ぼくは、ここ1年ぐらいの間に、声が高音側にシフトしているかも知れない。低い声が出にくくなって、高い声が今までよりも出やすくなっている。
一昨日、ほぼ半年ぶりに友人とカラオケに行った。カラオケでは、森進一とか五木ひろしとか、あるいはぼくの好きな霧島昇の「誰か故郷を思わざる」とか、藤山一郎の「影を慕いて」とか、ディック・ミネの「人生の並木路」とか、三橋美智也の「リンゴ村から」とか(ぼくも古いね)、声の高い歌手の歌はあらかじめ半音2つか3つ下げて設定してあるのが普通だが、そのまま歌うと低音部が出にくく、おそるおそる原調に上げた方が歌いやすい。
あと、声が細くなった。
先日、これもほぼ半年ぶりにヴォイス・トレーニングの先生のところに行ったのだが、「今の声なら、『人知れぬ涙』や『星も光りぬ』(いずれも、テノールのアリア)が歌えそうだね」と言われた。むろん、そんなものに挑むつもりはないのだが。
一般には、歳をとると声が低くなる、と思われているようだが、あれは勘違いだと思う。高い方が出なくなる人もいるし、低い方が出なくなる人もいる。TVなどに出て来る歌手は高音を売り物にしている人が多いから、歳をとると高音が出なくなるように思われているが、たとえばフランク永井がずっと歌い続けていれば、低音が出にくくなったことだろう。
これをまとめていえば、歌い手は歳を取ると自分の得意とする音域から失っていく。そして次第に、ごく普通の声に収斂されていく、ということだ。
ぼくは、たぶん「ヴォルガの舟歌」や「オールマン・リヴァー」や「深い河」などは歌いにくくなっているだろう。そしてこれから先何年かすると、いま出易くなっている比較的高い音域が、再び出にくくなるだろう。
歳を通るというのは厄介なものだ。
でもまあ、当分の間、「誰か故郷を」と「影を」と「人生の」が歌えればいいか。
一昨日、ほぼ半年ぶりに友人とカラオケに行った。カラオケでは、森進一とか五木ひろしとか、あるいはぼくの好きな霧島昇の「誰か故郷を思わざる」とか、藤山一郎の「影を慕いて」とか、ディック・ミネの「人生の並木路」とか、三橋美智也の「リンゴ村から」とか(ぼくも古いね)、声の高い歌手の歌はあらかじめ半音2つか3つ下げて設定してあるのが普通だが、そのまま歌うと低音部が出にくく、おそるおそる原調に上げた方が歌いやすい。
あと、声が細くなった。
先日、これもほぼ半年ぶりにヴォイス・トレーニングの先生のところに行ったのだが、「今の声なら、『人知れぬ涙』や『星も光りぬ』(いずれも、テノールのアリア)が歌えそうだね」と言われた。むろん、そんなものに挑むつもりはないのだが。
一般には、歳をとると声が低くなる、と思われているようだが、あれは勘違いだと思う。高い方が出なくなる人もいるし、低い方が出なくなる人もいる。TVなどに出て来る歌手は高音を売り物にしている人が多いから、歳をとると高音が出なくなるように思われているが、たとえばフランク永井がずっと歌い続けていれば、低音が出にくくなったことだろう。
これをまとめていえば、歌い手は歳を取ると自分の得意とする音域から失っていく。そして次第に、ごく普通の声に収斂されていく、ということだ。
ぼくは、たぶん「ヴォルガの舟歌」や「オールマン・リヴァー」や「深い河」などは歌いにくくなっているだろう。そしてこれから先何年かすると、いま出易くなっている比較的高い音域が、再び出にくくなるだろう。
歳を通るというのは厄介なものだ。
でもまあ、当分の間、「誰か故郷を」と「影を」と「人生の」が歌えればいいか。