すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

解放感

2020-11-30 20:36:38 | つぶやき

えっ これがぼく?
この醜悪な刺々しい骸骨と
奇病に曲げられた根っこのような血管 これがぼく?
信じられない…
ぼくが死んだら これはしばらく残って
これはたちまち腐るのか
(もっとも 石油をかけられて焼かれてしまえば
腐るなんてこともないのだが)
それにしてもこんなややこしいもの
しかもこれが無数の細胞とやらでできていて
さらにそれが原子とやらでできていて
さらにそれが…
こんなややこしいもの 神様が作るわけがないよな
神は全能なんだから
泥を捏ねて息を吹きかけさえすればいいのだから
いくらでもシンプルで美しいものが作れたはずだ
こんな奇怪なもの作る必要は全くない
だからこれは 神の不在の証拠だ
(もっとも 「造物主というのは 腕の良し悪しはともかく
云わば職人みたいなもので 
最高神は別に存在する」 という主張のほうに
ぼくはよりシンパシーを感じるけどな)

神が存在しないとなったら
人間は二千年来の
いや 何千年来の
権威やら統制やら弾圧やら洗脳やら殺戮やらの
宗教という軛から解放されるわけだ
そういう意味では このおぞましい写真は
自由への手がかりでもあるのだな

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ひと月ぶりのハイキング

2020-11-29 12:11:22 | 山歩き

 昨日、南高尾山稜を歩いてきた。
 高尾駅始発の中央線の乗客の9割は登山客だった。陣馬山方面はすごい人出に違いない。ぼくは相模湖で下りてバスで大垂水峠に。バスを降りたのは5組ほど。南高尾は、高尾山や陣馬山がごった返している時でも、静かな山歩きができる。
 紅葉はほとんど終わっているが、冬枯れの林には陽光が入って明るく暖かい。低山歩きには一番良い季節の始まりだ。すぐに汗をかくが、モンベルで買ったばかりの下着が比較的速く乾くので具合が良い。一か月ほど前に汗を冷やして風邪をひいたので、対策として試しに買ったものだ。近いうちに買い足しに行こう。
 若い人たちに抜かれてゆくが、一か月ぶりとしては快調だ。むしろ、飛ばしすぎないように用心しながら歩く。巻き道を取らずにピークを踏んで歩いて、見晴らし台まで1h20。まだ早いのでここはコーヒーと豆大福でゆっくり丹沢山系と津久井湖の展望を楽しむ。いつもお昼を食べる“秘密の”休憩所にもよらず、小声で歌を歌いながら進む。前の日に家族と言い合いをしたのだが、そんなことxx喰らえ、だ。
 ほぼ中間点の三沢峠の少し手前でお昼。このコースは、地元の山好きの人たちのボランティア活動のおかげだろう、あちこちにベンチがあるのもありがたい。こんなに休憩場所のある山は少ないのではないか。
 右側に今度は城山湖が見えてくる。展望もこのコースのごちそうだ。草戸山で城山湖と別れて、ここからの下りがこのコースのしんどいところだ。小さな、ピークとも言えないような瘤の上り下りがいくつあることか。本当に道は下っているのか、それとも登っているのか? と毎度疑いたくなるのだが、それでも左手にふもとの気配が近づいてきて、「四辻」。
 いつもはここから左に約15分で高尾山口駅に降りるのだが、今回はまっすぐ進んで高尾駅に出ることにする。四辻からひとつ登り返すと、目の前がぱっと開けて、まあたぶん、本日一番の展望。真東に開けているので、八王子や相模原あたり、もっと奥は東京や横浜方面だろうか。あのあたりを今コロナの瘴気が覆っているとは信じられないような明るい空の下に密集する建築群。手前、すぐ足元に見えるのはちいさな人家と墓地の連なりだが、人間はなんとちっぽけなものか、ちっぽけなんだからなおさら、くよくよ生きるのはもったいないな、と、改めて思う。風が気持ち良い。
 高尾駅で一言堂のコーヒーを飲んで、電車で眠ってまた風邪をひくのは嫌だから、堀田善衛の「方丈記私記」を読みながら帰った。
 今年は外出自粛で失った春の野草と新緑と高山植物と、風邪や検査で失った紅葉とを、これから陽だまりハイクで取り戻さなきゃな。

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石炭袋

2020-11-26 21:23:51 | つぶやき

暗い空間に
波が立ち 崩れ 重なり 整列してゆく
ここはどこの宇宙だろう?

横たわる白い やや乱れた帯は
天の川だろうか?
その中の黒い塊りは
カンパネルラが「石炭袋だよ。そらの穴だよ」
と言ったものだろうか?
ジョバンニと同じく ぼくも戦慄する

  その石炭袋が時に千切れて運ばれ 詰まり あふれると
  宇宙は痙攣して 暗黒の終焉を迎えるのだ

黒い塊の隣に
光が生まれ 輝きを増し ついで色彩が現れる
赤や黄や青が 膨張し 収縮し 炸裂し 干渉し
紫から赤外へ 遷移してゆく

ぼくは息を呑んで見つめる
ぼくの宇宙で
星が 生まれては死んでゆくのを

・・・最近いく度も 頭や首を輪切りにされている。見えないメスやカッターが騒音とともに、縦に横に脳や血管をスライスしてゆく。それが何の影響もないものかどうか分からない。高エネルギーのX線や磁力線が通過して脳細胞を発熱させないのだろうか? 検査台から下りると、頭の中をもみくちゃにされたような疲労を感じる。「気のせいだよ」と言われたが、ここのところ幾夜も立て続けに悪夢を見るのはその影響ではないのだろうか?(もうそれを記述する気になれないが。)
 でも、CTやMRIはともかく、頸動脈の超音波だけは、受けたくはないが少なくとも、美しくないことはない。右側は壁を向かされるから駄目だが、左側は医師の横顔の隣に画面を見ることができる。生命の、いや、宇宙の神秘を見ているようだ。感動的ですらある。

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「幻の家」

2020-11-25 13:22:39 | 

   幻の家
                   清岡卓行
 夢の中でだけ ときたま思い出す
 二十年も前に建てた小さく明るい家。
 戦争のあとの焼野原の雑草の片隅に
 建ててそのまま忘れた ささやかな幸福。

 いや そんなものは現実にはなかった。
 途方もなく愚かな若者が そのころ
 妊娠している幼い妻と二人で住むために
 どんなに独立の巣に焦がれていたとしても。

 そんな架空の住居が どうして今さら
 自宅に眠るぼくの胸をときめかせるのだろう
 貧しい青春への郷愁を掻き立てるように?

 夢の中でその家は いつまでも畳が青く
 垣根には燕 庭には連翹の花
 ああ 誰からも気づかれずに立っている。 

 先日アンソロジーを買ったもう一人の詩人、清岡卓行の詩。これは数年前に同じ古本屋で見つけた旺文社の参考書「現代詩の解釈と鑑賞辞典」にも載っていた。
 何の説明も加えないほうがいいと思うが、よく見る夢に関することなので少しだけ書いてみたい。
 彼はかつて住んだ懐かしい家を夢の中で思い出している…のかとおもったら、そうではない。現実には存在しなかった家なのだ。
 その「鑑賞辞典」をランダムに拾い読みしていて、この清岡卓行の詩に出会った時には衝撃を受けた。「ぼくと同じに、住んだことのない家の夢を見る人がいた!」 
 ぼくも、実際には住んだことのない家の夢を、自分のかつて住んだ家として、あるいは今(夢の中で)住んでいる家として、見ることがしばしばある(この詩と関係ないので、詳しくは書かない)。
 だが、あとで気が付いた。ぼくの夢と清岡卓行の夢は似ているようでいて中身が全然違う。
 清岡は、詩人としてよりも小説家としてのほうが知名度は高いだろう。「アカシヤの大連」という、芥川賞受賞作品をご存じの方は多いかもしれない。彼は昭和22年に結婚し、43年に妻を亡くし、45年に「アカシヤの大連」と、この詩を含む詩集「ひとつの愛」を出版している。妻との愛は、彼の作品の大きなテーマだ。
 彼の夢には、若く困難はあったが妻との幸福な思い出と、その妻を亡くした喪失感が、というより、妻を亡くした喪失感と、にもかかわらず幸福な思い出とが、ともに現れている。夢の中の家は幻だが、築いた家庭は現実なのだ。彼の「貧しい青春への郷愁」には中身がある。だから「畳は青く」、「垣根には燕」が飛んで、「庭には連翹」が黄色く咲いている。その夢の中には具体がある。そしてその家が「誰からも気づかれずに」立っているのは、それが彼と妻との二人だけが分かち合った生活だからだ。
 ぼくの夢の中の家は一体なんだろう? 
 それは、この詩とは別に書いたほうが良さそうだ。

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「はくちょう」

2020-11-21 22:22:03 | 

   はくちょう
                  川崎 洋
はねが ぬれるよ はくちょう
みつめれば 
くだかれそうになりながら
かすかに はねのおとが

ゆめにぬれるよ はくちょう
たれのゆめに みられている?

そして みちてきては したたりおち
そのかげ が はねにさしこむように 
さまざま はなしかけてくる ほし

かげは あおいそらに うつると
しろい いろになる?

うまれたときから ひみつをしっている
はくちょう は やがて
ひかり の もようのなかに
におう あさひの そむ なかに
そらへ

すでに かたち が あたえられ
それは 
はじらい のために しろい はくちょう
もうすこしで 
しきさい に なってしまいそうで

はくちょうよ

 …小山台高校のグランド横の古本屋に、中央公論社の「現代の詩人」シリーズのうちの数冊が一冊200円で出ていた。1958年から59年ごろに刊行された12人の詩人のアンソロジーだ。本文の下に小さな緑色の字で詩集と代表的な詩の解説がついている。緑のほうが黒よりも早く褪せるらしく、色が薄くなって読みにくい。
 何冊かはすでに持っているので、川崎洋と清岡卓行のだけ買った。清岡の詩はこれまでほとんど読んでいない。川崎は若い頃から愛読してきた詩人だが、ぼくでも理解できる解りやすい詩が多いので、解説付きの詩集を買うことは考えなかったのだ。
 ぼくの大好きな詩を、とりあえずひとつだけ紹介してみる。「はくちょう」という作品だ。戦後に書かれた詩で、もっとも優しく美しいものではないだろうか(「いやいや、もっと優しく美しいのがあるよ」と思う方がいたら、教えてほしい)。
 これは「優しい」詩だが、かならずしも「易し」くはない。論理的に意味を考えようとすると、よくわからないところはある。でもこれは、意味を追わなくてもよいのではないだろうか。一度読んだだけで、美しさと優しさが心にしみる。
 この詩を歌いたくて、知り合いの現代音楽の作曲家に依頼してみたことがある。現代音楽らしい、スケールの大きな、だがぼくには難しい曲になってしまった。
 そのことを知り合いのシンガー・ソングライターに話したら、しばらくして彼が「書いてみましたから、良かったら歌ってください」と言って楽譜をくれた。彼の性格の良く出た、メルヘン的な曲だったが、ぼくがこの詩に持っていたイメージとは違った。
 ふたりの曲が優れていなかったわけではない。考えてみれば、ぼくは具体的な明確なイメージを持っていたわけではないので、おそらくどんな曲でも同じことを思っただろう。ふたりには済まないことをした。
 結局ぼくは「はくちょう」を、詩としてだけ愛することにした。一人でいる時に、そっと暗唱してみる。人に聞かせるものではない。ぼくだけの「はくちょう」だ。
 でも昨日、家に帰ってさっそくこの詩の載っているページを開いて、ふと思った。
 ぼくがかつてあんなにこの詩が好きだったのは、ひょっとしたら、青春のナルシズムが紛れ込んでいたのではないか? それに、現実世界の生きにくさの思いが、現実を越えた世界への憧れをこの詩に重ねていたのではないか?
 だからと言って、この詩の美しさが少しも失われたわけではない。むしろ、老いを生きている今、ナルシズムや現実逃避的な願望が消えたあと、そっと声を出してみれば、このひらがなの言葉の響きはいっそう心にしみる。

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舞岡・リハビリ

2020-11-19 19:54:42 | 近況報告

 舞岡八幡の裏から尾根の遊歩道に上がるほんの数分だけですでに息切れがした。林試の森を別にすれば、ほぼ3週間ぶりの散策だ。中央沿線の山に行こうかと迷ったのだが、舞岡にしておいてよかった。体がすっかりなまっている。ここは尾根に出てしまえば、ほぼ平らだ。ゆっくりと、再び山道を歩けることの嬉しさをかみしめながら歩く。大げさなようだが、もう10年もすればたびたびこんな感じになるのかもしれない。
 1時間足らずで、気持ちの良い開けた草地、「中丸の丘」につく。ここでお昼ご飯、と思っていたのだが、テーブルのあるベンチは先客がいるし、まだ10時なので、もう少し歩くことにする。下ったところは、舞岡谷戸の入り口に近い、懐かしいぼくらの昔の田んぼの跡だ。(前に何度か書いているので、ここは省略。19/04/10,20/05/27)


 左側が田んぼになった緩い上り道を進み、谷戸の一番奥まで行き、別の道を通って池まで下る。左手の急斜面は昔、雪の降った翌朝に何度か、子供たちを誘って遊びに来て、段ボールをソリ代わりに夢中で滑った。ここも懐かしい思い出の場所だが、うっそうとした茂みに戻って、今は立ち入り禁止になっている。
 

同じ道を登り返し、見事な紅葉のモミジの広場を通って「ばらの丸の丘」に。ここは昔…


 …感傷にふけるのはやめよう(懐かしい場所に来るとつい、三好達治の詩「艸千里濱」の一節を思い出してしまう)。ここのテーブルで崎陽軒の「横浜チャーハン」を食べ、電話で友達を戸塚駅に呼び出すことにする。
 子供たちが「おべんとうの木」と名付けたミズキの大木の横を通り帰りかけたら、向こうから大きな声で歌を歌いながら来るおじさんに出会った。「いい声ですねえ」と声を掛けたら、話が弾んだ。86歳。横浜市のカラオケ大会で3位入賞したのだそうだ。ちなみに1位と2位は音大出の若い女性とのこと。家で歌うとうるさがられるからここに来るのらしい。「ここは富士山も見えるんだよ」という話から、「富士山見たら」を一緒に歌った。(「ちょっとメロディーが違うんじゃないか?」と思ったが、家に帰って楽譜を見たら違っていたのはぼくの方だった。)
 通りがかりの二人連れのご婦人が「いい声ですねえ」と立ち止まったので、すっかりうれしくなったらしく「サンタルチア」を歌い始めたおじさんをお任せしてぼくは帰った。
 戸塚のカフェで友人と話すこと2時間半、地球温暖化やエネルギー問題や貧困や疫病やアメリカや日本の政治や…議論しまくって満足した。「人間が苦手」などとふだん書いているが、ぼくはこの3週間、話すことに飢えていたのだな。
 良いリハビリの一日だった。体も心もすぐに元気に戻るだろう。

「お弁当の木」:子供たちはこの上に腰かけてお弁当を食べるのが好きだった。35年前はもう少し小さかったが、今は登るのが大変かもしれない。

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白い小さな光の円

2020-11-14 16:50:30 | 夢の記

 夕方の広いグラウンドのようなところで、少し離れた誰かに向かって[誰だかは不明]にボールを投げた。
 …はずなのだが、そこは山の尾根の上で、受け手はいなくて、夕ぐれが迫る中、ボールは高い弧を描いて緩い斜面に向かって落ちていって、大きくバウンドして、何バウンド目かで白く光る小さな円になって、周りに[太陽の]コロナのような輝きを放ちながら、支尾根をいくつも越えて何度も何度もバウンドを繰り返し、右上から左下に向かって、というより、遠くに遠くにどんどん離れて行って、あたりはいつしかすっかり暮れて、遠い山並みが残照のためだろうか微かに浮かぶ中、遠ざかるにつれてさらにさらに小さくなって、しかしいつまでも見え続けている…
 …と思ったところで、ついに消えて一面の暗やみになって目が覚めた。
 横になって寝具にくるまったまま、もう一度あの白い小さな円が見たいと思い、目をつむってそれが消えた闇を思い浮かべてみた。でも何も見えない。もう一度。さらにもう一度。何度か繰り返すうちに、ついに現れた! 左手の下の方。消える直前と同じ、小さな、輝きをまとった白い円。一生懸命、目を左に寄せて見つめ続ける。闇の中でそれだけが白く、下方は水平にさらに黒い。海だろうか? 円はこんどは動くことなく、海の上に点のように見え続けている…
 …と、ここで目覚ましが鳴って本当に目が覚めた。
 目覚ましが鳴るまでの全体が夢だったのか、もう一度見ようと思っているうちに再び眠ってしまったのか、は分からない。でも、夢の中で再びあの白い円を見たのだけは確かだ。
 ぼくの意識と無意識の間の境は、まだ薄いままのようだ。

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久しぶりの良い天気!

2020-11-13 12:05:34 | 近況報告

 朝からあまり寒くもなく、久しぶりの良い天気だ。久しぶりに林試の森に来て、お気に入りのベンチに座る。二週間ぶりだろうか。その二週間の間に、芝生広場を囲むヒカンザクラもケヤキも色を変えてしまった。大きなお兄さんのようなクスノキを除いては。
 「久しぶりの」、と書いたが、その間にも良い天気は何日かあったのかもしれない。ぼくが外に出なかっただけだ。風邪をこじらせて、引きこもりの日々を送ってしまった。と言っても、熱は平熱、35.7℃のまま。大したことはなかったのだが、小心者のぼくは、ちょっと具合が悪いと外に出るのが怖いのだ。
 10月24日に朝日連峰から帰ってきて、向こうでは雨の中を歩き回ったのだが絶好調で、でも気付かないところで疲労していたのだろうか。29日高尾山に行って、絶好調の続きで駆けるように歩いて(稲荷山コースの下り、所要時間目安80分のところを45分で下りた。現在のぼくとしては記録的)、大汗をかいて、「速乾性の肌着だから、着ているうちに乾くだろう」と思い、ビールを飲んで京王線に乗って寝込んでしまったら、新宿につく前に寒くて目を覚ました。夏なら上にシャツさえ着ていれば十分乾くのだが、この時期では大きな油断というものだ。翌日から喉と鼻がやられてしまった。
 高尾山はまだほとんど紅葉が始まっていなくて、「年中登っていて何時行っても飽きない高尾山」、のはずだったのだが、那須と朝日を歩いた後では、「なんか、高尾山って、物足りないな」と感じてしまったので、天狗様の怒りを買ったのかもしれない。
 美しい季節だ。引きこもって無為に過ごしている間に、たった2週間で、季節は進み、大統領選挙でトランプが(やっと)去ることになり、コロナの第3波が始まりかかっている。季節も世の中も、年寄りを置いてどんどん動いていく。
 立ち上がって帰らなければならない。今日は午後、脳の検査が待っている。手術ではなく「経過観察」ということになるのだろうが、明日から気を取り直して、「風立ちぬ。いざ生きめやも」としたい。
 (あ、心配してくださる方がいるかもしれませんが、ぼくは、山の記録でもそうですが、大したことでないことを大げさに書くのが得意なので、心配は御無用です。)

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夢という趣味

2020-11-11 20:21:32 | 夢の記

 今朝の未明、再び夢の中で「樋口さん」という呼び声を聞いた。ただし今度は、数日前の明るく高く伸やかな声ではなく、短く切迫した、叱責するような声だった。その前にごちゃごちゃした断片的な、あとで記録できないような夢の連続、もしくは夢の断片を見ていたが、それをあいまいな地の部分にして、呼び声だけが強くはっきりと聞こえた。
 一体何だろう? 何かが迫っている? しばらく胸騒ぎがした。

 …それはともかく:
 40代前半、カウンセラーの先生に夢を記録して毎週見せるように言われたことがあった。「夢なんか見ないですよ」といったのだが、言われた通り枕元にA4のメモ用紙を置いて、夢を見たら起き上がる前に書きつけ、あとで清書するという作業を始めた。
 記録するという意思が呼び水になったのだろうか、すぐに、短い断片的な夢を、時には一晩に幾つも、見るようになった。夢はだんだん長く、複雑に、鮮明になっていった。たまには声や音も聞こえ、色も見えた。自分の心の働きについて考えさせられることも多くなり、生き方の転機になるような重要な夢も見るようになった。
 はじめのうちは大変面白かった。だがだんだん、その長さが苦痛になり始めた。夢うつつの裡に、ほとんど手探りで、メモ用紙に何枚にもわたって書き続けること、起きてからそれを手掛かりに細部を思い出して清書すること。時には大学ノート2~3ページに及ぶことがあり、清書するのに数時間もかかるようになり、書き終えると、その日のエネルギーを使い果たしたような気分になった。
 けっきょく、そのカウンセラーの先生から離れたのをきっかけに、その作業は一年半ほどでやめてしまった。それからは、ごく鮮烈な夢を見たときだけ、あるいは「これはぼくにとって重要だぞ」と思った時にだけ、書くことにした。バインダーは相変わらず枕元に置いている。でも気力が出ないときは書かない。夢を書くことは、いわば趣味の一つになった。
 夢を全然見ないと言っている人が本当に見ないのか、見ているのに知らないだけなのか、また、誰もがぼくのように詳細な夢を見るようになるものなのか、程度の差が大きいのか、ぼくは知らない。
 夢の中で「ああ、いま夢を見ているんだな」と感じながら見続けている現象を「明晰夢」と言うのだそうだ。明晰夢は、訓練すれば自分で夢をコントロールして良い方向に変えてしまうことができるようになるのだともいう。ぼくは明晰夢をしばしば見るが、コントロールはできない。たいていは、悪い夢の中で「ああ、これは悪夢だ」と思っているだけだ。
 明晰夢は、丹念に夢の記録をつけていれば見やすくなるのだそうだ。このことから考えても、ぼくが特に夢を見る力のある人間だとは言えないだろう。だがたぶん、人によっては、いわゆる「夢見がちな性格」というのはあるだろうし、内向的かどうかということもあるだろう。無意識が表層に表れやすいかどうかというのもあるだろう。そう考えれば、ぼくは夢にかかわるのに適したタイプかもしれない。
 40代からなどでなく、子供のころからそういう訓練を受けていれば、ぼくは夢のエキスパートになったかもしれない。それはものすごくシンドい生き方だろうけどね。
 いつか、ある人に「多趣味ですね」と言われたことがある。どうもその人はその時、皮肉として言ったようだ。彼の皮肉は当たっている。歌でも楽器でも外国語でも山登りでも太極拳でも詩でも、その他ぼくが途中で投げ出してしまったたくさんのことでもなく、ぼくに比較的向いている趣味があるとしたら、それは夢の記録かもしれない。集中的にするのをやめて、時々しかしない、でも投げ出しはしない、のが良いのだろうか。

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大波

2020-11-09 15:14:19 | 夢の記

 一つの夢を記述すると数日間、続けてまた夢を見る、ということがよくある(前の夢に関連のある夢のこともあるし、そうでないこともある)。なぜだかよくわからないのだが、先の夢を考えることで、、ぼくの中で意識と無意識との境が薄くなるからだろうか。
 石井みどりさんから7日の記事についてコメントをいただいて、それに答えるつもりで夢について少し書く予定でいたが、昨夜(今朝未明)また別の夢を見た。とりあえず今朝の夢を書く。この夢で注目するべきことは大波のところと最後のところだけで、あとは普段よく見る夢の変形に過ぎないのだが。
 (夢の中で感じたことと区別するために、書いている時点でのぼくの補足を[ ]で示す。)
 …工場の社員宿舎にいる、派遣通訳として社員一行とともに赴任したらしい。〔場所はアルジェリアの海岸地方らしい。このシチュエーションの夢はしばしば見る。〕食堂で歓迎会が行われる。和室の、大きな宴会場のようなところだ。ぼくはやや浮いている気がする。旅行中一緒だった顔なじみが周りにいるのでほっとする。スピーチがいくつかあって、いつの間にか俳句大会のようなものになっている。ぼくの句も読まれて拍手を受ける。〔短冊に書かれた句はその時ははっきり読めたが、覚めたら覚えていない。〕部屋が割り当てられる。ぼくは宴会場を出て狭い廊下を左に行ってさらに左に折れてすぐに右に入ったところだ。この位置関係も、部屋そのものも、前に何度も滞在したことのある気がする。縦の板壁が濃い緑色に塗ってある。机とベッドがある。[この色は初めてアルジェリアに行った時の宿舎の色だ。]
 …三日目の夜、また宴会場。今日新しく赴任する人たちの発表がある。夜に到着するという。前に別のサイトで一緒に働いたことのある仲間たちだ。懐かしく、うれしい。
 …空港に会いに行っている。仲間たちがゲートを出てくる。「やあやあ」と手を振る。その場で、彼らの宿舎の発表がある。ぼくは首をかしげる。それは隣の町だ。「毎日会うわけにいかないねえ」「まあ、週末に会えるさ」などと言いあう。
 …別れて宿舎に戻る。ところが、宴会場から何処を曲がったらよいかわからなくなって、見知らぬところをウロウロさまよう。和風の旅館の中のようだ。行けども行けども同じようなところだが、途中で病院のような場所に出、そこは入るのを拒否される。[旅館も病院も、同じ建物の中の話。これもよくあるシチュエーション。]
 階段を下りると、大きな調理場のようなところに出る。和服にたすき掛けのおばさんたちが動き回っている。そこを通り抜けてドアを開けると、とつぜん砂浜に出る。
 砂浜には左右遠くまで何もなく、一歩踏み出して振り返ると、ドアは頑丈な木でできていて、その周りのコンクリートの枠だけが砂から出ている。まるで避難壕のようだ。
 そこを離れるかどうかためらっていると、とつぜん目の前の海がぐわっと高まって、黒い巨大な波が襲いかかってきた。[北斎の絵のような波だ。]慌ててドアにしがみついて目をつむる。爆風の中のようだ。波はごうっと通り過ぎて退いていった。沖に第二波が盛り上がるのが見える。急いでドアを開け、飛び込み、ドアをしっかり閉める。全身泥だらけで、しずくがぼたぼた落ちる。
 中は何事もなかったようで、調理場の女の人があきれた声で「どうしたんですか?」と聞く。「部屋に戻りたいのだけれどわからなくなって…」と答えると、「その恰好ではこの先は入れません」という。それから女の人は首をかしげていたが、「そうだ、こちら側からならいいですよ」と、別の通路を示す。コンクリートの床と壁の通路だ。
 手探りで進んでドアを開けると、そこも何かの宿舎のような大部屋だが、低い天井の下に蚕棚のようにベッドが並び、黒い油まみれの作業着を着た男たちが折り重なるように眠っている。「ここはどこだ?」と恐怖したところで目が覚める。

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泥・友人・呼び声(昨日の夢を考える)

2020-11-08 13:47:15 | 夢の記

 泥の海が迫ってくる夢を時々見る。と言っても、津波のように一気に呑み込まれる、というのでなく、満ち潮のように少しずつ上がってきて、気が付くと身近に迫っている、そしてそこからスピードが上がる、ということが多い。タールのように黒くドロドロだったり、奇怪な生き物がいたりする。いずれにしても、ぼくは危機に陥る。
 これらの夢は、ぼくにとってのある意味、生活上・身体上の重要な局面で見るようだ。そして迫ってくる泥は、その局面をおぼろに感じとっているぼくの不安感のあらわれだろう。
 ただし、その夢は悪い事態の予兆であるとは限らない。その夢をきっかけにぼくが生活を改善する、あるいは精神的な危機を乗り越える、ということのほうがむしろ多い。ということは、夢は無意識が送ってくれる危険信号だということだろう。

 「友人」には、実際の友人の何人かの印象がごちゃ混ぜになっている。何でもできてしまうように思える頼りになる友人もいるし、声の響きの快い友人もいる。いつもぼくの少し前を歩いているような友人もいる。夢から覚めてぼくは彼らのことを思い浮かべてみた。だがそのうちの誰かだとは思えなかった。放浪に近い自由な暮らしをしている友人はいない。だいいち今時そんなことができる人間はいないだろう。ここで気になったのは、夢の中のぼくがその友人に頼りすぎていることだ。まして危ないところで手を引いてくれるなぞ、この依存はまるで「おっさんず何とか」のようではないか。
 だがたぶん、これはそういうことではないのだろう。この友人は、ありうべきぼく自身なのだ。自分がそのようでありたいと思っている姿が像を結んだのだ。「今時そんなことができる人間はいない」とぼくは書いた。自分がそのようでありたい、というのは、現実離れした願望に過ぎない。ぼくは何でもできちゃう人間にも、何処でも行けちゃう人間にも、なれやしない。だが、、このことに気が付いたのだから、これからの残りの人生の中で、いくらかはこの友人と現実の自分自身を統合することはできるかもしれない。今より少し自由な、不安につかまらないような柔軟なものの感じ方、考え方を身に着けることによって。

 さて、呼び声は現実にあったのか夢の中だけで響いたのか?
 朝早く宅配の人やご近所の人が呼んだのであれば、一声だけで諦めて帰ってしまうことはまず無い。最低もう一度呼ぶだろうし、ドアチャイムを鳴らすこともできる。家族が気が付くだろう。宅配の人なら不在票を入れていく。ご近所の人が朝早いから遠慮して帰ったのであれば、あとでまた来るか電話をくれるだろう。そういうことは何もなかったし、第一ぼくが夢を見ているまだ暗い時間に、呼ぶ人はいないだろう。
 とすればあの呼び声は、ぼくの夢の中で、しかも夢の文脈の外で、誰かが、あるいは何かが呼んだのだ。
 そういう場合は2種類あるだろう。ひとつは、ぼくが「これは悪夢だ」と感じていて、その夢を断ち切るように外からの声を聴く場合。つまり、夢を見ているぼく自身が望んだ場合。今回の声も、夢のどのあたりで聞いたのかは判然としないが、その声に応じてぼくが目を覚ましていたら、少なくとも後半の悪夢は見ることがなかった。
 もう一つは、ぼくにとって何らかの困難な局面の現れであるその夢の中で、無意識の中のさらに深いところから、生の側からか、あるいは死の側からか、ぼくを呼び寄せようとする声。そのような声をぼくはこれまでに2回聞いている。どちらも、その声について考えるうちに、結果的にぼくは困難を乗り越えることができた。それは生の側からの呼び声だった。
 今回の声が何だったかは、まだわからない。でも、確かに、明るい高い声だった。

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深海魚・ハエ・呼び声

2020-11-07 20:12:12 | 夢の記

(注意! 全体としては悪夢です。人によっては気持ち悪いかもしれない部分があります。)
 ヨーロッパの地主の館のようなところ。といっても、人はみな日本人。ぼくはその館の執事兼料理人だ。前の人が辞めてぼくに代わったばかりらしい。大きな宴会のような集まりがあり、料理を出さなければならないのだが、そんな料理をしかも大量に作ったことがないので、途方に暮れている。あれやこれや心配なことが多すぎて、何から始めたらいいのかも分からない。
 ぼくの部屋は母屋と離れた納屋のような建物にある。夜、重い気持ちで部屋に帰ると、板張りになった屋根裏から、くすくす笑う声と、「やあ、久しぶりだねえ」という声が聞こえてくる。放浪生活をしている友人の声だ。響きの良い明るい声ですぐそれとわかる。「やあ、君か! 来ていたのか。これは助かった!」と喜びの声を上げる。彼は何でもできてしまう男で、彼に任せれば料理の問題は解決だ。事情を話すと、あっさり「いいよ」と言う。翌日、太った人たちが大勢、母屋の食堂に集まってくる。手品のように食器が並び、料理が出てくるのをぼくは茫然と見ている。

 …ここで場面が飛び、ぼくはその友人と海岸を歩いている。屋敷のすぐ近くが海なのだ。灰色の海だ。潮が退いていて、つるつるしたすべりやすい岩の上を歩いて行く。そこここに潮だまりがあり、泥のような水の中に巨大な口を開けた深海魚のような醜悪な生き物がいろいろいて、目をそむけたくなる。友人はぼくの前を黙って歩いている。食べられる魚を探しているのだろうか? でもここには居そうもない。
 とつぜん、潮が満ちてきているのに気付く。醜悪な生き物たちも迫ってくる。慌てて引き返す。滑って水の中に落ちそうなぼくの手を友人が捕まえてくれる。潮はぼくらの後からどんどん上がってきて、それは潮というよりは泥で、屋敷の敷地の一部も飲み込まれた。さらに、館に迫ってくる。「そうだ、今日もお客様たちに食事を出さなければならないのだったな」と不意に思いだす。
 納屋はすでに泥に囲まれてしまった。母屋に行くが、「この泥まみれの靴とズボンをどうしようか?」と思う。泥の中を歩いて母屋につくと、仕方なくそのまま上がる。誰もいない。食堂を見ると大量の巻き寿司やなんかが皿に盛られて食べかけになっている。というより、ほとんど手つかずにある。泥は床まで上がってきている。みんな慌てて逃げたのだろうか?
 …また場面が変わる。友人と、ぼくの部屋の小さな竈に焚いた火を見ている。「ぼくはもうこんな生活が嫌になったよ。君のように自由に暮らしたいよ。そうだ、今度二人で山登りに行こう」と言う。「彼こそ、山で生きるのが似合う男だ」、と思う。だが彼が「ぼくは山登りになんか行く金はないよ」と静かに言う。ハッとして、「そうだ、彼はどこでもお金なんか持たずに暮らしているのだった」と、アマい自分を恥ずかしく思う。
 …また変わって、また食堂の宴会の場面だ。虫がいっぱいいる。毛虫やら昆虫やら蛆虫やらが、床を這ったり空中を飛びまわったりしている。こんなところに良く平気でいられるものだ。大柄な女の一人が、「顔にハエがたかっているわよ」とぼくに言う。慌てて顔をなでると、ハエが飛び立つ。鼻の頭に一杯たかって、払っても払っても塊りになって戻ってくる。必死に払い続ける。うっかり口を開けたらベロを噛まれた。その痛さで目が覚めた。

 …この断片的な夢の中のどこかの時点で、家の外で「樋口さーん」と呼ぶ声を聴いた。夢うつつで、「こんなに朝早く、誰だろう?」と思ったが、起きることはしなかった。後で外に出てみたし、家族に訊いてみたが、実際に誰かが呼んだ様子はなかった。してみると、これは夢の中で、しかし夢の流れの外で、誰かが(何かが)ぼくを呼んだのだ。
 このことについては、明日もう少し書きたい。

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