すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

二度目の声変わり

2018-08-28 10:20:32 | 老いを生きる
 ぼくは、ここ1年ぐらいの間に、声が高音側にシフトしているかも知れない。低い声が出にくくなって、高い声が今までよりも出やすくなっている。
 一昨日、ほぼ半年ぶりに友人とカラオケに行った。カラオケでは、森進一とか五木ひろしとか、あるいはぼくの好きな霧島昇の「誰か故郷を思わざる」とか、藤山一郎の「影を慕いて」とか、ディック・ミネの「人生の並木路」とか、三橋美智也の「リンゴ村から」とか(ぼくも古いね)、声の高い歌手の歌はあらかじめ半音2つか3つ下げて設定してあるのが普通だが、そのまま歌うと低音部が出にくく、おそるおそる原調に上げた方が歌いやすい。
 あと、声が細くなった。
 先日、これもほぼ半年ぶりにヴォイス・トレーニングの先生のところに行ったのだが、「今の声なら、『人知れぬ涙』や『星も光りぬ』(いずれも、テノールのアリア)が歌えそうだね」と言われた。むろん、そんなものに挑むつもりはないのだが。
 一般には、歳をとると声が低くなる、と思われているようだが、あれは勘違いだと思う。高い方が出なくなる人もいるし、低い方が出なくなる人もいる。TVなどに出て来る歌手は高音を売り物にしている人が多いから、歳をとると高音が出なくなるように思われているが、たとえばフランク永井がずっと歌い続けていれば、低音が出にくくなったことだろう。
 これをまとめていえば、歌い手は歳を取ると自分の得意とする音域から失っていく。そして次第に、ごく普通の声に収斂されていく、ということだ。
 ぼくは、たぶん「ヴォルガの舟歌」や「オールマン・リヴァー」や「深い河」などは歌いにくくなっているだろう。そしてこれから先何年かすると、いま出易くなっている比較的高い音域が、再び出にくくなるだろう。
 歳を通るというのは厄介なものだ。
 でもまあ、当分の間、「誰か故郷を」と「影を」と「人生の」が歌えればいいか。
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スポーツ

2018-08-27 10:31:55 | 無いアタマを絞る
 アジア大会をやっている。同居する家族は、毎晩TVを見ている。新聞では大した扱いをしていないが、TVではキャスターや解説者が話を盛り上げている。はたで聴いていると、かなり大げさに盛り上げている感じ。
 偏屈老人は、あれを「やめようよ」というつもりはないが、スポーツは大きく2種類に分けることができる、と考えている。
 勝敗のあるスポーツと、ないスポーツ。
 大概のスポーツには、勝敗があると思うかもしれない。勝敗があるからこそ面白いし感動があるのだ、と思うかもしれない。まあ、見ている分にはそうかもしれない。
 勝敗のないスポーツというのはいっぱいある。
 登山は、まずそうだ。ジョギング。ウオーキング。サイクリング。シュノーケリング、ヨット、ハンググライダー。
 これらのスポーツはもちろん、競技として勝ち負けをつけて行おうとすればそれもできる。そうするのとしないのとでは、全く違う味わいのものになる。
 そういう意味では、親子や友人で、あるいは職場で昼休みなどに同僚と楽しむキャッチボールもそうだ。競技としてではなく型の習得として行われる場合の、太極拳、長拳、空手などの武道もそうだ。
 若い頃、アルジェリアで仕事をしていた時に、通訳の先輩にヨットの手ほどきを受けたことがある。彼はマルセイユでヨットを買って、地中海を渡ってアルジェリアに赴任していた。「日本に帰るときはホーン岬を回って帰りましょう」などと言っていた。
 その後、彼とは仲たがいしてしまって、ぼくのヨットはそれで終わりになってしまったが、あれは楽しいものだ。
競技として行う時には、風の向き、強さ、潮の流れなどの条件が、ヨットの性能とともに、すべて、勝つための要素として計算されなければならない。競技でなければ、風も波も気温も天候も太陽の位置や強さも陸の風景も、すべては今自分がそこにいて生きていることを楽しんでいる、一つ一つの味わいになる。
 上に挙げたすべての、勝ち負けのないスポーツについても同じだ。勝ち負けのないスポーツは、見て楽しむものではない。自分が体を動かさなければ始まらない。
 歳をとってもそれなりに。
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トーナメント、やめませんか?

2018-08-22 08:43:15 | 偏屈老人申す
 甲子園が終わった。ここ数日、新聞もTVも、マスコミはことごとく、金足農業ひいきだったように思う。身内が、「そりゃそうさ。大阪桐蔭が勝っても当たり前で話題性無いものな」と言っていた。
 金足の吉田君は甲子園に来てから881球投げたのだそうだ。驚異と賛嘆の目で声援を送りながら、いつ力尽きるのかハラハラしながら見ていた人も多いのではないか。
 と、ここまでは誰でも思うことを書いたが、ここから先は顰蹙を買うかもしれない。
 野球というのは、トーナメントになじまないスポーツだ。勝ったり負けたりするのが当たり前なのだ。プロ野球で独走を続けている広島の現在の成績は62勝42敗、勝率0.596だ。長いシーズンを戦って6割勝てばよいのだ。日本シリーズだって先に4勝すれば、3敗まではしても良いのだ。国際試合ならば、敗者復活戦というのがある。
 トーナメントだけが、すべて勝ち続けなければならない無茶な方式なのだ。目の前に来る試合をすべて勝たなければいけないから、どうしても最も確実に勝てそうな選手を毎回戦わせることになってしまう。その結果が881球なのだ。
 彼は完全に体力を回復できるのだろうか? そのように一人で投げぬいて、肩を壊したり肘を壊したりしてしまった選手は、過去にたくさんいるのではないか?
 トーナメントにこだわらない方法を考えた方が良い。リーグ戦形式にしたら、夏休みだけでは時間が足りないだろう。だったらいっそ、優勝というものにこだわらなければよい。
 ぼくは、甲子園は、高校スポーツの祭典であって、祭典には必ずしも優勝者は必要ないと思う。そこにこだわらなくても、精神も肉体も最高に高揚する祭典というものはできるはずだ。
 56校が参加して優勝を決めるのなら、55試合が行われる。これに対して、例えば、一回戦28試合のあとで勝った者同士、負けた者同士でもう一度くじを引いて対戦相手を決めれば、すべてのチームが2回ずつ戦うことができて、56試合になる。一回戦と二回戦の間には、56校全ての校歌斉唱とブラスバンドの演奏ないし応援のパフォーマンスをする日を設ける。すべてのチームが、自分たちの校歌を甲子園で歌うことができる。閉会式は、オリンピックで行われるように、チームの垣根なしで自由参加でやる。
 甲子園は参加することに意義がある、という意識が定着すればよいのだ。
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七夕

2018-08-17 22:26:29 | 自然・季節
 今日は旧暦の七夕だ。数年前まではほとんどそんなこと話題にならなかったと思うのだが、今日は新聞でもTVの天気予報のコーナーでも取り上げていた。あまりに猛暑が続いたので、少しは天候や気象に関することに人々の関心が向くのだろうか。それは良いことだ。
 前に書いたかもしれないが、七夕は、旧暦で考えるべきだ。春の七草と桃の節句も。
 新暦の7月7日は、今年は異常に速く梅雨が明けてしまったものの、例年は梅雨の真っ最中だ。雨が降って星など見えないことがほとんどだ。織姫と彦星も出会えやしない。旧暦なら、大体今ぐらいの時期になるから、空は晴れていることが多い。天の川もこの時期なら、宵の8時か9時ごろには空の高くに位置している(7月7日だと、まだ東の空に低い)。
 目が悪くなって星が見えにくくなったせいもあり、星空の観察をしに山に出かける、という習慣をいつの間にか失くしてしまったが、目黒でも、ぼくの衰えた視力でも、こと座のベガ(織姫)とわし座のアルタイル(彦星)と白鳥座のデネブの形作る夏の大三角形ぐらいは見ることができる。
 ついでに書くと、今年の旧暦の七草は2月22日、桃の節句は4月18日だ。新暦では1月7日はまだセリやナズナなんて生えてないし、3月3日に桃の花なんか咲いていない。
 ぼくは毎年、年末になると本屋さんに並ぶ「神宮館暦」というのを一冊買う。易や占いに興味はないのだが、あの本には旧暦の日付と、月の満ち欠けと、東京湾で満潮・干潮の時刻が載っている。
 月の満ち欠けは、星空の観察に重要なのだ。満月では星は見えにくいし、宵のうちに出ている上弦の月よりも、夜中になってから出る下弦の月の方が、宵の星空は見やすいのだ。
 これも最近全然しなくなってしまったが、たとえば三浦半島辺りで磯の生き物を観察しようと思ったら、潮の満ち干の時間を知っておくことは必須だ。
 というわけで、そういうことを今はやらなくなってしまったのに、今でも習慣で一冊買う。たとえば、各地の有名な行事も書いてあるから、昨日は大文字焼きだったなとか、富士吉田の火祭りは26日だな、とか、手元にあると楽しいのだ。
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残暑御見舞い

2018-08-16 14:17:55 | 近況報告
…灼けつく地表から逃れようと
数知れぬカタツムリが
枯れかけた草に這い上がる頃
                    
すでに人影の絶えた丘陵を
砂まじりの熱風が寄せて来る           
天と地の間のすべてのものを          
押し包み窒息させるために
                     
ふたたび雨が降りそそぐまでの       
いつ果てるとも知れぬ長い時の間                        
     私の詩華集30 樋口悟「待つ」
残暑お見舞い申し上げます
 この2月23日をもって20年とちょっと勤めたデュモンをやめて、それからほぼ半年がたちました。いまだに夜型から朝型にシフトしている途中でやや不規則な生活ですが、体はずっと楽になりました。
 今は、読書をしたり山登りに出かけたり、フラットマンドリンを爪弾いて聞く人のいない歌を口遊んだりして過ごしています。残りの人生を味わう、っていうところまではまだ行かないけれど。   
7月の初めに八ヶ岳の阿弥陀岳に登り、末には霧ヶ峰に2泊3日で高原を歩き回りに行きました。たいへん快い時間でした。
 ブログ「ぼくが地上を離れる前に」、さぼりながらですがupしています。Facebookでも見られます。
 まだまだ厳しい暑さの日々のようですが、健康に気を付けて何とか乗り切りましょう。
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山の日

2018-08-14 22:07:39 | 山歩き
 「山の日」は、夏休み中で土曜日だったせいもあるのか、何ということもなく過ぎた。大きなイベントがあるわけでもキャンペーンがあるわけでもなく、いまのところ、最も冴えない祝日と言わざるを得ない。
 せっかくそういう日ができたのだから、この際言っておきたい。
 ぼくは長い間、地球人類はぼくがいなくなった後のそう遠からぬ時期に滅んでしまうことだろうと思ってきた。最近、少し考えなおし始めた。

 もし、人類が滅びない可能性があるとしたら、希望は山登りにあるかな、と思う。
 政治には希望が持てない。政治は経済の力に服従し、その追認をするだけだから、政治を変えることによって社会を変えることはできない。そして経済の力は、個々の人間の力に比べて圧倒的だ。
 しかし、資本主義に唯一弱点があるとしたら、消費者がある商品を選択しなければ、その商品を製造し販売する企業は利潤を上げることができない、ということだろう。資本は、消費者の感性に依存する。だからこそ企業は、消費者の関心と欲望が常に一層自分たちの商品の上にあるように、広告によって意識を操作しつづける。
 視点を変えれば、現代社会を変えるカギは、そして結果として人類の滅亡を食い止める可能性のカギは、唯一わたしたち消費者の感性の変化にある、はずだ。

 山登りをすれば感性は変わりうる。仕事や家庭にうんざりして山に行ってみるにしても、彼女や彼氏が行くからつられて行ってみるにしても、なんだかウェアがファッショナブルそうだから行ってみるにしても、一度行ってみると良い。そのうちの何割かは、こんなくたびれることもういいや、と思うかもしれないし、何割かは、二度と行かない、と思うかもしれない。   
 でもきっと何割かは、また行ってみたい、と思うだろう。
 何回か行くうちに、感性は変わる。
 もちろん、それがそのまま社会の変化に結びつく、なんてぼくが思っているわけではない。
でも、その人が何を快適と思うか、快適でないと思うか、人とのかかわり方のなにを居心地が良いと思うか、良くないと思うか、は、きっと、初めは見えないところで、変化する。
 そしてそれは、休日の過ごし方、平日の過ごし方、食べ物、着るもの、などの選択につながっていく可能性がある。
 自然は大切だ、と思うようになれば、再生エネルギーに価値を見つけるようになるかもしれない。

 小さな子供を見守りながら山登りする若い夫婦を見ると心が和む。若者たちのグループに山道で出会って元気なあいさつをされるとうれしくなる。彼らが山でどんどん親密になって、結婚して子供たちを山に連れてくると良い。 彼らは、高度成長を支えた団塊の世代とも、その繁栄の中で育った新人類や団塊ジュニアの世代とも違った、自然と親和的なみずみずしい感性を持った、新しい世代の中核になる可能性がある。 
 ぼくたち年老いた登山者は、彼等とどんどん話をすると良い。ついでに良い気分とエネルギーをお裾分けしてもらえるし。

 ぼくにしてはひどく楽天的な話だが、こんな楽天的なことを考えるのも、仕事をやめてからずっと頻繁になった山登りの影響かもしれないし。
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今日という日は

2018-08-13 21:24:15 | 無いアタマを絞る
 この夏は、本当に本が読めない。これまでは、仕事に行っていたころでさえ、新しい本と再読を合わせて1ヶ月に12~3冊ぐらいは読めていたのに、ここのところ、3冊ぐらいしか読めていない。異常事態だと思う。心のもっとも豊かな必須栄養素のひとつを採っていないことになるのだから。
 猛暑のせいもある。楽器の練習を優先しているせいもある。ブログに長い文が書けなくなっていることもそうだが、体力の余力がなくなってきたということが大きいのかもしれない。ふだんの運動量も落ちた。1日平均の歩数が、3年前には12000歩を超えていたのに、今年は8500まで届いていない。このまま後退を続けるのだろうか、それとも秋になれば、楽器の練習にひと区切りがつけば、回復するだろうか?
 いずれにしても、残りの人生で読める本は、聴ける音楽は、会える友は、登れる山は、もうそう多くはない。
 ぼくの机の前には、どこで見つけた言葉なのか覚えていないが、マジックで書いた標語が張り付けてある。
 「今日はあなたに残された人生の最初の一日」
 一日一日を肝に銘じて大切に生きようと思って張り付けた言葉なのだが…
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七十プラス一

2018-08-07 21:30:27 | 無いアタマを絞る
 誕生日のコメントをくださった皆さん、ありがとうございます。

 お祝いの言葉をいただいていて、以下のようなことを書くのは大変失礼で、へそ曲がりかもしれないのですが…
ぼくは人の誕生日を覚えるのがとても苦手なのです。一緒に暮らしている家族の誕生日さえ、時々分からなくなるくらい。
 だから、大変申し訳ないのですが、ぼくの方からお誕生日のコメントをお返しすることはないのではないかと思います。あしからず。

 なぜ、覚えられない、あるいは覚える気がない、のか?
 誕生日というものを祝うという感覚が欠けているからなのだと思います。
 誕生を祝うという感覚も。
 別に、自分がこの世に誕生したことを疎ましく思っているとかいうわけではありません。
 同時に、ことさら喜ばしいことだとも思っていません。

 さらっと受け入れるだけ。
 そして、できるだけさらっと生きたい。

 でもまあ、今日で71です。まあ、よくここまで生きてきたものだ。
 節目という意味では去年70の節目だったわけだけれども、この春で仕事をやめたせいか、今年の方がどちらかというと節目感は強いです。
 第一回目の、という感じか。

 さて、若い頃愛読したアイルランドの詩人ウィリアム・バトラー・イエーツの詩の中から、いまの自分にぴったりの詩をひとつ。

   七十歳(ななそじ)
       (日本の詩調に真似て)

さても、世に魂消(たまげ)たることかな、
七十歳までこの俺(われ)、生き永らへんとは。

 (めでたさや、春の花々、
 春ここにめぐり来しよな。)

七十歳までこの俺の生きにけり、
襤褸(らんる)まとう乞食ともならで。
七十歳までこの俺は生きにけり、
大人、童(わらべ)の七十歳を経しこの俺、
悦びに踊りしこと、ゆめ、あり申さずよ。
    (尾島庄太郎訳)
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霧ヶ峰(2)

2018-08-06 20:43:20 | 山歩き
 ヒュッテについてお風呂を浴びてから夕方の散歩に出かけた。
 沢渡から喋々深山に向かう、ほとんど人の知らないと思われる(今まで一度もこの道で人に会ったことがない)なだらかな草の丘の道をゆっくり登っていたらふと、「幸福だなあ」と思った。それからすぐ思い直した。幸福というのとは違う。もっと単純な、大きな喜びに、あるいは快楽に近いものだ。
 ぼくは、どちらを向いてもあたりいちめんなだらかな緑の起伏の続く、しかし人っ子ひとり見えない、つまり空に浮かぶ白い雲と草地の間にぼく一人しかいない道を登りながら、喜びがこみ上げるのを感じていたのだ。
 歩くための筋肉以外は体のどこにも力が入っていなくて、気持ちもすっかりくつろいで、肌には高原を渡る微風を感じて、草の間に咲く桃色のハクサンフウロや紅色のエゾカワラナデシコや黄色のコウゾリナや灰色のウスユキソウや白いヨツバヒヨドリを次々に認めながら、アサギマダラの青い透明な羽根を目で追いながら、胸には若い頃読んだ詩の断片などが浮かんでは消えて、ぼくはうれしくてうれしくてワクワクしていたのだ。

 人はある時、自分が今「幸福」だと感じることがある。でも、幸福というのは、その状態に自分を在らしめている諸条件の積み重なりの方を言うのであって、その瞬間に感じているもの自体は、喜びなのだ。
 気持ちの負担だった仕事をやめたこと。夏の数日を涼しい場所でのんびりと過ごすことくらいはできるということ。そうやって歩き回るくらいの体力はまだ残っていること。野の花や草や雲や風を愛する心を若い頃も今も、失くしてはいないこと。どうやら、それをこれからも失くさずにいられるらしいこと。ぼくが地上を離れる前に、これからも繰り返しここに来るだろうということ。
 これまでの人生の大部分を、試行錯誤や迷いや過ちの中で過ごしてしまった、ということ。10歳のぼくからもう一度やり直すことができたら、と何度も思った、ということ。にもかかわらず今は、まあ、これでいいか、と思える、ということ。
 一緒に暮らしている家族のことや、話をしたり山登りをしたりする友人たちのことや、読む本や聴く音楽などのこと。
 そうしたすべてをいわばぼくの現在の地(じ)の部分として、ぼくは喜びを感じながらひとり草の丘を歩く。
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霧ヶ峰

2018-08-02 08:57:02 | 山歩き
 学生の頃(と言っても、大学には一か月しか行かなかったが)、霧ヶ峰の中腹にあるゴルフ場でふた夏、住み込みのキャディのアルバイトをした。キャディは地元の農家の人の通いがほとんどで寝具がない、というので、東京からチッキで布団袋を運んでの住み込みだった。
 そこを紹介してくれた、そしてふた夏一緒に働いた、高校時代の級友とは、今でも夏に一緒に山登りに行く。その時やはり住み込みでいた学生とは、後年パリで再会した。ぼくはその最初の年のアルバイト代で、堀辰雄全集を買った。
 一時文学から全く関心が離れてしまった時期があって、その全集は引っ越しの際に手放してしまったが、霧ヶ峰はいわば、ぼくの青春の一頁だ。
 二十代後半から四十代前半まで、山登りに夢中になった時期に、霧ヶ峰には一度も行かなかった。ぼくの意識の中ではあれは山という範疇に入っていなかったのだ。
 だから霧ヶ峰に行くようになったのは近年だ。一昨年からは三年連続で行っている。
 ぼくも厳しい登山よりは高原散策の方を好むような歳になったのかもしれない。
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