すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

「葬式列車」

2023-08-25 21:12:42 | 

 「夜と霧」を聴いたり歌詞を読んだりするたびに思い浮かぶ詩がある。逆に、その詩を読むと「夜と霧」の歌詞を読みたくなる。日本の戦後詩人、石原吉郎の「葬式列車」だ。

なんという駅を出発して来たのか
もう誰もおぼえていない
ただ いつも右側は真昼で
左側は真夜中のふしぎな国を
汽車ははしりつづけている
駅に着くごとに かならず
赤いランプが窓をのぞき
よごれた義足やぼろ靴といっしょに
まっ黒なかたまりが
投げこまれる
そいつはみんな生きており
汽車が走っているときでも
みんなずっと生きているのだが
それでいて汽車のなかは
どこでも屍臭がたちこめている
そこにはたしかに俺もいる
誰でも半分はもう亡霊になって
もたれあったり
からだをすりよせたりしながら
まだすこしずつは
飲んだり食ったりしているが
もう尻のあたりがすきとおって
消えかけている奴さえもいる
ああそこにはたしかに俺もいる
うらめしげに窓によりかかりながら
ときどきどっちかが
くさった林檎をかじり出す
俺だの 俺の亡霊だの
俺たちはそうしてしょっちゅう
自分の亡霊とかさなりあったり
はなれたりしながら
やりきれない遠い未来に
汽車が着くのを待っている
誰が機関車にいるのだ
巨きな黒い鉄橋をわたるたびに
どろどろと橋桁が鳴り
たくさんの亡霊がひょっと
食う手をやすめる
思い出そうとしているのだ
なんという駅を出発してきたのかを

 似たような状況を表現していると言えなくはないのだが、「夜と‥」(A)は歌であり、「葬式‥」(B)は詩だ。Aは聴かれるためにつくられており、Bは書かれたのち読まれるために発表されている。そしてAの方が届いた範囲は遥かに広いが、表現の緊迫性や体験の直接性はBに及ばない。「詩の困難」というものを思う。翻訳の困難、というものもある。ぼくはAを(当然のことながら)訳で紹介したが、残念ながら訳ではAの詞の持つ音楽性や脚韻の快さは再現できない。それは歌としての「肝(キモ)」であるにもかかわらず。

 石原吉郎は終戦時ハルビンでロシア語通訳をしていてソ連軍に抑留され、旧カザフ共和国の収容所に送られ、軍事法廷で重労働25年の刑を言い渡されたのちシベリアの収容所に移送される。スターリン死後の恩赦で帰国できたのは抑留から8年後だった。Bはシベリアに移送される途中の体験から生まれたものだろうという。
 ぼくはかつてBに衝撃を受けたが、残念ながらぼくには石原について書く力はない。ここでは、シャンソンまたはフランスに関心のある人はAは知っているとしてもBは知らないかもしれないと思い紹介した。ともあれ、「似たような状況」は、一見そのように見えるだけで、じつはAは脱出行を描いており、Bは地獄送りを描いているという決定的な違いがあった。Aにはまだわずかな救いを感じることができる。それが、歌としてAが成功した理由かもしれない。
   

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「この空を飛べたら」

2021-11-29 08:05:52 | 

 昨日書いた「つぶやき」はあまりに拙い。削除したいところだが、一度載せたものを削除すると、今後次々に削除したくなるに決まっているから、やめておく。読み返して恥ずかしく思うほうがマシだ。
 ここで、気分直しに、よく知られた作品をいくつか掲げておきたい。

    故國      
           テオドオル・オオバネル 
          (上田敏訳「海潮音」より)
小鳥でさへも巣は戀し
まして青空、わが國よ、
うまれの里の、波羅葦増雲
          (波羅葦増雲(ハライソウ)= 天国


   (空の青さをみつめていると)
          谷川俊太郎「六十二のソネット」より
空の青さをみつめていると
私に帰るところがあるような気がする
だが雲を通ってきた明るさは
もはや空へは帰ってゆかない(以下略)
          (谷川俊太郎には他に多数)


    飛行機
             石川啄木
見よ、今日も、かの蒼空に
飛行機の高く飛べるを。

給仕づとめの少年が
たまに非番の日曜日、
肺病やみの母親とたつた二人の家にゐて、
ひとりせつせとリイダアの独学をする眼の疲れ……

見よ、今日も、かの蒼空に
飛行機の高く飛べるを。


    この空を飛べたら
              中島みゆき
(・・・)
ああ 人は 昔々 鳥だったのかもしれないね
こんなにも こんなにも 空が恋しい

 

    ひこうき雲
            荒井由美
(・・・)
空に憧れて
空をかけてゆく
あの子の命はひこうき雲

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「素朴な琴」

2021-10-22 10:33:49 | 

こんな美しい秋の一日に
野山に出て
自分も自然の一員だったと
思い出す者は幸いだ
思い出したぼくは幸いだ

 …と、高尾から城山に続く尾根道で手帳に書きつけて、数歩あるいて、八木重吉をふと思い出した。
 ぼくのメモには、そういう気持ちになったという以上には、ぜんぜん価値がない(この頃のどちらかといえば鬱屈した日々の中で、そういう気持ちになったというだけで、良いことではあるが)。
 八木重吉はこう書いている:
   
  素朴な琴

この明るさの中へ
ひとつの素朴な琴をおけば
秋の美しさに耐えかねて
琴はしずかに鳴りいだすだろう

 ・・・晴れた秋の一日は、人の心を美しくする。リルケの「秋」(主よ 時が来ました 夏はまことにさかんでした/あなたの影を日時計の上に横たえたまえ・・・)もそうだ。

 

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「夏の終り」

2021-08-24 13:21:55 | 

 ぼくは若い頃、頭の回転はすごく遅くて、仲間たちの議論や会話についていけないことがしょっちゅうだったが、暗記力だけはあった。平家物語の「大原御幸」の段や白楽天の「長恨歌」や陶淵明の「帰去来の辞」などは暗誦していた。フランス語も、当時の教科書MAUGER(Bleu)の本文を電車で丸暗記して覚えた。
 今はもう、全然ダメ。歌の文句でさえ口ずさもうとすると忘れていたりごちゃ混ぜになったりする。きのう挙げたうち、「悲しくて…」の方はともかく、伊東静雄の「夏の終り」の方は、繰り返し読んでいるはずなのに、思い出そうとしてみたら最初の3行しか出て来ない。
 それで、家に帰って読み直してみた。改めて心に沁みた。

夜来の台風にひとりはぐれた白い雲が
気のとほくなるほど澄みに澄んだ
かぐはしい大気の空をながれてゆく
太陽の燃えかがやく野の景観に
それがおほきく落す静かな翳は
……さよなら……さやうなら……
……さよなら……さやうなら……
いちいちさう頷く眼差のやうに
一筋ひかる街道をよこぎり
あざやかな暗緑の水田の面を移り
ちひさく動く行人をおひ越して
しづかにしづかに村落の屋根屋根や
樹上にかげり
……さよなら……さやうなら……
……さよなら……さやうなら……
ずつとこの会釈をつづけながら
やがて優しくわが視野から遠ざかる

 (ぼくはワードで行間に振り仮名をつけることができない。つけようとすると行間の幅が変わって不揃いになってしまう。今までは漢字のすぐ後にカッコつきで入れていたが、おおぜいで歌う歌集なんかならともかく、詩の場合はそれではひどく醜いし、作者の意図にも反する。それで、今後、必要があったら、本文の後にまとめてつけることにする。)

 もともとついていた送り仮名(原ルビ):翳→かげ、水田→みづた、面→おもて
 ぼくが勝手につけた送り仮名(勝手ルビ):頷く→うなづく、眼差→まなざし

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「雪の夜、森のそばに足を止めて」

2021-02-18 22:18:59 | 

 最近、20世紀前半のアメリカの詩人ロバート・フロスト(1874-1963)が気に入っている。名前だけは前から知っていたが、日本ではなかなか手に入りやすい本がなかった。ところが先日、新宿紀伊国屋で岩波文庫の棚を見ていたら3年前に対訳が出ているのに気が付いた。この頃ぼくも本をアマゾンで買うことが多いが、やはり本屋さんは覗いたほうが良いな、と改めて思った。
 フロストは美智子上皇后が若いことから愛されているのだそうだし、ケネディ大統領やオバマ大統領も感銘を受けているのだそうだが、ぼくは今回初めて読んだ。気に入っている、と言ってもまだこの文庫本を一冊読んだだけなので、フロストについて何か書けるわけではない。   
 ここではその文庫から一編だけ書き写させてもらうことにしよう(川本皓嗣訳)。

この森の持ち主が誰なのか、おおかた見当はついている。
もっとも彼の家は村のなかだから、
わたしがこんなところに足を止めて、彼の森が
雪で一杯になるのを眺めているとは気がつくまい

小柄なわたしの馬は、近くに農家ひとつないのに、
森と凍った湖のあいだにこうして立ち止まるのを、
変だと思っているに違いない―
一年じゅうでいちばん暗いこの晩に。

何かの間違いではないか、そう訊ねようとして、
馬は、馬具につけた鈴をひと振りする。
ほかに聞こえるものといえば、ゆるい風と
綿毛のような雪が、吹き抜けていく音ばかり。

森はまことに美しく、暗く深い。
だがわたしにはまだ、果たすべき約束があり、
眠る前に、何マイルもの道のりがある。
眠る前に、何マイルもの道のりがある。

 雪で静まり返った暗い美しい森は、生きて負うさまざまな苦しみを終わらせる死という安らぎだろう。詩人はそこにいったんは心を惹かれるが、思いなおす。自分にはまだ家族や社会に対して果たすべき役割がある。本当に死が訪れるまでに、辿るべき長い道がある。

 Stopping by Woods on a Snowy Evening

Whose woods these are I think I know.
His house is in the village though;
He will not see me stopping here
To watch his woods fill up with snow.

My little horse must think it queer
To stop without a farmhouse near
Between the woods and frozen lake 
The darkest evening of the year.

He gives his harness bells a shake
To ask if there is some mistake.
The only other sound’s the sweep
Of easy wind and downy flake.

The woods are lovely, dark and deep,
But I have promises to keep,
And miles to go before I sleep,
And miles to go before I sleep.

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2020-12-28 18:46:13 | 

俺タチノ放浪生活ノ上ニ
ソノ山ハ何時モ聳エテイル

殴り倒すような太陽や
背骨を締めつける寒気に曝され
革のサンダルをひきずって砂の中を歩きながら
俺たちは喉の渇きの奥で
水を求めるようにその山を呼んでいる
草一本無い ぼろぼろに風化した
岩屑の積み重なるその山を

その山はどれくらいの距離にあるのか分からない
行く手にすぐ近く見えることもある
だが 三日三晩歩き続けても
やはりそれは 同じ遠さに聳えたままだ

砂嵐に包まれて何も見えない日には
山は確かに
すぐ傍らに迫っている
俺たちを押し潰そうとする意思を持つもののように

山の中腹に巨大な城砦のようなものが建っている
あるいは 放棄された古い僧院かもしれない
それが何時から在るのかは
古い言い伝えにも残っていない
その壁の内側には たぶん
俺たちの知らない古代の文字で
祈りの言葉が綴られているに違いない

誰も その謎を解きに行こうとは言い出さない
俺たちは日々 羊の世話に追われ 水探しに追われ
たたかいに追われ

夜 焚火を囲んで座っていると 月明かりに
その岩山と城砦が浮かび上がることがある
そんな時 俺たちは互いの目を覗き込み
そして黙る

ソノ山ハモハヤ 俺タチノ放浪生活ノ
運命ナノダ

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「幻の家」

2020-11-25 13:22:39 | 

   幻の家
                   清岡卓行
 夢の中でだけ ときたま思い出す
 二十年も前に建てた小さく明るい家。
 戦争のあとの焼野原の雑草の片隅に
 建ててそのまま忘れた ささやかな幸福。

 いや そんなものは現実にはなかった。
 途方もなく愚かな若者が そのころ
 妊娠している幼い妻と二人で住むために
 どんなに独立の巣に焦がれていたとしても。

 そんな架空の住居が どうして今さら
 自宅に眠るぼくの胸をときめかせるのだろう
 貧しい青春への郷愁を掻き立てるように?

 夢の中でその家は いつまでも畳が青く
 垣根には燕 庭には連翹の花
 ああ 誰からも気づかれずに立っている。 

 先日アンソロジーを買ったもう一人の詩人、清岡卓行の詩。これは数年前に同じ古本屋で見つけた旺文社の参考書「現代詩の解釈と鑑賞辞典」にも載っていた。
 何の説明も加えないほうがいいと思うが、よく見る夢に関することなので少しだけ書いてみたい。
 彼はかつて住んだ懐かしい家を夢の中で思い出している…のかとおもったら、そうではない。現実には存在しなかった家なのだ。
 その「鑑賞辞典」をランダムに拾い読みしていて、この清岡卓行の詩に出会った時には衝撃を受けた。「ぼくと同じに、住んだことのない家の夢を見る人がいた!」 
 ぼくも、実際には住んだことのない家の夢を、自分のかつて住んだ家として、あるいは今(夢の中で)住んでいる家として、見ることがしばしばある(この詩と関係ないので、詳しくは書かない)。
 だが、あとで気が付いた。ぼくの夢と清岡卓行の夢は似ているようでいて中身が全然違う。
 清岡は、詩人としてよりも小説家としてのほうが知名度は高いだろう。「アカシヤの大連」という、芥川賞受賞作品をご存じの方は多いかもしれない。彼は昭和22年に結婚し、43年に妻を亡くし、45年に「アカシヤの大連」と、この詩を含む詩集「ひとつの愛」を出版している。妻との愛は、彼の作品の大きなテーマだ。
 彼の夢には、若く困難はあったが妻との幸福な思い出と、その妻を亡くした喪失感が、というより、妻を亡くした喪失感と、にもかかわらず幸福な思い出とが、ともに現れている。夢の中の家は幻だが、築いた家庭は現実なのだ。彼の「貧しい青春への郷愁」には中身がある。だから「畳は青く」、「垣根には燕」が飛んで、「庭には連翹」が黄色く咲いている。その夢の中には具体がある。そしてその家が「誰からも気づかれずに」立っているのは、それが彼と妻との二人だけが分かち合った生活だからだ。
 ぼくの夢の中の家は一体なんだろう? 
 それは、この詩とは別に書いたほうが良さそうだ。

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「はくちょう」

2020-11-21 22:22:03 | 

   はくちょう
                  川崎 洋
はねが ぬれるよ はくちょう
みつめれば 
くだかれそうになりながら
かすかに はねのおとが

ゆめにぬれるよ はくちょう
たれのゆめに みられている?

そして みちてきては したたりおち
そのかげ が はねにさしこむように 
さまざま はなしかけてくる ほし

かげは あおいそらに うつると
しろい いろになる?

うまれたときから ひみつをしっている
はくちょう は やがて
ひかり の もようのなかに
におう あさひの そむ なかに
そらへ

すでに かたち が あたえられ
それは 
はじらい のために しろい はくちょう
もうすこしで 
しきさい に なってしまいそうで

はくちょうよ

 …小山台高校のグランド横の古本屋に、中央公論社の「現代の詩人」シリーズのうちの数冊が一冊200円で出ていた。1958年から59年ごろに刊行された12人の詩人のアンソロジーだ。本文の下に小さな緑色の字で詩集と代表的な詩の解説がついている。緑のほうが黒よりも早く褪せるらしく、色が薄くなって読みにくい。
 何冊かはすでに持っているので、川崎洋と清岡卓行のだけ買った。清岡の詩はこれまでほとんど読んでいない。川崎は若い頃から愛読してきた詩人だが、ぼくでも理解できる解りやすい詩が多いので、解説付きの詩集を買うことは考えなかったのだ。
 ぼくの大好きな詩を、とりあえずひとつだけ紹介してみる。「はくちょう」という作品だ。戦後に書かれた詩で、もっとも優しく美しいものではないだろうか(「いやいや、もっと優しく美しいのがあるよ」と思う方がいたら、教えてほしい)。
 これは「優しい」詩だが、かならずしも「易し」くはない。論理的に意味を考えようとすると、よくわからないところはある。でもこれは、意味を追わなくてもよいのではないだろうか。一度読んだだけで、美しさと優しさが心にしみる。
 この詩を歌いたくて、知り合いの現代音楽の作曲家に依頼してみたことがある。現代音楽らしい、スケールの大きな、だがぼくには難しい曲になってしまった。
 そのことを知り合いのシンガー・ソングライターに話したら、しばらくして彼が「書いてみましたから、良かったら歌ってください」と言って楽譜をくれた。彼の性格の良く出た、メルヘン的な曲だったが、ぼくがこの詩に持っていたイメージとは違った。
 ふたりの曲が優れていなかったわけではない。考えてみれば、ぼくは具体的な明確なイメージを持っていたわけではないので、おそらくどんな曲でも同じことを思っただろう。ふたりには済まないことをした。
 結局ぼくは「はくちょう」を、詩としてだけ愛することにした。一人でいる時に、そっと暗唱してみる。人に聞かせるものではない。ぼくだけの「はくちょう」だ。
 でも昨日、家に帰ってさっそくこの詩の載っているページを開いて、ふと思った。
 ぼくがかつてあんなにこの詩が好きだったのは、ひょっとしたら、青春のナルシズムが紛れ込んでいたのではないか? それに、現実世界の生きにくさの思いが、現実を越えた世界への憧れをこの詩に重ねていたのではないか?
 だからと言って、この詩の美しさが少しも失われたわけではない。むしろ、老いを生きている今、ナルシズムや現実逃避的な願望が消えたあと、そっと声を出してみれば、このひらがなの言葉の響きはいっそう心にしみる。

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「塞外」

2020-09-09 17:47:48 | 
 僕は出て行く
 この崩れかけた城塞の向こうへ
 僕は出て行く
 ここから西は茫洋として何百里
 道は無く 馬は嘶かず
 ただ砂の嵐だけが終日
 大地を空に吹き上げている
 それこそ僕の望むところだ

 幾十日目かの終わりに
 髭と髪にこわばった砂を払い落とし
 古代の井戸で僕は飲むだろう
 文明が滅んだあと 幻が消え去ったあとの
 星に還った静寂を

 嵐は止んで
 うずくまった孤影の上に
 夜は軽々と覆い広げるだろう
 聴く者もいない何万年もの夢を

 この崩れかけた城塞のほとりまで来ても
 まだ風は生暖かい
 腐った都市のざわめきが流れてきては
 ここで最後の澱みを作る
 僕はもう
 人間の音楽には心を惹かれなくなってしまった

 今ちょうど望楼の矢狭間の向こうから
 落日が一文字に僕の目を射抜いた
 それが出発の合図だ

 僕の渇きはもう
 人間の唇では癒せない
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「神殿の傍らで」

2020-09-08 14:08:01 | 
神殿の傍らで
少年は待っている

 ポケットからつかみ出して掌にのせて見せるのは、浮彫模様もわからなくなった古代貨幣のいくつかだ。それを値切って買っていくのは、車を連ねて何百キロもこの砂のなかの遺跡を見物に来る、様々な言語の人間たちだ。

無論
少年が待っているのは彼らではない

 彼らが去ってしまうと少年は首を振り、残った貨幣を砂に投げ、円柱の台座に腰を下ろし、もうひとつのポケットからひとつかみのナツメヤシを出す。そして、石の間から湧き出す水を飲む。

 水は二千年前も今も、同じように澄んで冷たい。ここにこのような水があるのになぜ、人々はこの都市を捨ててしまったのか。

少年はあいかわらず待っている

 夜になると彼は、翼の折れた巨大な人面の石像の下に上衣を広げる。横になった少年の顔は星明かりの下で、憂いに眉を寄せたその石像の顔にそっくりである。
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「山」

2020-09-07 15:56:33 | 
海は今日も荒れている。

 東の岬の岩礁から陽が昇る前。湾は西の町まで数十キロの砂浜が続き、廃油色の海は人影のない、犬一匹いない浜に噛み付き、呑み尽くそうとする意志のように吼えながら押し寄せてくる。町の手前に工場群の煙突が黒煙を吐いている。煙は海になびき、湾全体を古い単色の銅版画に刷り上げている。

  工場へ向かうバスの窓から、南に開けた平野の果てに雪を冠った山々が見える。その山々の向こうは果てしない砂漠が続く。真南の方角、山並みが一箇所だけ低くなったあたり、いつも灰色の雲の詰まった鞍部のはるか彼方に、まれに、さらに高い孤峰が見えることがある。山は雲か砂塵にまぎれて幻のように小さく遠く、しかし厳しくまっすぐな線を引いて白く尖っている。

 その山は夜明けにしか見えない。冬の初めにこの町へ来て以来、作業が終わって宿舎へ戻るバスが海岸通りを曲がるときも、たまの休みに町へ遊びに出かけるときにも見えたことがない。機械油にまみれた一日の労働が始まる前、しかも海が荒れ騒ぐ朝にだけ、その海と呼びあうかのように姿を見せることがあるのだ。

 地図で探してみてもその方角にそれらしい山は見つからない。ただ、この町からはるかに南に行ったところには古代の遺跡がある。黄ばんだ一枚の写真を見たことがある。ぼくがこの町に流れてきたのは、その写真のせいかもしれない。今はもう涸れてしまったオアシスの傍ら、丘の上に、折れた円柱や崩れ残った闘技場の壁が砂の嵐にさらされている。

 ある日ぼくはもう仕事に行かないだろう。工員仲間たちはリュックサックを背負った僕の後ろ姿をバスの窓から見つけて驚くだろう。僕は雲に隠れたあの幻の山をさがしに行くのだ。兵器工場のある町を離れ、滅び去った神殿の陰で眠り、さらに南へ、砂の海の中へ。

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「音楽」

2020-09-06 09:37:02 | 
 町は窪地の中にあった。砂丘をまわりこむと突然、無数のナツメヤシと白い家並みが現われた。夕暮れだった。もう街路に遊ぶ子供の姿はなかった。バスを降りたときから音楽は聞こえていた。単調な旋律が複雑なリズムに乗ってとぎれることなく続く。食べ物屋の長椅子で豆のスープを飲み、酵母の入らぬパンをかじった。町の男たちは誰も口を開こうとしなかった。音楽は潮騒のように低く寄せては返し寄せては返した。いやこの町の人たちは潮騒などというものを知っているだろうか。むしろその音は遥から届く啓示のように、かすかにしかし確実に人々の意識に入り込み、生活を律しているようだった。

 疲れ切った体を投げ出してうたたねをした。その眠りの中にも音楽は続いていた。夜更けにホテルの窓を開けた。風が部屋を通り抜けた。昼間の熱気が嘘のように夜の風は涼しい。音楽はまだ続いている。ひび割れた笛と太鼓と喉の奥をふるわせる独特の声が風に乗って近くなり遠くなる。明け方近く、ホテルを抜け出した。明かりのない街路を音の聞こえてくる方へと歩いた。低い半月屋根の窓のひどく少ない家々がナツメヤシの黒い陰の間にうずくまっている。

 町のはずれに着いた。音楽はその先の闇の向こうから聞こえている。目の前の砂丘をのぼった。足元の砂が崩れる。頂に立つと前方にさらに砂丘のうねりが黒く続いて闇に溶け込んでいる。いちめんの星だった。そのまましばらく歩いた。振り向くと窪地の底の明かりのない町はもうどことも知れなかった。
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「老いたる者をして」

2020-08-11 12:16:23 | 
 誕生日を祝う習慣がない…のだが、感慨がないわけではない。で、その感慨を言葉にしてみようと2、3日考えたのだが、ロクなものにはならない。
 そこで、替わりに、中原中也の詩を書いておく。このほうがはるかに、ぼく自身の言葉よりもぼくの気持ちにぴったりくる。そして、心安らぐ。
 ただし中也は30歳で他界しているので、これは20代の終わりごろに書かれているのだが。

    老いたる者をして

 老いたる者をして静謐(せいひつ)の裡(うち)にあらしめよ
 そは彼等こころゆくまで悔いんためなり

 吾は悔いんことを欲す
 こころゆくまで悔ゆるは洵(まこと)に魂(たま)を休むればなり

 あゝ はてしもなく涕(な)かんことこそ望ましけれ
 父も母も兄弟(はらから)も友も、はた見知らざる人々をも忘れ
  て

 東明(しののめ)の空の如く丘々をわたりゆく夕べの風の如く
 はたなびく小旗の如く涕かんかな

 或(ある)はまた別れの言葉の、こだまし、雲に入り、野末にひ
  びき
 海の上(へ)の風にまじりてとことはに過ぎゆく如く……

    反 歌

 あゝ 吾等怯懦(きょうだ)のために長き間、いとも長き間
 徒(あだ)なることにかゝらひて、涕くことを忘れゐたりしよ、げに
  忘れゐたりしよ……

 (カッコ内は、本来は振り仮名。ただし、ここでは中也自身のつけたものと編集者のつけたものを区別していない。また、「はたなびく」には傍点がついているが、ぼくには付け方がわからない。)

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夢想と救済

2020-08-02 13:08:04 | 
 新しいテントの試し張りをしに、立川の昭和記念公園に行ってきた。家からはかなり遠く、山に行ってしまったほうが良いようなものだが、テントも昔とずいぶん違っているから、山に持っていってからパーツが足りないとか、組み立て方がわからないとかの事態を避けるためには、いちど試し張りをしてみなければならない。幸い、うまく組み立てられた。これでこの夏は安心だ。稜線まで担ぐのは今のぼくには無理だから、行ける山は限られるが。
 ところで、昭和記念公園の「みんなの広場」は、今の季節、緑がまことに美しい。南北400m東西250mほどの、牧場を思わせる広大な草地に名物の大ケヤキをはじめ樹木が点々とあり、木陰にはまばらにテントが張られて、家族やカップルが思い思いにのんびり過ごしている。空が広い。こんなところで暮らすことができて、さらに、死んだらこんなところで眠ることができたら、どんなに幸せだろう。
 もちろんこれは夢想に、あこがれに過ぎない

 ぼくの大好きな、若いころから読んでいた詩人を引き合いに出してみよう。85歳まで生きたヘルマン・ヘッセは、人生の半ば、43歳の時に、次のように書いている。

 「私はこれまでよりも深く自分の存在のはかなさを感じ、向こうの世界へ行ったら、石や、土や、キイチゴの茂みや、木の根などあらゆるものに変身できるように思う…青空に雲となって漂い、小川に波となって流れ、灌木に葉となって芽生え、私は忘れられ、千回も望んでいた変化に身をゆだねるのだ。」(「人は成熟するにつれて若くなる」より)

 彼は人生の後半をスイスの田舎の村の自然の中で生きている。これもそこで書かれたものだ。だから彼はぼくのあこがれの半分は実現している。だが、この文はどうだろう?
 詩的散文の言葉としてまことに、この上なく、美しい。でもこれは単なる願望だ。彼は死を直視しているとは言えない。夢想によって安らかな心でいられるだけだ。このように現実を直視しないで済ますことができたら、人生の後半はさぞ美しく快いものであろう。

 「…死を恐れぬ心構え、再生への意思、おまえが私からもうけっして失われることのないように、神よ、はからいたまえ。いつでも復活の日がめぐってきますように。そしてくりかえし生のよろこびが死への不安に、死への不安が再生による救済になりますように。」(同上)

 なるほど、信仰はこのように安らぎを与えることができるのか。このように安らぎを得るために信仰に自分をゆだねる人もいるのか。だから宗教というものはあるのか、と思う。
 前者と同じ文脈の中で、その延長として書かれているこの文は、前者と同じような夢想に過ぎない。
いや、彼は神を、神による救済を確信しているのだろう。だが、現代に生きるぼくには、その確信は根拠のないものに思える。神は存在するかしないか、現在までの人智では確かめようがない。同じように魂の存否も、確かめようもない。だから、神や魂が存在することを前提とすることはできない。

 ぼくはヘッセを否定するわけではない。彼の小説はどれも好きで繰り返し読んでいる。上に引用した文も、繰り返して書くが、まことに美しい。ぼくが緊急の事態に陥らなければ、ぼくは彼の夢想を愛し続けるだろう。
だがもし仮に、進行した癌が発見されて「余命1年です」とか言われたならば…
 日頃信仰を持っていないのだから、神や転生の観念に依存するわけにはいかない。素手のままで危機に直面するしかあるまい。その時、彼のこの文章はぼくの座右の書にならない。
 ぼくはブッシュ孝子の詩集を、ベッドサイドの小卓に置くだろう。
 彼女の詩をもう二つ、病苦と直接闘っているのでないものを、紹介しておきたい。

    たより

 山道を歩くと
 秋草の多さに驚かされます
 赤とんぼの乱舞に驚かされます
 栗のいがいがとおちてくるくるみに驚かされます
 小さなへびがあわてて水ぎわの草むらに逃げこみました
 おばあちゃんと二人 まぶしい通り雨の中を
 かさもささずに散歩してます
 きつねの嫁入りの話をしながら
 散歩してます


 高い空の上で
 一点の黒い鳥が風と波のりをしている
 雲は四方からしぶきをあげて
 お前をめぐっておしよせてくる

 ああ お前はひとりぼっちだけれど
 この天と地は今 お前のもの
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「暗闇の中で一人枕をぬらす夜は」

2020-08-01 09:31:20 | 
 ブッシュ孝子という名は、7月15日付の朝日新聞の夕刊の記事を読むまで知らなかった。すぐにネットで詩集を取り寄せて読んだ。感銘の溜め息をついた。これはぼくがこれから地上を離れるまでの間に繰り返し繰り返し読むことになる本だ、と思った。

 暗やみの中で一人枕をぬらす夜は
 息をひそめて
 私をよぶ無数の声に耳をすまそう
 地の果てから 空の彼方から
 遠い過去から ほのかな未来から
 夜の闇にこだまする無言のさけび
 あれはみんなお前の仲間たち
 暗やみを一人さまよう者達の声
 沈黙に一人耐える者達の声
 声も出さずに涙する者達の声

 ブッシュ孝子は、乳がんで28歳の若さで世を去っている。この詩集は彼女が亡くなる前の4か月半の間に切迫する死の予感のもとにノートに書き記したものだ。そこには恐れや悲しみや苦悩だけではなく、いのちの喜びや愛や温かな思い出もまた綴られている。
 彼女は自分が遠からず死ぬということを知っていたはずだが、生まれ変わりや魂の永遠や神にすがることで安らぎを得ようとはしていない。
 彼女が信仰を持っていたかどうか、ぼくは知らない。彼女はドイツ留学中に婚約していたヨハネス・ブッシュと、最初の入院・手術後、四谷の教会で結婚している。また、彼女の詩には何度か、神様、という言葉が現れる。「もう私を試みにはあわせないでください」とも、「私をお守りください」とも書いている。それでも、詩集全体として、ぼくは彼女が神による救済を確信・前提として最後の日々を生きていたとは思わない。そういう観念にすがることなく、苦痛と苦悩に直接相対している。
 このことは、明日少し書きたい(今日はこれから、この春に購入したテントの試し張りに昭和記念公園に行きたいので)。
 ここではさらに3つの詩を紹介するにとどめる


    夢の中の少年(夢の木馬 5)

 少年は海辺で私を待っていた
 波のしぶきの荒々しい岩だらけの海辺で

 少年のぬれた小さな手が私の手をしっかりにぎり
 二人ははだしで岩棚を走った

 ああ 金色の髪をした小さなお前は誰
 あの血のように赤い水平線の彼方まで
 お前は私と共に行こうというのか


 かわいそうな私の身体
 お前をみていると涙がこぼれてくる

 やわらかい乳房と若さに輝いた肌はどこにいったのか
 切りさかれ ぬわれ やかれた お前の無残な傷跡

 ああ でも どうか 私を許してほしい
 お前の奥深く 今も痛みにふるえ赤い血潮をふき出しながら
 それでも もえようとしている私の心がひそんでいるのだから


    私に

 お前は一体何者なのか
 お前の中に何がおこった
 お前の中に何がやどった

 何がお前をそのようにいらだたせ
 夜中に寝床から叩きおこし
 部屋の中を歩きまわらせ
 ノートになぐり書きなどさせるのか

 ああ このおののき このときめき
 私は一体どうなるのだろう

 誰か私をよくみてほしい
 私はどこか変わっていますか
     

 彼女は先に書いたように、愛や日々の幸福についての詩も書いているが、ここでは病苦と闘っているものを紹介した。
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