すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

マンドリンをいただいた!

2018-07-29 10:27:22 | 音楽の楽しみー楽器を弾く
 一昨日、地元の老人会でフラット・マンドリンの弾き語りで「一緒に歌いましょう」というのをしていたら、休憩時間に女性に声をかけられた。今まではあまり見かけなかった人だ。
 ご主人が若い頃弾いていたマンドリンが、押し入れにしまってあるのだけれど、だれか使ってくれる人がいたら嬉しいと思っていたのだそうだ。
 箱はボロボロだし、弦も張りっ放しにしてあるので、使えるかどうかわからないけれども…と言う。
 ぼくは腰痛持ちで、腰に負担のかからないフラットを弾いているが、ラウンド・バックとは音色がかなり違うものなので、ラウンドもあれば嬉しいと思っていたのだ。
 早速、会が終わる前に、息子さんが会場に届けてくれた。
 見たところ、すぐ気づく程度に棹が反ってしまっている。弦楽器は、弦を張ったまま長期間放置するとテンションで棹が歪んでしまうのだ。ただ、響きは、年季の入った楽器に特有の枯れた高く大きな響きで、大変良いようだ。
 このまま使えるものか、修理が可能なものか、費用はいくらぐらいかかるか、修理するだけの価値があるか、ぼくにはわからないので、とにかくお預かりすることにした。
 山から帰ってきたら、イケガクに持って行って相談してみようと思う。修理不能なら、ご主人の大切な思い出なのだから、お返ししよう。修理して使えるものなら、ぼくは主にフラットだから、手元に置いてときどき音色を楽しむことにしよう。

 明日から二泊三日で、霧ヶ峰に行く予定。本当は一週間ぐらい滞在したいが、これでも一応は避暑のつもり。高原を散策して、クヌルプ・ヒュッテのおいしいご飯を食べて、本を少し読んで音楽を少し聴くぞー。
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酷暑

2018-07-23 22:13:42 | 読書の楽しみ
血を吐くやうな 倦うさ、たゆけさ
今日の日も畑に陽は照り、麥に陽は照り
睡るがやうな悲しさに、み空をとほく
血を吐くやうな 倦うさ、たゆけさ

空は燃え、畑はつづき
雲浮かび、眩しく光り
今日の日も陽は炎ゆる、地は睡る
血を吐くやうなせつなさに。
   (中原中也「夏」(前半)) 
 これくらい、今日この頃の様子をぴたりと言い得ている言葉が他にあるだろうか。やはり中原中也は天才だ。
 ぼくは子供の頃、父がこの詩をつぶやいているのを聞いたことがある。というより、この詩は父がつぶやいていたので鮮明に覚えている。
 考えてみれば、中也の頃も、父の頃も、猛暑というのはあったはずだ。気温は今ほど高くなくても、エアコンなんか無い時代だから、堪え難く暑かったかもしれない。

 ところで、一編の詩は、あるいは良い文学作品の一節は、ぼくらが猛暑に耐えるひとつの手がかりになってくれるものと思う。猛暑に圧倒される一方でなく、堪えるための力をもらうことができるように思う。
 ただしそれは、エアコンのきいた部屋にこもって手にするのでなく、ポーチに入れて敢えて外に出て、カフェのオープンテラスか木陰のベンチで手にするのが良い。ぼくの好みの場所は目黒区民キャンパスのカフェか林試の森のベンチだ。
 次の文も、そういう手掛かりのひとつ。

 「ナタナエル、君に期待の話をしよう。私は見た、夏の間野原が待つのを、少しばかりの雨を待つのを。路上の塵埃はすっかり軽くなって、そよ風にも舞い上がった。それはもはや欲望ではなかった。むしろ疑懼(ぎく)であった。大地は水を吸い込めるだけ吸おうとしているのか、すっかりひび割れていた。曠野の花の香りは堪え難いほどだった。烈日のもとにすべては気息奄々としていた。我々は毎日午後になるとテラスへ行って、激しい日の光をわずかに避けて休息した。ちょうどそのころは花粉をつけた松柏科の植物が枝をいとも楽々と揺すって、彼らの繁殖作用を少しでも遠くへ広めようとしているときだった。空は嵐を孕み、自然はひたすら待ちもうけていた。あらゆる鳥も声を潜めていたので、その瞬間は息塞がるばかりの厳粛な瞬間となった。大地からは燃えるような一陣の風が吹き起ったので、人は喪心するかと思い、松柏類の花粉は黄金の烟のように枝から舞い立った。――それから雨が降った。」
   (アンドレ・ジッド「地の糧」)
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ふと気が付いた

2018-07-18 22:28:13 | つぶやき
ふと気が付いた
いったい何時からぼくは
空を飛ぶ夢を見なくなってしまったのだろう?
遠い過去のような気がする。

あの頃いつも見る夢は
あんまり高く上がりすぎて
強風の吹く空の中に一人ぼっちで
行く手には果てしなく広がる海や
人の姿もない大平原が広がっていて、

ぼくは目まいと淋しさと恐ろしさで
胸がつぶれる思いをしながら
人に出会うのを求めて
泣きながら 夜な夜な飛んでいたのだ。

そういう夢でも
全然見なくなって久しいと
ふと気が付くと 苦い。

いまぼくは たどり着けない夢ばかり見ている。
繰り返し繰り返し
迷路のような暗い街路で迷い
行き先の分からない電車で
次々と聞き覚えのない駅を過ぎ
泥に足を取られ 冷たい雨に震え
いまが何時なのかも知らず

ぼくはいったい 何処を後にしたのだったろう?
何処に行き着きたいのだろう?
何処に帰りたいのだろう?
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ブラインド

2018-07-03 22:03:53 | つぶやき
あずさが笹子トンネルを抜けて
高尾を過ぎた辺りで
日除けを下ろす
イヤホンを耳に入れる
あるいは文庫を取り出す

高山に咲く花を見たあとで
渓流の音を聞きながら歩いたあとで
ぼくの住むこの醜い都会を
なるべくなら見たくない
なるべくなら聞きたくない

明日にはまた慣れてしまうにしても

   また

月面の向こうに浮かぶ地球は
あんなに青かった

ユーリーが天国から見る地球は
いまも青く美しいだろうか?
初めて空を飛んだ日のように

ぼくは宇宙から見ることはないが
ぼくは天国を信じていないが

ぼくの見る最も美しい地球は
いちめんの木々の緑だ

ぼくが眠りについたあと
夢の中で見る地球も
いつまでも美しい緑だろうか?
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ビール

2018-07-02 20:36:25 | つぶやき
なぜ
炎天下を山小屋にたどり着いて
飲むビールは
こんなに美味いのだろう?
なぜ
山を下りてバスを待ちながら
飲むビールは
こんなに美味いのだろう?

これまでの人生でいちばん美味かったビールは
夜行列車のホームで
一緒に行けなかった山仲間が
アイス・ボックスごと差し入れてくれた
厄介者のお荷物のビールだ。

翌日
ぼくたちは廃道と知らずに沢に迷い込み
崖を経攣り
滝を巻き
やっと見つけた登山道で
そのビールを空けたのだ。

なぜ
苦労のあとのビールは
困難のあとのビールは
こんなに美味いのだろう?
普段それほど
ビールが好きなわけじゃないのに。

苦労にも困難にも実は喜びがある…
からだろうか?

ぼくの生涯の終わる時
臨終の床で一口の
ビールを飲んだら
人生最高を更新するだろうか?

 昨日今日と、八ヶ岳の阿弥陀岳に登ってきました。
 快晴で、富士、農鳥岳から白馬岳まで、南と中央と北アルプスの主要な山全部見えました。
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