すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

「小さな草の種子(たね)」

2021-03-12 14:04:39 | 古いノートから

 下に載せた長詩(のようなもの)は、40年と少し前、「東京詩学の会」に参加していた時に合評会に出したものです。昨日、ゲーテとかヘッセとかハイネとか若い頃に読んだものをおもいつくままに拾い読みしていて、ふと思い出しました。
 合評会では袋叩き…じゃなく、コテンパンに批判されました。「社会のとらえ方が類型的すぎる」とか、「これは詩ではなくてアジテーションに過ぎない」とか、「ロマンチックな夢想に過ぎない。そういうことが言いたかったらまずそのように生きて見せろ」とか。
 それはまさしくすべてその通りであって、現在ならさらに、「妄想が現実化したらどうなるか考えたことがあるのか」とか、「お前の男と女の区別の認識みたいなものは旧弊に過ぎる」とかいう批判が加わるでしょう。
 にもかかわらず、自分としては懐かしかったので載せてみます。若気の至り、と思ってください。

  小さな草の種子

ぼくは時々夢見ていた
この世界に
爆弾を仕掛けることを
通勤電車から見る整った街並や
書類を積み上げた大きな窓や
土曜日毎にパントマイムの演じられる
陽当りのよい清潔なアパートが
ある朝こなごなに崩れ落ちることを

きみは時々夢見ていた
この世界をはぐくみなおすことを
男たちによって厚く塗り固められ
いまやひとりでに膨れ続ける世界を
おなかのいちばん奥のあたたかな闇にもどして
きみの体にあった大きさに
もういちど懐胎しなおすことを

ぼくは本当は気がついていた
ぼくの爆弾はいつまでも
不発のまゝだってことを
きみは本当は気がついていた
きみの胎児はいつも
生まれないまま消えてしまうことを
それがどんな世界でありうるのかも
わからないうちに

男たちは毎日 知らず知らずのうちに
自分たちを閉じ込める世界の壁を
さらに厚くしようと腐心し続けている
女たちは毎日 知らず知らずのうちに
男たちが勝手に作り上げた舞台の上から
ひとかけらの安逸と
消費しなければならないたくさんの時間とを
掠め取ろうと腐心し続けている

そうしてこの世界の迷路は
ますます膨れ入り組んでいく
無数に分散された欲望のネジを
次々に巻き上げられる人形たちによって
より速く疾走するためのターボエンジンや
次々に取り換えられるポスターの尖った乳房や
よりたくましい胸のより深い陶酔
抑揚を無くした仮面劇の会話に
宙吊りの快楽の幻影を追いながら
いつまでも人形たちは踊り続けることができる

この世界はいちど
つる草のからむ森に戻らねばならない

☆ ☆ ☆

しかしぼくはもう
いつまでも炸裂しない爆弾をかかえているのは止そう

ぼくは時々
女たちを憎んできた 女たちだけが
生き物の誕生と死と再生の秘密を
本当に知ることができるのだと思って
しかし男にだって
それは可能なのに違いない
自分の体の中を流れる海の記憶や
光に向かって身を伸ばす花や虫の記憶を
甦らせることが
そしてそれを空や大地に
解き放つことができさえすれば

この世界はいつかは
自然に崩れ落ちるだろう
夜明けの最初の光が
どんなに雲を輝かせるかを
人々が知った時に
新しい世界はいつかは
自然に目覚めるだろう
雨上がりの樹々の間からこぼれる雫が
どんなに神聖な笑い声を立てるかを
人々が知った時に

この世界がぼくの頭の中だけでは
こわれないように
新しい世界はきみのおなかの中だけでは
生まれてこない
だがぼくはきみと一緒に
ささやかな試みをすることができる
この老いた世界のどこか片隅の
さわやかな風の吹き抜ける場所で
小さな草の種子を育てることができる
たとえばそこでは
羊の毛を染める染料の匂いと
薪にする木の皮の新しい匂いが
ブナの梢を揺する風の音に混じり合うだろう

ぼくたちはその種子を
わけてあげる仲間をさがそう
そして人々に伝えよう
ぼくたちのまわりの
空の輝きのことを
澄み切った水の無限の変化のことを

ぼくはきみに告げることができる
ぼくたちの種子は
つる草になってこの世界を森にもどすだろうと
新しい世界は
風や火や水や大地や
潮の満ち引きや季節の移りかわりと
同じリズムでめぐるだろうと

そしてきみはぼくが口を開くまえに
そのことをもうとっくに知っている

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