに沢から離れて病院坂を登る。この道はいつもは下りに使う。いい加減くたびれたころに下るのでザレた岩の道はなかなか怖い。いつか、追い抜こうと思ったら勢いがついて転倒しそうになったことがある。転倒したら手も足も摺り傷だらけになるところだ。何とかたたらを踏んで踏みとどまったら、見ていたグループから「すごい! 若い!」と囃された。登りに使うと、落ち着いた良い道だ。
 人の多い一号路に合流する手前で三号路に入る。あまり人気(にんき)のない道のようだが、ここはぼくのお気に入りだ。この時期は山路でウツギの白い花が次々に迎えてくれて、嬉しくなる。このあたりのは葉が丸いマルバウツギだ。あと、ウツギと言ってもアジサイの仲間のガクウツギ。ガク片が三枚のものが多いようだ。
山頂はいつも人込みだからパスすることが多いが、今日はあまりに天気が良いので富士山が見えるだろうと立ち寄ってみる。残念、雲の塊のなかだ。
 尾根を躱すように巻き道、また巻き道を辿る。青いタツナミソウがあちこちに咲いている。立浪とは姿にふさわしいうまい名前を付けたものだ。
 城山の山頂10:13。3時間23分はスロー新記録だ。ここで昼飯。ここも空いていた。
 大垂水峠に降りる道は急な道だが、けっこう登ってくる人が多いので意外だった。峠まではバスで来るのだろうか。
 峠からは20分ほど登り返して高尾林道。去年の台風19号の通過のすぐ後に初めて来た道で、それ以来お気に入りの道になっている。あの時はひどく荒れていたが、修復されている。ほとんど通る人がなく、マルバウツギの他に、ハルジオンやクサイチゴやフタリシズカがひっそりと咲いている。センダイムシクイが「チョッチョヴィー、チョッチョヴィッチョヴィー」と鳴いている。やや季節に早いホタルブクロも見つけた。
 林道は「森林ふれあい館」の上まで緩い下り、その先は緩い登りになっているが、登り始めの右手の樹林の中で盛んに囀っている鳥がいる。とても聞きなしなどはできないような複雑な鳴き方で、力の限り、いやむしろ命の限り、といった調子で鳴いている。あれは何だろう。コムクドリだろうか?「鳥の鳴き声を勉強しなければ」、と山に来て鳴き声を聴くたびに思う。残念ながら、高尾にどんな鳥がいるのか知らない。それに、この頃はますます目が悪く、姿を見つけられない。鳥を見るためと星を見るために、遠くを見る専用の眼鏡をつくらなければな。
 林道から登り返して稲荷山コースに合流したら、もう俗世間に戻ったような気分がした。
 高尾山口駅到着13:50。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

舞岡散策

2020-05-27 21:53:52 | 自然・季節
 一昨日、いつもの山の仲間二人と舞岡谷戸に行った。4月6日、夜に緊急事態宣言が出た日の昼、「いよいよ出そうだから山に行っておかなくちゃ」と思って高尾山・城山にソロで行って以来だから、四十九日目の復活だ。と言っても、今回はほんのピクニックだ。同行のうちの一人は、以前、三十年以上前、舞岡で田んぼをやっていた時の仲間でもある。その友人が何日か前に電話をくれて、「横浜駅あたりでご飯でも食べない?」というから、「食べ物屋で対面はまだ嫌だから、舞岡でビールでも飲まない?」と提案したら、「ああ、良いね。懐かしいね」ということになったのだ。
 地下鉄舞岡駅で11時に待ち合わせて、コンビニでビールと食べ物を買う。田んぼと小川に挟まれた道を歩き、舞岡八幡に「疫病が収まりますように」、とお参りをする。道端にはおおきなムラサキツメクサや青いニワゼキショウが咲いている。ふつうは青いツユクサの白い色の花もある。外出自粛の間に春の花はほぼ終わって季節は初夏に向かっている。
 八幡の裏手に回り、畑の横のぐちゃぐちゃしたところを抜けて尾根道に上がる。田んぼ仲間は、この道は知らなかったようだ。人はほとんどいない(ここのあたりは、去年別の友人と歩いた時に書いたから省略する(19/04/10 ))。
 尾根を道なりにずっと進むと駅からゆっくり歩いて小一時間ほどで、右手に明治学院大学のキャンパスが見えてくる。そこで道標に従って左に折れると、谷戸を見下ろす丘の上のとても気持ちの良い広場に出る。木立に囲まれた日当たりの良い草地だ。二つあるテーブルの片方が空いていたのでそこに横並びに座ってお昼にする。大きな桜の木陰で、頭上にサクランボが黒く実っている(食べても美味しくはないが)。
 三人で歩くのは一月末以来なので、話すことがいっぱいあって、ついついそっちに顔を向けそうになって、「あ、いけない」、と前を向きなおす。当然ながらコロナの話、山の情報、舞岡で田んぼをやっていたころの思い出話…友人の一人が歴史マニアなので、いつの間にか「古事記」や天皇制の話なんかになる。
 その友人がザックからウイスキーを取り出して、「もう少し、もう少し」と言いながらコップに注ぐのを切り上げさせて、もう少し歩くことにする。草地の端の下り口の傍らにニワゼキショウの珍しい赤い花が群生していた。ここから急な道を下ると、ぼくたちが昔田んぼを始めた場所だ。今はすぐ下手に大きな池を作るのに伴って放棄されて、アシの原に戻っている。その横の、作業の後いつもバーベキューをした空地には東屋が立って、休憩場所と小さな案内所になっている。季節になると夢中で実を食べた桑の木ももうない。
 友人がしきりに懐かしがって「青春だったねえ」と言うが、実際にはアラフォーだった。
 田んぼ作業のことを書き始めると長くなるからここでは省略。ウグイスの声を聴きながら谷戸のてっぺんまでゆっくり登って、別の尾根を下って、こどもたちが「お弁当の木」と名前を付けた懐かしい木の傍らを通って帰路に就いた。
 今は谷戸全体が公園になっていて、入り口に駐車場がある。その傍らには大きな鋭い刺のカラタチの垣根があった。北原白秋・山田耕作の歌曲と、島倉千代子の歌謡曲を同時に思い出した。
 小川沿いの帰り道には、スイカズラの金銀の花、ウツギの小粒のいっぱいの花、ユキノシタのひっそりとした花が咲き、水路にはキショウブが美しかった。 
 駅に戻ったら3時。およそ4時間の散策。家に帰ったら思ったより疲れていた。気を付けていたつもりでも、自粛で体が鈍っている。次回は、軽いハイキングから再開しよう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クリス・シーリーのバッハ

2020-05-25 21:22:15 | 音楽の楽しみー楽器を弾く
 ここのところ、クリス・シーリーの演奏するバッハの「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」というCDに嵌まっている。
 クリス・シーリーという名前は聞いたことがない人が多いかもしれないが、アメリカのブルーグラス音楽というジャンルのフラットマンドリン(以下、フラット)の奏者だ。ぼくはブルーグラスに詳しくないが、世界一の奏者だそうだ。
 だからヴァイオリンではなく、バッハをフラットで弾いている。ぼく自身フラットの練習を独学でしているが(ちっとも上手くならないのだが)、こんなに美しい音のする楽器だったなんて、知らなかった。びっくりした。何度も、ロシアのドムラやイタリアのマンドリン(以下、ラウンド)に比べてやや頼りない音色の楽器だな、と感じていた。目が覚める思いがしたた。この発見だけでも、とても嬉しかった。
 このCDをほぼ毎日聴いている。夜寝るときも、枕もとの小型スピーカーで小さい音でかけている。今までは入眠時に聴くのはもっぱらせせらぎの音だったのだが。これはせせらぎの音と同じくらい、あるいはそれ以上に、ゆっくりとくつろいで安心して眠りにつける。やわらかな悲しみの響きが感じられるのが、せせらぎの音よりもいっそうぼくの気にいったのかもしれない。
 こんなに一つの音楽に嵌まったのは、若い頃繰り返し聞いた、ミッシェル・ベロフの演奏するオリヴィエ・メシアンのピアノ曲「幼児イエズスに注ぐ20のまなざし」以来だろう。
 
 さて、ぼくは残念ながら、音楽を聴いて語る言葉を持たない。この演奏のどこがどう素晴らしいかを分析する能力を持たない。だから、心地よい、とか、感動的だ、とかというようなことしか書けない。そういうことを少しだけ書こう。
 (ぼくは、ヴァイオリンという楽器にあまり心を惹かれない。ピアノソナタや協奏曲は聴くけど、ヴァイオリンのそれは聴かない。ヴァイオリンは、過剰に思える。表現力過剰、感情過剰。だからこのバッハも原曲を聴いていない。)

 マンドリンはピックで弾くから持続音が出せない。持続音の代わりにトレモロで弾く、というのが常識だが、ここではトレモロは使われていない(もともと、ブルーグラスではラウンドと違ってトレモロを多用しない。持ち味は速弾きだ)。
 演奏が始まると、いくらかくぐもったような、古風な音色に驚く。ドムラやラウンドのようには完全には澄み切らない、すこしかすれたような音。それがいっそう、古い昔のなつかしい憂いを新しく心に沁み入らせる。そう、これはバッハよりさらに前の、エリザベス朝のイギリスのような音楽だ。ジョン・ダウランドのリュート歌曲に近いかもしれない。
 そういえば、ダウランドのリュート歌曲も、若い頃に嵌まった。シーリーのフラットの演奏はマンドリンではなくリュートの音色を現代に蘇らせたようだ。
 それにしても、ものすごいテクニックだ。CDのタイトルに「超絶のマンドリン」とあるがその通りだ。超高速の左手の動きもすごいし、右手によるダイナミズムのコントロールもすごい。とくに、通奏低音に当たるものを弾きながらの高音のものすごい高速のパッセージ。複数弦を一緒に弾くのは、マンドリンはそもそも複弦だから例えば二つの弦なら一回のストロークで4本の弦を横断しなければならず、弓で同時に音が出せるヴァイオリンよりも場合によっては難しいのではないだろうか。
 持続音が出せない楽器でヴァイオリンのための曲を弾いてしかもそれが感動的でありうるためには、頭を切り替えてまったく別の表現を成立させなければならない。この演奏はそれに見事に成功している。

追記:クリス・シーリーは「パンチ・ブラザーズ」という名の5人組のバンド活動を主にしている。フラットとギターとベースとバンジョーとフィドル(ヴァイオリン)のバンドで、彼はリーダーであり、リードボーカルも担当している。でもそのサウンドは(声も)ぼくには残念ながら全然ピンと来ない。シーリーに興味を持っても、お間違えになりませんように。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雨の森

2020-05-19 20:54:39 | 自然・季節
 人の気のない雨の森を歩くのは楽しい。五月は何といっても、森の一番美しい季節だ。と言っても、ぼくの歩いているのは家の近くの林試の森に過ぎないのだが。今日はジョギングする人もいないし、犬を散歩させる人もいない、ぼくのような変わり者が一人二人遠くを歩いているだけの、静かな森だ。
 もう新緑の一番柔らかなときはやや過ぎて、緑が濃くなり始めている。濃くなり始めた緑が雨に濡れて光って美しい。ツツジの季節がほぼ終わって、いまはところどころにヤマボウシが白く静かに咲いている。
 ところどころ、木々の周りを、白い蝶がたくさん舞っている。あれは何か特定の樹種に集まっているのだろうか? 群れのようになって、でもおもいおもいに勝手な方向と高さに舞っている。捕まえてみないとわからないことだが、真っ白というよりはいくらか黒い部分があるようだ。でも紋という感じではなくぼんやりと黒ずんでいるように見える。明るい菜の花畑ではなく森の木陰にいるのだから、モンシロチョウではなくスジグロシロチョウだろうか。
 今日はぼくは傘を差さず、登山用の上下の雨具に山靴で来ている。これならベンチに腰をおろして、しばしぼんやり過ごすことができる。目の前で高い梢も低木も雨に濡れて光り、風に揺すられている。いかにも森全体が生き生きと雨を楽しんでいるように見える。
 保土谷の林の中の一軒家に住んでいたころを思い出す。あの頃しばしば、五月の樹々の枝が揺れ動くのを眺めながら何時間も過ごした。
 「ぼくはそろそろ、自然に帰ってもいいな」、とふと思う。病院で酸素吸入器かなんかつけられて苦しみながら死んでいくのは今はまだ嫌だが、こうして自然の中で眠るように死んでゆくことが、もしできるのなら、それは今でも構わない、と思う。
 その時ぼくの最後の意識は、自然との一体感ということになるだろう。最後の意識が死後も残るわけじゃないから、それはあまり意味のないことではあるが。
 ただし現実には自然のなかでの死というのは、ひどい寒さや飢餓や痛みの中で苦しみながら、ということになるのだろうが。
 それにしても椋太君、苦しかっただろうな。考えると涙が出そうになる。たぶん、最後の意識が死後も残るわけじゃない、というのは、悪いことじゃない。死んだ人を思う側のせめてものなぐさめになることだってあるだろう。
 感傷的にならない方が良い。立ち上がってもう少し歩くことにしよう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高木椋太君に

2020-05-06 16:23:58 | つぶやき
 そうか…君はもうこの世界のどこにもいないのか…
 友人から連絡を受けても信じられない思いだった。今は報道もされているが、やはり実感は湧かない。でも、君のあの伸びやかな抒情的な歌が、穏やかな明るい話し声が、もう聞かれないのだと思うと呆然としてしまう。ぼくの胸に、というよりは、この世界の一部に取り返しのつかない欠落ができてしまったようだ。
 君は暗い感情を抱えた人(例えばぼくのような)をもほっと安心させてしまうような、不機嫌な気分の人をも微笑ませてしまうような、優しい歌声と優しい心の持ち主だった。
 ぼくの働いていた店でのライヴで、君が感情の込み上げて来るあまり胸を詰まらせながら歌うのを何度も見てきた。その後のはにかんだような微笑みがまた君の魅力のひとつでもあった。
 アマチュアのぼくのコンサートにも何度か友情出演していただいたし、保土谷の林の中の古い一軒家にも来てもらったよね。
 あれは目黒に越してくる前だから大震災の直前、真冬だったと思う。風通しのひどく良い寒い部屋で、音楽について熱く語り合った…
 …のは良いのだが、たまたまLGBTについてのような話になって、ぼくは自分では気が付かなかったが、君に何かきつい言い方をしてしまったらしい。あとで、同席していた友人に「椋太君、すこしショックだったようだよ」と聞いた。その後会ったときにも君は何でもないようにふるまっていたが。
 君は誰をも傷つけることのない、心の優しい人だった。しばしば人を傷つけることのあるぼくがこうしていて、君の方がこの世界からいなくなってしまった…というのは、感傷だろうか?
 ぼくは死後の転生とか、魂の永遠性とかを信じない。だから、きみがどこかでぼくたちを見守っている、というような感じ方はしない。君の不在は絶対的だ。ぼくたちが記憶している限りにおいて、君は記憶の中にいる。だから君の笑顔と歌声を忘れないでいよう。
 だがそんなふうに考えるぼくでも、やはり一つだけ古風な言い方をしたい。
 君は4月2日に発病して6日に入院し、5月2日に他界したという。一か月の闘病生活は苦しかったに違いない。
 今は安らかに眠れ。

 君の歌の中で、「ユー・レイズ・ミー・アップ」も「兵士の別れ」も「シー」も「鏡の中のつばめ」もほかの曲もみんな好きだが、ぼくはやはり「入り江にて」がいちばん好きだ。何度もリクエストをしたよね。あれは外房の鵜原あたりだろうか? 最後の一節だけをここに書いておこう。

  もう二度と 来ることはない
  あなたのいない この入り江に
  あの日のような きれいな夕焼け
  茜色の恋の思い出

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

妙(たえ)なる五月

2020-05-05 12:29:57 | 音楽の楽しみー歌
  うるわしくも美しい五月に
  すべてのつぼみがほころびそめると
  ぼくの心のなかにも
  恋が咲き出でた

  うるわしくも美しい五月に
  すべての鳥がうたい出すと
  ぼくもあのひとに打ち明けた
  ぼくの心のひそかな想いを

 この歳になって恋の告白、じゃないですよ。
 家に閉じこもっていて意欲がわかないので、思いついて歌を聴きなおしている。意欲を掻き立てなくても聴くのはできる。バリトンのCDをけっこう持っていて、以前から好きなのも、どんなだったか忘れていたものも、ぼつぼつ聴いている。
 これは、ロベルト・シューマン作曲、歌曲集「詩人の恋」の第一曲「うるわしくも美しい五月に」。詩はハインリッヒ・ハイネ、詩集「歌の本」より。訳詞は音楽評論家の喜多尾道冬。
 この歌は高校の選択音楽で習ったことがある。
 演奏時間1分30秒ぐらいのごく短く、だが、春の陶然とした喜びに共感できる曲だ。
 上行するアルペジオの前奏が4小節。有節形式で一つの節がわずか8小節。ゆったりとおだやかな歌い出しが2小節。その旋律が繰り返されたのち、後半4小節は16分音符と付点4分音符の弾むような音型がクレッシェンドしながら上行して、最後から二つ目の音で頂点に達し、半音下がって広がりを保ったまま収まる。3小節のアルペジオの間奏があって第二節。4小節のアルペジオの後奏。たったこれだけで五月という季節の喜び、詩人のあこがれと胸の思いの高まりを過不足なく表現し得ている。
 シューマンの歌曲集にはシューベルトのようなドラマ性は希薄だが、練達の筆でさっと描いて見せる水彩画のような美しさがある。

 中学三年の時にハイネの詩に夢中になったことがある(同級の女の子に夢中になったせいである)。じつは今読み直すと、「なんじゃ、こりゃあ」なものが多いのだが、中には思い出の中のきれいなリボンのような、なかなか懐かしい良いものもあって、嬉しくなる。
 その頃愛読した岩波文庫版の井上正蔵訳「歌の本」では、こうなっている。

  つぼみひらく
  妙なる五月
  こころにも
  恋ほころびぬ

  鳥うたう
  妙なる五月
  よきひとに
  おもいかたりぬ

 なお、高校の音楽で習った歌詞は、正確ではないかもしれないが、下記のよう。

  うるわし五月の
  花みな咲くとき
  私の胸も
  思いに燃える

  うるわし五月の
  鳥みな歌えば
  愛しい人に
  思いを告げた

 どれもみな良い。最後のは、いまでも歌える。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

森が恋しい

2020-05-01 13:14:22 | 健康のために
 ぼくは檻の中の動物のようだ。格子越しに外の広い世界を見ながらうろうろ輪を描いて回っている。一日に一回、ザックを担いで林試の森に運動に行く。二日に一回ほど、武蔵小山のスーパーへ食材を買いに行く。あとは、時々たまらなくなって、住宅街を歩き回る。
 だから厳密にいえば家に蟄居しているわけではない。それでも、家が獣舎で林試の森がその前庭のような気がしている。前庭にいくらかの木が植えてある、水場もある、でもそれ自体がぼくの檻のなかだ。
 ぼくはテレワークしていない(そもそも仕事をしていない)。介護しなければならない家族も、育児しなければならない子供もいない。だから、そういう人たちに比べたら心理的・身体的負担は遥かに、全然と言っていいほど、軽いはずだ。
 それでもこの頃、気持ちが塞ぐ。けだるい。物憂い。意欲が湧かない。「ぼくの人生はこれで良かったのだろうか?」などと断片的に繰り返し考える。4月中旬に少し続けてブログの記事を書いたが、あれはあの時期、音楽に向かう気持ちになれなかったからでもある。
 まあ、音楽はアマチュアだから、その気になれなければそれで仕方がない、のではあるが、こんなに簡単に意欲を失うなんて、ぼくはすごく根性なしのアマチャンだろうか? たぶんそうだろう。でも…
 人は自然とのある程度の「濃厚接触」がなければ健康ではいられない。
 ここで「健康」とは、病気でない、というだけの意味ではない。体も心も健やかで安定した状態にある、という意味だ。
 これはすでに何回も書いていると思うが、人類が自然を離れて都会生活をするようになったのは、ごく最近だ。人類史のうちの99.9%かそれ以上は、自然の中で、あるいは自然との濃厚で豊かな接触の中で過ごしてきた。人類はまだ、自然と切り離されて生きることに慣れてはいない。自然と切り離されて生きることに耐性がない。
 人は、自然に囲まれる時間をある程度は持たなければ、くつろぐことができない。
 もちろんこれには個人差がある。一日に10分ていど近所の公園に行けばそれで済む、という人もいるかもしれない。ベランダの鉢植えに水をやるだけで、外に出なくても平気、という人もいるかもしれない。そんなもの何にもなくても平気、という人だっているかもしれない。
 でもその人たちはそういう生活に慣れてしまって、忘れているだけだ。ぼくは、なかなか慣れることができないタイプかも知れない。
 自然と切り離された生活を続けるうちに、ぼくたちの脳細胞はそうした事態を受け入れるように変化を始めているのだ。だから自然と切り離された生活でも、比較的苦痛を感じなくなってきている。自然なんかなくてもやっていける、とだんだん思うようになる。でも実は、気付かないうちに大きなストレスを受けている。その現れが、イライラや鬱やキレやすさや体の不調だ。
 これも前に書いたと思うが、現代社会の数々の問題、自殺やDVや虐待やいじめや若者の無軌道な行動や…のかなりの割合は(実証的な数字はぼくには出せないが)このストレスから起こっているとぼくは思っている。自分が気付かないストレスが、他者に転嫁される。
 政治家にはこうした意識がない。収入の減少の補償にどれくらいの金を出せば経済的ダメージを少なくしたままで外出を控えてもらえるか、という計算しかしない。

 ぼくは新緑の梢を見上げて、ため息をつきながらつぶやく(加藤登紀子さんと中島みゆきさん、ごめんなさい)。

 あゝ ぼくは昔むかしサルだったのかもしれないね
 こんなにもこんなにも森が恋しい
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする